第437話:しのせんこく

 マイセルの妊娠が発覚してからは、世界がバラ色に輝いて見えた。

 俺にも子供が生まれる――それは、何よりも素晴らしいことのように思えてならなかった。


 だからその日は、意気揚々とマイセルの家に報告に行き、

 マレットさんに羽交い絞めにされつつも祝福され、

 マレット家で急遽お祝いパーティが開かれ、

 大量の食事が振舞われてチビたち三人はギブアップするまで食わされまくり、

 俺はマレットさんとハマーの奴から強くもないのに酒をしこたま飲まされ、

 気が付いたら朝だった。


「俺の酒が、祝いの酒が、飲めねえっていうのか!」


 マレットさんの死刑宣告のようなアルコール攻勢に、祝い事だからと断ることもできず、その結果の二日酔い。

 この世の地獄のような頭痛のなかで迎えた朝は、爽快さの欠片もなかったけれど、妻二人に支えられながらなんとか起き上がる。


「そのザマでは今日は無理だな」


 ろくに食欲もなく、かろうじてスープをすする俺に、マレットさんはそう笑ってハマーと共に現場に出て行った。ですがマレットさん、半分はあなたのせいです。


 とりあえず頭を押さえながらカップの水をチビチビすする。外からは、おそらく庭でレンガをブロック代わりに遊んでいるチビたち三人の声が聞こえてくる。そしてキッチンのほうからは、これまた女性三人の楽しそうな声が聞こえてくる。


 リトリィ、マイセル、そしてハマーの嫁さんとなるだろうシィルさん。特にシィルさんは、俺たちの夫婦生活に興味津々なようで、メニューからキッチンの分担から洗濯物の効率的なさばき方から、果ては夜の生活で旦那を飽きさせない秘訣まで。


 ……ああ、聞こえてくるんだから仕方ないだろう。途中からなんだかいたたまれなくなって、翻訳首輪、外しちゃったよ。だってさあ、女三人寄ればかしましい、なんて言葉があるけど、いやもう、子作りを進めてて、しかもマイセルの妊娠が分かっただけあって、話題がド直球すぎるんだ。


 どんな致し方・・・なら子供ができやすいですかって聞かれても、むしろ俺が知りたいくらいだよシィルさん! 毎晩ひと通りヤッてきたからさ! どんな体位の時にマイセルが妊娠したかなんて、知るかっ!




「あのひとが無茶なことをして、ごめんなさいね?」


 義母であるネイジェルさんが、困ったように笑った。マレットさんの酒飲ませ攻撃は、マレットさんの愛情表現のようなものらしい。


 一刻(約二時間)ほど休んでだいぶ頭痛が治まってきたので、俺たちは家に帰ることにした。シィルさんは家の門まで送り出してくれた。特にリトリィに向けて、何度も何度も頭を下げてお礼を言っていた。


 あれだ、超精力野菜クノーブの美味しい調理方法に関するお礼のはず。それと、おそらく妊娠しやすいタイミングについての情報も。

 これで、十年後にでも大家族が生まれていたら笑えるよな。




 俺たちは直接家に帰ることなく、しばらく市場を散策したあと、瀧井さんのところにマイセルの妊娠について報告に行った。瀧井さんは俺にとっての恩人だし、フェリシアさんはリトリィとマイセルの共通の知人でもあるからだ。


「そうか、じつにめでたい。……男はどうしても、何をしていいか分からずにいろいろと戸惑うことも多いが、まずは奥さんを大事にしてあげなさい」


 突然訪問した俺たちとその報告の内容に、瀧井さんもペリシャさんも驚いたようだった。だが、二人ともマイセルの妊娠を喜んでくれた。


「私にとっては、二人とも孫のようなものですからね」


 そう言ってペリシャさんは、寒い日が続くからと、今は使わなくなったという毛布とたくさんの毛織の上着をくれた。チビたち三人にも、ペリシャさんのお孫さんが着なくなったお下がりをいただけた。

 チビたちは、お下がりとはいえ上等な毛織物の服に、大喜びだった。


「大事な体ですから。ことに腰は冷やさないようにするのですよ?」


 そして俺は、妊婦の妻をもつ夫としての心構えをこんこんと諭された。瀧井さんの時にケンカになったことが多く含まれていたのだろう、妙に実感を込めて、「妊婦として夫にしてほしいこと」をあれこれと並べられた。


 リトリィもマイセルも、時に苦笑しながらペリシャさんの話を聞いていたから、つまり「気が利かない夫の例」について、俺の普段の言動と引き比べてあれこれ合致する点を思い浮かべていたに違いない。


「いいですか? お仕事ももちろん大切ですが、お嫁さんとはこれからも何十年と一緒に過ごしてゆくのですからね? お嫁さんが大変な思いをしているときにそばにいられない、そんな夫ではいけませんよ?」


 実に真剣な様子のペリシャさんの言葉を、隣で苦笑いしながら瀧井さんが聞いている。たしか瀧井さんの若いころは仕事の虫だったはずだから、きっといろいろ思うところがあるのだろう。


 たくさんのお土産を持たせてくれたペリシャさんだったが、帰りぎわに、俺だけ呼び出された。


「あなたにお話があります」


 ため息をつきながら口を開いたペリシャさんは、さっきまでマイセルをにこにこしながら「がんばってね」と励ましていた人物とは思えないほど厳しい目を俺に向けた。


「今さらこんなことを言っても遅いのですけれど、どうしてマイセルちゃんなのですか。子をつくるならまずはリトリィさん、それがあなたの誠意ではないのですか」


 ……ああ、やはりそうきたか。だが俺だって、それこそマイセルよりもよっぽど多くの回数、リトリィを抱いている。できないのは……


「できにくいのは致し方ありませんが、それを差し引いてもあの子が不憫でなりません。やっと心から好いたひとのそばにいられる、あの子はそう喜んでいたというのに。それなのに一人きりの愛の座を奪われ、今また我が子を産む喜びを先に奪われ……! ああ、やはり結婚には反対するべきだったのかしらね」


 大げさに嘆いてハンカチを揉みしだく。

 ……いや、そこまで言うか? 俺を選んでくれたのはリトリィだし、葛藤しながらも添い遂げる決意をしてくれたのも彼女自身だ。俺ももちろん彼女を愛し抜く決意をした。


 そうだ。俺たちはお互いに認め合って、お互いに必要とし合って、そしてお互いの愛を貫くために納得ずくで結婚したんだ。


 子供ができる、できないは、いろいろとクリアしなきゃならない壁がある。彼女の側のタイミングの問題、お互いの体調、そして――種族の壁。いくらペリシャさんからとはいえ、そこまで言われる筋合いはないはずだ。


「そうね。いろいろ課題はあるでしょうとも。ですが……いえ、だからこそ、あなたはリトリィさんに、先に子を与えてあげなければならなかったのです。あの子がどんな半生を送ってきたか、どんな思いであなたの胸に飛び込んだか……知らぬはずがないでしょうに」

「それはもちろん理解しています。だから――」

「言い訳は結構です。結果が全て。……下世話な話ですが、幸い、あなたの種は女を孕ませるに足る力はあると分かったのですから。マイセルあの子には当分子種など必要ないのですから、この一年のあいだに必ずリトリィさんと子を為しなさい。よろしいですね?」


 冷ややかな目で見つめられ、俺はかろうじてつばを飲み込むと、「……もちろんです」と、我ながら蚊の鳴くような声を何とか絞り出した。

 それが精一杯だった。


「約束ですよ? あの子のためにも」


 情けない俺の返事を、どう受け取ったのか。ペリシャさんは、ため息をついてみせる。


「それこそ、藍月の夜の数日前から毎晩、超精力野菜クノーブを二個でも三個でも丸ごと食べて、一晩中あの子を寝かさないつもりでお抱きなさい。まったく、不甲斐ない……」

「はは、それ、俺の日常ですよ。むしろ毎日、三、四個食わされています」

「……なんですって?」


 怪訝そうに見上げられ、俺は苦笑いをした。


「……あなたね、結果も出ていないのに冗談も大概になさい。切れ端の二、三個ではありませんよ?」

「ええ、不甲斐ないのは分かっていますが、毎晩、丸ごと三、四個、ですね。リトリィが大量に買い込んでいますので、毎日それですよ。栄養があるからって」

「……はい?」


 三、四個と言ったが、それは最低限、という意味だ。先日など、一体何個食わされたことやら。あのときはニューとリノが大量に皮を剥いてしまったからだけど。

 するとペリシャさんは、大きく目を見開いた。


「……毎晩、三、四個も食べている……正気ですか?」

「なにか、いけませんでしたか? 病気になりやすいとか……?」


 実は食べ過ぎると尿酸値が上がるとか尿路結石になりやすいとか、そんな問題だったらとっても困る。もしそうだったなら、今後は子作りの夜の数日前から、狙い撃ちで大量に食すようにしないと。


「い、いえ、長く食べ続けると病気になるなんて聞いたこともありませんが……。結婚してからもう、半年、ですわよね? さすがにそんな、毎晩は――」

「はい。毎晩励んでいますが、なかなか……」


 もう正直にぶっちゃける。どうせ相手はペリシャさんだ。隠したって仕方がない。


「リトリィに言わせれば、子供ができるまでにたくさん愛し合うと、いい子ができやすいという話で。ですから毎晩、リトリィもマイセルも、三人で一緒に愛し合ってきました」

「……三人、いっしょに? 交互の夜に、ではなく?」

「いえ、毎晩いっしょにです」


 ペリシャさんは、マイセルもかわいい孫扱いだったが、おなじケモノの要素が強い長毛種ファーリィ獣人族ベスティリングだからだろう、リトリィに対する愛情が深いひとだ。

 だから、同じベッドで、同じときに、三人で、毎晩愛し合っているなどと知ったら、ふしだらだと怒り出すかもしれない――そんな懸念がちらと頭の隅をよぎる。


 だが、そんなことはどうでもよかった。俺たちの現状を、きちんと理解してもらいたかったのだ。俺は頭を下げた。


「……それで先にマイセルに子供ができてしまったのは、ペリシャさんもおっしゃる通り、俺とリトリィの種族の違いの影響でしょうし、リトリィに一番に子供を抱かせてやれないのは俺の不徳の致すところです。ですが、でも俺たちなりに努力はしています。それだけはどうか、ご理解、を……?」


 言い終わるタイミングで、顔を上げたときの。

 この時のペリシャさんのまん丸に開いた目を、ぽかんと口を開けていた顔を、俺はきっと、一生忘れない。

 それまで氷のように冷ややかな視線を投げつけられていたからだろう、余計に。


「あなた……そのうち腎虚じんきょ枯れ死に・・・・するわよ?」


 だからもう、そういう覚悟してるって! 冗談だけど!

 ていうか腎虚じんきょって概念、この世界にもあったのかよ!

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