第444話:第442戦闘隊かく戦えり(3/14)

 俺たちにとって幸運だったのは、そして奴らにとっておそらく誤算だったのは、この街が、いわゆる「魔力」というものの恩恵から、徹底的に見放された土地だったということだろう。


 通りの真ん中で、杖を手にした男が、中二病魂をくすぐる印を結んで何やらぶつぶつ言ったあと、


「――顕現せよ! 狼の牙がごとく我が敵を薙ぎ払え! 狼牙腑崩剱ヴォルフファング!」


 そう声高らかに叫んでみせたあとの、慌てぶりの滑稽さ。


「ば、バカな! 魔導陣ザウバー・カームが起動すらしないだと!?」


 よく分からないが、杖を向けた先に、何かが現われなければならないらしい。だが、杖の先が一瞬青白く光りかけただけで、何も起こらない。


 ……いや、光ったこと自体はすごいんだよ! 俺も、魔法という奴が現実で見られるって、ホントに立場を越えて期待してしまったからな。一瞬とはいえ、種も仕掛けもない本物の魔法が見られるって、わくわくしてしまったんだ。


 が、杖の先がほんのわずかに光りかけただけ。この土地は、本当に呪われているかのように魔法が使えないらしい。


 そのおかげで、連中が破壊力のある攻撃手段を著しく制限されてしまったというのは本当に幸運だった。連中は、どうやらこの街の特性を「ある程度、魔法の使用に制限がかかる」程度にしか考えてなかったらしい。


「見ろよ、あの慌てぶり。法術が使えないことが、そんなに驚くもんかよ!」


 いや、法術とやらが使えない理由ってのが、魔力を蓄える鉱石ってやつを人間が徹底的に採掘し尽くしたという、言ってみれば自然破壊が原因らしいんだけどさ。どんな世界でも、世界を破壊するのは結局人間ってことだな。


 ただ、日常的な術すら使えぬ有様のおかげで、今日の俺たちは助かっている。俺が身に着けている翻訳首輪は、装着している人間の中にあるオドと呼ばれる魔力をわずかに使って動いているらしい。

 つまり人間から吸い出せる力以上の力を使うような強力な術――戦闘で相手に打撃を与えるほどの術は使えないということなんだろう。


 そんなわけで、奴らが戸惑う姿を見て「これはいける」と、初めのうちは希望を持った。持ったのだが――

 



 フェルミが、荒い息をつきながら表の通りから辛くも逃げてくる。

 追いかけてきた侯爵軍兵の脳天に、塀の裏に隠れていた俺がステッキで殴りつけ、それを隊長がつかんでバックドロップ。


「――やっぱり騎士ってのは、強いっスね」


 法術が使えなくて戸惑っていたのも最初だけ、あとは正規の訓練を経た恐るべき騎士団が、俺たちを圧倒するようになった。魔法で薙ぎ払われる理不尽がないだけで、結局は実力がものを言うということだ。くそっ!


 遊撃が任務であり攪乱こそが四四二隊の役割、踏みとどまって真正面から戦うことは本来の戦い方ではないとはいえ、俺たちはかなり追い詰められていた。


 俺は何度死にかけて、四四二隊の者に何度救われただろう。

 もはや単独でリトリィたちのもとにたどり着くなど考えられず、俺は夜明けを渇望するしかなくなっていた。


『夜さえ明ければ、きっと騎士団が――』


 そう信じて夜通しあちこち逃げ回りながら、少しずつ相手の兵をぶちのめしてはきた。

 だが、それは夜の闇が俺たちを守ってきてくれたからだ。夜が明けてしまえば、もう、身を隠すことは困難になる。そうしたら、ますます追い詰められるだけだ。


「隊長、もはや自分たちが多少何かをやったところで、連中はびくともしません。退却しましょう」


 薄明けの空を不安そうに見上げる狐属人フークスリングの青年の頭を、熊属人ベイアリングの隊長がごつんとやる。彼が被っていた兜のバイザーが、がぽんと彼の顔を覆った。


「馬鹿野郎、逃げるったってどこに逃げるんだよ」


 残念ながら、混乱がある程度収束してしまえば、戦いのプロと正面から戦うだけの力は、民兵にはない。隊長は確かに頼もしいが、しかし結局は俺たちよりも腕っぷしが強い、というだけだ。もちろん、俺に至っては戦う力などない。


 だが、俺が「ひとりずつ引きずり込んで一人ずつぶちのめす」というやり方を提案していなかったら、隊長のノリと勢いのもと、俺たちはもっと早く包囲されて全滅していただろう。

 ……とはいえ。


「……おい待て! 逃げようとするな! おい! 騎士団が到着するまで踏みとどまれ!」


 こちらの士気もだだ下がりだ。俺は一秒でも早く、一歩でも近く、リトリィの、マイセルのもとに駆け付けたいというのに!

 こんな路地裏で、一進一退を繰り返しながら一人ずつ侯爵軍の兵をぶちのめす、そんなことをしていたいわけじゃないんだ、俺は!


 俺は隊長の制止を振り切るようにして、手近な集合住宅の壁に這わせるようにしつらえらえた階段を駆け上った。


 遠くに見える山並みの、その向こうが徐々に白くなっている。細くたなびく雲の下は赤紫に染まり、夜明けが近いことを物語る。

 夜が明けてしまえば、もう俺たち民兵に勝ち目はない。包囲されておしまいだ。待ち望んだ騎士団が侯爵軍を追い払うまで、俺たちがもつとはとても思えない。


 俺は、侯爵軍の兵がうろうろする大路を見下ろしながら、夜明け前に出会った四二〇隊の民兵の話を思い出していた。

 四二〇隊――四番大路の民兵のうち、二番隊――つまり、我が家のある城門広場に近い「東」方面で展開していた部隊に所属していたやつだった。


『四番城門前? ――地獄だったよ。オレは散り散りになった部隊から逃げてきたんだけどさ……血の海だった。オレは途中からゴミ箱に隠れてて、戦いが一度収まったころで逃げてきたんだ。四二〇隊? ほとんど死んじまったと思う。何人が生き残れたかなんて、分からねえよ……』


 彼が見てきたもの――城壁の上と城門の前に展開した我が街オシュトブルクの騎士団と侯爵軍との戦いの話は、俺を焦らせるには十分すぎるほどの情報だった。


『周りの家はみんな侯爵軍に奪われてて、ずっとにらみ合いが続いてたんだ。最初はどっちからだったのか、分からない。どっちかに矢が撃ち込まれたのがきっかけらしいんだけど、どっちが先にやったのかは……。でも、それでいつのまにか戦いになってたんだ』


 一発だけなら誤射かもしれない――そんな言い訳は通じなかったということだ。

 だが、それよりも俺を焦らせたのは、「周りの家がみんな奪われている」という事実だった。

 ――つまり、広場に面している我が家は……!


『家々がどうなってるかなんて、オレには分からなかった。一部の家の住人は追い出されたみたいだけど、基本的には閉じ込められたままだと思う。追い出された連中? 男と女、別々にされて連れていかれたよ。広い庭のある新築の家? ……ああ、漆喰の白い小さな家のことだったら、庭に兵がたくさんいたと思う。金色の獣人がいたかどうかは、分からなかった』


 ……少なくとも、我が家は間違いなく、敵の手に落ちていたことだけは分かった。淡い期待は、これで完膚なきまでに叩き潰された。


 だが最前線ということは、その家に立て籠る連中はおそらく半端ない緊張感の中にいるはずだ。家にいる女性をなぶっているような余裕はないだろう。

 ……ないと、そう思いたい。

 あとは連中の倫理観に期待するしかない――が、獣人の青年を「ケダモノ」と呼び、惨殺したヤツらの倫理観など、毛先ほども当てにならない。


 なんとか、少しでも、愛する人たちのそばに近づきたい。

 東西に伸びる四番大路――城門に向かう東の方を眺める。


 そのときだった。


「……なんだ、あれは……?」


 豆粒ほどの人間が、追ったり追われたりしている。

 追われているのは三人、遠目に見ても子供だと分かるくらいに小さい。


「……ああ、どこかから逃げ出したのか。でも……」


 あのままでは追いつかれるだろう。こっちのほうに向かってくるみたいだが、だからといって助けに行く余裕はない。見殺しにするのは胸が痛いが、俺たちだって、いつ包囲されるか分からないのだ。


 ……ああ、仕方ないんだ。

 ……仕方、ない……。




「ああ、くそっ!」

「へへ、監督も意外にアツいっすね」

「フェルミこそ、俺はもっとヘラヘラ生きてるやつだって思ってたよ!」

「監督、そりゃないスよ。監督を死なせたら、オレおかみさんに合わせる顔がなくなっちまうっス」


 集合住宅の上から戻った俺は、隊長に小声でどやされたあと、侯爵兵の密度の薄いポイントを伝えてから隊を飛び出した。


『ボク、だんなさまのこと、だいすきだよ?』


 階段の上から見つけてしまった、三つの小さな人影。

 それがヒッグスとニューとリノの三人を思い出させて、どうにも放っておけなかったのだ。


「損な性分っスね、監督も」

「自分ではそんなことないって思ってるけどな!」

「オレたちのために『すぽどり』やら毎日のおやつやら、全員分のカラビナやら安全帯やら、全部監督の自腹、おかみさんの手作りで準備して……損な性分だと思いません?」


 フェルミが走りながら笑った。


「そんなことしてくれる監督と、そのおかみさんっスよ? なんとかしなきゃって、思っちゃうじゃないっスか」

「そういうお前も、こうやって俺のために命を張ろうっていうんだ。相当に損な性分だろう」

「でしょう? その分、現場に戻ったらお給料が増えてるとうれしいっスねえ!」

「給料は俺の一存じゃ増やせないが、昼メシの増量はリトリィに打診しておいてやる」

「やった! パン二本とか行けるっスか?」


 走りながら器用に小躍りしてみせるフェルミに、俺は苦笑いしながら答えた。


「人に見られてバレるようなことができるか。具の多いスープで我慢しろ」


 そう言って角まで来たとき、角の向こうから複数の足音が聞こえてきた。甲高い、子供のような声も聞こえてくる。

 こうもうまくいくとは思わなかった、おそらく例の三人組だ。

 そっと角の向こうを伺うと、一人の少年が一人の少女の手を握ってこちらに向かって走ってくる。その二人を先導するのは――


「やっぱりだ! ほら兄ちゃん、やっぱりボクの言ったとおりでしょ!」


 ――まさか。

 まさか、まさかこんなところで。


「だんなさま! 見つけた、ボクのだんなさま!」

「――リノっ!」


 飛びつかれて転倒した俺を呼びながら、ぽろぽろ涙をこぼしつつ俺の顔をなめまわす猫耳の少女は、たしかにリノだった。


「いつも炊き出ししてくれるお嬢ちゃんじゃないっスか、なんでこんなところに?」

「馬鹿野郎、話はあとだ! ヒッグス! ニュー! こっちだ!」


 俺は慌ててリノを抱えたまま起き上が――ろうとして、しりもちをつく。

 こいつ、意外に重かった!

 抱っこするならともかく、抱きかかえたまま立ち上がるって無理だった!


 とにかくリノを立たせると、俺は急いで路地に引っ込もうとして、思わず舌打ちをしてしまった。

 ニューが転んだのだ。ヒッグスが悲鳴を上げ、止まろうとしてつんのめる。

 ああもう、畜生! 追っかけてくる騎士の、おそらく口汚くののしっている声が聞こえる! くそったれめ!


 カァン!

 大きく振りかぶって投げつけた石が見事ヘルメットに命中!

 ふらついたのを確認する暇もなくニューのもとに滑り込む!


「おっさん……!?」

「ニュー! 余計な手間をかけさせやがって! 帰ったらおしりペンペンだ!」


 もう一発、至近距離で騎士に石を投げつける! 今度はヘルメットの真正面に命中した騎士は、ふらつきながらしりもちをついた。それを幸いに、俺はニューを抱き上げるとひざの悲鳴を無視して走り出した。


 リノと同じくらいの見た目なのに、ニューはやけに軽く感じる。そういえばリトリィも妙に重く感じる。獣人ってのはしなやかで柔らかいように感じるけど、体質的に筋肉質なのかもしれない。


「ああもう監督! あんたって人は、ひとがよすぎるっスよ!」


 そう言いながら、立ち上がりかけた騎士に駆け寄って俺よりエグい金的キックをぶちかまして泡を吹かせてきたフェルミ、お前もなかなかだよな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る