第413話:働けば食べれる
「おっさん、おれに大工をやれってのか?」
パンをくわえたままもごもごとしゃべるヒッグスに、俺は笑顔で続けた。
「大工になれとは言っていない。日雇いの仕事でお金を稼ごうとは思わないかと言っているんだ。俺は建築関係者だから、その筋の仕事は紹介してやれるからな」
しかしヒッグスは、くわえたパンを口から離さぬままに、俺を上目遣いに見返す。
「だから、大工仕事やれってことはさ、おれ、大工にされるんだろ?」
「違う違う。仕事の手伝いだ、大工にならなきゃいけないわけじゃない。手伝ってくれたらもちろん給料は出すぞ。昼飯付きでな」
この三人の中ではヒッグスが一番年上らしいから、決定権もおそらく彼にあるだろう。彼が納得しないと、多分二人の少女も付いてこない。そう考えて、給料と、そして賄い付きを保証してやることにする。
無理矢理やれと言ってもだめだ、エサで釣るみたいだが、どんな理由だろうと、その「欲しい」と思う理由さえあれば、人は頑張れるからな。
すると、意外な方向から釣れた。
「昼飯付き!?」
猫耳娘のリノだった。しっぽがピンと伸びて、三角の耳をまっすぐこちらに向けて、目をきらきらと輝かせて前のめりになっている。ああ、両手に握ったパンが潰れてるよ。
「ほんと!? ほんとに昼飯食えるのか!?」
「……あ、ああ。何なら、そっちのお嬢ちゃんたちも作業を手伝ってくれれば、ちゃんと給料は出すしもちろん昼飯もつけるぞ」
「ほんとか!? ほんとに飯、くれるのか!?」
「もちろん、それなりの働きはしてもらうけどな」
三人で相談してみてくれと言うと、三人はさっそく顔を付き合わせてぼそぼそと相談し始めた。
「……なあ、おっさん」
ヒッグスが、こちらに振り返った。上目遣いに、ためらいがちに聞いてくる。
「……本当にカネがもらえて、飯も食えるのか?」
「あらかじめ言っておくが、俺も別に対して金持ちというわけじゃないからな。一回働くだけで、しばらく遊んで暮らせるようなカネを出してやることはできないからな?」
そういうと、それまで黙ってパンをもくもくかじっていたモーナが、たしなめるように言った。
「おにーちゃん、だめだよ? ちゃんとおじちゃんのおてつだいしなきゃ。モーナもお母さんのお手伝い、がんばってるよ?」
ヒッグスが目を丸くし、そして眉間にしわを寄せたのを見て、あわててこちらに話題を取り戻す。
「ヒッグス。贅沢は約束できないが、俺の手伝いをしてくれるなら三人で食べられるぶんぐらいは出すし、もちろん働いてくれたぶんの昼飯は出すぞ? 万が一、万が一理由があって俺の収入が予定以下で、お前たちが十分に食べられるだけのお金が手に入らなかった場合でも、その分、晩飯と朝飯は保障しよう」
俺の言葉に、ヒッグスがまた考え込む仕草をみせた。だが俺の言葉を聞いて、リノが首を伸ばし、しっぽを振りながら聞いてきた。
「なーなー、カネなんていいからさ、あったかい朝飯と晩飯、食べたいけど、だめか?」
「それは構わないが……。どっちにしても、仕事をしてくれたらという条件は変わらないからな? それにお金がいらないだなんて、あとの二人は納得するのか? そのあたりはちゃんと相談したほうがいい」
「なーなー、『シゴト』って、何すればいいんだ?」
こちらの話を聞いているのかいないのか。だがリノに問われて、小さな子供にもできそうなことを並べてみる。
「そうだな……例えば道具や荷物を運んだり、働いている他の人のために使い走りをしたりすることかな」
「お昼ご飯って何食えるんだ?」
「そうだな……リノ、お前がさっきから食いまくっているそのパンに具を――」
言い終わらないうちに、リノは両手に握っていた、すっかり潰れてしまったかじりかけのパンを見ながら歓声を上げた。
「すげえ! こんなうまいもんを毎日食えるのか!? やるやる! シゴトやる! カネいらない、朝昼晩食えるなら!」
しっぽを振り回すばかりの勢いでリノが手を挙げた。
「ニューも兄ちゃんもやろうぜ! こんなうまいもんを毎日食えるんだぞ!」
これは、まず言葉遣いを教えてやらなきゃいけないな――俺が苦笑しながら残り二人を見守っていると、ヒッグスもニューも、互いに顔を見合ってから首を横に振った。
リノが目を丸くし、ヒッグスの肩を揺さぶる。
「なんでだ? 毎日飯が食えるんだぞ? やろうぜ!」
「リノ、カネがいらないって、なに言ってんだ! それにいくら飯が食えるたって、どんなことやらされるか分からないんだぞ?」
「そんなことって言ったって、おれたちにこんなうまい飯を食わしてくれた人たちだぞ? 何か問題あるの? なあ、シゴトやろうぜ! すっぱくないしやわらかいしあまいしうまいし! おれこんなうまい飯、毎日食えるなら絶対やる! シゴトやる!」
……つまり、日々食べているものは傷みかけた残飯ばかりということだろうか。そういうことを聞いてしまうと、本当に胸が痛む。リノが両の手に握りしめているのは、パンばかりなのだ。よほど、リトリィのもちもちパンが気に入ったらしい。
「バカ! リノちょっとこっち来い!」
ヒッグスに呼ばれて、リノはニューと共に部屋の隅に行った。
「いいかよく聞け。大人ってずるいんだぞ! 言ってないことを言ったって言ったり、言ったことを言ってないって言ったりするんだ。それにおれたちを働かせてカネをくれても、その何倍も自分の財布に入れちまうんだぞ!」
ヒッグスが小声で叱るが、リノはきょとんとしてよく分からない様子だった。
「でも金色の姉ちゃんは優しいぞ?」
「そんなのわかんないぞ? あの金色姉ちゃんがいくら優しくたってな、姉ちゃんのオトコが人でなしかもしれないだろ!」
「でかい黒いおっさんなら、見た目怖いけど優しそうじゃん」
「おれが言ってるのはあのヒョロいおっさんだよ! 見た目弱そうに見えてもああいうのは結構、ハラグロだったりするんだぜ! おれはくわしいんだ!」
……よかったなフラフィー。子供には優しそうなおじさんで通ってるじゃないか。俺は何故か腹黒男にされてるのに。
「大丈夫だって! もし何かあってもあのおっさん、めっちゃくちゃ弱いから! おれが金玉と顔を蹴っ飛ばしたの、見ただろ? なんかあったら、やっちまえばいいんだよ」
「声がでかいって!」
ニューが慌ててリノの口を塞ぐ。だが残念ながら、翻訳首輪をつけている俺には三人の会話は完全に筒抜けなんだよ。
どんな小声でも、俺の耳に入るような距離にいる時点で全ての会話の意図は理解できちまうんだよ。――まあ素知らぬ顔をしているが。
ただ、子供の声というのは基本的に甲高いからな。本人たちはぼそぼそ小さな声で喋っているつもりでも、実はよく聞こえていたりする。
現にフラフィーのこめかみがヒクヒクと痙攣しているのは、おそらく筒抜けの話に、色々思うことがあるからだろう。だが、俺が黙っているから言い出せないんだろうな。
「おいおっさん」
「何かな」
話をまとめたヒッグスが、やはり上目遣いに聞いてきた。
「本当にカネと飯、出すのか?」
「きちんと仕事をしてくれれば、君たちが一人一人食べていけるだけのお金を渡す。もちろん昼食もだ。だが、万が一お金を渡せるだけの収入を俺自身が得られなかった場合は、その日の晩御飯と、次の日の朝食を約束する」
「……ほんとにほんとだな?」
「なんなら、証文を書こうか?」
にっこりと笑ってみせると、ヒッグスは気まずそうにそっぽを向いた。
対照的なのはリノだ。両手を挙げて思いっきりパンを見せてくる。握りつぶしたそれを。
「おれパンがいい! このパン美味いから! カネはいらないから、このパン食わせてくれ!」
「お金が要らないかどうかはともかく、パンはこっちの女の人――リトリィが作ってくれるから、聞いてみるといい」
俺が促すと、リノはリトリィのところに駆け寄った。
「お姉ちゃん、パンうまい! うまいからもっと食わせてくれよ!」
「いいですよ? わたしも、おいしそうに食べてもらえたらうれしいですから。でもね? ムラタさんに対する言葉遣いに気を配ることができるなら、もっと美味しいものを食べさせてあげますよ」
戸惑いながらも微笑みながら、しかし釘をさすリトリィ。その言葉に、リノは慌てて背筋を伸ばす。
「おっさん! パン食わせて……」
言いかけて慌てて訂正をする。
「えっと、おっさん! パン食わせてくれ……じゃなくてパン食わせてくれ、……なさい?……あれ?」
リノが一生懸命、奇妙な言い回しで何とかしようとしているのを見て吹き出しそうになるのを必死でこらえながら、俺はしかめ面をしてみせた。
「う~ん……。惜しいなあ。パンを食べさせてくれの前にまず一つ、やることがあったな?」
「えっとえっと……シゴト!」
「そうだ。……そうだな、さっそくだが今日からやってみるかい? 仕事があろうとなかろうと、まずは顔を出せたなら、昼食は出してやろうじゃないか」
「やるやる絶対やる! おれがんばるからパン! パンくれよ!」
「リノちゃん? 言葉は? わたしは、わたしのだんなさまに失礼なことをするひとには、本気で怒りますからね?」
「えっと、やる……
リトリィに飛びついてしっぽを振るリノに、俺もフラフィーも、互いに顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
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