第428話:神は自ら求むる者を

 俺の額の汗を拭きながら、青い月を見上げてリトリィが言う。


「それにしても、最近はマイセルちゃんもずいぶん、すすんでおねだりをするようになりましたね?」

「……マレットさんあたりにせっつかれてるんだろ」

「ふふ、おつかれさまです」


 笑ってみせるリトリィだが、君は以前からマイセルが求めるよりも何倍もおねだりしてきてるんだからな? 


「だって、早くあなたの仔がほしいですから」

「君は藍月の夜があるだろ? その夜だって、まだしばらく先で――」

「そんなことないですよ? 藍月までにいっぱい愛していただけると、そのぶん、いい仔が生まれるっていいますから。だから最初のひと月は、お仕事を休んでまで、みなさん励むんですよ?」


 ――そんな都合のいい話があるわけないだろ、と一瞬突っ込みそうになって、踏みとどまる。

 俺の常識で判断してはいけない。それを言うなら、獣人と異世界人の俺では遺伝子が全く違うはずだから、子供ができると考える時点で無理があるはずなのだ。


 けれど瀧井さん夫妻はちゃんと子供ができているらしい。この世界にはこの世界の常識がある。リトリィの話も、事実かもしれない。


「あなたは、男の子と女の子、どちらをお望みですか?」

「俺はどっちでもいい。リトリィが産んでくれるなら」

「わたしもどちらでもいいですけど、できれば男の子がいいです。あなたにそっくりの、黒髪の、黒い瞳がきれいな男の子――」


 そう言って、彼女は再び手を伸ばす。

 もう出ない――そう思っても、彼女の手にかかれば……


「ふふ、おやんちゃさん・・・・・・・が、また起きてくださいました」


 彼女にはおそらく、俺は永遠に勝てない。

 リトリィはじつに嬉しそうに微笑むと、俺に背を向けてまたがった。まだ勃ち上がりきっていないそれを、ゆっくりと胎内に飲み込む。


「それに、仔ができる、できないだけではないんです。……あなたがほしいんです。おなかの奥で、あなたを感じさせてください。いっぱい、いっぱい、わたしをかわいがってください。あなたのお望みのままに、わたしを鳴かせてください」


 そう言うと枕に顔をうずめ、しっぽを持ち上げ腰を揺らす。

 求められるというのは、正直、嬉しい。ましてそれが、愛する女性からならば。

 俺は体を起こすと、彼女のしっぽをつかんだ。愛らしい小さな悲鳴を上がるのを合図に、俺は安産型の大きな尻に指を食いこませて、彼女の望むとおりにしてやる。

 大きな水音と共に、彼女の背が弓なりに曲がり、歓喜にふるえた。




「まあ座れ。話はそれからだ」


 ギルドに呼び出された俺が指定された部屋に入ると、ちょうど髭面の爺さんが、自分で淹れた茶をあおるところだった。顔の左半分にひどい傷跡があり、左目に眼帯をしている。事故で大怪我をしたのかもしれない。


 だが、その特徴的な顔から、彼が誰なのか、すぐに分かった。

 この塔の改修工事に関わる施工管理者――クオーク親方だ。彼は俺を見やりつつ茶を飲み干すと、愛想のかけらもない顔で言った。


「新しいギルド長から聞いている。お前さんが、例の塔の、本当の改修工事の立案者だって?」


 クオーク親方は、傷跡だらけの顔をしかめてみせる。


「よく分からんが、今回の仕事はわしが前のギルド長から直々に任された仕事だったんだ。それがよく分からんままにギルド長がすげ替わって、今度はお前さんがわしの部下に入った。いったい何があった、一言で状況を言ってみろ」


 一言とはずいぶん無茶なことを。だがこれで分かった。このクオークという男、おそらく気が短いのだろう。


「実は、この塔の改修の図面のことなんですが、先代ギルド長が私の設計図を手に入れ、それを自分が描いたと偽って――」

「なげぇ! 一言っつっただろ!」


 爺さん気が短すぎだって!


「……先代ギルド長が不正でクビになり、図面を描いた私が採用されました!」

「さっさとそう言え、日が暮れちまわァ!」


 そう。

 塔の工事の責任者――というか、施工管理者自体がすげ替わることはなかった。引継ぎやら考え方の違いやらによって、全体の進行に大きな遅滞が発生する恐れがあると判断されたからだろう。


 そもそも、一軒家ならともかく、俺はまだこの街でこんな大きな事業を任されるほど、信用があるわけでもない。ついでに言うなら、こういう仕事はたいていコネがものを言う。


 そんないきさつで、俺はこの気の短いクオーク親方の下に配置されたのだろう。この爺さん、この塔の現場監督に任ぜられたからには有能な大工なんだろうが、気が短くて実にやりにくそうだ。少しでももたもたすると、すぐに罵声が飛んできそうな勢いだ。

 だが、仕方がない。適度に機嫌を取りながら、可能な限りキビキビ動いて進めるしかない、そう割り切るしかなかった。


 とはいっても、俺は現場に混じって一緒に作業をするわけではない。あくまで補佐の立場なので、俺が前に立つわけでもない。なんとも微妙な立ち位置だ。そう思っていたら、さっそく罵声が飛んできた。


「そんなところに突っ立って何やってんだ! そんな暇があったら現場を見て回るぞ、さっさとついてこい!」


 言い分はもっともだが、しかし突然、何の前触れもなく怒鳴られても――頭をかきながら、それでもクオーク親方と、まずは現場に向かうしかなかった。




 クオーク親方は、現場に着くと「あとは自分で見て回りな」と、俺を放り出してどこかへ行ってしまった。


 仕方なく塔に近づいてみると、瓦礫に囲まれるようにして、巨大な鐘がそこにあった。粉砕された木箱の残骸を下敷きにして。

 あのフェクトールの屋敷を襲撃した夜、鐘を落とすときのクッションとして積み上げた木箱は、うまい具合に機能してくれたようだ。


「……壊れてしまったかと思っていたよ」


 感慨に浸っていると、後ろから声をかけられた。


「なんだ、鐘が落っこちた騒動、知ってんのか?」


 振り返ると、手ぬぐいを肩にかけた赤髪の男がそこにいた。


「あのぶら下がっていたところから落ちたんだ。だが、誰がやったか知らねえが、下に木の空き箱をたんまり積み上げていたみたいでな。さすがに無傷ってわけにはいかなかったが、ちっとばかり凹んで、ヒビが入っちまっただけだ。なに、そこをぶっ叩かないようにすればいいだけだろ」


 あの夜。

 簡易投石機にしようとした起重機クレーンに、おもりの如くぶら下がっていたのが、降ろす予定だった、この鐘。


 この鐘を落下させることで、鐘につながるロープにくくりつけた石のブロックを投げ飛ばし、屋敷の警備を撹乱した上で突入するという計画だった。その際、落下させた鐘はおそらく壊れてしまうだろうと思っていた。


 ところがこの鐘、投げ飛ばすはずだった石のブロックが起重機に引っかかってしまったことで、一度落下が止まったのだ。

 その引っかかったときの衝撃で、木製の起重機は地上三十メートルの高さから勢いをつけて落下。フェクトール公の屋敷までカッ飛んでいって、屋敷の屋根をぶち抜いたんだ。


 そのおかげで、鐘は落下の衝撃を最小限にまで殺すことができ、あらかじめ下に積み上げておいた木箱の効果もあってか、損傷はわずかなへこみとヒビだけで済ませることができたらしい。

 あの日からずっと確認していなくて壊してしまったと思い込んでいたから、あらためてほっと胸をなでおろす。


「オレはあの朝来て知ったクチなんだがな? あの時はみんな、どんなお咎めを食らうかって青くなったもんだ。けどよ、さすがフェクトール様だ、なんともなかったぜ。懐が広い御仁で助かった」


 獣人の娘たちを集めて監禁していたことは、獣人の娘たちを保護していたのだというフェクトールの主張が、表向きそのまま通って広がっていた。おかげで奴は、慈悲深い青年貴族という評判のままだ。


 俺の伝手で集まったメンバーは本当のことを知っているだろうが、広まっていない以上、おそらくあの場に駆けつけた力ある人間――つまりはナリクァンさんが、何らかの手を打ったのだろう。


 それに、集められていた当の女性たちが屋敷から出たがらない以上、奴の言い分は完全に間違っていた、とは言えないわけで。釈然としないが、女性たちの多くが今の生活の継続を望んでいるのだから、外野の俺たちが騒ぎ立てるのは筋違いだろう。


「とにかく、鐘は一応無事、塔も起重機がぶっ壊れた以外は変化なしだ。フェクトール様のお屋敷が直らなきゃ話は進まねえが、なに、話がなくなっちまったわけじゃねえからな。いずれは工事も再開する。今、ここにいるってことは、あんたもでっかい仕事を求めて来た大工なんだろ?」

「……そう、だな」


 俺の答えに、男は腕を組んだまま塔を見上げた。


「長いこと壊れたままだった塔がよみがえる、ここ最近で一番の大仕事だからな! オレたちが積み上げた石が、百年二百年、ここに残るんだぜ! 大工冥利に尽きるってもんだ、やるしかねえ。そんときはあんたもぜひ来るといいぜ!」

「ああ、そのときはまた、よろしく頼む」

「おう! オレは石組み長のバリオンだ。おめえは?」

「ムラタだ」

「変わった名だな? まあいい、オレの班に入ったときにはまた声をかけてくれ」


 そう言って、バリオンは俺の背中をぶっ叩いた。

 痛い! この世界の職人は、人間と出会ったら肩や背中をぶっ叩くって礼法でもあるのかよ!


「あんた、見た感じチカラはなさそうだが、なあに、オレのもとに来た奴は、どこでだって通じる一人前の石組み屋に仕込んでやるからよ! ああ、そうだ。フェクトール様のお屋敷の修理も人手不足だ。『神は自ら求むる者を助く』。日当もメシも出るから、あんたも来な!」


 バリオンはそう言って豪快に笑うと、俺の肩をつかんで屋敷のほうに引っ張る。

 一瞬迷ったが、ついていくことにした。屋敷の様子を見ておくのもいい。なにせ肝心のクオーク親方が行方知らずだ。


 俺が石組みをすることはないだろうけど、こんなふうに自身の仕事に誇りを持っている大工がいるっていうのは、素直に嬉しいと思う。

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