第434話:親の仕事は

 一日半をかけて焼きまくった大量のバゲットパン

 とりあえず当分、もうバゲットは見たくない、というくらいに精神的に飽きた。


 ただその甲斐あってと言うべきか、炊き出しは大盛況だった。

 元々炊き出しすることを前提にひさしを大きめに設計しただけあって、朝からちらつく雪も、特に気にならなかった。

 また、リトリィの発案で家の一階部分を解放し、屋内で食べてもらうことができるようにした。


 特に、パンを配るという話はたちまち広まったらしく、スープはいらないからパンだけほしい、という奴らもきた。

 正直、それはどうかと思ったが、ナリクァンさんの一言で、方針が決定した。


「あなたたちが大変頑張って下さったから、パンの方はまだ沢山ありますし、欲しいという方には差し上げましょう」

「でも、それじゃ生活が大変な人だけじゃなくて、ただ一食分節約したいだけの人にまで配ることにならないですか?」

「……ムラタさん?」


 ナリクァンさんは目を伏せ、諭すように俺に言ったんだ。


「いくら無料だからといっても、こういった催しに列を作るのはやはり己に矜持があればなかなか出来ないものです。あなたが、わたしの差し伸べた手を拒んだように、ね?」


 言葉に詰まった俺に、ナリクァンさんは静かに続けた。


「こうした貧窮対策の炊き出しに並びたくなるということは、それだけ生活が苦しいということ。己の矜持と一食分の節約、それを天秤にかけて、一食分を優先せざるを得ない――そういった方々にこそ差し伸べる手を、明日への力となるお食事を差し出す手を、わたくしたちはもっているのですよ」


 ナリクァンさんの言葉に、俺は自分の考えの卑しさを思い知る。

 そもそもあれだけ苦労してパンを焼きまくったのは、食べるものにも苦労しているだろう人たちのためだ。それを惜しんで配らずに済ましてしまったら、俺たちの苦労は何だったのか、ということになる。


「はい、どうぞ。とってもさむいですから、これで温まってくださいね?」


 リトリィが、にこにこと笑顔でスープを渡す。渡す相手の手を包み込むようにして。同じようにマイセルが、元気な笑顔でパンを渡す。


「硬めに焼いてありますから、スープに浸して召し上がってくださいね! 日持ちもしますから、あとで召し上がることもできますよ!」

「今日も来てくださって、ありがとうございます。また、いつでもいらしてくださいね?」


 リトリィはこの炊き出しに参加するようになってから、ずっとあれだ。いつも何かしら一声かけて、そして「受け取ってくれたこと」に感謝をしてみせる。


 マイセルのほうは、最初はおっかなびっくりといった様子だった。だが、いつもリトリィが笑顔で嬉しそうにしているものだから、いつのまにかマイセルも自然な笑顔で参加できるようになっていた。


 だからだろう。

 初めのうちは、この炊き出しにやってくる人々はだれもが暗い表情で、そして無言で受け取っていた。ところが今は違う。


「いつもありがとうよ。おまえさんがたにも、神のご加護と、旦那さんの愛の恵みがありますように――」


 そう、礼を言うのだ。


 そんなリトリィたちを見ていたからだろうか。ニューとリノも、満面の笑顔でスープとパンを渡す。スープがリノで、ニューがパンだ。ちなみにドライフルーツは、ヒッグスが渡している。三人の役割分担を眺めていると、まるで俺たちを見ているかのようだ。


 こうした炊き出しには、子連れの親子もやってくることがある。

 あのたれ耳うさぎロップイヤー風の兎属人ハーゼリング親子のように。そうすると、ニューとリノが喜んで声をかけるのだ。


「こっちこっち!」

「ね、ね、こっち来なよ!」


 すると相手の子供も、やはり子供は子供同士の方が気が楽らしい。

 嬉しそうにチビ達から器やパンを受け取るのだ。


「熱いから、やけどしないようにね!」

「おれのパン、硬いからスープにつけて食べるといいぞ! すげえ美味いんだぜ!」


 リトリィたちが言っていることを真似て、嬉しそうに説明するのだ。それがまた、見ていていちいち愛らしい。


 で、ヒッグスが「……ほら、乾燥果実。食えよ、うめぇから」と、ぶっきらぼうに渡す。

 これが大人だと「少年らしい照れ隠しだ」と分かってくれるのだが、年下の子供たちだとそのぶっきらぼうさが怖いようで、ニューとリノの二人で元気になった子供は、ヒッグスの不愛想ぶりにまた元気をなくす。

 それを見て、ヒッグスときたら変に落ち込むのだ。


「……ヒッグス。ニューみたいに底抜けに明るい顔をしろとは言わないから、その睨むような目と口元を直せば、お前の優しさはちゃんと伝わるから」


 何度かそう声をかけ、途中の空いた時間にスマイル練習をして、そして終盤にはかろうじて笑顔を作ることができるようになっていた。


 ただしその頃には子供の姿など全く見かけられず、ご近所のじーさんばーさんくらいしかいなかった。そして近所のじーさんばーさんは、彼らが突っ立っているだけでも色々と声をかけてくれる人たちだ。

 だから練習した成果を「子供相手に」発揮できず、ヒッグスはいろいろもやもやしたようだ。


「だったらそのぶん、次回、がんばればいい。子供には無数の機会があるんだ、一度だめだったからといってそれでふてくされるな」

「でも、おれは……」

「だから気にするな。それに、今日は付け焼刃だった。ならば、きちんと会話の技術を身に着けて次に会えば、ヒッグスの努力を見せることができる。アッと驚かせてやろうぜ?」


 最終的にはスープの方が足りなくなって、パンだけを配ることになってしまった。だが、それでも喜ばれた。そのせいで、この雪が日雇い労働者の家計をいかに直撃していたかを思い知らされた。


 俺やチビ達には雪合戦の材料でしかなかった雪だが、ギリギリの生活をしている者たちには厄介なものでもあったのだ。雪かきの仕事は生まれたかもしれないが、それ以外の仕事が激減してしまったのだろう。


 思いついたのはナリクァンさんだが、雪を見てそういったことを思いつけるということが、それだけナリクァンさんが、街の住人の暮らしに気を配っているという証だろう。貴族出身の彼女だが、庶民のことを気に掛けるその姿勢は、見上げたものだと思う。




「手にお仕事を……ですか?」

「ああ、ニューを見ていてさ、思ったんだ」


 マイセルの髪を撫でながら、俺は思ったことを口にした。


「雪が降っただけで、食べ物を買うお金すら事欠く生活をしている人たちがいる。でもそれは、やっぱり安定した収入を得るための技術があれば、防げると思うんだ。高い技術があれば、それだけ、その技術にお金を払ってでも仕事を依頼したい人というのがでてくるはずだからな」


 リトリィが、顔を上げた。綺麗にしてくれたお礼に、俺は彼女の唇に、自分の唇を重ねる。


「あの子たちに、ちゃんと食べていけるだけのわざをつけさせてあげる……ということですか?」

「ああ。前から言っていたことだけどね」


 今回、建築に関わる「職人」という特殊技能を持つ俺がいかに恵まれていたかがよく分かった。

 やはり子供の手に職を持たせるというのは、親にとってその子が将来食べていくことができるようにする大切な仕事であり、贈り物なんだろう。


 現代日本ではそういった「子供が生きていくのに必要なチカラ」をつけるための教育も、学校だなんだと丸ごとアウトソーシングしてしまっているが、本当は親がつけてやるべきスキルだったはずなんだ。


 分業と言えば聞こえはいいけれど、せめて家事の全て、その基本くらいは、子供に仕込んでやるべきなんじゃないだろうか。


「ふふ、それってつまり、わたしたちの仔にも、そうしてあげたい――そういうことですね?」

「まあな。リトリィの言う通りだよ。マレットさんもそう考えたからこそ、マイセルが大工仕事に興味を持ったとき、喜んで教えようとしたんだろうしな」

「……私が赤ちゃんを産んだら、その子も大工にするんですか?」


 マイセルがきょとんとして聞くので、「マイセルが望むなら、それでいいんじゃないかな?」と笑ってみせると、マイセルはちょっと考えて、そして笑った。


「私たちのわざを受け継いでくれると、私も嬉しいから、大工になってもらえたらいいなって思います」

「最終的に子供がどんな道を選ぶかはその子次第だけど、なんにも無しで放り出すのは、親の責任問題だと思ってさ」


 マイセルは、そんな俺に微笑みかけた。


「じゃあ……はやくその日が来るように、ムラタさん、もう少しだけ、協力してもらえますか?」

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