第416話:リトリィのやきもちは(2)
「リノちゃんは、エプロンが欲しいんですか?」
俺への険しい視線はどこへやら、改めてリノに向き合ったリトリィは、微笑みを浮かべながらリノに聞いた。
俺の手のひらが触れた自分の手のひらと俺の顔を、不思議そうに何度も何度も見比べていたリノは、すぐに笑顔になってリトリィにしがみついた。
「欲しい! 姉ちゃんみたいなかわいいの欲しい!」
「そう……。じゃあ、作ってあげますから、一緒にお夕食を作りましょう?」
「作ってくれるのか!? ホントか!?」
「ええ、お手伝いをしてくれる、いい子には」
「おれ、手伝う! いい子にする!」
それを聞いて、ニューもリトリィにしがみつく。
「ニューは? ニューも手伝うよ! だからニューにも作って!」
「はいはい。じゃあ、ニューちゃん、リノちゃん。お手伝い、よろしくね?」
「はい!」
「うん!」
そんなわけで、四人の女性がキッチンに立っている。
「何すればいい、教えろなさい!」
「リノちゃん、『教えてください』ね?」
間髪入れずマイセルのご指導。
「『教えてください教えてください』!」
「はい、よくできました。あとでご褒美ね」
「やった! ご褒美ご褒美!」
「リノだけずるい! ねえニューも! えっと、『教えてください』!」
「ニューちゃんも、あとでご褒美ね?」
ニューとリノは歓声を上げて飛び跳ねる。リトリィはそれをいさめると、エプロンの代わりだろう、ニューとリノそれぞれの腰に手ぬぐいを巻き付けてやった。
「……はい。じゃあ、二人とも、これの皮を剥いてくれますか?」
マイセルに渡された球根風の野菜に二人はさっそく飛びつくと、競争のように皮を剥きだした。やれやれ。
――とまあ、「できたーっ!」「おれ、もう二個目だもんねーっ!」というような歓声以外は静かになったと、目を離したのがいけなかったのかもしれない。
昼間に触れた大工道具に興味を持って、玄関に置いてあった大工道具をちらちら見ていたヒッグス。声をかけて使い方を教えてやると、彼は目の色を変えていろいろせがんできたのがかわいくて、夕食の準備が整うまで、庭で使い方を教えやることにしたのだ。
……そして、マイセルのちょっとした悲鳴が聞こえてきて、その時やっと気づいたんだ。――そう、「球根風の野菜」。よく見慣れていたがゆえにスルーしてしまった俺の失敗だった。
悲鳴を聞いて駆け戻ったキッチンでは、ひきつった笑いを浮かべるマイセルと、これまたひきつった笑みを浮かべて少女たちを褒めつつ、「どうしましょう?」と言いたげに俺をちらりと見るリトリィ。
そして山積みとなった球根風野菜の前で、やり切った感満載の爽やかな笑顔のニューと、マイセルの悲鳴で少し不安を覚えたのか、ややうつむき加減で上目遣いにこちらを見上げるリノ。
――見たことないよ、こんな山積みの
「コレってさ、……子供が食っても、『元気』になったり、するのかな?」
「……たぶん、だんなさまのおっしゃる『元気』とは違う、普通の意味の『元気』にはなるとおもいます、けど……」
「……そうか」
冷蔵庫もラップもないこの世界では、一度皮を剥いてしまった野菜の鮮度を確保するのは難しい。
そしてクノーブは、一度表皮を剥いてしまうと急速に劣化していく、傷みやすい野菜だ。一晩おいてしまったら、食べられる部分はもう、芯くらいしか残らないくらいに。クノーブは土を付けたまま保存しておくのだが、そんな性質によるものだ。
「……よし、食おう」
さすがにこの俺の決定には、マイセルだけでなく、リトリィまでもが俺を二度見した。二人そろって『正気ですか?』と言わんばかりに。
「ざる一杯もの
「……おれ……じゃなくて
やり切って満足気なニューと違い、リノは大人たちが困っているようだということは気づいたようだ。いつものやんちゃ坊主のような様子ではなく、妙にしおらしく耳を伏せ、しっぽも丸めている。
「そんなことないぞ?」
俺はしゃがみこんでリノに視線を合わせると、頭をつかむようにして、わしわしと撫でた。
「リノが頑張ってくれて、おっさんは嬉しいぞ? この野菜は傷みやすいから、おねーちゃんたちの話をよく聞いて、すぐにお手伝いの続きを始めてくれると、おっさんはもっと嬉しいな。……頼めるか?」
リノは、自分の頭をくしゃくしゃとやる俺の手を不思議そうに見上げていたが、俺の話が終わるとみるみる頬を赤らめた。そっと両手を伸ばし、頭の上にある俺の手に、自身の手を重ねる。
「おれ……っと、
……うん? リトリィ辺りに、しゃべり方を注意されたのだろうか。わたし、とかだんなさま、とか、しゃべり方がすこし、リトリィに似ている。
フリフリエプロンをエサに夕食の手伝いを始めたリノだ、きっとエプロン欲しさに、言葉遣いも直そうと頑張っているのかもしれない。
さっきは晩飯抜きなどという冗談を無神経に言ったがために、リトリィに叱られてしまった。せっかくやる気になっているリノの気持ちに水を差すわけにはいかないだろう。これ以上、リトリィに叱られたくもないしな。
「……そうだな、リノががんばると、おっさんは嬉しいぞ? 美味しいものを食べさせてもらえると、おっさん、もっと嬉しくなるな」
「おっさん……んと、
「ああ。だから、頑張ってくれよ?」
もう一度わしわしやると、今度は嬉しそうに喉を鳴らすような音を出した。
手を離すと、「あ……」と名残惜しそうに手を見上げる。
まあ、やる気になってはくれたようだ。さっきの不安そうな様子は、もう感じられない。とりあえず、また俺がリトリィに怒られるようなことはないだろう。
そう思って立ち上がると、リトリィもマイセルも、ものすごい目で俺を見ていた。特にリトリィは、若干、毛が逆立っている。というか、しっぽがパンパンに膨れ上がっている。
……やばい。俺、また、何かやらかしたか!?
今度は俺、リノのやる気を殺ぐようなことなんてやってないはず……だぞ!?
居たたまれなくなった俺は、ヒッグスに釘を持って来るように言い、慌てて庭に出た。釘打ちの練習ができるように、ノコギリの練習でバラバラにした
……俺、リトリィを怒らせるようなこと、なにもしてないよな……?
「だいぶ上手になったじゃないか」
「……でも、釘、いっぱい曲げちまったし……」
「いいんだよ。たった四半刻(約三十分)で格段の進歩だ。筋がいいぞ」
「そ、……そうかな? おれ、大工、なれそう?」
「ああ、なれるとも。道具に慣れてきたら、マレットさんの弟子になれるように紹介してやる」
俺が肩をぽんと叩くと、ヒッグスは嬉しそうに鼻をこすった。気が付けばすっかり暗くなってきたので、釘打ちの練習を終えて家に戻る。
「ヒッグス、道具の元あった場所、分かるか?」
「大丈夫だって! オレが片付けといてやる!」
ヒッグスが元気にドアを開けて入っていくと、ちょうど女性四人は味見をしているところだった。
「……これならだんなさまも喜んでくれますよ? ね? ニューちゃん、美味しいですよね?」
奥ではニューが、美味しそうに小さな芋をはふはふ言いながらかじっている。
「ほんとか? うまい? おっさん喜ぶ?」
「ええ、あのひとのお好きな味だと思いますよ?」
「おれにも食わせて!」
「はいはい……リノちゃんもどうぞ? はい、あーん。……あ、だんなさま、おかえりなさいませ」
リノが、ものすごい勢いでこちらを振り返る。
目が合うと、リノは口をもぐもぐやりながら小皿の上の芋と俺の顔を交互に見比べて、そしてこっちに駆けてきた。
「おっ……お、え、あ……だ、
そう言って小皿を差し出してくる。
「おいしくできました?」
「お、『おいしくできました』!」
なるほど。小皿を差し出してきたってことは、食ってみろと言うことだろう。
半球状の芋からは湯気が立ち上っていて、いかにもうまそうだ。リノも口をもぐもぐやっているし、きっとうまさに自信があるのだろう。
「どれどれ、……おお、うまい!」
ひょいとつまんで食べてみると、芋は口の中でほろりと崩れた。十分に味が染みていて、美味しい。食べ慣れた味――リトリィの得意の味付けだ。俺の好物の一つ。
「リノもお手伝い、頑張ったんだな。美味いよ。ありがとう」
そう言ってわしわしと頭をなでる。リノはぽかんと口を開け、されるがままだった。
「……おっさん……いいの? 食って?」
「うん? 俺に食わせるために持ってきてくれたんだろう? ありがとな」
「それ……おれの……」
……
――リノの?
リノが食おうとしていた奴を、俺が食っちまったってことか!?
しまった、そういうことか!
リノは、リトリィから味見用に芋をもらった。そこに俺が帰ってきたから、リノは成果を見せるために俺のところに持ってきたに違いない。
ところが、その芋を、俺が誤解して食べてしまったんだ。
呆然としたような顔は、つまり自分のものを目の前で奪われてショックを受けているのだろう。
またもらえばいい、なんなら夕食時に食べることができる――そんな理屈は、子供には通用しないだろう。目の前の「自分の」ものを奪われた、その衝撃はきっと大きいに違いないのだ。
……やらかしたッ!!
「ご、ごめん、リノのだったのに、俺が食っちまったんだな? 悪かった! リトリィたちに代わりを――」
焦りながら言うと、リノは不思議そうに小首をかしげた。
「なんで謝るんだ? おっさ……
「うん? ……ま、まあ、うん、そう……だな。……うまかった、よ?」
俺の返事に、リノは頬をバラ色に染めると、いままでのやんちゃ坊主ぶりからは想像もできないような恥じらうそぶりを見せながら、とつとつと続けた。
「だったらおれ……わたし、う、うれしい、から……。おっ……だんなさまがそのつもりなら、わ、たし、だ、だんなさまの、お、およ……」
だが、その言葉を最後まで聞くことはできなかった。
リトリィがものすごい勢いでリノを抱きしめ、そのままキッチンの奥まで連れて行ってしまったからである。
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