第440話:こんにちは赤ちゃんまで、あと…?

「なあなあ! 赤ちゃんって、どれくらいで出てくるんだ!?」


 ニューが、マイセルのお腹を撫でながら目をキラキラさせて聞いている。


「おれ、赤ちゃん出てきたらがんばってお世話するから! だから触らせてよ、いいだろ?」


 ニューには、かつて兄と妹がいたらしい。もう顔も覚えていないほど、幼い頃だったそうだが。


 ヒッグスによれば、ニューは幼かった頃に、何らかの原因で家族を失ったようだ。「ようだ」というのは、彼女がその理由を覚えていないからだ。家族の記憶はおぼろげながらあるのに、失った時の記憶がすっぽり抜けているのだという。


「出会ったときからそうなのか?」

「……そうだけど」


 ヒッグスは、なにか引っかかるような言い方だった。けれど、目をそらしてそのまま黙ってしまった。

 きっと、なにかしら心当たりはあるんだろう。だが、それを言わない――言いたくないのだ。


 こういう時は、無理にきいてもキレられるか、口先でごまかされるか。言いたくなった時がくれば教えてくれるはずだから、今は聞かないでおくことにする。


「……聞かないのか?」

「なんだ、教えてくれるのか?」

「……言えるわけねえだろ」


 なるほど。

 おそらくニューの尊厳にかかわると思っているのだろう。

 隠していることがあるのはバレバレなのだが、それでも言うまいとするその心がけは見上げたものだ。


「そうか、分かった。じゃあ、聞かないでおくことにするよ」

「……ほんとに聞かねえのか? 聞きたいって思わねえのか?」

「聞いたら教えてくれるのか?」

「言うわけねえだろ」

「だろう?」


 俺は笑って、マイセルにじゃれ付いているニューの方を見る。


「言いたくなったときに教えてくれればいいさ」

「……だから、言えるわけねえって」


 マイセルに、赤ちゃんはどこからきたのか無邪気に質問攻めにしているニューを見ながら、ヒッグスはちらちらと、俺の顔を見上げてくる。


 それは感じているが、だからといってそれ以上、なにか話しかけるようなことを、俺はしなかった。隠すということは、どうせろくでもないことに決まっている。あの無邪気な笑顔の裏で背負っているものが何なのか、知りたくはあるが。


 リノは、かつて親に売られて男たちに乱暴されたということを、俺は以前、本人から直接聞いた。


 何をどうされたのか、そのすべてを聞いたわけではない。

 ベッドの上で抵抗したところ、おとなしくなるまで散々に殴られ、その後、のしかかられた――そこまで聞けばもう、十分だ。何をされたかなんて、その先を聞く必要があるだろうか。


「そうか。ヒッグスはいい奴だな」

「……なんでだ?」

「秘密を守る、それがニューのためだって思ってるんだろ?」

「……別に」


 そっぽを向いてみせたヒッグスだが、彼がニューとリノを妹として大切に考えているのはよく分かる。そして、俺はまだ秘密を打ち明ける価値がある存在にはなっていない、ということなんだろう。


 それは残念なことだけれど、仕方がない。いずれは話してくれるといいと思う。

 ヒッグスの頭をくしゃくしゃっと撫でると、彼は「やめろよ」と言いながら身をよじらせた。そのまま俺の手から逃れるように、マイセルのほう――正確には、ニューのそばに歩いて行く。


 俺は、お茶請けにリトリィが焼いてくれた菓子を口に運んだ。

 ほろりと崩れる感触、ほんのり感じられる素朴な甘み。

 これはマイセルが得意とする焼き菓子だ。今ではリトリィも、同じようなものを焼いてくれる。


 いつも二人で楽しげにアイデアを出しあっている様子は、見ていて微笑ましい。

 いずれは彼女たちが産んだ子に、二人で築いた秘伝を教えてやる姿を見ることができるのだろうか。


「だんなさま?」


 いつのまにか、リノがそばにやってきていた。


「なんだ?」

「ボクもマイセル姉ちゃんみたいに、いつかだんなさまから、赤ちゃんをもらえるんだよね?」


 ぶふっ!

 思わずむせて、菓子を吹き出しかける。


「きゅ、急にどうして、そんなことを?」

「マイセルお姉ちゃんに、赤ちゃんはどこから来たんだって聞いたんだ。そしたら、だんなさまに入れてもらったって。ねえねえ、だんなさまはボクのお腹に、どうやって赤ちゃん入れるの?」


 ま、マイセル!

 答えづらくて俺に丸投げしたな!?




「マイセルに子供ができたって?」

「夫婦だからな、いずれはできるさ」

「……くそっ、当たり前みたいな顔をしやがって」

「当たり前なんだから仕方がない。そもそも結婚って、そのためにするんだろ?」


 リファルが、ジャーキーのような干し肉をかじりながら、俺の図面にケチをつける。


「うっせえよ。くそっ、突然やってきて、あっという間にマイセルをさらっていきやがって。――だから、アーチの数をひとつ減らして奇数にすれば、壁と壁の間、その真ん中に柱ができて、カッコがつくだろ」


 地上二十尺――およそ六メートルまで追加されることになる、補強と装飾を兼ねた、アーチを取り入れた控え壁。

 俺は正面の出入り口の場所を考慮し、壁一枚につき、高さ約二メートルの控え壁四枚を三段に積み上げ、一段ずつアーチでつなぐようにしたものを提案していたのだが、リファルは三本に減らし、壁の中央部に柱が通るようにした方が、工程も減らせるうえにより美しくなるはずだという。


「早い者勝ちだ。マイセルは大工になりたがっていた、俺はその背中を押した、そうしたら彼女の心も手に入れた、それだけだ。――だから、それだったら今の出入り口のところに柱が来ることになって、そこだけ調和が崩れるだろ」

「女が大工になってどうすんだ、今だって子供ができて、仕事ができなくなっちまったじゃねえか。――そこだけアーチをこう……ほら、こうしてやれば問題ねえだろ」


 今の長方形の出入り口をアーチ型に変え、その上にさらに小さなアーチをちょいちょいと書き込むリファル。


「女だから大工ができないんじゃない、男とか女とか、そんなの関係なしにやりたい仕事ができる方が、人生も街も、間違いなく充実するだろうが。俺はマイセルにのびのびと生きてほしいんだ。――だから、できる出来ないの問題じゃなくて調和の問題だって言ってるだろ。正面だけアーチの位置がズレるのは美しくない、そう思わないのか」

「実際問題、子供ができて働けなくなってるじゃねえか。周りが迷惑なんだよ、そういう、オンナの都合ってやつで休まれるとよ。――連続する美も悪くねえけどな、たまには非対称の美ってやつも取り入れた方がカッコいいんだって」


 ――何が非対称の美だ、まったく。それよりも、休むのがオンナの都合だって?


「男が女を妊娠させるんだぞ? 旦那が協力するのは当然だし、社会も働く女を支える仕組みになれば、みんなが安定して力を発揮できる社会が作れるだろ。――非対称の美って、たった一箇所だけじゃねえか。中途半端な構造は弱さを生む、一段目からちゃんとまっすぐ支える偶数の方が安定するって!」


 ああだこうだと言い合いながら、書きこまれ過ぎてぐしゃぐしゃになってしまった図面を前に、俺たちは延々と主張を繰り返していた。


 とはいっても、昼食を終えた後の戯れ合いみたいなものだ。図面自体、そこらへんで適当に拾った草皮紙に書きつけた、大雑把なデザイン。

 別に本気で図面を描き替えようと思っているわけじゃないのは、その口調からも分かる。リファルは持論を吹っ掛けたいだけなのだろう。


 昨日は塔の端の角を落として八角形オクタゴンのシルエットになることに文句をつけていたし、何日か前には、せっかくだから控え壁の四隅に、尖塔を模した装飾を入れるべきだと主張していた。これはなかなかいいアイデアだったので、クオーク親方と相談のうえで採用することにしたけれど。


「……それで? マイセルは今、何してるんだ」

「お前の目は節穴か? さっき飯食っただろうが。リトリィといっしょに、俺たちの飯の炊き出しをやってるよ」

「オレがメシをもらう時にはいなかったんだよ! それより結局、大工をやるっていう話だったのが飯炊き女になっちまったじゃねえか」

「妊娠中なんだから仕方がないさ。それでも出来ることをやってくれるっていう奥さんをもらった俺は幸せもんだぜ、はっはっは」


 胸を張ってみせると、リファルが馬鹿にしたような目で俺を見た。


「お前についていけば大工ができると思ったら、大工をさせてもらえずに飯炊き女にされちまったんだぞ? 可哀想だろうが」

「何を言うんだ。お産が終わったら、また大工ができるだろう」

「お前のほうこそ何を言ってんだ。赤ん坊は産んだら終わりじゃねえぞ。その世話は誰がするんだ? まさか乳母でも雇うつもりか?」


 ……言われて気がついた。

 俺たち二人が建築の仕事をやろうとしたら、子供の世話を誰が見るのか。今ならまだリトリィがいる、と言えるかもしれないが、彼女にも子供ができたら――


 いや違う! 逆だ逆!

 粉ミルクなんてモノのないこの世界だ。赤ん坊の食べ物と言ったら、母乳しかないじゃないか! だとすると、リトリィが子供を産むまでは、マイセルの母乳以外に赤ん坊に与える食べ物なんてないぞ!?


 たしか、生まれたばかりの赤ん坊ってのは、三時間に一回ぐらいの間隔でミルクをあげなきゃならないんだったっけ? いくらリトリィに赤ん坊をあやしてもらっても、リトリィに母乳が出ないなら、結局マイセルが面倒みるしかないじゃないか!

 しまった、赤ん坊のミルクをどうするかという問題! それは盲点だった!


「盲点っていうかだな、当たり前じゃねえかそんなこと。むしろなんで今まで気づかなかった」


 リファルに呆れられて、俺は少々むっとする。


「お前は気づいていたとでも言いたいのか?」

「当たり前だろう。オレが弟とか妹とかの面倒、どれだけ見てきたと思ってんだ。五人兄弟の次男坊だったんだからな。子供は生まれたら終わりじゃねえ、生まれてからが本番なんだぜ」

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