第449話:第442戦闘隊かく戦えり(8/14)

 奴隷商人との戦いでは、直接的な戦闘を目にすることはほとんどなかった。

 フェクトール公の屋敷での戦いも、ほとんど血を見ることはなかった。

 今回の騒動だって、これまでほとんど血を見ることはなかった。

 今日の昼までは、たしかに散発的な衝突はあったけれど、こんなありさまではなかった。


 ――あれほど待ち望んでいたはずの、騎士団の投入。

 それは、侵略され、奪われながらも、かろうじて平穏にあった街を、地獄に叩き落した。


 四番大路は、人と人とが戦い、そしてたおれてゆく、その最前線となった。

 剣戟けんげきの音が響き渡り、怒声と悲鳴が交錯する地獄。


 もはや、第四四二隊のメンバーも散り散りになって、誰がどこにいるのかも分からない。


「監督ッ! なにボサッとしてんスか!」


 フェルミに路地に引っ張り込まれた瞬間、何かが目の前を通り過ぎた。

 もし、フェルミがいなければ、俺は間違いなく飛んできた矢で死んでいた。


 勢い余ってしりもちをついて地面についた手に違和感を覚えれば、斃れた兵の血だまり。

 またしてもしばらく吐き続けた。吐くものなんてほぼ胃液しかなくなっても、えずき続けた。奴隷商人との戦いのとき以来だ。


「誰も笑わないっスよ。慣れない方がいいんス、こういうのは」


 近づいてくる複数の足音に、フェルミが保護帽ヘルメットを脱いで俺にかぶせると、死体から剥ぎ取った兜をかぶる。


 その時知った。いつも帽子や保護帽をかぶっていたから気づかなかったが、フェルミの奴、猫属人カーツェリングだったんだ。


 ただし、左の耳は半分から上がなく、右の耳もひどくいびつにぎざぎざだ。


「……監督もそういう目をするんスね?」

「い……いや、……その、ごめん」

「耳はこんなだし、しっぽは切り落とされてますからね。だから見られたくなかったんスよ」


 彼の出身地は、国境近くの紛争地帯だったという。

 ……ああ、つまり、そういうことか。


「オレ、監督には世話になりましたけど、その何倍もおかみさんには世話になったっスからね。その恩は返さなきゃ」


 フェルミは笑うと、折れた自分の剣を捨て、死体が握っていた刃こぼれだらけの剣を拾い上げた。


「監督は絶対に生きてくださいよ? オレ、自分にはもてなかった幸せを、おかみさんにはつかんでもらいたいっスから」

「ま、待てフェルミ! お前……!」

「監督、オレ、甘っちょろい考え方のヤツってあんまり好きになれなかったんすけど、監督のことは、なんでか嫌いになれなかったんスよ。……いや、好きになっちまったのかなあ、オレ」




 今度こそ死んだかと思った!

 出ていこうとしたフェルミの首根っこをひっつかんで引き倒すと、フェルミの頭を抱えるようにしてその上に覆いかぶさった。ついでに足元の死体をひっかぶり、息を殺して死んだふり!


 迫ってきた足音の連中が、俺が上にかぶった死体にブスリ、ブスリと剣だか槍だかをぶっ刺して死体かどうかの確認をしてきたときには、生きた心地がしなかったよ! 死体を貫通した刃が太ももをかすったのを感じたときは、死んだふりなんかじゃなくて、逃げればよかったって!


 だけど、その直後に連中はもっと重要な標的を見つけたみたいで、走ってどこかへ行ってしまった。本当に間一髪だった!


「……突然、何をされるかと思っちゃったじゃないスか」

「馬鹿野郎、お前、今の連中に挑むつもりだっただろ」

「適当にやって逃げるつもりだったんスけどねえ」


 フェルミは苦笑いしたが、俺にはそうは思えなかった。むしろさっきのあの言葉、遺言か何かのつもりにしか受け取れなかった。


「……そう聞こえたっスか?」

「少なくとも俺には死亡フラグに聞こえた」

「……なんスか、それ」


 フェルミは小さく笑うと、身じろぎしてみせた。


「監督、重いっス。いつまで乗っかってるつもりっスか?」

「あ、ああ、ごめん。そうだな、二人分乗っかってるんだもんな」


 俺は慌てて体を起こそうとして、そして、その時やっと、俺は太ももに痛みを感じた。

 起き上がりそこねて無様に倒れた拍子に、ずるりと、背中から死体がずり落ちた。


 俺の代わりにぶっ刺されたホトケさんだ。今はなにもしてやれないけど、せめて――痛みをこらえて身を起こすと、手を合わせる。


「……ナニしてんスか?」

「こいつのおかげで助かったようなものだからさ。ホトケさんに感謝してるんだよ」


 さっきまでは、その死体の血溜まりでゲーゲー吐いていたのに、我ながら現金なものだ。

 フェルミはまた笑った。仕方のない人だといった様子で。


「……やっぱり監督は、甘っちょろいひとっスねえ」




 俺の怪我の応急処置のために、フェルミは俺を背負って、路地の奥に連れて行ってくれた。


「まったく、弱っちいくせにこんなところに来るからっスよ」

「面目ない」


 ペリシャさんからもらった救急キットが役に立った。瀧井さんの家に寄っておいてよかったと思う。本当に、俺は人から助けられてばっかりだ。


「……でも、この怪我、オレをかばってくれたから、なんスよね。すんませんっした」

「そんなカッコいいものなんかじゃないけどな」


 俺はため息をつく。あのとき、全力で逃げていたら、また違った結果だったかもしれないのに。余計なことをしたおかげで、しなくてもいい怪我を負ってしまっただけかもしれないのだ。


「そうかもしれないっスね」


 笑ったフェルミだが、目は妙に優しかった。


「でも、オレのためにって、その時、監督が最善を尽くそうとしてくれたんスよね? オレ、うれしかったっス」


 弱っちい監督にできる最善だったんじゃないスかね、と。


「そう弱い弱いと言ってくれるなよ。そりゃ民兵として訓練を積んでるフェルミと違って、俺はなんにもできないただのおっさんだけどさ」


 フェルミはくすっと笑うと、包帯を結び終えて、俺の隣に座り込んだ。


「……オレら獣人族ベスティリングは、ヒトよりは強いって思われてるんスけど、やっぱりあんまり、数、いないスから。囲まれちゃ終わりっス」

「囲まれたら、終わり?」

「そっス」


 言われて、熊属人ベイアリングの隊長を思い浮かべる。

 あの人なら、無敵のダブルラリアットでなぎ倒すとか、敵の足を抱えて丸太のように振り回して敵を薙ぎ払うとかしそうだ。


「あのひとは別っスよ」


 そう言って苦笑いする。


「みんながみんな、あんなに強いわけじゃないことぐらい、分かってるっスよね?」

「まあ、そうだろうけどな」

「監督は別っスよ? ひ弱すぎっス」

「悪かったな。その分、頭を使って貢献してみせただろ?」

「結局は無茶な突入をする、頭の悪いトコを見せたっスけどね」

「あーはいはい。どうせ俺はひ弱で頭も弱いくせに無鉄砲なおっさんだよ」


 開き直ってみせると、フェルミは小さく笑った。


「……監督はホントに、怒らないんスね」

「今のどこに怒る要素があるんだ、確かに悔しいけど、事実だろ」

「オトコのひとって、そういう時、見栄を張って怒るものっスよね?」

「俺は怒ることもできない腑抜けって言いたいんだな? 好きに言ってろよ」


 俺がため息をつくと、フェルミは真面目な顔をした。


「……そんなこと言ってないし、言わないっスよ?」


 それがなんだか、少し、傷ついたような顔にも見えて、俺は慌てて笑ってみせた。


「なんだ、フェルミらしくない顔しやがって。お前ならもっと好き放題に俺をこき下ろすだろ」

「監督はオレを何だと思ってるんスか」

「口を開けば軽口ばかりでチャラそうに見えて、でも意外に堅実なところもある、付き合いのいい男」

「……心外な評価っスね」

「はいはい。ついでに人を見る目のない節穴の目とでも言ってくれ」


 フェルミがジト目で見上げてくるので、俺は妙に落ち着かなくて鞄をあさると、ペリシャさんからもらったパンが出てきた。

 ……ああ、そういえば、食っていなかった。


 俺はそいつを取り出してひと口かじる。

 かじってから、半分にちぎるとフェルミに差し出した。


 フェルミが驚いてその半分のパンと俺を見比べる。


「……監督?」

「せっかくの休憩時だしな。ほら、食えよ」

「……監督、でも……オレ、オレは……」

「遠慮するな。俺とお前の仲だろう?」


 そう言って押し付けると、俺はまた、パンをかじった。

 焼き締めたパンは堅くて食いにくかったけど、しばらく口の中でもそもそやっていると、ほんのり優しい甘みが出てきた。干しぶどうが練り込まれているのもうれしい。疲れているときの甘味は、本当に美味い。


「……監督。監督が自分の食い物、手ずからオレに半分にして渡す意味、分かってるんスか……?」

「分かってるって。いいから食え」


 同じ釜の飯を食う仲ってやつだ。最初、現場で一緒に働き始めたときは、声も甲高いし軽口ばかり叩くチャラ男だと思っていたけれど、でもいい奴だってのは十分に分かった。今となっては戦友として、こうして死線を潜り抜けてきた、大切な仲間だ。


「それだけ、俺にとって大事な存在ってことだよ。いろいろ助けてもらったしな」

「……監督って、ホントに、甘い人っスね?」

「ああそうだよ、甘っちょろい奴だよ、俺は。フェルミとは違って、人に頼ってしか生きられない半人前だ。」

「……だから監督、オレ、そんなつもりで言ってるんじゃ……」


 言いかけたフェルミだが、もう一度俺に促されて、おっかなびっくり、口をつける。別にまずいわけでもないのに、おかしな食い方をする。


「……ひょっとしてパンは苦手だったか? だったら押し付けて悪かったな、いいよ、俺が食うから。くれ」


 そう言って手を伸ばすと、フェルミは毛を逆立ててパンを取られまいとした。ああ、こういうところは猫属人カーツェリングなんだなあと、妙なところで感心する。


「く、食うっス! か、監督がオレにくれたもの、そんな、返すなんて、するはずないじゃないっスか! 絶対食うっス!」


 そう言って、しゃにむに口に押し込み始めた。


「い、いや、無理しなくたって」


 気の毒になってやめさせようとしたが、首を振って返そうとしなかった。その堅さと乾燥具合に四苦八苦しつつも、俺より先に食ってしまった。




「監督、いま包帯を巻いたばっかりっスよ? 少し休んでからのほうがいいでスって」

「でも、俺はリトリィのもとに早く行きたいんだ、こうしている間にも……」

「ただでさえ弱っちい監督が脚にケガしてるんスよ? そんなに死にたいんスか?」


 フェルミはそう言って、太ももを押さえてしゃがみこんでしまった俺を壁にもたれさせて座らせると、やっぱり隣に座った。

 なんというか、さっきより近い。というか、肩にそっと、体重を載せてくる。いくら軽口を叩いていても、奴も疲労していたのかもしれない。


「……監督は、ホントに、おかみさんを愛してるんすね?」

「当たり前だろ、これでもまだ新婚一年目なんだ」

「そうなんスか? なんというか、ずいぶんその……言わなくても通じるみたいな、熟年夫婦みたいに見えるんスけど」


 ……それはあいつが俺を理解してくれてるだけだ。付き合って一年半近くだけど、俺はまだ失敗ばかりだ。


「いいなあ……。自分にもそんな相手、欲しかったっス」

「これからだろ、なに言ってるんだ」

「オレはもう、そんな相手、もてないんスよ」

「何言ってやがる、俺より若いんだろ? 大工として身を立てれば、誰だってお前のこと、ほっとくわけ――」


 フェルミが、まっすぐ、俺を見上げる。

 寂しそうに、フェルミは笑った。


「……監督、オレの耳、見ましたよね?」


 ――耳。


 ……ああ!

 ひょっとして、獣人は耳がチャームポイントで、耳の形でモテたりモテなかったりするのか?

 あるいはしっぽを失ったフェルミは、もう女にモテないとか!?

 まずい、俺、こいつのトラウマをえぐっちまったってことなのか!?


「……そういうわけじゃないっスけど……」


 疲れたように笑ったフェルミに、俺は慌てて頭を下げる。さっきだって俺を助けてくれたこいつの古傷をえぐるような真似をしてしまったことに、申し訳なさでいっぱいになる。


「……監督、オレ、監督に怒ってなんていないっスよ? この耳だって十五の時のことなんで、もう七……八年前のことっスから」


 ……フェルミの故郷の、国境紛争のときの話だったっけ。

 それでそのありさまということか。いくら戦争中とはいえ、耳をそぎ尻尾を切り落とすだなんて! いまさらながら腹が立ってくる。

 するとフェルミは苦笑いした。


「よくあることっスよ、よくあること」

「よくあることで済ませてたまるか、そんなひどいこと」

「監督って変なところで怒りますね? オレは獣人族ベスティリングっスよ?」

「そんなこと関係あるか! 同じ人同士、対立はあっても傷つけあうことが当たり前のような世の中でいいはずがないだろう」


 フェルミは、不思議そうな目で俺を見上げる。


「監督、同じじゃないっスよ。オレは獣人族ベスティリングで、監督はヒト・・っス。同じじゃない」

「何言ってんだ。人種以外に何が違う、俺たちは同じ人間ひとだろう!」

「だから……」


 言いかけて、そして、フェルミは納得したように笑った。


「……ああ、だから監督はおかみさんを、ヒト・・を見る目で見てたんスね?」

「だから何言ってるんだ。リトリィもお前も俺も、みんな同じ人間ひとだろう」


 訳の分からないことを言うフェルミに俺はこれ以上、どう答えていいか分からなくなってしまった。だがフェルミは、どこか幸せそうに、けれど寂しそうに、笑った。


「……監督みたいなヒト・・に、……ううん、もう少し早く監督に逢えてたら、オレは……」


 一年半前なんて、俺が山にいたときだ。出会うはずもない。


「フェルミ、さっきはお前の耳とかについて何も知らないのに、女がどうとか、無神経なことを言って悪かった。でもたられば・・・・なんて言ってたって仕方ない。俺たちは生きてこの街を解放しなきゃならないんだ。過去じゃなくて未来を語ろう」

「未来……未来っスか?」

「そうさ。……とりあえずは、あのクソ野郎どもを追い出したら、どっかで打ち上げだ! 溺れるほど飲ませてやるから覚悟しろ」


 俺の言葉に、フェルミは苦笑する。


「オレ、そんな酒、飲めないっスよ」

「だったら適当に腹いっぱい食ってりゃいいだろ。なんたってお前は俺の命を助けてくれたし、一緒に戦って同じ飯を食った、大事な相棒だからな!」

「相棒……相棒っスか、オレが」


 ふふ、と笑うと、フェルミはいっそう、肩にもたれかかってきた。


 ――そんなに体調が悪くなったのか?


 顔を覗き込むと、フェルミが微笑みながら、目を動かした。


「監督……オレの話、聞いてもらえますか?」

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