第438話:そのひとらしく生きるために

「……あの、それでペリシャさん。お伺いしたいことがあるんですが」


 超精力野菜クノーブを毎日食って毎日嫁さん二人と三人でくんずほぐれず――そんな毎晩を過ごしていると告白したに等しい俺を、心の底からあきれ果てたような顔で見るペリシャさんの視線は相当に痛かったが、俺はかろうじて尋ねることに成功した。


「男性が元気になる野菜はいいとしてですね、女性が妊娠しやすくなるような、そんな食べ物って、ご存じないですか? その……生理月のものの周期を安定させる効能のある香草ですとか、野菜ですとか……」


 別に詳しく知っているわけじゃないが、妊活に効くハーブティー、とか聞くじゃないか。迷信レベルでもいいから、まずは話を聞いておきたい。


「……そうねえ――」


 いくつか挙げられた香草や野菜を、とにかく聞いたままメモする。

 もしかしたら、その中に本当に効くものがあるかもしれないからだ。


「……ペリシャさんは、それらを試したことがありますか?」

「ないわね。夫と結婚したときには、すでにお腹に授かっておりましたから」


 ……そうだったよな! 食事を改善するとか以前に、四人も生んでたんだよこのひとは!


「でも、そうね……あの子の幸せのためですから、いろいろ試しておあげなさい」

「もちろんです」


 するとそこに、いつまでたっても出てこない俺を呼びに来たのか、瀧井さんが戻ってきた。


「子作りに効く食材だと? そりゃ滋養のあるものに決まっておる。餅がいいぞ。それからザクロ、数の子……ああ、あと桃もいいと言われていたなあ」

「……あるんですか? それ、この世界に」

「餅は……ないな。すまん。だがザクロや桃は、よく似た果実がある。数の子は……わしも見たことはないが、子持ち魚の腹をさばけば、まあ取り出せるだろう」


 ……さすが戦前の日本人。ハーブとかじゃなくてガチの食材が来たか。妊活にいい、というより、おめでたい食品という気がする。多分、何の根拠もないんだろうなあ。数の子なんて、数が多いから子宝に恵まれそう、程度だった気がする。


 ――そうだ、もしかしたら!


「すみません、瀧井さん! お子さんたちの誕生日って、季節はいつ頃でしたか? 偏りがあったりしませんでしたか?」

「偏り? ――ああ、そうさな……なあ、子供たちの誕生日は――」

「春から夏にかけてばかりでしたわね」


 さすが母親。我が子を産んだ記憶は、旦那さんより鮮明ということか。


「ペリシャさんのお好きな食べ物ってなんですか?」

「家内は……そうだな、肉が好物なんだが」


 肉か! 肉って高いんだよな。ものすごく。だけど妊活のためだ、仕方がないか。


「ああ、それと野菜はあまり食わんのだが、例外的にナスが好物でな」

「ナス、ですか?」

「ああ」


 するとペリシャさんが、恥ずかしそうにうつむいてしまった。


「ナスを食うと、どうも体が重くなる感じがするらしくてな。好物なのにあまり食えんそうだ。リトリィさんはどうだ? もし同じ症状が出るとすれば、あまり食いたがらない食材だとは思うが……」


 言われてみれば、この世界でナスなんて見たことも食ったこともない。

 というか、一年以上暮らしているのに見たことも食ったこともない。この世界にもナスがあったのかと、今さら気づくレベルで。


 それを言うと、瀧井さんは朗らかに笑った。


「何を言っている、市場でも夏から秋にかけて、たくさん売られていただろう?」

「い、いや、確かに見たことないですよ。あの真っ黒のアレでしょう?」


 すると、瀧井さんが笑いを引っ込め、首をかしげて、そしてもっと笑った。


「そうか、そうか。すっかり忘れておった。ムラタさんや。ナスを英語で言うと、なんと言うか覚えておるか?」


 ……ナスに該当する英語? なんだろう、知らない。


「なんだ、知らんのか。ナスはな、英語で『エッグプラント』というのだ」

「エッグ? エッグってあの、白い、あの丸い玉子のこと、ですか?」

「そうとも。よくできた単語だと思う。日本では黒くて細長いあのナスだが、米国のものは白くて丸い、それこそ鶏の玉子そのものの色や形をした野菜なのだよ」


 ナスが――白くて丸い!?

 想定外の情報に驚く。さすが農学部出身、野菜に詳しい。


「ウチの家内はそれが好物でな。体調が振るわなくなるというのに、ことに夏から秋の間は、藍月が近づくたびに思い出したように食っている。自制・・に役立つからだそうだが」

「あなた」


 うつむいたままのペリシャさんが、そっと近づいて低い声で言ったのと同時に、瀧井さんの肩が跳び上がり、声なく顔をしかめる。

 ――足のつま先でも踏まれたな、これは。


 それにしても、「藍月の日のたびに食べる」「自制に役立つ」ってことは、体が重く感じるようになる――発情の衝動を抑えることができる、ということだろうか。


 ……ぜひ、食べさせたいな! 毎月、あの死ぬほど搾り取られるアレが緩和できるなら――

 ああ、いやいや。赤ちゃんを欲しがっているリトリィに、そんなものを食わせるなんてかわいそうだ。


「……まあ、そんなわけで、リトリィさんはおそらく好かん野菜だとは思うが、ウチの家内はナスが好物だって話だ。参考にならん情報で申し訳ないが」


 額に脂汗を浮かべる瀧井さんに、俺は精一杯の笑顔を浮かべる。

 二人とも、リトリィが幸せに生きていけるように考えてくれていることはよく分かった。彼女が彼女らしく、そして幸せに生きていけるように、俺も全力で協力していかないとな。




『あなたたちのことを気にかける人の中で、おそらく一番のご恩があるお方のはずですから』


 ペリシャさんに言われた通り、俺たちはナリクァン夫人の屋敷の門をくぐった。来客中だったようだが、リトリィの名は素晴らしい効果を発揮したらしく、十分と少しでナリクァンさんの部屋まで案内されることになった。

 三人の子供たちは、子守女中ナースメイドに連れられて、別室に待機となった。


「そうですか、赤ちゃんが……。マイセルさん、おめでとう」


 ナリクァンさんは目を細め、暖炉の火を強くするように使用人に伝える。


「ようやく、というべきかしら。けれど、子ができるというのは、どんな場合であっても喜ばしいこと。これからいろいろと大変でしょうけれど、元気な赤ちゃんを産めるよう、体には気をつけて」

「はい!」


 緊張の感じられる返事に、ナリクァンさんが微笑む。


「そんな、かしこまらなくてもいいのよ? さ、お菓子を召し上がって? 南方の珍しい果物をふんだんに練り込んだ、美味しいものよ?」

「あ、ありがとうございます!」


 それでもマイセルは固まったままだったので、俺が手を伸ばして渡してやると、ぎこちない所作ながらも嬉しそうに受け取った。リトリィにも渡すと、静かに微笑んで受け取る。


 俺も改めて手に取った。バターたっぷりのクッキーのようなもので、中には爽やかな香りが鼻をくすぐる、ほろ苦くも甘酸っぱい、オレンジピールのようなものが練り込まれていた。


 俺たちが菓子を食べる様子を、ティーカップを手に微笑みながらしばらく見守っていたナリクァンさんだったが、カップを戻して聞いてきた。


「――ところで赤ちゃんがお出来になられたこと、いつごろ分かったのかしら?」

「昨日です。フェクトール公の屋敷の工事現場で働いていた時にマイセルが倒れて、そのときに医者に診てもらって――」

「まあ……! 妊婦が工事現場だなんて」


 ナリクァンさんの目が一気に吊り上がる。


「ムラタさん、あなたは自分の妻をなんだと……!」

「あ、ち、ちがうんです、ナリクァン様!」


 豹変したナリクァンさんに、マイセルが慌てて説明を試みた。


「ムラタさんは全然悪くなくって、私が働きたかったから働いていただけで……!」

「なにをおっしゃるのですか! 女の身で工事現場など、言語道断! まして腹に子を抱えた女が力仕事など、あってはならないことで――!」


 ナリクァンさんの激怒は、うん、まあ、たしかにそうなのだろう。

 マイセルが妊娠する可能性をまるで考えていなかった俺に問題があった、それは間違いない。

 ものすごい勢いでまくし立てるナリクァンさんに、マイセルもリトリィも、言い返すどころでないようだ。


 ――ただ、ナリクァンさん。


「だいたい、洗濯でもないのに妻をこの寒空の下で働かせるなど――」

「お待ちください、ナリクァンさん」


 俺は、静かに、けれどまっすぐナリクァンさんを見据えて声を発した。

 一瞬、ナリクァンさんの口が止まる。

 ……俺、声、震えてなかったよな……?


「……たしかに、マイセルの体の変化を見落としていた私は、夫人のおっしゃる通り、夫としての自覚が不足していたと痛感致します。至らぬ点として、猛省しております」

「当然です。まったく、妻に外で力仕事をさせて、あまつさえ知らん顔など――」

「――ただ、マイセルが外で大工仕事をする、それを否定するのはおやめください。それは妻自身が望んだ生き方であり、私自身もそうあってほしいと願っている、夫婦の問題ですから」


 俺の言葉に、ナリクァンさんが口を止めた。


 夫人の肩が大きく持ち上がる。

 俺の目を、まっすぐ凝視して。


 ……怖い!

 だがここで目を反らしたら、夫人はきっと――。

 必死にナリクァン夫人の目を見つめ返してみせる。


 すると一瞬、夫人の目が伏せられ、そしてその視線が隣にずれた。

 マイセルが小さく、ひっと息をのむ。

 ――が、彼女も目をそらすことなく、夫人を見返した。


「……ですから夫人のお心遣いは、大変ありがたくお受け致しますが、私たちが助力を願うまでは、見守っていただければ幸いです」


 一時間とも、二時間とも思えるような一瞬の沈黙のあと、ナリクァン夫人はため息をついて、カップを手に取った。


「……まさか、このわたくしに、口ごたえをなさるとは」


 そう言って、カップを傾ける。


「……申し訳ございません。確かに妻の体調を見極めることができていなかった私の不手際は攻められるべきだと思っております。ただ――」


 俺は、ナリクァン夫人の目を、改めてまっすぐ見返した。

 夫人も、まっすぐ視線を返してくる。

 俺は、大きく息を吸った。

 これだけは――これだけは、夫人に分かっていただかなければ!


「ただ、それでも妻の生き方を、私は全面的に支持したく思います。彼女が彼女らしく生きるために」

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