第421話:君の未来に責任を(1/2)

 いつもの朝のルーチン――ラジオ体操と乾布摩擦。いつもは一人で行うのだが、今日は違った。


 一生懸命、俺の目の前で、見よう見まねでラジオ体操をしている少女がいる。

 体を大きくねじったり反らせたりするたびに、鏡で映したように、だが似て非なる動きをしているそいつは、昨日から俺の弟子になったリノ。


 朝食の準備をしているリトリィたちの手伝いをしていた彼女は、俺が朝のルーチンを始めるのを見てこっちについてきたのだ。「ボク、だんなさまの弟子だから!」だそうである。


 昨日は勢いで俺の弟子になれ、と言ってしまったが、弟子といっても俺が教えられる技術など無い。大工の技術なら、急仕込みだったとはいえマイセルの方が俺の何倍も優れた大工だ。彼女の親であり、この街有数の大工の親方でもあるマレットさんに仕込まれた技術は、俺なんかよりもはるかに確かなものだ。

 

「それじゃ、リノは俺の弟子じゃなくてマイセルの弟子ってことになるよなあ……」


 別にそれでリノとマイセルと仲良くなってもらえればありがたいんだけどな。


「だんなさま! ボクのこと呼んだ?」

「……だから師匠と呼べって」

「ハイ! それでだんなさま、ボクになんの用?」

「……今の元気な返事の中身はどこにいった」


 それにしても、「おれ」が「ボク」に変わっただけで、ずいぶんと丸くなったように聞こえるから不思議だ。


 本人は一生懸命リトリィの真似をしてなのか、自分のことを「わたし」と言おうとしていた。だが馴染んでいないせいだろう、つい「おれ」と言いかけてしまうからその度につっかえていたし、「わたし」という言葉だけが丁寧であとはぞんざいな言葉遣いだったから、どうにも違和感が凄まじかった。


『そんなに「わたし」が言いにくいなら、「僕」だったらどうだ?』


 リノは首をかしげたが、「わたし」よりはよほど口にしやすかったらしく、すぐに馴染んだ。


『だんなさま! ボク、「ボク」でいい?』


 すると不思議なもので、「おれ」と言わせていると可愛らしい顔でひどいギャップがあったし、「わたし」という人称とぞんざいな言葉の組み合わせではこれまた凄まじい違和感があったのが、「ボク」と変わるだけで「ボーイッシュな女の子」に早変わりしてしまったのである。

 なんとも奇妙な気分だったが、まぁこれはこれでアリなのかもしれない。


「だんなさま!」

「……だから師匠と呼べって」

「ししょー。あのねあのね? だんなさまは大工なんだろ?」

「だから……。まあいい。俺の仕事は『建築士』。基本的には、建物の作り方を紙に書いて、大工さんにそれを造ってもらう仕事なんだ」


 リノが俺の真似をしながら首を傾げた。


「ケンチクシ?」

「そう。建築士。この街には、おそらく俺一人だけしかいないだろうがな」

「え? だんなさまのお仕事って、だんなさましかしてないの?」

「この世界――街だと、大工さんが図面を作って、その図面通りに自分で建てるみたいだからな」


 そういえば、この世界にやってきて初めて出会った山の鍛冶師ファミリー。俺の「建築士」という仕事を、ついに理解してくれなかったな。

 図面を引くなら当然自分で建てるだろう、図面だけ引いてあとは大工に任せるなんて職人の風上にも置けない、といった扱いだった。特にアイネのやつが。


「ね、だんなさま! ボクもなれる? ケンチクシ」

「なんだ、リノは建築に興味があるのか?」

「わかんない!」


 俺の真似をして、俺の正面で体を大きくねじりながらぐるりと回転させる。

 ワンピースの隙間から、ふくらみはじめた胸の、その尖端がちらりとのぞく。


 ――なんでこう、そういう瞬間だけ目に焼き付くかな。


「わかんないけど、ボク、だんなさまの弟子になるんでしょ? だったらボクも、ケンチクシになるのかなって!」


 くるりと身をひるがえす。

 大きく跳ね上がったしっぽのせいで、ワンピースのすそが大きくめくれ上がる。


 ……この澄んだ冷たい空気の中でワンピース一枚。

 小ぶりなおしりがあらわになるのもまったく気にしていない。


「寒くないのか、おまえは」

「んう? 寒いけど、だんなさまだって上はボクと同じで肌着一枚だろ?」


 ……だから、毛の一本も生えていない下半身を丸出しにして、平然とにこにこしてるんじゃない。少なくとも俺は、ちゃんとズボンをはいている!


「毛? そんなのどこに生えるの? しっぽのこと? しっぽならふさふさだよ?」


 ……後ろじゃない。




 朝食のあと、俺は子供三人を連れて、昨日と同じ現場に向かった。マレットさんが、笑顔で右手を上げて挨拶をしてくる。ヒッグスとニューとリノも、右手をめいっぱい高く上げて元気よく挨拶を返した。


「だんなさま! 今日のおべんと、おいしいかな! ボクたのしみ!」

「何も始めないうちから弁当の話をするな、せめて腹を空かせてからにしろ」


 リノが腕にぶら下がるようにしてきゃいきゃいとはしゃぐ。


「……なんだ、ムラタさんよ。昨日と違ってそこの嬢ちゃん、妙になついてるじゃねえか」

「うん! ボク、だんなさまのお嫁さんになる――」


 昨夜、リトリィが彼女をひっつかんでキッチンの奥にダッシュした時の気持ちが、今はよく分かる。なぜなら俺も今、リノの襟首を引っ掴んで建物の影に走り込んだからだ。


「……いいか? そーいうことは、俺とリノの二人きりの時に言うならともかく、外では絶対に言うな」

「どうして? ボク、なにか変なこと言った?」

「俺が、いずれリノを迎え入れること自体は変じゃない。だが、今のリノはまだ、十一歳だ。そういう話をするには早すぎる。まして今の相手はマレットさんだ、絶対に口走るな」

「どうして?」

「マレットさんは、マイセルの父親だからだ」


 俺の言葉に、リノは不思議そうに首をかしげた。


「……マイセル姉ちゃんの、お父ちゃん?」

「そうだ。マイセルは、あのマレットさんの娘さんだぞ」

「おっちゃん、マイセル姉ちゃんのお父ちゃんだったのか」


 リノは目を丸くした。


「知らなかった! 全然分かんなかった! だって似てないもん」


 実に素直なリノに、俺は思わず苦笑してしまう。


「そんなこと、間違っても言うなよ? マレットさんが泣くぞ」

「どうして?」

「どうしてって……」


 一瞬言葉に詰まるが、すぐに思い直す。


「そりゃ、親だったら子供には似ていてほしいって思うものだろう」

「だんなさまも、赤ちゃんは自分に似ててほしいって思うのか?」

「当たり前だろう? 愛する人との間に生まれる我が子だ、相手に似ているのももちろんだが、自分にだって似ていてほしいさ」

「そうなんだ……」


 リノは少しだけ考えるそぶりを見せたが、すぐに満面の笑顔で俺を見上げた。


「じゃ、ボクが産む赤ちゃんも、だんなさまに似てたら嬉しい?」

「お、お前な……! 急にとんでもないことを言うな!」

「どうして? ボク、だんなさまのお嫁さんになるんでしょ? じゃ、だんなさまが、ボクに赤ちゃんを産ませるってことでしょ?」


 ……それはそうだ。確かにそうなんだ。だがこのちんまい小娘が言うと、破壊力がありすぎる! 主に俺の社会的信用に対しての!


「そういう話をするには、お前はまだ幼くて早い」

「どうして? ボク、十一だよ? あと一年もすれば、ボク、きっと赤ちゃんを産めるようになるよ?」

「赤ちゃんを産めるとかそういう問題じゃない。そういう話は、結婚してから!」

「結婚なんてなんて関係ないよ?」


 リノは衝撃的な言葉を、にこにこしながら続けた。


「オトコノコなら十五まで待たなきゃ認められないけど、オンナノコはいくつだって関係ないから。オトコノヒトがにするって決めたなら、オンナノコは言うこと聞かなきゃ――」

「俺は!」


 思わず、それ以上を遮ってしまった。

 男性が愛人にと望めば、女性は何歳だろうと要求に応えなければならないだって?

 裏街の――かどうかは知らないが、そんな破滅的な倫理観を、俺たちの家庭に持ち込んでたまるものか!


「言ったろ、俺はめかけなんてとらないと!」

「だ、だんなさま……」

「昨夜も言った! 俺は君の未来に責任をもつ! そばに置く以上、君のことはいずれ必ず妻に迎える!」

「ほお……? 立派な心掛けだが、まずウチの娘を孕ませてからにしてくれると、ありがてえなあ……?」


 ……背後からの言葉に、俺は総毛立つ。


「ま……マレット、さん……? い、いつから……?」

「だんなさま、マレットさん、さっきからずーっとそこにいたよ?」

「そうだな……あんたが『子供は似ていた方が嬉しい』とか言っていたあたりだったか」


 ギャース! ほとんど最初っからじゃないですかっ!

 リノも、知っていたなら教えろッ!!


「というかあんた、自分が翻訳首輪をつけてるってこと、もっと自覚したほうがいいぞ? 十五、六尺(約五メートル)ほどは、あんたの言葉はだれにでも筒抜けなんだからな? たとえばこの家の、壁の向こうの住人にも、だ」


 ……なん、だと……?

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