第420話:代わりに毎晩のおねだりの回数を
「……それで結局、将来、お嫁さんにする約束、してしまったんですね?」
ベッドの上で正座をしているのは、もちろん俺だ。詰問しているのは、もちろんリトリィ。
俺は、リトリィに、全部正直に話した。隠したって仕方がない。彼女は以前、俺に、決して隠し事はしないと言ってくれた。だから俺も、全てを話した。
結果がこれだ。いや、追及を受けるのは仕方がない。当たり前だろう。
「い、いや、あの……ほら! 子供時代の約束だ、何年かすればきっと、同世代の男の子のほうに気が……」
「あなた」
「ハイ!」
思わず背筋が伸びる。
リトリィの目が冷たい!
――怖い!!
「わたしと、ペリシャさまを見ていて、まだわからないんですか?」
「……まだって、何が……」
ぱふっ!
リトリィのしっぽが、ベッドに打ち付けられる。
「わたしたち
……そういえば、瀧井さんにもそう言われたことがあったな。
「そういう意味じゃありません。……否定はしませんけど」
リトリィは頬を膨らませた。
「その、わたしたち、と言っていいのか……
「におい? ……俺、そんなに臭うのか?」
「そうことじゃないんです。においというか、その……ふんいきというか、空気というか……。なんといえばいいか、とにかく惹かれる
なるほど……その子が恋に落ちるトリガーを引いてしまう何か、ということか。
「わたしのときは、朝のお食事に同席をもとめて下さったあなたのお言葉がきっかけでした。もう、このかたに一生を捧げるんだって。そのときからもう、ずっとあなたしか見ていません」
「……ということは……」
「よほどのことがなければ、一度、このかたと決めた殿方から、他のかたに変えるようなことはしないんです!」
リトリィの声が一段と大きくなる。
やばい。本当に怒っているようだ。
「……だから、つまり……?」
「これから先、何年経っても、あの子の前にどんな男の子が現れても、きっとあの子は一途にあなたを慕って、あなたとつがう日を夢見て、ずっとあなたのおそばに居続けるつもりだってことです!」
「いや、さすがにあんな小さな子供が……」
ぱふっ!
リトリィがまた、しっぽをベッドに打ち付ける。
「ペリシャさまは、八つのときに
……そうだった。流行り病で家族をすべて失ったペリシャさんを、彼女の家族丸ごと付き合いのあった瀧井さんが引き取って育てたんだった。
瀧井さん自身は、それこそさっきまでの俺のように、どこに出しても恥ずかしくないレディに育てて幸せな結婚をさせて送り出すつもりだったという話だった。ところがペリシャさんの一途な恋心に打たれて、結局、妻に迎えてしまったんだったけ。
「私の時と同じだから、私には言う資格がないかもしれないんですけど……」
マイセルが、言いにくそうに俺を上目遣いで見た。
「ムラタさんがお優しいのは、分かるんですけど……。誰よりもムラタさんに一途なお姉さまのこと、もう少し、考えてあげてほしいなって……」
「い、いや、だから俺は、本当は断ったはずで……」
「もういいです!」
ぱふっ!
リトリィが再びしっぽをベッドに叩きつけた。
「ムラタさんが決めたことですから! お好きになさってください! お
リトリィの怒り具合は本物だった。
彼女は月のものが来たわけでもないのに、俺に指一本触れさせなかった。
そんな状態で、マイセルも俺に抱かれようとするはずもない。
結果、結婚してから初めて、これといった事件もないのに、全く、何もない夜が更けていった。
ふと目が覚めて、俺は窓の方を見た。
月はだいぶ傾いていて、もうあと数刻で夜明けだろうという感じだった。
その窓辺で、物憂げに月を眺めていたのがリトリィだった。
一瞬、声をかけようとして、ためらった。寝る前のあの彼女の様子を思い出して、声をかけていいかどうか、迷ったからだ。
しかし俺の小賢しい考えなど、リトリィにはお見通しだったようだ。
彼女は少し疲れたような顔を俺に向けて、微笑みを浮かべた。
「お目覚めですか?」
俺は観念して身を起こすと、ちょっと目が覚めただけだと答えた。
「ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」
「いや、君のせいじゃない」
俺は起き上がるとリトリィのそばに歩み寄った。
目の周りが赤く腫れていた。
目元もしっとりと濡れている。
……泣いていたんだ、また。
泣かせてしまったんだ、俺が。
「リトリィ、すまない。俺は……」
「どうして謝るんですか?」
「いや、その……本当に、悪かった」
俺は申し訳ない気持ち一杯だったのだが、リトリィの方こそ少し慌てた様子で、一生懸命目元をこすった。
「……ごめんなさい。やきもちなんてみっともないって、わかってるんですけど……」
リトリィは、決まり悪そうに笑いながら言った。
「分かるんです。わたしのことを愛してくださるあなたが、あの子たちのことを放っておくはずがなかったって。でも……」
そのきまり悪そうな笑顔のまま、リトリィの両の目から大粒の雫がポロポロとこぼれ始めた。
彼女の泣き笑いの顔が、声が、俺の胸を突き刺す。
当たり前だ。この世界が多夫多妻を認めているからっていっても、一夫一婦が基本なんだから。
日本では職場の異性の同僚と仲良くするだけでやきもちを焼くパートナー、夫婦げんかに発展するなんていうことも聞くのだ。
まして自分の家で、自分の夫が、自分よりもずっと年下の少女を、将来嫁に迎える約束をしましただなんて、血だまりの包丁案件になりかねない。
異世界に落ちてきた挙句、痴情のもつれで鮮血の結末、だなんてシャレにならないが、その原因を作ったのは俺なんだ。申し訳なさとで、胸の内がぐるぐる渦巻くのを自覚しながら、俺はそっと、そのあごをとる。
彼女は少し驚いた様子だったが、俺の唇を、静かに受け入れてくれた。
寝る前のあの剣幕だったから、拒否されるかと思ったんだが。
「……ごめん。俺は、君が一番だっていつも言いながら……」
「ちがうの……ちがうんです、ごめんなさい……。わたし、あなたの一番のお嫁さんなんだから、これくらいがまんしなきゃいけないってわかってるのに……」
彼女が謝ることじゃないことで、彼女を謝らせていることに、俺は胸が締め付けられた。違う、彼女が謝ることじゃないのに。
その肩を抱く腕に力をこめると、リトリィはか細い声で、ぽつりとつぶやいた。
「……本当は全部、聞いてました」
「全部……?」
「あなた、階段の下でお話、していたでしょう? その首輪の力は、二階までとどくんですよ? それに、わたし、耳もいいですから」
涙を拭きながらリトリィは笑った。
「あなたがあの子のことを拒否してお弟子さんにとるって言ったとき、わたし、本当にほっとしたんです。ちゃんとわたしのことを大事にしてくれてるんだって」
「当たり前だろ、俺はリトリィのことが一番……」
言いかけて、でもそれ以上言えなかった。
一番と言いながら、じゃあマイセルは、そしてリノは。
「でも、わたしが本当につらかったのは……」
リトリィは悲しげな表情のまま微笑みを浮かべた。
「あなたが、あの子が大きくなるころには他の人を好きになるだろうって、そう言ったことです」
「どうして、それが……?」
「だってあなたは、女の子が大きくなったら心変わりをするっていうことを期待していたってことでしょう?」
じっと見つめられ、俺はいたたまれなくなって、小さくうなずいてしまった。
「わたし
……そうか。
彼女たち
俺が心変わりを期待するということは、そんな彼女たちの誠意をまるで信じていない、と言うに等しいことなのだろう。
俺の言葉に、リトリィが小さくうなずく。
「あなたはわたしの想いをも、お疑いになってらっしゃるということですから」
「そんな……」
わけがない――そう言いかけて、けれど続けられなかった。
リトリィか奴隷商人に捕まったとき、クソ貴族野郎に囚われたとき……取り返したとき、俺は何を考えた?
信じる――それを口にするのは簡単だ。
だが、心の底から相手を信じ切る――それがどれほど難しいことか。
何も言えなくなってしまった俺の手を、リトリィはそっと握った。そのまま引き寄せるようにして俺の肩を抱くと、今度は彼女から唇を寄せてきた。
ぽろぽろと涙をこぼし、それでも俺の愛を求めてくれる彼女が愛おしくて、俺はただ、彼女の求めるままに、そっと唇を重ねた。
「……あなた、わたしのためにって、リノちゃんのお話をなしにする、なんて言い出さないでくださいね? あの子はあの子で、幸せにしてあげてください。わたしがあなたから幸せをいただいたように、あの子だって幸せになるべきなんですから」
「……でも、それじゃ……」
「わたしはもう、マイセルちゃんのときにあきらめましたから」
いたずらっぽく笑ってみせるが、それが本心ではないことくらい、そのぱたぱたとせわしなく揺れる耳で分かる。
本当は、独り占めしたい。
けれど、もうそれは叶わない。
だから、折り合いをつけるしかない――
マイセルを迎え入れる決意を固めたとき、リトリィはそう言った。
「……ごめん」
「あやまらないで、あなた」
そう言うと、俺の頭を、その胸の奥にしまい込むように、抱きしめる。
「ほら、
ぐっ……!?
全部聞かれていた、それをたった今突きつけられた思いだよ!
「わたしはだいじょうぶです。年の離れた妹が増えた、って思うことにします」
そのかわり、毎晩の
「では、さっそくおねだり、聞いていただけますか?」
「……え? 今から?」
「だって、今夜はまだ、お情けをいただいていません」
いや、そりゃ、君が拒否したから――言いかけて、必死に言葉を飲み込む。
ええ、いいですとも! こうなったら夜明けまで、つき合ってやる!
なかばやけくそな俺の言葉にリトリィは微笑むと、だいぶ傾いた月光を透かすように、そっとネグリジェのすそを持ち上げ、くわえてみせた。
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