第414話:スカートの下の神秘
「ムラタ、無理すんなよ? おめぇが無理すると、リトリィも無理するのは目に見えてるんだからな」
そう言って、日焼けスキンヘッド義兄は山に帰って行った。メイレンさんとモーナちゃんも一緒だ。
「……じゃあ、仕事、行ってみるか?」
「シゴト! シゴト! パンくれ、パン!」
リノが嬉しそうにまとわりついてくる。といっても、俺が肩から下げている鞄の中身が目当てのようだ。ヒッグスとニューは、やや遠巻きについてきた。
「だめですよ? リノちゃん、お弁当はお仕事をしてからです」
勝手に鞄を開けようとしたリノに、リトリィがそっと注意をすると、リノは元気に返事をした。
「わかってる! 見たかっただけ! シゴトしたらパンくれよ!」
「リノちゃん? 『パンをください』――言ってごらんなさい?」
「……『
……やっぱりリトリィの発音を忠実に発音すると、そうなるか。翻訳された言葉と音声多重で同時に聞こえてきた本来の音は、リトリィの発音に似た感じの音。
逆に言えば、リノはちゃんと正確に音を聞きとって、それを口にしようとしたわけだ。
「ふぁんをくらはい! これでいいか姉ちゃん! ふぁんをくらはい!」
褒めてほしそうに何度も繰り返すリノに、リトリィが何度か訂正をするが、リトリィ自身の発音の問題もあって、当然のようにうまくいかない。もどかしそうにしているのが辛くて、俺はつい、口を出してしまった。
「……マイセル、ごめん。頼めるか?」
俺の頼みに、マイセルはリトリィの顔を上目遣いにうかがうようにしたが、やがて、正しい発音で、リトリィと同じことを言った。
「……パンを、ください?」
「――そう、よくできました。いい子には、あとでごほうびをあげますからね? マイセルちゃんも、ありがとうございます」
リトリィが褒めると、リノはうれしそうに何度も「パンをください! パンをください!」と連呼しながらまとわりついてきた。
その有様を、リトリィもマイセルも苦笑しながら、けれども優しい目で見守る。発音のことでリトリィのコンプレックスを刺激しないか、すこし不安だったのだが。
「姉ちゃん! 『パンをください』、これでいいか!」
褒められて、ご褒美までもらえると知ったせいか、ヒッグスとニューも、マイセルに飛びついて発音を真似し始めた。目を白黒させながら教えるマイセルに、二人が何度も確かめる。
そんな様子を見ながら、リトリィがぽつりとつぶやいた。そっと、俺にすらほとんど聞こえないくらいの小声で。
「……ごめんなさい、あなた。わたし、やっぱり言葉はうまく、おしえてあげられないです……」
――けれど俺は翻訳首輪をつけている。かすかにでも聞こえれば、その意図はちゃんと翻訳されて伝わってくる。もちろんリトリィはそれを十分にしっているはずだから、それを分かった上でのつぶやきだったんだろう。
ああ、やっぱり駄目だった! 表面上は笑顔を絶やしていないが、こんなことをわざわざ俺に言うってことはやっぱり相当ショックだったようだ。
俺はそっと翻訳首輪を外すと、リトリィに握らせた。小首をかしげる彼女に、俺はそっと、小声で話す。
「大丈夫だよ。言葉についてはマイセルにお願いしたことだし、リノ自身はリトリィに懐いているみたいだし。ヒッグスも、ニューとリノも、そのうち自分でちゃんとなんとかできるようになるさ。それまでの間だけだし、それに――」
一息置いて、続ける。「――俺はリトリィのしゃべり方と声が、大好きだから」
俺が翻訳首輪をつけたまま話すと、周り全ての人に聞こえてしまう。俺はリトリィだけにこの言葉を届けたかった。だから、彼女に握らせたんだ。
リトリィは目を大きく見開いて俺を見上げ、そして、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。しまった、と思ったが、彼女は泣きながら微笑むと、そっと俺に翻訳首輪を返して、小声でつぶやいた。
「……わたしも、あなたのお声、ふしぎなお
泣かせてしまった――そう思ったが、リトリィはそう言って、少しだけ身を寄せてきた。
「大好き」――リトリィは確かに、
「……姉ちゃん? 泣いてるのか? どうした? 腹、痛いか?」
リノが跳び回るのをやめて、リトリィにしがみつくようにして彼女を見上げた。リノなりに、懐いた相手のことを心配しているらしい。リトリィは指で涙を拭きながら、なんでもないですよ、と微笑む。
だが、リノの質問は止まらない。子供の好奇心は困ったものだ。
「……あの、だんなさま。お仕事は、どちらで?」
リトリィが困り感たっぷりの苦笑いで俺を見上げて聞いてきた。話をそらしたいらしい。俺も苦笑しながら答えた。
「マレットさんが、しばらく人足として雇ってくれるそうだからな。ついでにこいつらをねじ込んでみるさ。雑用ならいくらかできるだろうし。リノ、お仕事が済んだらお弁当だ。リトリィ特製のお昼ご飯だぞ?」
途端にリノの目が輝く。
「『オベントー』って昼飯のことか!」
「『お弁当』、な? お弁当っていうのはな、外に持ち出して食べる食事のことだ。俺の奥さんたちの飯は美味しいんだ、お弁当も絶対に美味しいぞ?」
「おべんとー! おべんとー! 絶対『おいしい』おべんとー!」
しっぽを大きく振りながら、リノが跳ね回る。
にぎやかな三人を連れて歩く俺たちは、かなり目立つ存在だったに違いない。実際、すれ違う通行人の中には、俺たちに迷惑そうな目を向ける人たちもいた。
ああ、騒ぐ子供のことでぺこぺこ頭を下げる親っていうのを電車の中とかで見たことがあるが、こういう気持ちだったんだな。
「リノちゃん? あまり走り回らないで。危ないから。こっちにいらっしゃい」
マイセルに呼ばれて、リノがマイセルに突撃して飛びついた。
しっぽが大きく振り回されるせいでワンピースが大きくひらめいて、かわいらしいおしりが丸見えだ。だから、実はさっきから前を走り回られるたびに、目のやり場に困っている。走り回るなと何度言っても聞かないし。
そのワンピースだが、昨日よりはだいぶマシになっていた。
昨日、子供たちを家に迎えた時点で、あんまりにも汚れていた子供たちの服は洗濯した。生地がだいぶ傷んでいたから、それ以上傷めないように洗うのが少し手間だったらしいが、マイセルもリトリィも頑張ってくれた。
おかげでリノのワンピースは色が白だと分かるし、擦り切れ、ほつれたところは、リトリィとマイセルが繕ってくれたから、まあ、ちょっと傷んではいるけれど見られないほどでもない。
乾くかどうかだけが心配だったが、暖炉の前にぶら下げておいたことで、かろうじて着られる程度には乾いてくれた。
ただ、やはりこの冬にワンピース一枚だの、穴だらけのシャツ一枚だのでは、見ている方が寒くなってくる。子供たちは平気な顔をしているが、これから行く仕事先でもそんなかっこうをさせているわけにはいかない。
特に、しっぽのせいですぐにおしりが丸出しになるリノ。せめて下ばきをはかせないと。
「……やだ、しっぽのじゃま」
「だめですよ? 女の子なんですから、しっぽは隠すものですよ?」
リトリィに諭されても、「やだ! 姉ちゃんもしっぽ、出してるだろ!」と、駄々をこねるリノ。
「わたしは結婚していますから。赤ちゃんを産むまでは、しっぽを出していていいんです。リノちゃんも、結婚したら出していいですから、いまは隠しましょうね?」
「やだ! しっぽのじゃま、気になる!」
ヒッグスもニューも、すでに購入した服を着ている。どちらも、リトリィが厳選に厳選を重ねた、値段の割に上質な服に身を包んでいる。
リトリィの買い物が長いことには、もうある程度慣れたはずの古着屋のおっちゃんですら苦笑いするくらいの厳選具合だった。そのせいか、リトリィが選んでいる間、子供たちの方がすっかり飽きて、うんざりしていた様子だった。
だがいざ着てみると、その肌触りや暖かさに感激したのだろう。あちこち撫でまわしたりくるくる回ってみたりして、しばらく声も出ない様子だった。
それでも、リノは納得しない。しっぽを包むレースの飾りが、どうしても気に入らないようだ。しっぽを通すための切込みが入った下ばきにも、違和感があるらしい。
ケモ耳少女とメイドさんをこよなく愛していた、かつて木村設計事務所で同僚として働いていた同期の島津のオタク知識によれば、おそらくドロワーズというものに近いのだろう。短パンみたいな下ばきなんだが、どうもリノは、そもそも下ばきをはいたことがなかったらしい。
「やっぱり下ばき、やだ! しっぽの付け根、ムズムズする! ホントに姉ちゃん、こんなのはいてるのか?」
「はいていますよ。ほら、ヒッグスくんもニューちゃんも、お着替えを終わっているでしょう?」
「だって変な感じする! ほんとに姉ちゃんもはいてるのか!?」
そう言って、リノはとうとう動いた。――動いてしまった。
「……ほんとだ! 姉ちゃんも下ばきはいてる! でもおれのと違う! 小さいしスケスケだ! おしり丸見えだぞ!」
リノが、リトリィのスカートを大きくめくったのだ。
ふわりとひろがったリトリィのスカートの下――その繊細かつ煽情的なレースの下ばきに覆われた、金の毛並みに包まれた大きくて肉感的なヒップが姿を現す。
しっぽを通すためのスリットから生える金色の尻尾、その上で結ばれたリボンも可愛らしい。
リトリィが悲鳴を上げてスカートを押さえるが、リノの暴走は止まらない。
「なあ姉ちゃん! 姉ちゃんの下ばき、おしり丸見えなんだけどなんでだ? それになんでそんなにちっちゃいんだ? なんでおしりにぴったりなんだ? 下ばき、はいたままでおしっこ、どうやるんだ!? あれ? 股のとこだけ開いてらあ!」
リノにとっては、リトリィのスカートの下――その腰回りは神秘の宝庫らしい。スカートをめくり続けては、大声で素直に驚きと感動を表すリノに、リトリィの悲鳴が止まらない。マイセルが止めようとしても、止まらない。
……ごめん、リトリィ。俺がその立ち位置を代わるわけにもいかないんだ……がまんしてくれ。
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