第450話:第442戦闘隊かく戦えり(10/14)

「オレの故郷は、戦争がしょっちゅうだったってのは、さっき、言ったっスね?」

「……ああ、聞いた」

「普段、どんなに親しくしててもですね? 隣の国は基本、敵の国になるんだって、言いましたよね?」

「……言ってたな」


 フェルミの耳、そして失われたしっぽ。それは、戦争のさなかに傷つけられたもの。

 ……まさか、フェルミを傷つけたのは、フェルミの知り合いだということなのか?


「さすがにそれはなかったけど……でもね?」


 フェルミは少しうつむいて、そしてまた、顔を上げた。


「女が戦場で取り残されると……どうなるか、知ってます?」


 ……想像したくないが、まあ、分かる。

 すると、フェルミは苦笑して目をそらした。


「ほんとに分かってます?」

「そりゃ、……戦闘で気が高ぶった男たちのすることだから……」

「こうなるんですよ」


 そう言ってフェルミは、耳を指した。


「耳も、しっぽも、自分たちには、とっても大切なものなんです。毛並みの美しさを、形の良さを守るために、いつも、ブラシをかけて。――特に、嫁入り前の娘は」


 ……そういえば、そんなようなことを昔、聞いたことがあったっけか。だから顔面傷だらけのクソ義兄アイネは、妹の――リトリィの豊かな毛並みを自慢の種にしていた。


「その耳やしっぽを傷つけるというのは、その娘の将来を奪うっていう、死刑宣告みたいなものなんです。それを……!」


 そう吐き出したフェルミの目が、ひどく揺れている。

 自分の肩を抱きしめるようにしていた。

 その指は血の気が失せ、ひどく腕に食い込んでいる。


「フェルミ……? おい、フェルミ!」


 ……やっぱりさっき、俺が軽はずみに「大工として名を上げれば出会いも生まれる」みたいな無責任なことを言ったのは、フェルミのトラウマをえぐる言葉だったに違いない! 申し訳なさに胸が痛くなる。


「……かん、とく……?」

「……ごめんな。俺がさっき、無神経なこと、言っちまったから……」


 俺は、フェルミの肩を抱いていた。

 こんなに苦しそうなフェルミを見たのは初めてだった。

 どんな時だって、こいつはいつも軽口を叩く、陽気な奴だったのに。

 想い人でも失ったのだろうか。どんなにか、辛い目に遭ったんだ、こいつは。


「ごめんなぁ……!」


 変にこみあげてくるものが邪魔をして、声がかすれて上手く出ない。フェルミの背中を撫でるようにしながら、俺はしばらく、フェルミの肩を抱いていた。


 フェルミが妙に甲高い声ですすり泣きを始めて、俺もつられて、フェルミの肩が濡れるほどもらい泣きしてしまった。考えてみれば、フェルミにとっても迷惑なことだっただろうに。一緒に泣きながら、そんなことを考えてしまった。




「監督」


 落ち着いたフェルミが、再び、俺の肩にもたれかかるようにしている。

 すっかり日が落ちて暗くなった街の裏路地は、見上げても、細く切り取られた藍色の空が見えるばかりだ。剣戟けんげきの音、怒声や罵声が、妙に遠くに感じられる。


「監督は、奥さんを何人持つつもりですか?」

「……お前までそんなこと聞くのかよ」

「だって、興味、ありますから」

「まるで俺が女たらしのろくでなしみたいだから勘弁してくれ」

「そんなこと、ないですよ? それだけ、人望があるってことですよ」


 そう言うと、フェルミはまた、肩に頭を傾けて乗せてくる。


「……フェルミ、やっぱり疲れてるのか? それとも具合が悪いのか? もしそうなら言ってくれ」

「そんなこと、ないですよ?」

「……だったらどうしてそんな、くっついてくるんだ。もたれてないと辛いからじゃないのか?」


 するとフェルミは、寂しそうに笑って、そして、俺を見上げた。


「あなただから、ですよ……」


 なんと返したらいいか分からず、俺は頭をかく。


「……フェルミ、本当にさっきからどうしたんだ? 話し方も妙に丁寧だし」

「……そっスね。オレらしくないっスね」


 フェルミは、わずかに身を起こして俺から離れた。


「監督は、この街に来る前、何をしていたんです?」

「建築士だよ。今と大して変わらないさ」

「街を渡り歩いてたんスか?」

「なんでそう思うんだ?」

「だって、リトリィさんに捕まるまでは独り身だったんでしょう?」

「捕まるってなんだ、まるで俺が今まで逃げ回ってたみたいじゃないか」

「違うんですか?」


 言われて思わず考え込んでしまう。

 確かに童貞だったころの俺は、リトリィに惹かれながらも女性経験のなさから、彼女との関係を進めることを恐れていた。逃げ回っていた、と言われれば、確かにそうなのかもしれない。


 だが、フェルミの言葉は予想の斜め上だった。


「だって、監督、恋人、いっぱいいそうだから」

「……は?」

「女殺しっていうんですかね? 懐にするっと入り込んでくるような、女慣れした感じがしますから」

「お前な、そういう俺の暗く寂しい過去をそういう形でえぐるのは卑怯だぞ」

「どうしてですか?」

「二十七年間女を知らずに生きてきて、一生童貞で終わるって確信して人生諦めてきた俺だぞ? なんでそんな嫌味を言うんだ」

「そんなわけ……」


 フェルミは笑いかけて、そして、引っ込めた。


「……マジっスか?」

「そんな俺を拾ってくれたのがリトリィだ。俺はあの女神に一生を捧げる」

「……ホントに、おかみさん、愛されてるんですね……」

「当たり前だ。俺をあらゆる意味で救ってくれた女性だ。俺は絶対にリトリィを幸せにしてみせる」


 左腕に残る、リトリィのナイフの傷痕。彼女の心を壊しかけたあの時の過ちを、俺はもう、絶対に繰り返さない。

 

「監督、質問していいですか?」

「答えられる程度の質問ならな?」


 俺の予防線に、フェルミは笑った。

 笑ってから、また、頭を俺の肩に載せる。


「もう一人、お嫁さんを増やすつもりはありませんか?」

「今の二人に加えて、既にもう一人予約済みだ。これ以上増やすつもりなんてないからな。第一お前、一体誰を紹介するつもりなんだ」


 ため息をついた俺に、フェルミがいたずらっぽい目で見上げてくる。


「やだなあ。この流れで分かりませんか?」

「知らん。なぞかけに答える気力もとっくに失せてる」

「すぐ隣にいるじゃないですか」

「すぐ隣?」


 右を見て、左を見て、また右を見て、そして――

 微笑みを浮かべながら俺を見上げている、フェルミが一人。


「……馬鹿野郎。変な冗談を言うな」

「私、軽口はよく叩いていたつもりですけど、冗談なんて言っていたつもり、ありませんよ?」

「新しい嫁って言葉が、冗談以外のなんだって言うんだ」

「監督、目の前にいるじゃないですか」


 そう言って、フェルミは胸元をはだけて見せた。

 かたく巻かれた布をほどかれた、その下にある胸のふくらみに、俺は驚愕する。


「お、おま、おまえ……まさか……!」

「ね? お嫁さん候補、でしょう?」


 ……そうか。

 コイツ、だから、妙に声が甲高かったんだ!

 だって、コイツ……!


「女、だったんだな、お前……!」

「これでも捨ててたんですよ? だって、もう自分には、女として好かれるところなんて、残ってないんですから」


 耳もこんなですし、しっぽも切られてしまいました。純潔もありません――そう言って、フェルミは笑ってみせる。


「子供に乳をふくませることだってできないんです。から。それにそのとき、胎内おなかので、そもそも子供なんて、作ろうとしてもできなかったでしょうけれど」


 男の人にとって、なんにも利点のない体ですけど、獣人を「ひと」として愛してくださるな監督なら、もしかしたらって思って――そう言って、笑った。


 自分をあざける笑いだった。

 悲しい、悲しい笑顔だった。

 それをどうして笑えようか。


「……かん、とく? ――監督の涙って、意外と安いんですね。何回……泣くんですか? 男のひとでしょう?」


 うるさい。

 なんとでも言え。

 お前だって涙声じゃないか。

 お互いさまだろう。




「……監督。心までとは言わないです」


 長い長い口づけを交わしたあと、フェルミの潤んだ瞳を、俺はどうしても、遠ざけることができなかった。


「……今だけ……」


 先端のない胸をはだける彼女・・が、熱い吐息を絡めるように、俺の上に覆いかぶさってくる。


「今、このひとときだけでいいんです。奥様を愛するようにとは申しません。ただ、監督の愛を、ひとかけら……ひとかけらでいいですから、どうか……」




 ……ごめん。

 ごめん、リトリィ。

 俺は、本当に弱いやつだ。


 一度だけ……ただ一度だけだから――



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



「監督! ほら、しっかりするっスよ! 足の怪我なんて、大したことなかったんスから!」

「お、お前な! 俺の脚の傷、見ただろ!」

「大丈夫っス! 致命傷以外はかすり傷っスよ!」

「そんなわけないだろっ!」

「大丈夫っス! あんな怪我、オレらにしてみりゃ大したことないっスから!」

「兵役経験のない俺にとっちゃ大怪我なんだよっ!」

「大丈夫っス! あれだけ運動できたんだから、走ることだって簡単スよ!」

「あれはお前が、勝手に――!」

「もしデキたら、認めてもらえますか?」

「認めないなんて、そんなこと言えるわけないだろっ!」

「やっぱり監督は甘いっスね」


 そう言ってフェルミは、朗らかに笑った。


「大丈夫っス! オレだって好きになった人を困らせたくないっスから! もしデキてても、おかみさんには監督の浮気じゃないって説明するっスよ!」

「それやめて本当にお願い」


 くそう。アレからすっかり元通りに、元気になっちまいやがって。口調も元に戻っちまったし。


「ほら監督! さっさと走るっスよ! ほら、監督! あっちに隊長たちがいるの、見えるっスか! 合流するんで、気合入れて走るっス!」


 ああもう、はいはい! 分かったよ!




「おお、生きてたかフェルミ!」

「隊長こそ!」


 熊属人ベイアリングの隊長は、あちこち傷だらけだったけれど元気そうだった。

「はぐれた後は、お前らも死んじまったかと思ったが……ヒョロガリも無事だったか。悪運の強い奴め!」


 がははと笑いながらバシバシ背中をぶっ叩いてきたものだがら、その怪力で思いっきりコケた。


「隊長! 何するんスか! 少しは加減ってものをしてくださいよ! その丸太みたいな腕でムラタさんをぶっ叩いたらどうなるか、分かってるっスよね!?」


 即座に隊長にかみついたフェルミの剣幕に、隊長はタジタジとなった。


「いや、ワシは撫でただけで――」

「ムラタさんが貧弱なの、知ってるっスよね? オレらと違って民兵でもないっスよね? 厚意で協力してくれてるいち市民でしかないんスよ!?」


 目を丸くしていた隊長は、鼻をひくつかせ、そして何かに得心いったように豪快に笑った。


「そうか、そうか! フェルミお前、つまりそういうことか! だからそんなに、このヒョロガリの前で威勢がいいってわけだ!」

「なんとでも言ってください。でも隊長、ムラタさんはオレをかばったせいで脚にケガしてるんスから! ちったぁマシな扱い、してやってくださいよ!」


 フェルミの抗議に、隊長が俺を――俺の太ももに巻かれた包帯を、まじまじと見る。


「ほう……? 頭だけじゃなくて、体も張ったのか。その包帯、ウチの隊員のための名誉の負傷だったのか。――悪かったな、ヒョロガリなんて言ってよ。すまん」


 熊属人ベイアリングの黒い毛むくじゃらの隊長――その目が、やけに優しく感じられる。


「改めて礼を言おう。フェルミが世話になったな。コイツはなかなかのクセ者ではあるんだが――」


 そして隊長は、急に顔を寄せてくる。


「まあ、アンタらがなら、多くは言わなくても分かるよな?」

「……?」

「隠さなくたっていい、全部分かった上でなんだろう?」


 がはは、と隊長は上機嫌に笑うと、やっぱり俺の背中をバシバシと叩いた。


「とにかくだ。変わったヤツだが、それでもウチの大事な隊員なんだ。……ありがとうよ」




 街はあちこちで火の手が上がり、もはや午前中の「占領された状態」が楽園であったように思うほどのありさまになっていた。


 俺が身を寄せる第四四二戦闘隊も、正規のメンバーは熊属人ベイアリングの隊長、猫属人カーツェリングのフェルミ、そして狐属人フークスリングのシュバルクスの三人だけ。あとは死傷して脱落したか、単にはぐれたか――行方不明だ。


 四四二隊は、今や壊滅した部隊のメンバーの寄せ集めになっていた。もはや「四四二隊の隊長が生き残っているから四四二隊」と名乗っているだけに過ぎなかった。


 臨時的に四四二隊に合流しては死傷して脱落する、を繰り返し続けた結果、俺が覚えているだけでも死傷者は三十人を超える。

 怪我による脱落が多いが、少なくとも俺の目の前でこと切れた者も三人。感覚がマヒしてしまったのか、三人目が死んだときには、もはやそれほど大きな衝撃を受けることもなくなっていた。


 今だって、どう見てももう、長くはもたないだろうと思われる重傷者を、その場に置いてきてしまった。


『置いてかないでくれ……』


 そう言って、よろよろと手を持ち上げたそいつを。名前も知らぬ、その若者を。

 胸は傷むが、置いてくることが


 本来の四四二隊の所属メンバーは、十二人だという。だとするならば、死傷率はすでに三百パーセントを超えたと言ってもいい。自分で言っていて訳が分からない。俺みたいなヒョロガリと呼ばれるような一般人が、よく生き残っているものだ。


 それでも、第四四二隊なのだ。おらが街を守る部隊。

 昼に救出・合流した四一二隊の生き残りのうち、ブレド隊長はすでに怪我で脱落している。フォンメル、ガルード、そしてヒルトは、俺たちと同様に一時期はぐれていたらしいが、三人とも無事、隊長と合流していた。


 熊属人ベイアリングの四四二隊隊長は、本当に頼もしい。その頑健さと圧倒的な腕力に、何度助けられたことだろう。まさに大樹のような安心感。


 ――だが、それでも遠い。


 あと、たった百五十メートルほど。広場までたった百五十メートルほどなのだ。我が家までは二百メートルほどだろうか。


「ムラタさんっ! 隊長が呼んでるっス!」


 全力で駆け抜ければ、一分もかからないはずの距離なのに!


「ザステック大隊の生き残りが包囲されてるらしいっス! なんとか知恵を貸してほしいらしいんスよ!」


 くそう……くそう、くそう!!

 リトリィ、マイセル!

 俺はここだ、ここにいるんだ!

 あと少し堪えてくれ、どうか!

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