第409話:甘さ
「だんなさまは、こんなわたしを見出して、愛をくださいました。だったらわたしは、どこまでもついてゆくだけです」
そう言いながら皿におかわりを盛りつけるリトリィに、ヴェフタールは貼り付けていた笑みを取り外してため息をつくと、アムティに声をかけた。
「聞きました? 子猫ちゃん。こんなにも蕩けるように甘い言葉をよどみなく口にできる、一人の男性に一途な女性がいま僕の目の前にいるんですけど。これって幻覚ですかね?」
「あァ? 現実だよォ? アンタこそ、一途なオンナを目の前にしてなに言ってんのさァ。寝言は寝てから言いなァ?」
「一途? 一途な女とはどこに?」
「……オイ、本気で言ってるゥ?」
「あ、アム……喉元を締めるのは反則……!」
いつもの夫婦三人ではなく、フラフィー家の三人に加え、子供たちが三人、そして冒険者が二人。メイレンさんも一緒に手伝ってくれているとはいえ、リトリィもマイセルも、給仕にてんてこ舞いだ。
だからといって、俺も手伝おうとすると、やんわりと断られて座らされる。一家の主人は、どっしり座って客の相手をしていろ、ということらしい。
だが今は、一人の冒険者の命が、一人の冒険者によって風前の灯火となっている。俺はこいつらに、なんと声をかければいいのだろう。
「アンタは、誰に向かってモノ言ってんのさァ……? 一途なオンナなら、今ココ、目の前にいるだろォ……!?」
「い……一途の、定義が、乱れる……ッ!」
「ま・だ・言・う・か・い?」
「あ……アム、ちょ……、ウボァー」
しまいには白目を剥いたヴェフタールだが、そんな二人を見てリトリィが楽しそうに微笑んだ。
「ふふ、仲がいいですね、あのおふたりさん」
「な、仲がいい……のか?」
「わたしを助けに来てくださったときの、あのおふたりさんでしょう? いつも一緒にいらっしゃるんですね」
言われてみれば、彼らにはこれで三回世話になったけど、三回とも、あのペアだよな。いわゆる「パーティを組んでいる」状態なんだろうけど。
ガロウ――まだ敵だったころのあの狼男と戦ったときも、二人で息の合った戦い方をしていた。互いに背中を預けられるパートナー、という奴なのかもしれない。
白目を剥いてなお、がくがくとアムティに揺さぶられているヴェフタールを見ていると、とてもそんなふうには見えないのだが。
「まあ、なんだ。オレもアイネも街の孤児だったからな。このガキんちょどもの立場はまあ、分かるぜ?」
フラフィーが、メイレンさんからシチューのおかわりをもらいながら、複雑そうな顔で言った。
「このガキんちょどもがやったことに対しては、確かに罰が必要だ」
冬だというのに真っ黒に日焼けしているスキンヘッドの大男がそんなことを言い出したのだから、ヒッグスとニューとリノ、三人とも手が止まる。
「……んだがな、だからっつって悪さできねえように手首を切り落とすとか、そういうのはやりすぎだと思うんだよな」
こっわ! なにその刑罰!! え、この街そんなに恐ろしく重い罰をぽんぽん食らわせる街だったのか!?
「フラフィー兄さま、ここは王都じゃないんですよ? そこまでひどい罰にはならないんじゃないでしょうか」
リトリィがたしなめると、冒険者二人も頷く。え、王都ってところではそれが普通だったってのか!?
「そうだねェ……鞭打ち三十とか、そんなもんじゃないかなァ?」
鞭打ちか。その程度なら仕方がないか。多少痛い目を見るのも、罪を償うという意味では――
「そうそう。背中の皮が破れて肋骨が見える程度で済みますよ」
ギャース!! なにそれヴェフタール! 肋骨が見える程度で済むって、それ死ぬやつやん!!
「え? その程度で人は死にませんよ?
「上手に肉を
「この
「やっぱり死ぬんじゃねえか!!」
平然と言い放つヴェフタールに、俺も叫ばざるを得ない。罪を償って生きるどころの話じゃなくなっちゃうだろ!!
「本当に興味深いですねえ。ムラタ君、君はいったいどの街、どの国から来たんです? こんなことくらいでいちいち大騒ぎするなんて」
「少なくとも、お前の常識よりは平和ボケした国からだよ!」
言ってしまってから、自分の間抜けっぷりに気がついてしまった。
そうだ、この世界は二十一世紀の日本じゃないんだよ。それはもう、奴隷商人と戦ったときに散々思い知ったじゃないか。この世界にはこの世界のやり方があるのだと。
……ただ、やっぱり、相手は……。
「……相手は……まだ、子供じゃないか」
「その子供に股間を蹴られて顎を蹴られて、無様に倒れ伏したのはどこのどなた様でしたっけ? 子供でも短剣を持てば、一刺しで人を殺せるんですよ?」
ヴェフタールが、薄笑いを浮かべながら俺を見つめる。
子供たちは全員、俺の顔を伺うようにして、食べる手が止まってしまっていた。
「……でも……」
なんと言い返せばいいか、答えに詰まったときだった。
「ムラタが甘っちょろいヤツだなんて、誰が見ても同じ答えを出すに決まってる。今さら驚くことじゃねえ」
フラフィーが、肉をむしりながら笑った。
「どうしようもねえ甘っちょろい男だけどな、でも本人がそれでいいって言ってるんだ、ほっとけよ。いざとなったらオレの妹が守ってやっからよ」
「妹……ああ、奥さんですか」
「おう。オレの弟が悪さをしたときも、薪割り台の切り株でぶん殴って一撃で黙らせる剛腕の持ち主だ。ガキどもなんかにゃ負けねえよ」
……それ、女の子を紹介する言葉じゃねえよ!
見ろよ、子供たちを! 目の玉が飛び出しそうな勢いで、リトリィのほうに振り返ったじゃないか!
「がっはっは。事実だろ? 現にオレたち兄弟は、リトリィにはついに頭が上がらなかったんだからよ! それにお前、昨夜言ってたじゃねえか。リトリィのヤツ、お貴族サマすら構わずにぶちのめしたんだろ?」
それはお前らが家のこと全部を握られてて、最初から勝利条件が存在しなかったからだろ! 俺を助けようとして貴族野郎をぶちのめしたってのも……いや事実だけどさあ!
ていうか見ろよ
「というわけで冒険者さんよ、大丈夫だって。コイツの言うようにリトリィが天使なのは言うまでもねぇこととしてだ、コイツの嫁は強くて最高のオンナなんだ。チカラだけでなく、ココロもな。クソガキどもが何かやらかそうとしたら、母親よろしくぶちのめして、それでもって許しちまうって」
フラフィーが笑いながら言うその背後で、ひきつった笑顔の口元がひくひくしているリトリィ。
うん、あれはきっと、怒りたいけど怒れないんだろうな。言ってることは女の子をほめる言葉じゃないとは思うが、悪く言っているわけでもないからな。
……それに、アイネをぶちのめすノリでフラフィーをぶちのめしたら、奴の言葉が正しかったって証明してしまうようなものだしな。
「……アンタがほっとくっていうんなら勝手にすればいいけどねェ……。それでまたアタシらを呼ぶようなことになったって、知らないよォ?」
アムティがパンを食いちぎりながら、じろりと子供たちをにらみつける。再びおずおずと料理に手を伸ばし始めていたニューとリノは、びくりと体をすくませた。
「や、約束すらぁ!
「なァにが『メシを差し出した』だよ! アンタらが生きてメシ食えるのはねェ、この底なしのお人好しのどうしようもないバカが、死んでも一向に構わないアンタらのことをかばったからなんだからねェ!?」
アムティがヒッグスの頬をつねり上げると、ヒッグスが半泣きで謝った。耐えるかと思ったら即座に泣き言を言い出したので、相当に痛かったようだ。
……しかし、ひどい言われようだ。そこまでボロクソに言われるほど、俺って甘い人間なのか?
「甘いですね。自覚がないところがまた、甘さが極まってるみたいでいい感じです」
ヴェフタールはいい感じに辛口だよなほんとに!
「ただ、ですね? アムはああ言ってますけどね? 僕個人としては、その甘さ、……嫌いじゃないんですよ」
ヴェフタールは、それまでの皮肉げな笑みを、ふっと緩めてみせた。
「ヴェフ……」
「ただ、その甘さを持つ人は、例外なく苦労してますけどね?」
どうしようもないヤツですよあなたは――そう言いたげにヴェフは苦笑してみせたが、もはやその笑みに、嫌味な色は見いだせなかった。
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