第424話:それは誰の仕事なのか

「ムラタ。ギルドが話、してえんだとよ」


 マレットさんからそんなふうに切り出されたのは、マレットさんの現場で働くようになってから十四、五日ほど過ぎたころだった。


「ギルドですか?」


 大工ギルドに対していい思いがない俺は断ろうとしたが、マレットさんに引きずられるようにして、強引にギルドに連れて行かれた。


 久々の城内街は、やっぱり居心地がよくなかった。リトリィに対するぶしつけな視線が、実に面白くない。


「ごらんなさい、あの犬娘。しっぽを覆い布で隠そうともしないで。新婚で毎晩盛っているのを宣伝しているようなものね。ああはなりたくないものだわ」

「ほんとうに。しょせんは立って歩く犬畜生ですわね」


「……おい、なんだあれ。女を二人はべらせて。見せつけてるつもりか?」

「といっても片方は犬女ドーギィだぞ? 獣欲にうつつをぬかしていると公言しているようなものだ、みっともない……」


 時々、ひそひそ声が聞こえてくる。リトリィにはもちろん、俺に対しても。門外街ではここまで侮蔑的な視線もあからさまな差別発言もない。

 ……ああ、何度胸倉をつかみに行ってやりたいと思ったことだろう!


「マレットさん」

「気にするな、とは言えねえな。だが我慢だ、無意味にコトを起こしてももっと面白くねえことになるだけだからな」


 しばらくぶりだったから、余計に腹が立つのかもしれない。


 考えてみれば、翻訳首輪の効果が届く半径五メートル以内の言葉以外は理解できない俺は、まだマシだ。

 今もリトリィの耳がピクリと動いて、進行方向とは違う、横のほうを向いた。

 少し、目線が下がる。俺の腕にからめている彼女の腕に、かすかに力が加わる。


「……リトリィ。俺はずっと、君のそばにいるから」


 なんとかしてやりたくて小声でそっと声をかけると、リトリィは俺を見上げ、そして、微笑んだ。いつもより力ない感じではあったが、それでもなんとかして、彼女の気持ちを和らげたかった。




「これはこれは。言っていただければ、馬車を遣わしましたのに」


 ギルドの門をくぐると、そこにいたのは、あの筋肉ムキムキの、坊ちゃんカットの男だった。この寒い冬に、上半身は相変わらず薄手の肌着のような上着一枚。


 どうやら壁の補修をしていたらしく、モルタルの盛られたコテとレンガを手にしている。それらを器用に持ったまま、無意味に暑苦しい謎のポージング。ついでに、これまた暑苦しい笑顔で挨拶をしてくる。


「お元気そうでなによりです、ムスケリッヒさん。このあいだは夫がお世話になりました!」

「いえいえ、マイセルさん。こちらこそ、十分なおもてなしもできず」


 俺から腕をほどき、ぴょこんと挨拶してみせたマイセルに、ムスケリッヒさんも相変わらず腰の低い挨拶をしてみせる。


「よう。呼び出しっていうから、連れてきたぜ?」

「……こちらから馬車を用立てましたのに」

「馬車なんてモンにムダなカネを使う必要、ねえだろう?」


 マレットさんが気さくな挨拶をしてみせる。ムスケリッヒさんはやっぱり暑苦しいポージングをしてみせた。……それ、ひょっとして、挨拶?


「少々お待ちください、こちらが終わりましたらご案内いたしましょう」

「ああ、急ぐ必要はねえぜ。中で適当に待ってるからよ」




「で、何の用だ?」

「なに、簡単な話ですよ」


 ムスケリッヒさんは、落ち着き払ってデスクの上の書類をトントンと整理しながら答えた。


「あるべき方に、あるべきお仕事を回す。それだけです」


 一方で、俺はさっきからずっと落ち着かなかった。

 なにせこの部屋はギルド長の部屋。

 あの髭面の太った男――ギルド長がふんぞり返っていたあの部屋なのだ。

 今は部屋にいないようだが、俺が呼ばれたということは、あの男とまた話をする必要があるのだろう。

 あれだけハッタリをかました相手と再び会うのは、どうにもやりにくかった。


「仕事?」

「はい、お仕事ですよ」


 ムスケリッヒさんは、そう言って引き出しから一枚の紙を取り出した。

 ――草皮紙ではなく、紙。それだけで、重要な書類ということが分かる。


「こちらの書類に目を通していただきたいのですよ。条件については、交渉の余地はありますがね」


 これまた暑苦しいポージングをしながら俺に差し出されたそれは、雇用契約書だった。

 ある程度は読めるようになった文字だが、文字が読めるのと単語が読み取れるのは次元が違う。ローマ字が読めても、それで英単語が理解できるかどうかというのは別問題なのと同じだ。


 だが、俺には翻訳首輪がある。誰かが読み上げてくれれば、それが理解できる。もちろん妻二人もそれを十分に理解してくれているので、今回の契約書はマイセルが読み上げてくれた。


 マイセルがゆっくり読み上げてくれるのを聞いていると、いろいろ制約は多いみたいだが条件そのものは悪くない……どころか、むしろなかなかの高待遇だった。これを断る手はない――そう思えた。


 ――だが。


「おい、何だこりゃ。ふざけてんのか、新ギルド長・・・・・さんよ?」


 横からのぞき込んでいたマレットさんが、不快さを隠そうともせずに言い放つ。

 そう、雇用者は、あの男……クソ貴族野郎フェクトール公だったのだ。


「よりにもよって、あのクソ野郎の仕事だと? どう考えてもあり得ねえだろ。おいムラタさんよ。行こうぜ」

「お待ちください、マレットさん。僕は言いましたよ、『あるべき方に、あるべきお仕事を回す』――とね?」


 ムスケリッヒさんはポージングをやめると、まっすぐに俺に向き直った。


「ムラタさん、あなたはおっしゃった。翼を取り戻し、名誉を回復すると。――どうですか? それが誰の仕事なのか――考える間でもありません。あなたの、本来のお仕事です」

「だからってだなあ! あのクソ野郎からカネをもらえだと!? そんなこと、できるかよ!」


 マレットさんは、頭をばりばりとかきながらムスケリッヒさんに指を突きつけた。


「いいか、俺たちは大工だ。俺たちの建てたモンは、百年、二百年と残るんだ。子に、孫に、後々の世の中の連中に、こういう仕事をしたと、胸を張って誇れる仕事なんだ! あんなクソ野郎なんかにカネもらってなんざ、できるかってんだ!」

「マレットさん、僕は君に聞いていません。ムラタさん、どうされますか?」

「おい、てめえ! 俺たち大工に、カネで魂を売り渡せってのか!」


 ……俺は正直に言うと、迷っていた。

 あの仕事は、もうすでに俺の手を離れて進んでいる。今さら、設計図の持ち主は俺でした、などと言って割り込むのはどうにも気が引けた。


 だが……


「お父さんは黙ってて。ムラタさん、どうしますか?」


 マイセルが、俺を見上げた。まっすぐに、力強い目で。


「たしかに、この間の件でわたし自身もよく思っていませんけど、ナリクァン夫人を交えたあの席を設けたうえで、また何か問題を起こすとは思えません。お父さんも言ってましたけど、すっごく大きい仕事です」


 そう言って、半目で父を見やりながら、力強く続けた。


「お父さんは変な矜持を捨てきれずにあんなこと言ってますけど、わたし、やるべきだと思います!」

「ま、マイセル! 大工が矜持を捨てたら――」

「変に職人気質かたぎを振りかざしたってお腹が膨れるわけじゃないでしょ。名誉だって得られないし」


 大きな仕事――確かにそうだ。

 あの塔の改修工事が完了すれば、その後、何か大災害に見舞われない限り、また数百年、あの場所でその姿を示し続けるだろう。そうなれば、建てた人間の名に加えて、俺の名も合わせて残り続ける可能性がある。


「……わたしも、お受けするほうがいいと思います」

「リトリィも、そう思うのか?」

「……あの方は、ある意味で純粋だったんです。方法はまちがっていたと思いますけど。あの塔の工事は大変だと思いますけど、そのぶん、きっとムラタさんのお仕事の中でも大きな位置を占めるものになると思うんです。だから――」




 俺はあくまでも二級建築士。

 木造ならば延床のべゆか面積一〇〇〇平方メートル、鉄筋コンクリート造や鉄骨造ならば一〇〇平方メートルまで。高さ十三メートルで軒下九メートルの、三階建てまでの建物しか設計することはできない。

 基本的には戸建ての住宅、それが俺の分限だ。


 ――日本にいれば、の話だ。


 今回、塔の高さは約三十メートル。日本にいれば、絶対に設計するはずのない構造物だ。補修し、補強するだけの工事だとはいえ、塔の意匠に新たなデザインを加える大工事。


 設計だけでなく工事にも関わるとなれば、俺の名が残るかもしれない。

 建築家なら皆が夢想する、「地図に名が残る」仕事。


 それはあまりにも魅力的な提案だった。

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