第417話:小さくたってお嫁さんに

 夕食前から、ひどくリトリィの機嫌が悪い。

 その機嫌の悪さときたら相当なもので、食事中、マイセルや子供たちにはにこにことしているのに、俺に対してはひどく事務的な表情しか向けないところからもよく分かった。


 でも、彼女が俺のことを嫌いになったかというと決してそういうわけでもないのは、いつものように、俺の食器の中身を気にして声をかけてくれることからも分かる。

 分かるのだが、いざ接してみると怖いくらいに無表情で、『わたしは怒っています』という無言のアピールをしてくるのがまた、辛い。


 食事のあと、片付けの間も、子供たちの体を湯で拭いてやる時も、リトリィは、俺にだけはやたらと無表情を貫いていた。

 こんなにも不機嫌なリトリィを、少なくとも結婚してから見たことがない。俺はなぜ彼女がそんなに怒っているのか、まったく見当がつかなかった。


 だが、子供たちの前ではにこにこしているリトリィに俺も合わせるしかなく、困り果てつつも表面上はにこにこし続けるしかなかった。




「えっ? 今日も三人で暖炉の前で寝ていいのか!」

「ああ……しっかり寝ろ」


 ヒッグスが嬉しそうに手ぬぐいを床に敷こうとするので、俺は、マイセルにお願いして昼間のうちに古道具屋で見繕ってきてもらったものを準備する。


「毛布もあるぞ」


 昨日は暖炉の前でいつの間にか寝入っていた三人。

 手ぬぐいだけで床に直接寝ていた彼らのために、安物でいいからと、マイセルに買ってきてもらったのだ。しかしリトリィに買い物の目を鍛えらえてきたせいか、聞いた値段にしてはなかなか良いものを手に入れてくれた。これがあれば、昨日よりもずっとマシなはずだ。


 三人は顔を見合わせると、ヒッグスがためらいながら手を伸ばしてきたので、ちゃんと三人分あることを言って渡し、今日はカウチソファーで寝るように言う。


「遠慮するな。今日は頑張ったんだ、ゆっくり休め」


 ヒッグスとニューとリノは、それぞれおそるおそるソファーに体を横たえると、その柔らかさに感動したらしい。


「あったかいね!」

「やわらかいね!」


 三人で団子状になりながら、きゃいきゃいとはしゃぐ。

 俺はリトリィとマイセルを先に寝室に行かせ、その様子をしばらく見守っていた。


 やはり子供だ。

 あの冒険者二人も、フラフィーも、いろいろ懸念は示したが、子供たちが嬉しそうにしているのを見るのは、なかなかどうして悪くない。自覚していなかっただけで、ひょっとして俺は子供好きだったのか、と思うくらいに。


 もしかしたら、幼稚園や小学校の先生という道も、有りだったのかもしれない。

 そうしたら、午前二時過ぎあんな時間木村設計事務所あんな場所にいるはずもなく、この世界に落ちてくることも無かったかもしれない。

 そんなことを夢想してしまう。


 夕食にクノーブを食べたせいか、子供たちは一向に寝る気配もない。生まれて初めてコーヒーを飲んで、カフェインの効果で眠れなくなってしまった子供のようだ。

 仕方なく俺は暖炉に太めの薪をくべて、決して火には近づかぬように何度も念を押してから、寝室に向かった。


 すると、リノがひとり抜けて、俺についてきた。


「どうした? 水でも飲みに来たのか?」


 キッチンまで来てから聞いてみると、リノはまっすぐ俺を見上げ、こう言った。


「おれ……わたしは、いつ、ご、ご寝所しんじょに上がればいい……で、すか?」

「……え?」

「だ、だんなさま、は、おれ……わたしを、その……にするんだろ……でしょ?」

「……は?」


 あまりにも真剣な様子に、俺は目が点になったまま、固まってしまった。そんな俺に、リノはひどく真剣な様子で続けた。


「おれ、だんなさまにひどいことした。でも、だんなさま、怒らなかった……。おれになんにもこわいことしなかったし、ご飯食わせてくれたし、あったかい暖炉の前で寝させてくれたし、服、買ってくれたし、いろいろ褒めてくれたし、おいしいって言ってくれた」


 目をキラキラさせ、真剣な、けれどどこか嬉しそうな表情で、リノは一生懸命、言葉を紡ぐ。


「いまも、おれたちのために、ずっと見ててくれた。暖炉に火、入れてくれた」

「リノ、それは……」

「おれ、うれしかった。おれ、だんなさまにひどいことしたのに、優しくしてくれて、ほめてくれて。頭、なでてもらえて、お芋、おいしいって言ってくれた」


 その短い指を折り数えるようにしながら、リノは続ける。


「おれ、ほんとにうれしかった。だからおれ、だんなさまがにしたいなら、なっていい。ううん、おれ、だんなさまのになる」

「……お妾さんってやつが何をする人なのか、リノは知っているのか……?」


 自分でも驚くほど、俺の声はかすれていた。

 冗談であってほしかった。

 何か別の意味と取り違えていてほしかった。


「うん、知ってる」


 ――だから、素直にこくんとうなずいた少女に、俺は絶望する。


「おれ、前は、なんて死んだって嫌だって思ってた。隣の姉ちゃん、どっかの男のになって、でもあざだらけになって帰ってきて、病気で、うみだらけになって、すぐ死んじゃったから」


 ――大学で見たスライドがフラッシュバックする。

 本来、その年齢ならば罹患するはずのない、複数の性病に冒された、それでも売春宿から抜け出せない、東南アジアの少女たち――!!


「……けど、やさしくて、うまいご飯くれて、あったかい寝床くれるだんなさまみたいな人のなら、なってもいい。……ううん、なりたい」

 

 こんな小さな少女が、お妾さん――つまり成人男性の愛人になる、ということの意味を知っている――。

 そんな言葉すら知らなくていいはずの年頃の少女が、そのという現実。


 これが、現実か。

 この少女たちを取り巻く、現実だというのか。

 リノの目が、月明かりにきらきらと輝いているのがまた、辛い。


 あのにくらしいイタズラ坊主のような少女が、自身を女だと自覚し、男の欲望のままになる生き方を、選択肢として選んでしまう――それを当たり前のようにできてしまう、彼女が生きてきた環境。

 ――その環境がごく自然に存在する、この街という現実!


 いまさらに、あのクソ貴族野郎――フェクトール公の言っていたことが、俺の背筋を寒くする。


 奴は獣人族ベスティリングの女性を集めて、あの館に閉じ込めるようにしていた。

 でも奴は、それを救済だと言っていた。

 俺はそれを聞いて、なんて身勝手な奴だと憤慨した。女たちを閉じ込め、ハーレムを作っておいて、そのうえでの言い訳だと思い込んでいた。


 だが、こんな幼い少女が、会ってたった二日間しか経っていない男の愛人になることを選んだという現実に、俺は打ちのめされる思いだった。


 美味しい食事と暖かい寝床、そしてたった二日間しか接していない男性の「優しさ」。

 たったそれだけを信じて、自ら愛人になる道を選ぶ――そこにおそらく、彼女なりの幸せを見出してしまえるほど、過酷な生活をしている子供たちがこの街に――いや、目の前に存在するという事実。


「……どうして急に、その……リノは、俺のお妾さんに、なんて考えたんだい?」


 喉がカラカラに乾いて、かすれた声しか出ない。そんな俺に、リノは「だんなさま、声が変、だいじょうぶか?」と、気遣ってみせた。

 こんな小さな子に心配させてしまった自分が情けなくて、その頭をそっと撫でてやりながら、大丈夫だと伝える。

 リノはそれを聞いて安心したように微笑んだ。そして、続けた。


「兄ちゃんが言ってた。だんなさま、おれの頭、なでてくれて、おれの食べかけのもの、食べてくれた。だから、だんなさま、おれのこと、おめかけさんにしたがってるんだぞって」


 ……リノの頭を撫でて、リノの食べかけのものを食べた俺は、リノを愛人にしたがっている……?

 ちょっと待て、そんな訳の分からない話がどこから湧いて――


「――そっ……そういうことか!?」


 リトリィの機嫌がひどく悪かった理由が、やっと分かった!

 天井を仰いで、思わず頭を抱える。


 またやっちまったんだ、俺!!

 マイセルの時と同じだ!!


 頭を撫でるのは『櫛流くしながし』、同じものを分け合って食べるのが『いもみ』!

 祝言しゅうげんを挙げるのに必要な『ちぎかため』――結婚のために行う三儀式じゃねえか!


 頭を撫でるってのは、今この直前にもやっちまっていた!

 でもって食いかけのものって言うのは、たぶんアレだ! リノが小皿に持ってきた、半欠けのあの芋!

 おそらくあれは、割って持ってきたんじゃなくて、だったんだ! だからあのとき、「おれの」って言ったんだ、この子は!


 俺は努めて呼吸を整えると、最後に大きく息を吐いてから、できるだけ笑顔を作って、リノに視線を合わせるようにして片膝をついた。


「そうか、リノは兄ちゃんの話を聞いて、俺がリノをお妾さんにしようと思っていると考えたんだな? それは――」

「うん。だってだんなさま、今日、『契り固め』、ふたつもしてくれた。あとはだんなさまと、三回、いっしょに寝るだけだから」

「……それは、どこで聞いたのかな?」

「だんなさま、いくらおれが頭、あんまりよくなくったって、それくらい知ってら……知ってる、です?」


 リノは少し、傷ついたように視線をそらす。


「おれ……わたしだって、女の子だ……です?」

「す、すまない。リノはその……まだ小さいし、てっきり……」

「おれ、小さいけど、もう十一だ……です、お、お嫁さんになるだって、とっくに知ってら……です……よ?」


 すこしむっとした様子で、けれど頬を染めて、リノは俺を見上げた。

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