第442話:第442戦闘隊かく戦えり(1/14)
この街に来て、俺は色々なことを経験した。
終生忘れ得ぬ出来事なんて、両手に余るほど。
けれど、それでもその日の出来事を、俺は決して忘れないだろう。
▲ △ ▲ △ ▲
久しぶりに雪のちらつく昼過ぎだった。
その日は、俺たちがフェクトール公の屋敷への突入時に壊してしまったクレーンに代わって設置された、新型クレーンの試運転をしていた。
その出来のよさに満足し、ふと、目を移したときだった。
街で一番高い塔だからこそ、気づけたのあろう。俺は城門の向こう、我が家のある門前広場に続く大通りからやって来る、きらきらと輝く人の群れを見つけた。
一緒に作業をしていた石組み長のバリオンに聞くと、バリオンも今気づいたといった様子だったが、集団を一目見て顔色を変えた。
「旦那、――アレはまずい。上半分が紫の旗――王都のお貴族様の軍だ。しかもあの先頭の軍旗……!」
「何がまずいんだ?」
「旦那、見えませんか? あの先頭集団が掲げてるあの旗! 対角線の上が黄色で下が赤のアレ、宣告旗ですぜ! オレたちに降伏か死かを迫る、宣告旗でさ!」
――なんだって!?
すぐに俺は塔を下りた。幸い、クレーンの性能には十分な信頼性があると判断した俺は、すぐに資材を入れる籠の中に飛び込んだ。
「だ、だからって何もオレたちが――」
「バリオン! お前が言ったんだろう、あの旗は降伏か死かを求める旗だって! 一刻も早く知らせるべきだ!」
「し、知らせるって……?」
「この街を守る軍隊をすぐ組織できる人間なんて一人しかいない! おい、早く降ろせ!」
「ほ、ホントにいいんスか? ……バリオンさん、泣いてないスか?」
フェルミがおっかなびっくり聞いてくるので、すぐさま怒鳴りつける。
「いいから早くしろ!」
その降りる勢いにバリオンは悲鳴を上げていたが、俺は怖いなんてかけらも思わなかった。というか、そんな余裕などなかった。
なにせマイセルの妊娠が分かって以来、昼食の炊き出しの後片付けのあとは、皆で家に帰らせているのだから。今の時間だともう、リトリィもマイセルもチビたち三人も、みんな家にいるはずだ。
そしてあの軍隊が向かっている先には、門前広場。その広場に面しているのが我が家なのだ。
「……ムラタ。いつから自殺志願者になった」
下で指揮を執っていたクオーク親方が、腰を抜かしたバリオンを籠から引きずり出していた俺に近寄ってきた。
「親方! 紫の旗の軍が、宣告旗を掲げてこっちへ来る!」
「なんだと!? 紫の旗といったら王都の……! それがなんで、宣告旗なんぞ……」
「分かりませんが、作業してる時じゃないことは確かです! 俺はフェクトール公のところに走ります! 親方、大工たちに指示を!」
不幸中の幸いというか、怪我の功名というべきか。俺はフェクトール公とのリトリィを巡る一件以来、屋敷では顔パスに近いというか、腫物を触るような扱いになっていた。
……いや、ナリクァンさんの威光あってのことだけどな。だが、今はその扱いに感謝したい。もしバリオンだけを走らせたら、こうもスムーズに話は通らなかったはずだからだ。
「……もう一度問う、バリオンとやら。旗は、上半分が紫、下半分が複雑に分割された紋様に見えたのだな?」
「へ、へえ……。遠かったものですから、遠眼鏡でもそれくらいしか……」
「よい。そんな自己顕示欲の強い家紋は、王家と血縁関係の近いマステルレイブス家くらいだからな。実は国境の守備隊から、数日前に報告を受けていたのだ。しかしまさか交渉もなしに、いきなり宣告旗を掲げて動くとはね。予想外だったよ」
フェクトール公はバリオンに褒美を約束すると、執事のレルバートさんの案内で退出させた。同時に、控えていた騎士の一人に、即応できる騎士、従卒、兵士をすべてかき集めて城門前に集めるように指示する。
「市民兵はどうされますか」
「君は優秀だね。……そうだな、第
「城門外の市民兵を、ですか? 危険です」
「なに、連中も馬鹿じゃない。いきなり虐殺略奪を開始するような真似はしないはずだ。……だが、そうだな。特別に足の速い者たちで頼む」
「はっ!」
部屋には、俺とフェクトール、そして護衛の騎士だけが残った。
「……あんたはやっぱり軍人なんだな」
思わず漏れた言葉に、フェクトールは「貴族の男は基本的に軍人だよ?」と肩をすくめてみせる。
「それより、君なら知っているだろう? 私がこの半年間、何度も王都に出向いていたことを。ずいぶんと食いつかれていたのだよ。かの御仁にはね」
「かの御仁?」
「もちろんマステルレイブス家当主、アニマードヘタイン侯爵だよ。かの御仁には実に優秀な甥っ子がいたが、半年と少し前に、この地で消息を絶ったらしいんだ」
貴族の甥が消息を絶つなど大事件だ。そんな話、聞いたことがない。
だが、やがてあることに思い至る。
あの戦い――リトリィ奪還作戦だ。
「まさか――あの奴隷商人だか傭兵だかのなかに、貴族がいたってことか!?」
「そうだ。君の奥方が囚われていたという、あの部屋に転がっていた死体を覚えているかい?」
言われて、必死に思い出す。
――ああ、たしかにあった気がする。ガロウとの出会いのイメージが強烈すぎて忘れていたが、でっぷりと太った男の死体が転がっていたはずだ。だが、アレが優秀?
「それが例の甥っ子だったんだよ。実に
あの頃、自領で暗躍する奴隷商人の一人として、フェクトール公もそのデブ男の尻尾を掴んでいたという。
それを逮捕し、侯爵に圧力をかける材料にするつもりだったのに、先に俺たちが動いてしまった。しかもガロウが、リトリィに手を出しかけたそいつをぶち殺してしまった。
で、仕入れるはずだった奴隷と便利な手駒、傭兵を失い、多額の損失を被ったらしい侯爵が、この半年間、フェクトール公に圧力をかけ続けていたらしい。
「ま、あくまでも私の見立てにすぎないがね。確信はあるが。だから君のことを恨んだものだよ、いろいろな意味でね」
「さ、逆恨みだ! 俺は必死に――!」
「もちろん、今なら分かるとも。私だって、もし今のミネッタを奪われたら、すべてをかなぐり捨てて死に物狂いで相手を追い詰めるだろう」
ミネッタを一従者としか見ていなかったはずのこいつが、随分な変わりようだ。もうすぐ彼女が産む子供の父親になることが、彼を変えたのかもしれない。
「話がそれたが、遂に侯爵は軍を動かしたというわけだね。それにしても――」
その時、乱暴にドアがノックされた。入ってきたのはさっきとは違う騎士だった。荒い息をつきながら、かの軍隊は停止要求を無視して前進を続けていると報告する。
「ご苦労。連中の要求は、あくまでも『例の件』に関わる我が領内の捜索だな?」
「は。それに関わって特別捜査権および逮捕権を要求しております」
「させてなるものか。どうせヤツらの目的など分かり切っている。……無理を言うが、もう少しだけ時間を稼げ」
「承知いたしました」
――そうだ! あの軍隊はすでに街を前進しているんだ!
このまま広場に到着されたら、家にいるリトリィたちは……!
「落ち着きたまえ。すでに伝令は走らせた。君の家は、広場のどこだ? ――ふむ、そのあたりなら四番
「そんな、民間人の兵隊なんて役に立つのか? 騎士団は――」
「馬鹿なことを言うな。市民兵は一定の税の減免と引き換えに、騎士団で共に訓練をする誇り高き者たちだ。なにより、地の利を知り尽くしている。こういう時に一番の活躍が見込める兵だぞ」
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「――で、来ちまったんですかい? ヒョロっちいくせに、監督もヒマですねえ」
「まさかフェルミが第四番隊、それも第
「そりゃこっちのセリフっスよ、監督。言っちゃ悪いスけど、戦い方なんて知らないでしょ? どうするつもりっスか?」
「やるしかないだろ! 俺の家族が待ってるんだ!」
侯爵の軍は、四番
銀貨が一枚でも出れば御の字で、怪しげな軍票まがいの紙切れで家を追い出された者たちが大半らしい。
追い出されるならまだマシで、饗応役と称して女性を寝室に引っ張り込まれてしまった家もあるそうだ。
だがフェルミに言わせれば、これでもずいぶん紳士的な軍だという。
同じ王を頂きつつも小競り合いを繰り返す、内戦の絶えない国境紛争地で生まれ育った彼からすれば、だが。
「カネが余ってるんですかね? 末端の兵まで、えらく行儀がいいじゃないスか」
「民間人に手を出す時点で、行儀がいいわけが――」
「監督、今は耐えるしかないス。相手が行儀よくしている間、何かが起こるまでは」
それは、悲鳴から始まった。
家を奪われ、広場に向かって歩いていた集団が、侯爵軍の見張りの兵士に呼び止められたのがきっかけらしい。そいつは一行にいた獣人の女性に卑猥な言葉を投げかけ、軍票を投げつけ家に引っ張り込もうとしたそうだ。
王都では見られない獣面の女性への好奇心もあったようだ。
女性は当然抵抗。その家族と兵士がもみ合いになった結果、女性の夫と子供たち、そして護衛に当たっていた第四四二隊の市民兵が斬られたとのことだった。
俺達が駆けつけたときには、すでに戦闘が拡大していた。「ケダモノ風情が!」という罵声も聞こえたから、
ましてここは門外街、獣人の比率も高い。この程度のレベルの
奴隷商人との戦いでは、直接的な戦闘を目にすることはほとんどなかった。
フェクトール公の屋敷での戦いも、ほとんど血を見ることはなかった。
だが、ここは人が戦い、そして
「監督ッ! なにボサッとしてんスか!」
フェルミに引っ張られなければ、俺は間違いなく飛んできた矢で死んでいた。
しりもちをついて地面についた手に違和感を覚えれば、斃れた兵の血だまり。
またしてもしばらく吐き続けた。奴隷商人との戦いのとき以来だ。
「誰も笑わないっスよ。慣れない方がいいんス、こういうのは」
近づいてくる複数の足音に、フェルミが
その時知った。いつも帽子や保護帽をかぶっていたから気づかなかったが、フェルミの奴、
「おかみさんには世話になったっスからね。その恩は返さなきゃ」
フェルミは笑うと、折れた自分の剣を捨て、死体が握っていた刃こぼれだらけの剣を拾い上げた。
「なんだ、ケモノ部隊か」
瞬間。
そう吐き捨てた奴の、包囲から助け出した奴の胸倉を、俺はつかんでいた。
「俺たちはオシュトブルク市民兵、第
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