第425話:ムラタの価値は(1/2)

「まさか、来てくれるとはね……」

「私こそ、まさか私を指名して仕事を依頼されるなんて思ってもいませんでしたよ」


 フェクトール公。

 まさかまた、こうして面と向かって話をする機会が巡って来るとは。

 俺の両隣に座る女性に、軽く礼をして見せる。今日も金髪碧眼に赤い軍服姿が決まっている。うん、実に腹立たしいほど絵になる男だ。


 リトリィとマイセル、そしてマレットさんを連れて向かったのは、例の貴族フェクトール公の屋敷だった。というか、本当はマレットさんと二人で行く予定だったんだが、リトリィが泣いてすがって放してくれなかったのだ。


『いやです! 今生こんじょうの別れになったらどうするんですか!』


 あまりの取り乱しように、さすがにマイセルもなだめようとしてくれたのだが、リトリィは全く譲らなかった。


 もしフェクトール公あのかたがよからぬことを企んでいたらどうするんですか、わたしは一人でなんて生きていけません、万が一のことがあったらわたしがなんとかしますからと。


 普段見せないその激しい感情に、ヒッグスとニューとリノはドン引きだった。同時に、その見たこともないはずの貴族に対して相当な嫌悪感を抱いたようで、リノなど「あんなにやさしいリトリィ姉ちゃんをあそこまで泣かすやつのとこなんて、行くことないだろ」と吐き捨てたくらいだ。


 だから、本当は家にいてほしかったのだが、結局連れてくることになってしまった。マレットさんを含めて四人でぞろぞろと。


「――あの塔の改修工事案、あれは君の案だったんだろう?」

「……どこまでご存知だったんですか?」

「最初は偶然だったのだよ」


 フェクトールは、肩をすくめてみせた。


「今ある塔を活かしつつ、穴をふさぎ、補強し、長く使えるようにする――。誰も彼もが壊して新しく建て直すという提案の中で、あの案は実に魅力的だった。実に精密な図面も、他にない魅力だった。あの時点では大工ギルド長自らの提案ということで、文句もなかった。これでほぼ決まりだろうと、私は考えていたのだよ。……ところがだ」


 フェクトールは俺たちに茶をすすめ、自らもカップを手に取り、傾ける。

 リトリィが先にカップに手を伸ばし、香りを楽しむ素振りをみせ、そして、目くばせをして、かすかにうなずいてみせた。


 ……なるほど、彼女の判断では、これといって怪しげな様子はない、ということか。迷うことなくカップを傾ける。うちで飲んでいる茶とは雲泥の差だ。やや苦みは強いものの、ふわりと鼻腔をくすぐるような香りに、ため息が出そうになる。


「……そこへ君が持ってきたのが、あの図面そっくりの図面だ。レルバートは即座に盗用と判断するくらいにね。ただ、彼は有能すぎるのだよ。私が君の奥方に懸想しているということを、もちろん知っていた。それで報告してきたのだよ、これはまたとない機会ではないかとね」


 俺から名誉と仕事を奪い、困窮したところに手を差し伸べるように仕向ければ、女は自ら男を乗り換えるだろう――そういう目論見だったらしい。


「もちろん、レルバートのせいにするわけではないよ。最終的にその提案を実行させたのは私なのだからな」


 結果は知っての通りだがね――肩をすくめて笑ってみせるフェクトール。


「君の奥方は素晴らしい女性だ。何を見せても、何を言っても、その凛とした姿はついに揺るがなかった……。その時の私は、奥方に魅入られていた。立場も忘れて、なんとしても振り向かせたかったのだよ」


 こんなことを言われても迷惑でしかないだろうがね、そう言って彼は小さく笑う。


「……ただ、この話はもう、おしまいだ。仕事の話に戻すが、新しいギルド長……その、なんといったかな? あの暑苦しい男――」


 ムスケリッヒさんだ。フェクトールも、彼については暑苦しい印象を抱いたらしい。その点だけは手を握りたい。


「そうそう、ムスケリッヒ。彼が言い出したのだよ、この仕事を、本来あるべき人間に返したいとね」


 ……ああ、そんな感じのことを言っていたっけ。そうか、ムスケリッヒさんが言い出したのか、今回の件は。


「そうだ。なんとも奇妙な縁だとは思わないかね?」

「奇妙な縁、ですか?」

「そうとも。まさに神の采配のような――」


 そう言って両手を広げ、その奇跡のような縁が、つまり奇跡なのだろうと笑った。


「ときに、君はこの街の生まれではないそうだね?」

「……確かにそうですが、それがなにか?」

「翻訳首輪で聞こえる方ではない・・・・君の言葉は、実に独特だ。東方でも西方でも、北方でも南方でもない。どこの国、どこの地方の言葉とも全く似ていない。いったいどこの出身なのだろうね?」


 ……この世界には存在しない国だよ。そう胸の中でつぶやくと、フェクトールはまるでそれを見透かしたかのように、体を乗り出してきた。


「実に不思議なのだよ、君の操る言語も、名前も。ムラタという名前自体、全く聞いたことのない響きだ。少なくとも、近隣諸国にそのような名、類する名を、私は知らない。意味も分からない。ムラタ君。君の名は本名なのかい? それとも略称なのかい?」

「そんなことを聞いて、どうするんです?」

「いやなに、純粋な興味だよ」

「興味、ですか。……詮索されるのはあまり好きではないですね」


 ましてあんたにはな……胸の中で毒づく。


「……なるほど、私も覚えがある。たとえ痛くない腹であろうと、探られるのはいい気がしないものだしな。この話は、ここまでにしておこう」


 フェクトールはそう笑うと、手のひらをこちらに向けた。


「いずれにしても、大工ギルドの長も変わって、これからは君たちとの付き合い方も少しばかり変わることになるのだろう。なにせあの・・ギルド長から、新しいギルド長に代替わりしたのだからね」

「……過去は水に流せと言いたいのですか?」

「私からそれを言うわけにはいかないが、遺恨に遠慮してばかりでは仕事が進まぬのでね。話を進めさせてもらうことにするよ」


 フェクトールは服の襟を整え姿勢を正すと、微笑みを浮かべた。


「どうだろう。私の下でその力を発揮する気はないか? あの提案、あの図面を見れば、君が力のある大工というのは伝わってくる。十分な報酬と待遇を約束しよう。もちろん、今後も継続して、だ」

「十分な報酬と待遇というのは、具体的には……?」

「ふむ。うっかりしていた、それがはっきりしないうちに契約などできないな。それについては準騎士階級の待遇と、それに付随する年金は約束しよう」


 それを聞いてマイセルが驚きの声をあげた。よくわからないが、それなりに高待遇のようだ。


「なるほど、それはありがたいですね。ただ……」


 自信ありげなフェクトールの目を見ながら、俺は同時に、ナリクァン夫人とのやり取りを思い出していた。あの、妙にひりつくような緊張感の中での交渉を。


「……もし、断ると言ったら……?」


 今度はリトリィとマイセルが同時に声を上げた。リトリィのほうは、俺を一瞬だけ見て、目を伏せた。対してマイセルは、俺とフェクトールの顔を何度も見比べ俺に目で盛んに何かを訴えてくる。

 マレットさんは、ちらとおれを見たあと、少しだけ口の端を歪めて、またフェクトールの方を見た。


 俺は、あのナリクァンさんに対して、自分の力を試したいと言って、商会に組み込まれることを拒否した。間違いなく、リトリィのために便宜を図ってやろうと言ってくれた、あのナリクァンさんに対してだ。


 翻ってこちらは、一度はリトリィを拉致した男。信用度は比べ物にならない。ナリクァンさんが差し伸べた手を断っておきながら、この男の誘いに乗るというのは、自分の中の仁義が許さなかった。


 果たして、フェクトールは一瞬だけ軽く眉を上げたものの、クールな微笑みを崩さなかった。


「……もしそれが本気なのだとしたら、とても残念な選択だ。私はこの塔の改修案を提出した、君の将来性を買っている。それが理解されないというのであれば、私にとって実に大きな損失となるだろうね。もちろん、君にとっても」


 そう言って、フェクトールはカップを手に取った。


「君が理性的に判断し、名誉を重んじる人間であることを、私は期待しているよ」


 なるほど。簡単には条件を吊り上げたりしないわけか。あるいは、最初から出しうる最大の手を提示してみせたのか。


「将来性に期待していただけるのは大変うれしいのですが、いいんですか? 私は妻を取り戻すためとはいえ、あなたの屋敷に襲撃をかけた人間の主犯格ですよ?」

「確かにあれは不幸な出来事だったね。あれは私も大変に驚かされたよ。まさか冒険者たちを先導して、貴族の館に襲撃をかける大工がいるとは思わなかったからね」


 ただ、今から考えれば、万が一私が同じことを貴族仲間から仕掛けられたとしたら、君と同じことをしていたかもしれないが、と、自嘲気味に笑う。


「奴隷商人の時には、こちらも内々に調査を進めていたからね。おおよそ、襲撃をかける準備は整っていたのだよ」


 まさか、冒険者たちに出し抜かれるとは思っていなかったがね――そう言って彼は笑った。


「我々が街や近郊の主だった拠点を襲撃している間に、冒険者たちはすでに移送された娘たちを集めた拠点を強襲し、彼女たちを保護してしまっていた。君も、最前線で戦ったそうだね?」


 あの戦い――戦う、ということの恐ろしさの片鱗を思い知らされた、あの夜。

 今でも、俺の目の前で喉を抉られ天井まで血を吹き上げて死んだ男の死に様が、俺の身代わりになるかのように細切れにされた『遠耳の』インテレークの、死に様が、目にありありと浮かんでくる。


「我々の働きも決して劣ってはいなかったはずだが、肝心なところで情報が遅れた。我々の後詰め程度に考えていた冒険者たちに手柄を奪われたようで、実にしてやられた気分だったよ、あの時は」


 ……ああ、そういえば門衛騎士のフロインド。彼も捜査を進めていたと言っていたな。そうか、フロインドたち騎士が動くってことは、当然その上司であるフェクトールも知っていたわけだ。


 そもそも、獣人族ベスティリングの女性たちを――手段は間違っていたと断言するが――保護したいと考えていた彼だ。動く予定ではあったんだろう。だが、俺が冒険者ギルドに話をもっていき、ナリクァン夫人をも動かしたことで、話が一足飛びに進んだということか。


 タッチの差で、俺たちが騎士団に先んじて動いた。そのおかげで、俺は自分の手でリトリィを助け出すことができたんだ。

 いつの世も、どんな世界でも、情報を制する者が勝つということなんだろう。


 ふとリトリィのほうを見ると、彼女も俺の方を見てくれていた。目が合った彼女が微笑んでくれたのを見て、俺は自分が動いたことの正しさを確信する。

 マイセルにも感謝だ、冒険者ギルドを利用することを最初に提案してくれたのは、彼女なのだから。


「あの時も驚かされたものだが、それが今度はあっという間に冒険者を組織して、ナリクァン夫人をも引き連れて、君は私の館にやってきた。その時の私の驚きを、君は想像できるかい?」


 いや、それはさすがに買いかぶりすぎだろう。第一、ナリクァン夫人はやっぱり俺では動いてくれなかった。マイセルががんばって説得してくれたおかげだ。結果としては同じでも、過程が違う。まあ、それを教えてやる義理はないけどな。


「そうやって力ある人間を次々に動かす君には、本当に驚かされるのだよ。どうやってそんなにも、うまく人との縁を繋いだんだい?」

「分かりません。ただがむしゃらだっただけです」

「なるほど、実に謙虚なことだな。だが、私はそうした君の力を高く評価している。君のその能力を買いたいのだ。ぜひ、私のもとで働いてほしいのだよ。だからこその、準騎士の称号と年金だ」

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