第427話:プライド
「……ほんとに準騎士の話、蹴ってよかったのか?」
マレットさんが、屋台で買った串の肉をくわえて引き抜きながら、なかば呆れ気味にこぼす。
「マレットさんは、自分の奥さんにちょっかいをかけるような上司を持ちたいですか? たとえそれが過去の話であったとしても」
「……ねえな!」
俺の返答を受けてマレットさんは一瞬、虚を突かれたような表情になり、それから笑って返した。
「確かにそれはあり得ん」
「でしょう?」
マイセルはそんな俺たちを見てため息をつき、リトリィはどこか申し訳なさそうな顔でうつむいた。
「……どうした?」
「……もし、もしわたしがあのとき、だんなさまに無理を言ってでもついて行っていれば……」
うつむいたまま、リトリィはか細い声で続けた。
「そうすれば、わたしはさらわれることもなかったでしょうし、でしたらだんなさまは、わたしのことなんて気にせずに、その……騎士さまになれたのでしょう?」
「ないない、それはない」
変に気にしているリトリィをこれ以上くよくよさせたくなくて、俺は努めて明るい声を出した。
「その時には普通に雇われてただろうし、そしたらあのクソ貴族野郎も俺のことなんてただの大工扱いだ。今みたいに、奴が俺に負い目を感じて不自然な役職に就けようと思うこともなかっただろうさ」
「そうでしょうか? だんなさまのこと、とても惜しんでいるように見えましたけど……」
「だから考えすぎだって。それより、俺は俺に与えられた仕事を全うするだけだ。経緯は気に食わないが、またあの塔に関われるようになったんだから、それでいい。自分が設計したものに関わって、そいつを形にする――建築士として、こんなに楽しみなことはないんだからさ」
――そう。
結局あのあと、俺は準騎士の話を固辞し、あくまでもいち建築士としての仕事ならば受ける、と貫いた。俺のプライドの問題だ。
そりゃ、カネはあるに越したことはないし、あれば妻たちをより楽にさせてやれるかもしれない。それについては間違いなく言えることだし、生活を維持するにもカネが必要だ。だから俺はいままで、建築の仕事を干されても日雇いの仕事で頑張ってきた。
一日働いて、泥だらけの体を引きずって帰り、妻たちに体を拭いてもらって夕食を取って、そしてその柔らかな体に包まれるようにして眠る。何のために生きるか、ではなく、生きるために生きる――そんな毎日だった。
「たしかに準騎士、とかいうのになれば、収入はちょっとは多かっただろうし、年金ってやつも入るから、暮らしはよくなったかもしれないけどな。俺は自分らしい仕事をして、自分らしさを評価してもらえたら、それでいいと思っている」
「……それでこそ男ってヤツだムラタさんよ! おうよ、男は成した仕事こそが生きた証! 娘を嫁がせた男にこんなにホネがあったとは、やっぱりあんたにマイセルをくれてやったこと、正解だったぜ!」
ばしばしと背中を平手で殴るマレットさん。痛い、痛いですって!
リトリィが俺の腕に体をしっかりと絡めて、俺を見上げる。
胸に挟むようにしてるのは、……うん、まあ、わざとだろうな。その柔らかな圧力がたまらない。
「だんなさま、わたし、だんなさまにずっとついていきますから。だんなさまの誇り高いそのお考えに、ずっとずっと、ついていきますから!」
「……ああ、頼りにしてる。愛してるよ、リトリィ」
往来で、人目もある中で堂々と唇を重ねると、リトリィはしっぽを俺の腰に絡ませてきて、情熱的に舌を差し込んできた。ああ、こうなるともう、リトリィには敵わない。口の中を彼女の舌で占領されてしまう。
ぷは、と唇を離すと、名残惜しそうに俺の唇を舐めてみせてから、リトリィは微笑んでみせた。
すると反対側から、マイセルが「わ、私もムラタさんのこと、大好きですから!」とアピールしてきた。
「私だってずっとずっと、ずーっと、ムラタさんのお嫁さんとして、お姉さまといっしょにお仕えしますから!」
そう言って俺を見上げると、目を閉じてみせる。俺は苦笑すると、その桜色の唇に、自分の唇を重ねた。
リトリィと違って閉じられているその唇にそっと舌を差し込むと、彼女は一瞬目を見開き、身を固くして引きかける。その腰を抱き留め引き寄せると、驚きながらも覚悟を決めたのか、おとなしく口を開いた。リトリィの時は防戦一方だったが、マイセルの方はこちらが打って出る。
「は、ふ……」
唇を離すと、目をとろんとさせたマイセルが、名残惜し気に身を寄せる。俺はリトリィとマイセルを抱き寄せると、改めて二人の頬に、軽くキスをした。
俺たちを見てひそひそ言っている奴らがいるけれど、そんなものは関係ない。俺たちは、自分たちの力で愛を、誇りを守り、勝ち取ってきたプライドがある。
ああ、プライドだ。
誰になんと言われようとも。
さっきまで俺の背中をぶっ叩いて豪快に笑っていたマレットさんは、目のやり場に困るようにどこかあさっての方を向いていた。
マレットさんに、家で食べて行くように勧められた俺たちだが、ヒッグスたち三人を家に置いている俺たちは彼らを置いたままにしておけないからと、丁重に断って家に帰った。
屋台で買った串焼き肉が冷めないうちにと家路を急いだのだが、家ではヒッグスとニューとリノが、キッチンを惨憺たるものにしていた。
「だ、だって! だんなさま、遅くなったら、腹減るだろうって思って! ボクもニューも兄ちゃんも、みんながんばったんだ! ホントなんだ! ……その、ちょっと、失敗しちゃったけど、……でも、でも……!」
マイセルの悲鳴に対して、真っ先に俺に飛び込んだリノが、一生懸命手を伸ばして訴える。
ああ、言わんとすることは分かる。
だが、ちょっとどころじゃないな。
キッチンには、皮を剥こうとして剥いた皮より実の方が小さくなった芋がごろごろしていた。
割れた器がないことだけが、せめてもの救いだった。そんなものがあったら、この子たちはさらにケガまで負っていた恐れがある。
リトリィもひきつった笑みを浮かべたまま固まったくらいの惨状だったが、それでも俺は何も責める気になれなかった。
母が死んでしばらく、父と二人でコンビニ弁当ばかりだったころ、俺は枯れ木のように生気を失った親父のためにと思って、初めてキッチンに立った時が、こんな感じだったからだ。
中学で調理実習を何度か経験していたから、余裕だと思っていたのに。
――だからこそ、俺は、リノの頭をくしゃくしゃと撫でて。
「……ああ、ありがとう。お前ら、俺たちのために頑張ってくれたんだな? その想いが嬉しいよ」
そして、リノを抱きしめることしかできなかった。
この三人は、ある種の覚悟を決めて家を出た俺たち――万が一帰ってこなかったときのために、どこに何があるのか、その仔細を教えて、もしものときには自分たちで助け合って生きていくようにと伝えた俺たちのことを、本気で心配してくれていたのだろう。
極端なことを言えば、金を持って逃げることもできたのだ。
けれどもそれをせず、彼らは俺たちを待ち、そして俺たちが帰って来た時のことを考えた。それが、食事の準備。
「お、おっさん……あの、……あのさ、おれたち……」
おずおずと近寄ってきたニューも、一緒に抱きしめる。
「ニュー、俺は嬉しい。俺たちのために頑張ってくれたんだろう?」
恐る恐るといった様子でうなずくニューの背中に回した腕に、力を籠める。
子供たちが、一生懸命、自分にできそうなことをと考えて努力してくれたことを、どうして責められようか。
「リトリィ、マイセル。この子たちが作ってくれた食材を使って、何ができそうかな?」
別に食材を焦がして炭にしてしまったわけじゃない。十分に使えるはずだ。
ただ、彼ら自身、上手くいかなかった自覚はあるのだろう。それがこの、叱られるのを恐れるような姿だ。
けれど、彼らは努力した。その幼い胸のうちにあるプライドを、へし折ってやりたくはない。俺はやや離れたところでうつむいていたヒッグスに声をかけた。
「ヒッグスに聞こうか。何が食いたいんだ? リトリィたちに、お前らがこれから作るものを一緒に手伝わせよう」
「……お、おっさんは怒らないのか?」
上目遣いにこちらを見るヒッグスに、俺は笑ってみせる。
「なんでだ? お前ら、俺らにメシを作ろうとしてたんだろう? 美味いメシを頼むぞ。リトリィ、マイセル。あとは頼む」
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