閑話⑰:愛の贈り物

※2022.2.14  バレンタインデー特別企画

※本編(427話時点)よりも、数カ月あとのお話です


――――――


「……なあ、おっさん」

「なんだ?」


 食後、リトリィとマイセルの二人と一緒に、楽しそうに食器を片付けているリノを見ながら、ヒッグスがつぶやいた。


「リノってさ、……おっさんと結婚すんのか?」


 おもいっきり茶でむせる。


「げほっ、げほっ……な、何を言い出すんだいきなり」

「だって、リノがいつも言ってるから」

「い、いつも?」

「姉ちゃんたちの次のお嫁さんになるんだって、いつも言ってる」

「……そ、そうか」


 口元をぬぐっていると、ヒッグスがなにやら真剣な顔で聞いてきた。


「おっさんはさ、姉ちゃんたち二人を嫁にして、今度はリノも嫁にするのか?」

「……本人が大人になって、それでも俺がいいって言ってくれるならな」


 あえてそう濁したが、リトリィに言わせれば獣人の女性の一途さを舐めるな、ということなので、このままいけば俺が娶ることになるのだろう。だがそこまで明言するのはためらわれて、コップを傾け、続きはごまかす。

 するとヒッグスが、さらに質問を重ねてきた。


「おっさん、ニューも嫁にするのか?」


 ぶふっ!

 この野郎!

 人が茶を飲んでるときに、とんでもない質問を重ねがやって!


「げほっ、えほっ……!! お、お前な……!!」

「教えてくれよ、ニューも嫁にするのか?」

「しない!」

「なんでだ? ニューとリノって同じくらいの女の子だろ?」

「リノは俺のことを好きって言ってくれたからだ、ニューは違うだろ」

「じゃあ、ニューもおっさんのこと好きって言ったら、嫁にするのか?」


 ものすごく真剣な目で質問を繰り返すヒッグスに対して、俺は答えに詰まる。


「……ニューが、そんなこと言ってたのか?」

「全くかけらも全然言ったことがない」

「だったらどうして俺がニューまで嫁にするなんて話になるんだ、お前は!」

「だっておっさん、自分のキンタマ蹴っ飛ばした女だって嫁にしちまうだろ? だったらニューだって、そのうちとられちゃうって思うじゃんか」


 ……どういう意味だ! 俺だって、別に見境なく妻を増やしてるわけじゃないぞ!

 そう言いかけて、飲み込む。


『そのうちとられちゃうって思うじゃんか』


 ……とられる?

 それってつまり……


「なあおっさん、女の子を嫁にするには、何がいるんだ?」

「何って……どういうことだ?」


 あえて聞くと、ヒッグスは俺を食い入るように見つめながら続けた。


「おれ、ニューを嫁にしたいんだ。嫁にすれば、ずっと一緒にいられるんだろ? おれ、ニューとずっと一緒にいたいからさ」

「お、おう……」


 ……やっぱり、そういうことか。子犬の兄妹たちのようだと思っていたのに、彼はそんなことを考えていたのか。


「……結婚するっていうのはどういうことか、分かってるのか? 一緒にいるってことはもちろんだが――」

「おれが稼いで、食わせるんだろ? それくらい分かってら」


 そして、にかっと笑う。


「ニューってさ、いま姉ちゃんたちに料理、教えてもらってるだろ? あいつがメシ作れるようになったらさ、おれが外で働いて、それで帰ってきたら、あいつがメシ作って待っててくれるんだろ? 姉ちゃんたちが、おっさんにメシ作るみたいに」

「……結婚ってのはな、飯を作ってもらえるってだけじゃなくてだな……」

「だから分かってるって」


 ヒッグスは胸を叩いてみせた。


「おれが稼いで、変な奴から守ってやって、そいでもって夜はいっしょに――」

「ちょっ……ちょっと待て!」

「え、なんだ?」

「その先は言わなくていい、というより、言うな」


 こんな少年が、夜の夫婦生活を当たり前に知ってるっていう現実を知りたくない。

 ……いや、その少年たちと天井一枚隔てるだけで、深夜まで妻二人と愛し合ってる俺が言えることじゃないけどさ!


「なんで? おっさんだってそうだろ?」


 うぐっ!

 そ、そう返されるとなんにも言えなくなる、んだけどな!


「分かってるって。男ってつれぇよな。だってそうだろ? 女の子が二人もいると、二人とも何とかしなきゃいけないから、大変だよな」

「そ、それはまあ、そうなんだが……!」


 二人がかりで毎晩搾り取られる大変さを、よりにもよって少年に共感される俺っていったい。ってか、共感するんじゃない! せめてそういう夜の事情の話をするのは、もう少し大人になってからにしろ!


「ほんと分かるって。おれもそうだったけど、大変だよな」


 ……『俺も』?

 ちょっと待て、『俺も』ってどういうことだ! お前、ニューとリノと、そんな関係だったってことなのか!?


「おっさんだってそうだろ? このまえ、たまたま夜中に目が覚めてさ。水飲もうとしたら、上から姉ちゃんたちのアノ声が聞こえてきたんだよ」


 や、やっぱり聞かれているのか、アノ声……! まあ、そりゃそうだよな、防音もクソもない家だし、聞こえて当然なわけで……。


「おっさんも大変だなって。二人まとめて相手にするのってさ」


 目が点になって次の言葉が出ない俺の肩を、ヒッグスが訳知り顔でぽんぽん叩く。


「おれんちは親が毎晩ケンカしててさ。それで泣く弟たちをあやしながら、毎晩寝てたんだ。で、いつだったか、遊びに行って帰ったら、母ちゃんが、酒飲んで帰ってきたらしい父ちゃんをぐっさぐっさ刺してるとこでさ。それ見て逃げちまったんだ。それでどうなったかって? 知らねえ。それから会ってねえよ」


 だから寝かしつけはけっこう得意なんだぜ、と笑ってみせるが、なんという修羅場に遭遇してしまったのだ、この子は。


「あ、そうそう、それでさ。水飲もうとして起きたら、二階から姉ちゃんたちの悲鳴みたいなの、聞こえてくるだろ? ああ、おっさんも苦労してるんだなって」

「苦労……」


 いや、そりゃたしかに二人をベッドで愛するのは大変だけど、改めてこんな少年に言われると、ものすごく居たたまれない思いになる。


「結局さ、女って、大人になっても変わんねえんだなって思ったよ。姉ちゃんたち、大人になってもくすぐりあっことかしてるってことだろ?」

「……くすぐりあっこ?」

「それで、いつまでも寝てくれねえんだろ? 分かるぜ、その苦労。おれんとこだって、ちょっと前まではニューとリノがいつまでも二人できゃあきゃあやっててさ。大変だったんだ、寝かしつけ」

「……寝かしつけ?」


 続く言葉が出てこない俺の顔を覗き込み、ヒッグスが不思議そうに首をかしげる。


「え? 全然寝てくれない嫁さんたちが大変だって話だろ? 違うのか?」


 その一言で金縛りが解けた俺は、慌てて笑って取り繕う。 

 俺が汚れすぎていた! そうだよな、こいつら、まだ子供だもんな!


「……でも、楽しそうでさ。ニューが妹じゃなくて嫁になったら、もっと楽しくなるよな、きっと」

「……ニューとリノは、お前の、『妹』なのか?」

「おれたちみんな親、いねえけど、あいつらが兄ちゃんって呼ぶから、おれたちきょうだいだろ?」


 ……念のために確認してよかった。ならばOKだ。


「……じゃあ、ニューにふさわしい旦那になれるように、お前も手に職をつけて、しっかり稼げるようにならないとな」

「だからいま、大工の仕事を習ってるんじゃん」

「そう、だな」


 頭をわしわしと撫でてやると、ヒッグスはくすぐったそうにして、そして笑った。


「だから教えてくれよおっさん。結婚するには、何がいるんだ?」


 そうだな……。

 キッチンで、片付けが終わったはずなのに何やらやっている女性たちを見やりながら、俺は答える。


「あのひとたちと一緒に幸せになる――その覚悟と、そして、その女性と共に生きることができることを誇る、矜持かな」

「幸せになる覚悟と誇りと、矜持?」


 首を傾げるヒッグスに、俺は微笑みながら答えた。


「どんなに仲睦まじく暮らそうと思ったって、何かしらあるもんだ。そんなときこそ、『この人と一緒に幸せになる』と決めたときの決意を、『自分がこの人を選んだ』『自分こそがこのひとに選ばれた』という誇りを、忘れないってこと……かな」

「なんだおっさん、そんなの忘れるわけないじゃん」


 だったら簡単だぜ、とヒッグスは笑う。


 ――簡単じゃないんだよ、心をたゆませることなく、持ち続けるっていうのは。

 もし、そんな夫婦ばかりなら、お前たちは孤児にならなかったはずなんだから。


「……なあ、ヒッグス。ひとを好きになるっていうのは――」


 言いかけたときだった。


「あなた、ヒッグスちゃん。もうすぐお菓子が焼き上がりますよ?」


 キッチンのほうから、リトリィの声が聞こえてきた。と同時に、焼き菓子の香ばしい匂いが漂ってくる。

 ――ああ、食器はもう片付け終わったはずなのに、何をやっていたかと思ったら、夜に焼き菓子?

 なんだろう、急に甘いものでも食べたくなったのだろうか。


 そう、間抜けなことを考えかけて、そして、気づいた。


「……し、しまった!!」


 俺は慌てて、ヒッグスの手を引っ張り仕事部屋に駆け込む。


「な、なんだよおっさん!」

「いいから黙って言うことを聞け!」


 仕事部屋に飛び込み、中から鍵をかけると、額をくっつけてしまいそうな勢いで、俺はヒッグスに確認をした。


「ヒッグス。今日は何の日か知ってるか?」

「知らねえ」


 ああ! そうだよ、知るわけがないスラム出身者が!


「いいか、よく覚えておけ! 今日はな――」


 『ヴァン・サレンティフスを讃える日』――男女を問わず、大切な人へ、ちょっとしたプレゼントにメッセージカードを添えて、普段の感謝を伝える日。


「え? なんだそれ。そんなの知らねえぞ?」

「じゃあ今すぐ覚えろ! 今日はそういう日なんだ、お前、ニューのことが好きなら、ニューになにか贈り物を準備してたりはするか?」

「そんなもん、あるわけねえだろ」


 だよなあ!!


 一年前はペリシャさんに教えてもらって、それで婚約首環を揃えたんだ。今年は……なんにも準備していないっ!!

 日本ならコンビニに駆け込んでとりあえずそれっぽいものを見繕うことができるかもしれないが、この世界にそんな便利なもの、ないよ! 日が沈んだらもう、店はどこもやってないんだ!


「……よし、こうなったら心を込めた愛のささやき作戦だ! それしかない! おいヒッグス、字の練習は進んでるか?」

「……名前は書けるようになったぜ!」

「そうかぁ! そいつはすてきだ、面白くなってきた!」


 練習の成果は出てるってことだな! だが名前だけで、いったいどうやって愛をささやくんだよ! ああもう、時間がない!


「……分かった! 俺が手本を書いてやる、それを写せ!」


 去年のメッセージカードは、辞書を引きながら書いたのに文法とか時制とかがでたらめで、マイセルに滅茶苦茶笑われたんだった。今でもほとんど分かってないが、シンプルな現在形ならなんとか書ける程度になったんだ。


「ええー? おれ、字書くの苦手なんだよ、めんどくさいし」

「とにかく上手くなくていいから、できるだけ丁寧に書け! ニューを嫁にできるかどうか、この一枚に全てがかかってると思ってな!」

「おっさんおせぇよ、早く書いてくれよ!」

「切り替え早すぎだぞお前!」




 案の定、たどたどしいメッセージをしたためられたカードは、マイセルに笑われてしまった。

 でも、大爆笑された去年と違って、マイセルはくすっと笑いはしたけれど、頬を染めて、とても嬉しそうにしてくれた。

 リノは大喜びで部屋を走り回り、リトリィに読んでもらって、また走り回っていた。「ボク、だんなさまのこと大好き!!」と叫びながら。

 リトリィはカードを開くと、ぽろぽろと涙を流し始めた。そして最後に「末永く、愛してくださいましね」と、涙のあとを拭きもしないでにっこりと微笑んだ。


 リノは、なんとか読める程度には上手になった字で「ムラタさん好き」と書いてあった。俺はわざと大きな声で読み上げ、そして字が上達していることをほめ、そして抱きしめてやった。やっぱり、相手が自分のために努力したその成果を見せられると、こちらも嬉しくなる。


 マイセルのカードには、「生まれてくる命と共に、永遠の愛を」と書かれていた。去年と違って、俺にも理解しやすい、シンプルな言葉。

 ああ、ふくらみが目立ち始めた彼女のお腹に宿っている命――その命と共に、ずっとずっと、共に生きていこう――そう、決意を新たにする。


 リトリィのカードの文面は、「休息の日まで、今よりもなお深い愛を捧げます。ずっと可愛がってください」。マイセルよりもさらに易しい言葉で、ストレートな気持ちが綴られていた。

 死が二人を分かつまで――結婚の際に、満開のシェクラの樹の下で誓った言葉。胸が熱くなるとともに、こんな大切な日に、やっつけの言葉くらいしか贈れなかった自分が情けなくなる。


 ヒッグスが書いた言葉は、「ずっとあなたを愛しています」。受け取ったニューはマイセルに読んでもらって、本当にうれしそうにヒッグスに飛びついていた。

 ニューのカードには、リノよりもさらに解読の難しい字で、たぶん「兄ちゃん大好き」と書かれていた。字を教えているマイセルが一生懸命目を凝らしながら読んでいたから、多分ヘタさ加減は相当なものなのだろう。

 けれども、書くどころかまったく読むこともできなかったニューが、自分で字を書いてヒッグスに贈った――それにこそ、大きな価値がある。


 やり取りしたカードを大切にしまいながら、女性たちが焼いてくれた焼き菓子をいただく。本当に楽しい夜を、皆で過ごすことができた。




「……あなた?」

「……ごめんな」


 月明かりのなかで、リトリィがしなだれかかってくる。


「どうかされたのですか?」

「ごめん、俺、今日が『ヴァン・サレンティフスを讃える日』だっていうこと――」


 しかし、最後まで口にすることはできなかった。

 リトリィの唇が、舌が、俺の口をすっかりと占領した。


「……いま、おいそがしいですから。やっと土台が、できたところでしょう?」

「……そうだけど、でも――」

「ふふ、それよりも、あんなにすてきな言葉をいただけたんです。わたし、天にものぼりそうなくらいの気持ちでしたよ?」


 『君の手に幸せの重みを、必ず』――マイセルのお腹に宿った子を想いながら、俺はこの言葉をしたためた。

 マイセルの子は、夏ごろに生まれるだろうという話だ。リトリィもマイセルの出産をとても楽しみにしてくれてはいるが、やはり俺は、彼女の望みをかなえてやりたい。なんとしても。


「でも、ご無理はなさらなくていいんですよ? わたしはもう――」


 言いかけた彼女の口を、今度は俺がふさぐ。

 その先は絶対に言わせない。


 彼女の手に、必ず、俺の血を引く子を抱かせてやるのだ。

 それを、俺の贈り物とする。

 それが、この世界で俺を見出し、愛をくれた彼女への一番の恩返しなのだから。

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