第426話:ムラタの価値は(2/2)

 準騎士の称号と、それに付随する年金――それが、フェクトールからつけられた、俺の値札ということか。

 正直、そういったものの相場を俺は知らないが、マイセルの驚き具合から、庶民にとっては高待遇だというのは伝わってくる。


 だが、どうにも腑に落ちない。

 塔の改修に関わる設計図面だけで、そこまで思い切った待遇を俺に与える?

 縁をつくる力を買いたいって、絶対にそれだけなわけがない。


 じゃあ一体、何を求めて俺を取り込もうとしているんだ? やっぱりリトリィのことが諦められないんだろうか?


「いろいろ悩ませているようだね? だが、ひとつだけ安心してくれたまえ。もう、君の奥方に手を出す気はない。君を怒らせるとどうなるか、身に沁みたからね。そうでなくとも彼女が幸せだということは、私も十分に理解できた。今さら、彼女を手元に置こうなんて思わないよ。ただ……」


 フェクトールが、わずかに口の端をゆがめる。

 君のことは分かっている、とでも言いたげに。


「おそらく君の奥方は、ここに来るまでに、この城内街で、いわれのない不当な陰口などを叩かれながら来たのではないのかな?」


 ……図星だ。それだけフェクトールは自分の街の現状を理解しているんだろう。


「君が準騎士の称号を受ければ、そんなくだらないことに悩むことはなくなるだろう。準、とはいえ、騎士の妻を悪し様に言うことの危険性など、この街の住人は良く分かっているだろうからね」


 ――そうか。つまりここで俺が準騎士とかいう称号を手に入れれば、リトリィが嫌な思いをすることが減るわけだ。

 確かに許せないことをした野郎だけど、メリットとデメリットを天秤にかければ、奴の下で準騎士の称号を手に入れたほうが、俺たちの今後の生活を平穏にできるということだな。


 すべてを水に流して、などということはできないが、ビジネスとして考えれば、決して悪い話じゃない。奴を信頼することはできないが、奴の貴族という地位は信用できる。

 そう考えて、そして――


「――この街では家を一軒建てただけの私に、過分な評価をいただきありがとうございます。ただ、私は、私の為した仕事でのみ評価を頂ければ結構です。塔の改修工事を任せていただけるのであれば、それが終わってから、改めて評価していただければ、それで十分でございます」


 俺は、一呼吸おいてから、続けた。


「ですから、やはり準騎士に取り立てていただけるというお話は、今、この場においては辞退したく思います」


 リトリィも、マイセルも、そしてマレットさんも、目を剥いた。


「お、おい――ムラタさんよ、準騎士だぞ? 貴族に準ずる地位だぞ?」


 昨日はあれほどムスケリッヒさんに噛みついたマレットさんが、妙にうろたえている。さっき「断る」と言ってみせたときは余裕を見せていたのに今度は慌てるなんて、俺が本当に断るとは思っていなかったということだろうか。準騎士の地位というのは、それだけ庶民にはまぶしく映るものなのだろうか。


「……なるほど? 自分には、より価値がある――準騎士程度では釣り合わぬと、そう言いたいわけだね?」


 薄く笑ったフェクトールに、俺は営業スマイルを浮かべてみせる。


「そう判断していただけることは名誉の極み、仕事ぶりも見ていただかぬうちから私に対して破格の厚遇を提示していただけるのですから、私への期待の大きさが理解できようものです。ただ――」


 俺はスマイルを維持しつつ、まっすぐフェクトールを見返した。

 営業スマイルは卑屈の証でもあるが、同時にこちらの心の盾であり、相手の喉元に突きつける矛でもある。俺は大きく息を吸った。

 

「――私にも、男の意地ってものがありましてね。訳の分からない理由ではなく、自身の仕事によって評価されたいのですよ」


 リトリィが顔を上げたのが、視界の端に見える。少し座り直すようにして、身を寄せてくれたのが分かった。俺の決断を、思いを、理解してくれた――そう受け止める。


「ほう? 大した自信だね。その功績でもって望むのは何かな?」

「私たち家族が食べていけるだけの報酬を」

「……食べていけるだけの報酬?」

「はい。それで十分です」


 マイセルが見上げてきたのが分かった。リトリィと違って、どこか不安そうに、俺の表情をうかがっているようだ。その隣で、ばりばりと頭をかくマレットさん。こっちはたぶん、信じられん、とでも言いたいのだろう。


「……ふむ。君は私を試そうというのだね?」


 言われた意味を計りかねて、俺が営業スマイルを崩さずにいると、フェクトールは鼻で笑って両の腕を広げてみせた。


「家族が食べていけるだけ――なるほど、君が求める生活水準を、私がどう推し量るか――それをはかろうというわけか。君も絶妙に難しい条件を求めてくるね。そうやって、私の度量をはかろうというわけだ」


 ……なにか、嫌味を言われている気がする。やっぱりこいつ、口では俺のことを認めるとか言いながら、俺がやらかしたことを恨んでいるんだろうな。

 まあ、奴にしてみれば、俺は妾にしようとした女を奪ったうえに屋敷をぶっ潰した張本人なんだ。恨まれて当然だ。


 フェクトールは軽くため息をつくと、ソファーにゆったりと体を沈めてみせた。俺から視線を外し、テーブルの上のカップを見つめながら、含み笑いを浮かべる。


「……今回といい、半年前といい……あれだけの人間を動かした君の力を今、垣間見た気分だよ。正直、庶民と侮っていた」


 フェクトールは、そばに控えていた執事――レルバートさんに目配せをした。レルバートさんは軽く会釈をすると、部屋から出て行く。


 庶民と侮っていた――そんなことを言われても、実際庶民だからしょうがない。これは交渉決裂だろうか。それとも、改めて交渉の仕切り直しなのか。妙に重い沈黙が、場を支配する。


 しばらくして、沈黙に堪えられなくなったのか、マレットさんのつま先が床を打ち始めたときだった。


「ムラタ君。これは世間話として聞いてほしいのだが――」


 フェクトールが目だけを上げ、口の端をやや歪めるようにして口を開いた。


「君はナリクァン夫人と親交があるだけでなく、それなりに大口の取引もしているようだね?」


 それなりに大口の取引――現場の資材や、カラビナの量産のことだろうか。とりあえずうなずいておく。


「ふむ。その自覚はあるようだね。にもかかわらず、君は特にナリクァン商会の関係者、といった関係ではないようだ。いち職人として、取引をしているだけにすぎぬように見える」


 これもその通りだ。大きくうなずいてみせる。ささやかな矜持だ、ひとりの男としての。

 だが、それに気を悪くすることもなく乗ってくれて、それどころか資材の提供も、彼女が直接、良いと見繕ったものをそろえてくれた。きっと全部リトリィのためだろうが、実にありがたい。


 ……つまり俺には価値がないと言われてるようなものだな。自分で気づいておいていうのもなんだが、なかなかメンタルに来る悟りだ。

 ――ということは! 俺に価値を見出しスポットを当ててくれるフェクトールさん、実はすんごくいい人なのでは!?


「それからこれはあくまで噂なのだが……君はナリクァン夫人の誘いを断ったそうだね。にもかかわらず、良好な関係を築いているともきく。参考までに聞きたいのだが、夫人の提示した条件の、何が気に食わなかったのだね?」


 ……ひょっとして、俺を自陣に引き入れるために、俺が軍門に下るポイントを探ろうというのだろうか。

 でも、俺が住んでいる家はナリクァンさんが出資してくれたものだし、定期的な炊き出しも一家そろって参加しているし、そもそもナリクァンさん、フェクトールとはあまり関係が良好ではない感じだった。


「申し訳ありませんが、それには答えられません。そこはお話を下さったナリクァン夫人と私との、仁義の問題だと思いますので」


 ……そうだ。そこは義理を欠くようなことをするのは、よくないだろう。リトリィと俺が結婚する時にも、有形無形の様々な支援をしてくれた人だ。……まあ、そうだな、これくらいか。言えるのは。


「――ただ、これだけは申し上げますが、ナリクァン夫人が本当に求めているのはリトリィの幸せですね。私自身は、その実現のためのおまけだと思っています」


 自嘲気味に笑ってみせると、フェクトールが片眉を上げた。

 明らかに不快そうだった。


「そこで奥方を出すのか? 君もなかなか底意地の悪い人だね」

「……いえ、正直に思っていることを口にしたまでですが」

「そんなわけがないだろう。あの女性の目は確かだ。間違いなく君に価値を見出して投資をしている。いくら身内であっても、彼女は安易に目をかけたりはしない。間違いなく、君に価値を見出しているはずだ」


 そう言って、フェクトールは嘆息してみせた。


「奥方よ。この男はいつもこう、人を食ったようなことを言っているのか?」


 ……ちょっと待て、それじゃまるで俺が嫌な人間みたいじゃないか! ていうか、それをリトリィに聞くなよ!

 するとリトリィは、フェクトールと同じようなため息をついてみせてから、つぶやくように言った。


「フェクトール様がそう感じられるなら、そうなのではありませんか?」


 ちょっと! そこで肯定してくれるなよリトリィ! 俺そんなに意地悪か!?

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