第451話:第442戦闘隊かく戦えり(11/14)

 「ザステック大隊」というのは、話によると二十名の騎士と百名の従兵からなる、この街の騎士団の中でも最大規模の部隊だという。フェクトール公の側近として磨き抜かれた『月耀げつよう騎士団』を除けば、先陣を担う最も精強な集団らしい。


「……たった百二十人? しかも中核の騎士は二十人って……」

「何を言っているんスか! 騎士が二十人もいるんスよ?」


 俺の言葉にフェルミが目を丸くする。隊長は、苦笑いして答えた。


「お前がどこの軍団を観てきたのかは知らんがな。王都みたいに、有力領主たちが抱える騎士たちをかき集めるなんて芸当はできんからな?」


 ……そうか。戦記ものを読むと、数千、数万の大軍がぶつかり合うから、この街もそういうものだと思い込んでしまっていた。

 そういえば騎士自体、貴族の一種だったな。一つの地方都市に、そんなにぞろぞろといるわけないってことか。


「そういうことだ。それに、ザステック大隊はたしかに先鋒を担う最大規模の大隊だが、大隊自体はほかにもいくつかある」


 隊長は、憮然として続けた。


「だが、先鋒を担うはずの騎士団が、城門前広場の戦いで消耗してしまった。汚名返上とばかりに、他の大隊と共に出撃した昼の戦いでは大いに奮闘したらしいんだが……」

「敵の攻撃を受けて、徐々に皆がばらばらになっていった――というわけだな?」


 状況が目に浮かぶようだ。

 最初のうち、ザステック大隊は他の大隊と共に戦っていたんだろう。城門前広場の戦いでのうっぷんを晴らすかのように、敵を蹴散らしながら四番大路を突き進むザステック大隊は、たしかに奮闘していたのかもしれない。


 ところが、それゆえにおそらく突出しすぎたのだ。


 街を制圧していた侯爵軍は、それを察知し大路に樽だか木箱だかの障害物を積み上げて進撃を阻む。なんなら、歩兵のやりぶすまでもいい。なにせ街路だ、回避のしようがないのだから。


 それによって騎兵隊の足並みが乱れたところで、侯爵軍がわき道からの側面攻撃。ただでさえ突進力を失っていた騎兵の足が止まる。


 敵味方入り乱れての乱戦の中、突出部隊は分断されて孤立。突進力という最大の利点を失った騎兵は退くこともかなわなくなり、歩兵に殲滅されてゆく――こんなところだろうか。


 絵に描いたような負け戦だ。自分の街という地の利のあるはずの場所を、逆手に取られて敗れるとは。血気にはやった末の自滅と言えなくもない。


「……自滅ですか。確かにそうかもしれませんね。ですが、どうして全貌を見てもいないのに、そんなにも的確に流れが分かるんですか? 空から眺めていたとでも?」


 隊長の脇に控えていた、頭に鉢巻きをした猿属人アーフェリングのウカートが、眼鏡を持ち上げながら言った。


 ――空、か。

 俺を屋根の上から支援してくれていたリノはいま、いったいどこにいるんだろう。『ボク、お役に立つよ!』と囮を引き受けてくれた、あの少女。無事でいてくれることを、切に祈る。


「……いや、ちょっと考えたら思いつく結果だろう? 先陣を切った突進力のある集団が、敵の攻撃で進撃が遅滞、側面攻撃で分断、退路を断たれて各個撃破――こういった街の、しかもすでに敵の手に落ちた市街戦なら、十分に想定されることじゃないか」


 リアルタイムストラテジーゲームでも、たまにやらかすミス。

 伸びきった戦線を分断され、補給路を断たれて戦えなくなり、育て上げた虎の子の戦闘集団が崩壊していくのを見るのはつらいものだ。間違いなくリセットしたくなる案件だろう。


「……話をちょっと聞いて考えるだけで、いくさの流れを思いつくような人が、そうそういてたまるものですか」

「俺自身、昔、やらかしたことがあるからな」


 目を剥くウカートと隊長に、俺は失言に気付く。


「あ、ああ、遊びの話だ」

「……お前のふるさとは、遊びで包囲殲滅されるのか?」


 熊属人ベイアリングの隊長が、ひいている。

 いや隊長、そーいう意味じゃない。


「ま……まあ、ともかくだ。こうしている時間も惜しい、知恵を貸してくれないか」




 日没間際の薄暗い道を、燃え上がる家の炎の明かりを頼りに走る。だが、なにしろ広場とは逆方向。おまけに主戦場の四番大路を走るわけにもいかず、迷路のような路地を駆け抜けることになる。

 せっかく――せっかくあそこまで広場に近づいたのに。恨めしさに叫び出したい思いをぐっと噛みしめる。


 そのときだった。


「このケダモノが!」


 それは小さな声だった。

 だけど、俺の翻訳首輪は、五メートル程度の距離なら、声さえ伝わってくればちゃんとクリアに理解できるんだよ。


 俺が細い路地に入ったのを、後ろからフェルミの声が追いかけてくる。だが、待っていられなかった。


 あの悲鳴を、どうして、聞き逃せようか!




「……だん……な、しゃま……?」


 それを発見した時の俺は、なにを口から発したか。

 覚えてはいない。


 傷だらけの革の鎧に身を包んだ男に挟まれるようにしていた、小柄な少女。


 その手に掴み上げられた明るい茶色の髪は、ちぎれかけの右耳からだろう、赤黒い血にまみれている。


 頬は腫れあがり、左のまぶたが切れて、顔の左半分も血まみれだ。


 なにより――元は白かったはずのワンピースは大きく引き裂かれ、赤黒い大きなしみをいくつもつけている。もはや身を包み隠す意味を見失ったそれは、彼女の白い胸や腹に浮かぶあざを、いくつも露出させていた。


 そして、彼女の白い内股を伝う、幾筋もの赤い筋。


 ――ああ。

 口から何を発したか、そんなことなど、覚えている隙など無かった。


 気が付いたら、血まみれの拳を、なおも男に振るっていた。

 痛みなど感じていなかった。

 ただただ、もはや動かないそいつを殴り続けていた。

 駆けつけたフェルミに、制止されるまで。




 たぶん、返り血でひどいありさまだったんだろう。

 一瞬だけ、リノは身をすくめた。


 でも、俺が一言だけかけた呼びかけに、首を振り、そしてぼろぼろと涙をこぼし始め――

 俺にすがりついてくれたんだ。

 あまりにも痛々しい姿だった。

 ――でも、生きていてくれた。


 ごめん……ごめんよ。

 怖かったよな。

 寂しかったよな。

 彼女が志願したとはいえ、結果的に一人にしてしまった。


 ……ああ、すまない。

 俺はここにいるから。

 もう離さないからな。




「ホントに無茶するんスから、ムラタさんは」

「……ごめん」

「そんな人に惚れちまったオレもオレっスけどね?」


 フェルミに包帯を巻いてもらいながら、俺は頭を下げるしかない。

 リノを抱えて路地から出てきた俺を、隊長はあきれて文句を言いながら迎えた。だが抱えている少女がリノだと気づいて、それ以後は何も言わず、しばらくそっとしておいてくれた。


 腫れあがった頬に、ペリシャさんから頂いた薬を、慣れぬ左手で塗る。顔をしかめるリノだったが、しかし歯を食いしばるようにして耐えていた。

 ぼろぼろのワンピースの下からのぞく肌は、青黒いあざがいくつも付いていた。

 なにより、少女の内股を伝う、赤い血。

 この歳で、彼女はどんな地獄を見たんだろう。


 本当はフェルミが真っ先に駆け寄ってくれて、手当てをしてくれようとしたんだ。

 でもリノは怖がって俺にしがみついて、今も俺のひざの上。

 怪我の手当ては嫌がるものの、けれどがんばって我慢をしている、といった様子だ。


 頭を撫でてやりながら、口元の血をぬぐってやる。冷え切った体は震えているが、目を細めて嬉しそうにしているのがなんとも痛々しかった。

 俺の服のすそを握って放そうとしないその小さな指に、ほとんど力が入っていないことが見て取れて、胸が痛くてしょうがない。


「ボク、がんばったよ?」

「……ああ、よくがんばった。偉いぞ」


 俺たちが安全に行動できるように家々の屋根から屋根へ飛び移り、たくさんの情報をくれた。お前のおかげで、俺たちは戦えたんだ。


「ボクね、がんばって、逃げたんだ」

「……そうか。大変だったな。もう、無理しなくていいからな?」


 幼さの残る小柄な彼女が、騎士たちの救出のため、見事に囮役を果たしたのだ。誰が何と言おうと、昼間の救出作戦の最大功労者はリノだ。これ以上、なんにもしなくたっていい。


「ボク……もっともっとお役に立つ、よ? だってボク、だんなさま――ししょーの、弟子……だから」

「……いいんだ、もう。それに、俺のことはだんなさまって呼んでいいんだぞ? お前は――」

「……ボク、もう、ししょーのお嫁さんに……なれない、から」


 彼女は力なく笑った。呼吸が浅い。声が小さくなってゆく。


「……何言ってるんだ。言っただろう、お前は俺のものだって」

「だめ、だよ……。ボク、耳、とれちゃった……。しっぽも、ぼろぼろにされちゃった……。こんなみっともない子、お嫁さんにしたら、ししょー、恥ずかしい思いする……から……」


 ――ああ! フェルミが言っていたことだ!

 獣人の女性として大切にするべき二つ――耳と尻尾、その両方を穢されたと、だから嫁ぐ資格を失ったなどと、そんなことを気に病んでいる! こんな……こんな小さな女の子が!!

 

 俺はリノを力いっぱい抱きしめた。

 冷え切った、小さな体を。


「おまえは可愛いよ、リノ! どこもみっともなくなんかない! 俺は必ず、お前を妻に迎えるからな!」


「だめ……ボクは……」

「なにがだめなんだ、くだらないことを心配してるんじゃない! お前はこれからもいっぱい勉強して賢くなって、しっかり食って美人になって、ついでにおっぱいもでっかくすることだけ考えてればいいんだよ! そうして真っ白なドレスを着て、俺のものになるんだ!」

「……えへへ、うれしい、なあ……。ボク、ししょーのお嫁さんになんて、もう、なれないのに……ししょー、やさしい、ね……」


 リノが――リノの声が……か細くなっていく!


「馬鹿なことを言うな! リノが俺の嫁になれないなんて、誰が決めた! たとえお前が嫌だといっても、俺はお前を嫁にするからな!」

「……ししょー……。えへへ、ボク……お役に、立てたよ、ね? ししょー、ボクのこと、およめさんにしたい、くらいに……」


 ああ! リノ、まて! 目を閉じるな!

 誰か! 誰かこいつを助けてやってくれよ! お願いだ!


 俺の悲鳴を受けてか、フェルミが立ち上がってどこかに走っていく。


「さむい……さむいよ……ししょー、ボク、もう……」

「リノ! 目をつぶるんじゃないっ! 起きろ!」


 その小さな体を揺さぶった拍子に、俺の鞄から、いくつか小瓶が転がり出る。

 ペリシャさんが持たせてくれた、いくつかの薬。


 俺は弾かれたようにそれらを拾うと、何かいいものはないかと、栓を抜いてはにおいを確かめる。


 ――あった! たしか、雪山で遭難したら、昔はこれを飲ませていたって聞いた!


 俺はそれを口に含む。

 たちまち口の中が焼けるように熱くなる。


 俺はリノを抱え直すと、その小さな小さな唇に覆いかぶせるように、自身の唇を重ねた。舌を差し込み、口をこじ開けるようにして、自身の口に含んだものを、その口内に少しずつ送り込んでいく。


「ん――むっ……んんっ……!」


 驚いたようにリノが身を悶えさせた。俺は彼女の体を離すまいとして、左腕で彼女の腰を抱きかかえるようにし、右腕で彼女の頭を抱えて手のひらで彼女の顎をとらえ、しっかりと唇を押し付ける。

 彼女がむせたりしないように、ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、口の中のものを移してゆく。


 リノは目を閉じた。

 すべてを俺に預けるように力を抜くと、その小さな両手を、俺の両頬に沿わせた。彼女の舌が、おっかなびっくりといった様子で俺の舌に触れる。

 そのたどたどしい舌づかいに、俺は思わず彼女をさらに強く抱きしめた。


 ……ああ! 彼女は生きようとしている!

 手放してなるものか!




「……ぷはっ――けほっ、けほっ……!」


 長い長い口づけのあと、リノは軽く咳き込んだ。


「な、なに、これ……。ししょー、体が熱いよ……ぽかぽかする……」


 無理もない。

 俺が彼女の口に含ませたのは、かなり強い蒸留酒ブランデーだった。

 ただ、ブランデーにしては妙な味がいろいろ混ざっている感じがした。おそらく、救急用に薬草か何かを漬け込んであったんじゃないだろうか。


「大丈夫だ。リノ、ペリシャさんを覚えてるか? あのおばあちゃんがくれた薬だ。気を強く持て。お前は早くでっかくなって、俺の嫁さんにならなきゃならないんだからな?」

「ししょー、ボク……ボクは……」

「『だんなさま』と呼べ。お前はリノ、建築士見習いで、将来は俺の嫁さんだ」


 口に含み続けたアルコールの効果だろうか、俺も体が火照ってきた。リノも同じなのだろう。土気色をしていた彼女の頬に、早くも赤みが戻っていて来ているように感じられた。


「ボク……耳、こんなだよ……? しっぽも、こんなだよ……? それでも、お嫁さん、なっていいの……?」

「俺のために一生懸命頑張ってくれた、こんなにも可愛い女の子を、ちょっとばかり怪我したからって見捨てろって言うのか? そんなこと、できるわけないだろう」


 リノは、俺の懐の中で、顔をこすりつけるように首を振った。


「……ちょっとなんかじゃ、ないよ……?」

「ちょっとだ。すぐに治る。リノはいい子だから、大丈夫だ」


 冷え切った小さな体を、せめて俺の胸で温めるように、改めて抱きしめる。


 リノは、俺の胸で、泣いた。

 泣きじゃくった。


 彼女の傷ついた耳に触れぬようにしながら、俺は彼女の頭を撫で続けた。

 どこから調達してきたか、フェルミがぼろぼろのマントを持って来るまで。

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