第400話:名誉を背負った署名

「これです。ギルド長、これが不正の証拠ですよ!」


 そう。

 ムスケリッヒさんが、「同じ人物が描いた」と断定したこの二枚こそ、フェクトール公の執事であるレルバートさんから借りた……というか、取り返してきた図面と、そして、突っぱねられたもう一枚の図面だったのだ。


「……ですが、ギルド長があなたの図面をどうやって手に入れたと言うんです?」

「分かりません。ただ、この図面を提出する日、私はたまたま出会ったリファルと口論の上もみあいになって、落とした弾みに風にあおられていくつも紛失しているんです。これはその一枚です」

「……また、あなたですか……」


 ムスケリッヒさんが、肩をいからせるようなポージングを決める。


「ま、待ってくれ! オレは別に、そんなつもりは全くかけらも全然なくて! あの時だって、ええと、確かオレは責任を感じて、川に落ちた奴を拾うために川に飛び込んだんだ!」

「ええ、そのうえ溺れかけて、だんなさまのお手をさらにわずらわせたんです。あなたなんて、そのまま流されて沈んでしまって二度と浮かび上がってこなければよかったんです」


 リトリィが、感情のない目で、抑揚のない声で、けれどよどみなくリファルに追い打ちをかける。リファルのひきつった顔を見るのはなかなか面白いが、リトリィ。いつもの柔和な君を知ってる俺にとっては、その落差がものすごくこわいから、もうやめてね?


 ギルド長が、この紛失した図面を、いつ、どうやって前の図面を手に入れたのか、それは分からない。

 だが、見た目からして塔の図面だというのは間違いないから、親切な誰かが拾って、それを大工ギルドに届けたのかもしれない。建築物の設計図なら大工だろう、とでも考えて。調査期間の中では、それが誰かというのを特定することはできなかった。ただ、誰かが届けた、それは間違いないだろう。


 それでだ。ギルド長の野郎、よりにもよって、それをそのままコンペに提出したんだ。俺の図面の、名前だけを書き換えて。

 バレるリスクを考えなかったんだろうか。それとも、もし訴えがあったとしても、さっき俺を恫喝したときみたいに、「証拠があるのか?」と居丈高に迫って諦めさせようと考えていたのだろうか。

 ――いずれにしても、考え無しの上に根性が腐っているとしか言いようがない。


 ところが、この期に及んでギルド長は落ち着き払って言った。


「……たしかにその一枚は、ワシがフェクトール公に提出したものだ。むしろ、そのもう一枚が、ワシの図面をどうにかして盗み見て描いたものではないと、何故言えるのかね?」


 ……やっぱりシラを切り通すつもりか。例の紙がどんどん黒くなってゆくのに、ある意味すごい精神力だ。その、絶対に認めない姿勢には感心するぞ。


 だが、俺だって絶対に退けないんだよ。俺を信じてついて来てくれている、二人の妻のためにも。


「副ギルド長! 話は終わったのだ、こんなくだらない茶番に付き合っていられるほど、ワシらは暇ではないことぐらい分かっているだろう。さっさとこいつらをつまみ出せ!」

「ムスケリッヒさん。あなたは二つの図面を比べて、どう見ても同一人物が描いたものだと判断されましたね? 本当にその図面は、ギルド長が描いたものだと言い切れますか?」


 ムスケリッヒさんの額に、汗が浮かぶ。


「……ですが、ギルド長が描いたものではないなどという、証拠には……」

「しかし、この街の大工ギルドの流儀で描かれたものではない――それは理解していただけましたね?」


 ムスケリッヒさんは、奇妙なポージングを決めたまま、顔を引きつらせる。濃ゆい顔がますます濃ゆくなる。

 ここのギルドの流儀とは違う作法で描かれている図面――それを認めたら、ギルド長の描いたものではないと認めてしまうようなものだからだろうか。


「……いいでしょう。少し、話し合うのも疲れました。頭の体操をしましょう」

「そんなものはいらん! 副ギルド長! なにを体をくねらせておるのかね! 早くこの不届き者をどものだな……!」


 俺はギルド長に、ある『記号』を描いた三枚のカードを見せた。


「ギルド長の不正に関わるものです。これが、読めますか?」

「……『Ψ』イスフ……に似ているが、これが何だというのだね。全く知らんな、見たこともない」

「では、これは?」

「……『)』スノイに似ているようにも見えるが、知らんな」

「では、これは?」

「……『口』クーロに似ているが、真ん中に余分な線が入っているな。ふん、これも知らんな」


 俺は身を乗り出して、三つの記号に指を突きつけながら訴えた。


「本当に見たことも、書いたこともないんですか? いや、そんなこと、あるはずがない。ギルド長、あなたは絶対に書いたことがあるはずだ」

「知らんものは知らん。知らんのだから、書いたこともあるはずがない。どれも見たことがない。こんなものが、ワシの不正に関わるだと? とんだ迷推理だな」

「嘘だ! ギルド長、あなたは絶対に知っている、書いたことがあるはずだ! 認めてください!」

「認めるも何も、見たこともない記号など書けるものか」

「嘘だ!」

「ワシは嘘など言わんよ、誓ってこんな子供の落書きのような記号など、見たことも無ければ書いたこともない!」


 ギルド長の言葉に、しかし、例の紙は一切反応しなかった。


「お、おい、ムラタさんよ! どうするんだ、紙が黒くならねえ。これじゃ、ギルド長が見たことも書いたこともないってのは……!」

「そんな……。さっきの文字を見たことも書いたこともないというギルド長の言葉は、真実だったというのか……?」


 俺はがっくりと肩を落とした。

 リトリィもマイセルも、俺の方を不安げに見上げているのが分かる。

 対して、ギルド長は高らかに笑ってみせた。その、底意地の悪そうな目つきで。


「これまでのようだな。驚かせおって。もはやこんな嘘つきをギルドに置いておくわけにはいかん。今すぐにでも追放にしてくれる!」


 ムスケリッヒさんが俺の肩に手を置こうとしたときだった。


「くっくっ……あはははははは!」

「がっはははははははは!!」


 ついに俺もマレットさんも、こらえきれずに笑いだしてしまった。

 もう、大爆笑だった。


「な、なんだ貴様らは! 絶望のあまり、ついに気が触れたか!」

「いいえ! たった今、あなたの不正が証明されたんですよ!」


 驚きうろたえるギルド長に、俺は必死に笑いをかみ殺しながら言い放つ。


「ああ、こんなにもあっさりと暴露するとはなぁ! おいギルド長、てめえは自分で自分の不正を暴いてみせたんだよ!」


 マレットさんはそう言うと、床を殴りながら笑い続けた。


「なんの話だ! ワシの不正が、いまのやりとりのどこに表れていたと!?」


 つかみかからんばかりににらみつけてくるギルド長に、先程の「記号」を読むように促すと、ギルド長は三枚のカードをいろいろな角度で見回した。が、どうにも読めなかったようだった。


『)』スノイ『Ψ』イスフ『口』クーロ! どれも似ているだけのの字だ! 子供が間違えて描いたかのようなモノが、ワシの不正を暴く⁉ ふざけるな!」


 沸騰する湯を抱えるやかんのようなありさまのギルド長の剣幕に、リトリィがようやく気付いたのか、俺に向かって微笑んでみせた。


 ああ、リトリィ。

 君の、無邪気な提案のおかげだよ。

 あの、完成した図面――ピサの斜塔リスペクトの図案に喜んでくれていた時に、君が言ってくれたこと――


『署名入れましょう、署名!』

『何百年たっても、ムラタさんだってわかる、そんな署名をどこかに書いておくんですよ!』


「ムスケリッヒさん。ここを見てください。これ、分かりますか?」


 俺は、ギルド長に見えないようにして、ムスケリッヒさんに確認をする。

 いつも糸目のムスケリッヒさんが目を見開いたのを確認して、次にギルド長に図面を見せる。


「ギルド長。あなたの不正の証が、この図面そのものにあるんですよ。あなたなら分かるはずです。この図面を描いた人物の署名は、どこにありますか?」

「しょ、署名だと!?」


 動揺するギルド長。

 しかし、彼はついに見つけられなかった。


「署名などないではないか!」

「そうですね、見当たらないでしょうね」


 俺もマレットさんも、必死に笑いをこらえる。ああ、分かるはずがないさ、さっきの字を『見たことも書いたこともない』のなら!


『口』クーロ『)』スノイ『Ψ』イスフ? なんですそれは。違いますよ。

日ノ本ヒノモト』――そう書かれているんですよ、ここと、ここと、ここにね! ええ、わたしのうじですよ。この世界に、たったひとつの!」

「そ、それが、なんだと……」

「まだ分かりませんか?」


 俺は笑うのをやめると、ギルド長に指を突きつけた!


「あなたがこの文字を見たことも書いたこともないと言ったのは当然だ、これは私しか知らない字だからだ。私以外に知るのは、私が教えた一部の人間――戸籍局の一部の人と私の妻たち、そしてこの街に住む瀧井氏だけ! 見も知らぬ文字を、あなたはどうやって図面に埋め込んだんですか!」

「……そ、そんなバカな……! そんなことが……!」

「これが俺の名誉を証明する! この図面が残り続ける限り、この『作品』の作者は誰かということを背負い、証明してくれるんですよ!」


 ムスケリッヒさんが、力なく首を横に振る。

 俺とマレットさんは、がっちりと握手を交わした。

 リトリィとマイセルが飛びついてくる。

 ずっと俺たちを見守っていてくれたツェーダ爺さんはやれやれと胸をなでおろし、リファルは居たたまれない様子でうつむいていた。


 そして、ギルド長がなにをわめいても、もはや、誰もその言葉に耳を貸そうとする者はいない。


 ――またしてもリトリィに助けられた。

 彼女の無邪気な提案が、俺の名誉を、ついに回復に導いたのだ。

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