第411話:独りよがりと戒めと

「……しばらくうちに置いてやるしかないか? 仕事を積み重ねることで、信用を得られるようになるまで……」


 ため息をつく俺に、フラフィーはまた、顔をしかめた。


「だから、なんでおめぇが世話をする話に戻るんだ?」

「仕方ないだろう。関わった以上放り出すことはできない。食わせて終わり、が無責任なら、俺があいつらを手元に置いてきちんと躾けて、自分で食っていけるようにしてやらないと――」

「だから、なんでおめぇが世話をする話に戻るんだ!」


 フラフィーが声を荒げてテーブルを叩いた。


「そもそも、ガキどもがそれを望んでいるかどうかも聞かずによ!」

「聞いたって無駄だろう、フラフィー。スラムに戻ったとして、あの子たちが真っ当に暮らしていけるのか? お前が言ったんだぞ?」


 俺もいまさら引っ込んではいられなかった。


「あの子供たちを真っ当に食っていけるようにするなら、やっぱり働ける環境を与えてやらないとだめだろ。そのためには、誰かがとりあえず身元を保証してやる必要がある。あいつらが望んでいるかどうかなんて関係ない。少なくとも温かい寝床を与えれば、あいつらだって文句はないはずだ」


 だんだん声が大きくなってしまったが、関わってしまった以上、しばらくは面倒を見てやるしかない。もしかしたら子供たちは働くこと自体に不平を言うかもしれないが、暖炉の前で丸まるあの子供たちを見れば、スラムに戻りたいかどうかなんて聞くまでもないだろう。


 その時だった。

 背後から、ためらいがちな声を投げかけられた。


「あなた……。それは、あの・・お貴族さま・・・・・がおっしゃっていたことと、違う?」


 ――リトリィだった。洗い物をすべて片付け終えたのだろう。

 それよりも、彼女の言った言葉の意味だ。


「……あの・・お貴族様・・・・……って、まさか、あのフェクトール公クソ野郎のことか?」

「わたしは、それ以外のお貴族さまを存じません」


 ……ちょっと待て。

 俺のどこが、あのリトリィを監禁したクソ野郎と一緒だって言うんだ!?


「だって……」


 リトリィは、一瞬だけ言いにくそうにうつむいて、けれどまたまっすぐ俺を見つめてひと息置いてから、続けた。


「あの子たちのことを、一生懸命お考えになられているのはわかります。……でも、あの子たちの望みを『聞くだけむだ』、『寝床さえ与えれば文句はないはず』だなんて。わたしのことを、こんなにも大事にしてくださるあなたの言葉とは、とても思えません」


 リトリィの言葉に、俺は思わず立ち上がってしまった。


「ちょっと待て、リトリィ! 俺はあの子供たちがこれから生きていくための力をつけるために、まず寝床を提供しようって話をしただけだ。スラムは、子供だけで生きていくには過酷な場所だ。リトリィもそれは分かってるだろう?」

「わかります。でも、だからあの子たちの言うことを聞かなくてもいいというのは、ちがうと思います」

「リトリィ、俺はあの子たちのことを真剣に考えて――!」

「あのかたも、わたしたち獣人族ベスティリングのおんなたちのことを、真剣に考えていましたよ?」

「リトリィ!!」


 ついに俺は、声を荒げて彼女につかみかかってしまった。


「俺があんな男と同じだというのか。獣人族ベスティリングの女性たちを、薬物すら使って言うことを聞かせ、服従させていたあの男と!」

「はい。同じです。あのかたも、いまのあなたも、真剣に、よかれと思って、それで――」


 血液が沸騰した。

 そんな思いになった。

 たちまち顔が熱くなった。

 なぜそんなことを言えるんだ。

 なぜあの男をかばうようなことを。

 そしてその言葉が、思わず飛び出した。


「リトリィ! お前、やっぱりあの男と――!」


 その瞬間だった。

 脳天にすさまじい衝撃を、俺は確かに感じた。

 痛いとかそういうものじゃなくて、ただ純粋な、衝撃だった。

 最後に感じたのは、顔を平たく硬いものにぶつけた衝撃と、そして、愛しいはずのひとの悲鳴だった。




 頭に鈍痛が響く。目を開けるのもおっくうだ。


「い……てて、まったく、おめぇはホントに、ムラタのことになると見境がなくなるな」

「お兄さまが悪いんです。ムラタさんの頭をおもいっきりたたいたでしょう。だんなさまを傷つけるひとを、わたしはぜったいにゆるしません」

「だからっておめぇ……。久しぶりにおめぇの爪の鋭さを実感したぜ。まったく、これじゃアイネの顔と区別がつかねぇだろう」


 誰かの話し声がする。どうやら、フラフィーがリトリィに引っかかれてできた傷を、リトリィに消毒してもらっているらしい。けんかでもしたのだろうか。


「……お兄さまがわるいんですからね。わたしはムラタさんになら、なにを言われてもだいじょうぶなんです。ムラタさんは、とてもあたまのいいひとです。いまは気持ちがたかぶっていただけで、あとできっとわかってくださいます」

「でもよぅ……こんなに一途な妹の不貞を疑うような奴を、兄ちゃんはだな……」

「だから、ムラタさんはあとできっとわかってくださいますから。そういう方なんです。お兄さまが早とちりをしただけです」

「そうですよ」


 リトリィに同意する声は――ああ、メイレンさんか。


「ご夫婦のことはご夫婦で解決しなければならないっていうのに。割り込んだあなたが悪いんですよ? うちでもそうでしょう?」

「い、いや、だから、ムラタが妹を疑うようなことを――」

「あなた?」

「……すまねぇ」


 目を閉じたままだが、メイレンさんとフラフィーの会話で、その二人の様子がありありと目に浮かんできた。妙なおかしさをかんじる。


 それにしてもだ。

 俺が、リトリィを疑うだって?

 リトリィの不貞を?

 リトリィの、不貞……?


『リトリィ! お前、やっぱりあの男と――!』


 自身が言った――言ってしまった言葉が、唐突によみがえってくる!

 絶対に言ってはならない言葉。

 彼女の貞節を疑ってしまった言葉。


「リトリィ! 俺はなんてことを――」


 全力で起き上がりながら言いかけて、頭から首にかけての痛みに、思わず頭を抱え込む。


「む、ムラタさん! 大丈夫ですか? まだ頭が痛いんですか!?」


 マイセルの声だ。すぐ隣にいたらしい――と思ったら、どうも俺は、マイセルの膝枕でソファーに寝転がっていたらしい。

 起きあがった勢いで放り出された手ぬぐいを拾うと、マイセルは痛むところはないかとしつこく聞いてきた。

 少し面倒くさいとも思ってしまったが、俺のことを心配してくれているのだ。その栗色の髪を撫でながら礼を言うと、たちまち顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


「……リトリィ、すまない、その……俺は、とんでもないことを口走ってしまって……」

「いいえ?」


 リトリィは手早くアイネの顔の処置を済ませると、俺のもとにやってきてしゃがみ込むと、視線を合わせて微笑んでみせた。


「だんなさま。だんなさまがお怒りになるのもわかります。わたしはそれだけのことを申し上げましたから。申し訳ありません」

「ち、違う! リトリィは俺をいさめようとしてくれた、そうだろ!? なのに俺は見当違いのことを――!」

「ふふ、それだけだんなさまが、わたしをひとときだって手放したくない、ひとりじめしていたいっていう思いが、伝わってきましたから」


 ぱたぱたと、伏せ気味にせわしなく揺れる耳が、彼女の内心を物語っている。

 ――嘘だ。

 きっとショックだったはずだ。俺に疑われたことが。

 なのに、そんな、笑顔で。


「……ごめん。俺は、本当に……」


 胸が痛い。えぐられるようだ。

 彼女が俺以外の男性になど、あり得ない――そう信じている、信じていた、はずなのに。


 どうして俺は、彼女のひたむきな愛を、信じきれないのだろう。

 自分の醜い独占欲が、疑り深い嫉妬心が、彼女を束縛せんとする執着心が、あまりにも情けなく、そしてみじめだった。


「君の言う通りだ……。俺は、あの子供たちのためなんだからいいと思って、でもそれはただの自己満でしかなくて――」


 ぐだぐだと続けようとしている自分に気づいて、その後の言葉を飲み込む。

 改めて自分の情けなさを思い知る。自分のことを受け入れてくれるリトリィだからこその甘えだ。


 なにも繰り返さなくていい。

 フラフィーとリトリィの二人に言われた通りだった。確かに、あの貴族と俺とでは、やれることの内容も規模も違う。でも自分が正しいと思うことを相手に押し付ける……そのグロテスクさにおいて、俺も、あの貴族野郎も、同じだったんだ。


「あなた? また悪いくせがでていますよ? なにかお悩みになるときには、ちゃんとわたしたちにおはなししてください。わたしたちは、そのためにあなたのおそばにいるんですから」


 リトリィの言葉に顔を上げると、マイセルが不安げに俺の顔をうかがっていた。……そうだ。俺にはもったいないくらいの妻が、二人もそばにいてくれている。俺の決めたことについて来てくれて、そして、支えてくれる二人が。


「まったく、山にいたころからおめぇは変わらねぇな。ぐだぐだ悩むな、失敗したらこうするんだ」


 そう言って、フラフィーは目をかっと見開くと、真正面に俺を見据えながらでかい声で言い放った。


「すまん! 妹を疑ったクソ野郎を見てあんまりにも腹が立ったんでぶん殴った! 許せ!」

「……どこにそんな堂々と許しを要求する謝罪があるんだよ……」


 一ミリも頭を下げる様子のない謝罪の仕方に、俺も苦笑しながら、あらためて己の非を認めざるを得なかった。


「もういいよ。俺も独善的すぎたし、それを戒めてくれたリトリィにはむしろ感謝すべきだったんだから」

 

 俺は、両頬に平手を打ち付けた。ぐだぐだ悩んでいても仕方がない。


「……そう、だな。明日の朝……朝食をとってから、今後どうしていきたいか、あいつらからちゃんと話を聞こう」


 俺の言葉に、リトリィはにっこりと笑ってくれた。

 

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