第432話:雪の日は雪の日の過ごし方
「わああ! まっしろ! こんなの、ボク初めて見た! ねえだんなさま、こんないっぱいの雪、見たことある?」
リノが、ひざまで埋まる雪の中で大はしゃぎだ。だが、気持ちはわかる。俺も、スノボのゲレンデならともかく、街でこんなに積もった雪というのは初めて見た。
空は意外にも真っ青に晴れ渡り、陽光がぽかぽかと降ってくる。その光を受けて雪がきらきらと輝いているものだから、その雪の下にある家々が妙に暗く感じて、街全体がモノトーンに見える。
ああ、ニューとリノが、そろって雪に飛び込んだ。
雪に大の字を二つ作って、二人で大はしゃぎだ。暖炉の前から動かないヒッグスと比べて、どこからこの元気が湧いてくるんだろう。
しかしこのぶんだと、山の家の方は相当に積もっただろう。山から離れたこの街でこれなのだ。もしかしたら、一メートルくらいは積もったかもしれない。
「マイセル、リノはああ言ってるけど、この辺りでこれほど積もることって珍しいのか?」
「……そうですね、こんなに積もることって、滅多にないです! 私がリノちゃんくらいのころに、一度か二度、降ったことがあるだけで……!」
そうか、ここまで降るのはやっぱり珍しいんだな。ああよかった、天気もいいし、これなら今日中に融けてなくなるだろう。雪景色は気持ちのいいものだが、これが続いてもらっては工事に差し障る。
「やれやれ、今日はお休みだな。また明日――」
そう言って玄関から中に引っ込もうとして、マイセルに手をつかまれた。
「ムラタさん! 昨日の約束!」
「約束?」
「はい!」
満面の笑顔で、マイセルは俺を玄関から引きずり出そうとする。
「雪合戦、しましょう!」
「あははは! おっさん、よわーい!」
顔面に雪玉を叩きつけられ、さらに雪に足を取られて転倒した俺を、ニューが容赦なく笑う。くそっ、いつまでもやられっぱなしだと――
起きあがろうとしたところを、ヒッグスの奴が抱えてきた大量の雪を叩きつけてきた。ひいぃっ! 襟首から雪が、雪がぁっ!?
そんな俺を見てか、リノの朗らかな笑い声が聞こえてくるが、しかし彼女は決して俺にはぶつけない。その分、リトリィとマイセルが酷い目に遭っている。
子供チーム対大人チームの戦いは、大人チームの惨敗だった。
というか、雪の中を泳ぐように走り回る、あの子供たちの高機動っぷり。なんであんなにもアグレッシブに動けるんだ。雪玉をぶつけてもぶつけても、まったくひるまずに襲い掛かって来るニューには、ほんとに参った。
リノに至っては、ニコニコしながらとんでもないことを宣言しやがった。
「大好きなだんなさまには、ぶつけられないもん。そのかわりお姉ちゃんたちにぶつけるんだ!」
その宣言通り、リトリィとマイセルが雪玉を食らいまくった。なぜか、特にリトリィが。
はじめはニコニコ笑って受け流していたリトリィだったが、あんまりにも容赦なくニューとリノからボコボコにぶつけられるものだから、遂には本気になって雪玉をぶつけようとし始めた。
だが、やっぱりチビ二人に翻弄され、雪をぶつけられたり転んだりして、目も当てられないような有様になっていた。リトリィは全身ふわっふわで毛の量が多いから寒さに強いかと思っていたが、その毛の量があだとなって、最終的には全身雪まみれになって半泣き状態だった。
「だからわたし、いやですって言ったのに……あなたったら、無理に引っ張り出すものだから――」
恨めし気に「もう、しりません」と言って拗ねてしまったリトリィは、口をきいてくれなくなった。なんてこった!
「だんなさま、見て見て! ボク、お芋の皮、上手にむけたよ!」
「そうだな、また上手になったな。偉いぞ」
頭をわしわしとなでてやると、嬉しそうに耳をぴこぴこさせて「だんなさまにほめられたーっ!」と、キッチンに戻ってマイセルに報告していた。
実に微笑ましい。
……微笑ましいんだけど、なんでリトリィは恨めしそうに俺を見つめるんだ? なんだか「どうしてわたしには何もおっしゃってくださらないんですか」とでも言いたげだ。これはまずい。
「……り、リトリィ。今日の昼は……」
話しかけると、プイっとそっぽを向いてしまう。これだよ! 朝の雪合戦からずっとこれだ。怒っているのは分かるんだが、じゃあどうしてほしいんだよ。
もうすぐテーブルの準備ができる、というときだった。
リトリィがふいと隣を通り過ぎようとしたとき、急に手をつかまれ、そのまま仕事部屋に引っ張り込まれた。
「リノちゃんばっかり可愛がるのは、どうしてですか?」
……どうも、頭を撫でられて喜ぶリノが羨ましかったらしい。
髪を撫でるのは特別に親密な関係を表す――だからこそ、その行為は結婚の三儀式の一つに数えられるのだが、昨日、それを街の通りで堂々とやった俺に、ずっともやもやしていたとのことだった。
「あんな街のなかで、しかも通りを歩いている人もいたのに、リノちゃんの髪をなでてあげて……。わたしは、あんなこと、してもらえませんでした。雪合戦の時だって、あの子の髪をなでてあげて……。お庭でしたけど、ひとも見ていたのに……!」
訴えているうちに、思いがあふれてきてしまったのか、ぽろぽろと涙をこぼし始めたリトリィ。俺は胸を突かれた思いで、彼女を抱きしめた。
「……ごめん、気づかなくて」
「謝ってほしいんじゃないんです。――なでてください。あなたのリトリィの髪を。それだけでいいんです、それだけで……」
リトリィにとっては、なんだかんだ言いつつも、もうリノは俺の嫁さんという認識だったんだろう。だから、同じことをしてほしいという思いだったんだ。
その、ややくせっけのあるふわふわの金の髪に、そっと手のひらを滑らせる。
リトリィは目を細めて、しばしその感触を楽しんでいたようだった。
「朝は、あんなに晴れていたのにな」
昼過ぎからまた振り出した雪に、俺はため息をつく。ある程度融けたと思ったのに、音もなく静かに降る雪は、再び地面を白く染めようとしていた。
建築業は、常に天気との相談だ。いつも晴れてくれていれば最高なんだが、こればっかりはどうしようもない。この分だと、明日も休業かな――空を見上げて、何度目かのため息をつく。
そんな、けだるい午後を過ごす予定だった。
――はずだった。
「あらあら、かわいい子たちね。噂には聞いてましたけれど、
ナリクァンさんが、大量の小麦粉の袋を、使用人に運び込ませる。我が家に。
「な、ナリクァンさん、あの、炊き出しは明後日ですよね?」
「もちろん、その通りですよ? 寒い日が続いていますからね、今回は奮発することにいたしましたの」
「奮発?」
「ええ!」
ナリクァンさん曰く。
寒い日が続いていて、日雇いの仕事もこの天気のため、減っている。
そのため、食べ物を買うことが難しい人もいるだろう。
「ですから、日持ちのする硬く焼いたパンをですね、配ろうと思いましたのよ」
「……ひょっとして、今からですか?」
「ええ、もちろん!」
「……あの、パンは街のパン屋に依頼してはいかがですかね?」
「あら、パン屋さんはパン屋さんで、一日に作る量も釜の使用も、法で厳しく決められていますから。商売の邪魔をしては、申し訳ないですからね」
そう言って、全く譲る気配もないままに、どんどん小麦の袋を運び込ませる。
「リトリィさん、マイセルさん。よろしいですわね?」
それに対して、満面の笑みで返事をするリトリィと、ひきつった笑顔のマイセル。
こうして、とんでもない量の小麦粉との戦いが始まった。
それにしてもナリクァンさん、商会の力は使わないという話だったのでは?
「あら、ぜんぶわたくしの私財ですわよ?」
「この大量の小麦も、かまど用の薪も、塩もですか!?」
「当然でしょう? あなたたちのおうちのものを使うわけにも参りませんし」
……いや、そーいう意味じゃない。
だが、やはり金持ちというのはスケールが違うのだと感じた。金持ち、すごい。
ただ問題は、この大量の小麦粉を練って、パンにしなければならないということだ。
正直に、声を大にして、言いたい叫びたい。やってられるかっ!
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