第398話:翼を取り戻すために

「さて、まずはオハナシをしに行かなきゃならねえよな」


 がっはっはと笑うマレットさんに、俺は苦笑いしながら「やりすぎないでくださいよ?」とだけ念を押す。


「なにを言う。娘の婿のために一肌脱ごうという意気込みに、水を差すんじゃねえよ」

「俺は、奪われた翼を取り戻すために戦うんです。マレットさんには、その護衛をお願いしているだけですから」

「護衛ねえ……? まあいいさ。娘のためだ。あんたが下手を打つまでは、黙っておいてやろう」


 そう言って、マレットさんは俺の頭をつかんでぐしゃぐしゃと揺さぶった。

 マイセルが隣で俺に何をするんだとぷんすか怒っていてくれるが、こんな無茶を引き受けてくれるマレットさんの名誉のためにそれをなだめる。


 マレットさんに同行を願ったのは、また女連れでギルドに来た、などと言われないようにするためだ。俺にとってはリトリィもマイセルも、共に大切な妻であり、共に頼もしい仕事仲間だ。もう、二人を手元に置かずに行動などしないと決めたのだ。


 雑音を排除するためにマレットさんの威光を借りる――それは情けないことではあるけれど、雑音で話を阻害されたくない。


 ――そうだ。

 俺は今日、戦いに来たのだ。

 あの突入劇から十日あまり。

 使えるものはすべて使った。

 自分の足から知人の耳目、ナリクァンさんの情報網まで。




「それで? ワシは忙しいんだ。要求通り、四半刻(約三十分)以上は割かんぞ」


 ギルド長は、相変わらずきょろきょろと落ち着かない様子で、しかし不機嫌そうに椅子にふんぞり返って座っていた。その両隣にはごついガードマンらしき二人。

 そしてこちら側には、俺からお願いして同席してもらった、筋肉ダルマ紳士のムスケリッヒさん。


 そして俺、リトリィ、マイセル、マレットさん。たまたまギルドで見かけたので、強引に連れてきたツェーダ爺さんとリファル。本当はもっとにぎやかしが欲しかったんだが、暇そう――もとい手の空いていそうなのがこの二人だったからだ。


「それで、話とは何だね! ワシは忙しいんだ、さっさと話したまえ!」

「存じております。お忙しい中に私のためにお時間を割いていただけたこと、感謝申し上げます」


 俺はわざとらしいくらいに慇懃に礼をしてみせると、小さな木の菓子箱をテーブルに置く。


少々重い菓子・・・・・・で、お口汚しかもしれませんが」


 ギルド長はとたんに顔が緩んだ。


「……ほう? 貴様も話が分かるじゃないか。どれ、あとでいただこうか」


 そう言って木箱を手に取り、重さを確かめるような仕草をし、腹のポーチにしまい込む。


「実はお話についてなのですが……この流れ者の私を寛大な心で受け入れて下さったギルド長に、緊急にお話したいことがありまして」

「なにかね、言ってみるがいい」


 あからさまに上機嫌になったのが分かる。

 なるほど、山吹色の菓子・・・・・・の威力というのは、笑いたくなるくらいにすさまじい。あれほど不機嫌そうだった男が、途端に上機嫌になるのだから。


「翼を取り戻したいのです」

「翼……? それはどういう――」


 いぶかしげなギルド長に、俺は小さく笑うと、首を横に振った。


「この話題は、のちほどさせていただきます。実は、このギルドにて恐るべき不正が行われているという情報を耳に挟んだのです」

「恐るべき不正、だと?」

「はい。恐るべき不正、です」


 目が動いた! それまでホクホク顔だったギルド長の顔に緊張が走ったのが、実によく分かる。きょろきょろと、俺を見ては目を合わさぬようにまた目をそらし、またこちらを見ては目をそらす。


「……それで、恐るべき不正とは何だね!」

「実は、このような私のようなものにも門戸を開いてくださったギルド長に関する噂なのです」

「……だから何なのかね、その噂というのは!」

「はい、ギルド長の品性を疑う、下劣な噂なのです」


 一度、話を止める。

 ギルド長のそわそわが止まらない。いいぞ、効いてる効いてる。


「だからもったいぶるなと言っているだろう! いったいどんな噂なのかね!」

「いえ、私もこの噂を聞いた時には信じられなかったほどのものです。まさかギルド長がこのような不正をするなどとはという、実に嘆かわしい噂でした」


 いかにも残念そうな顔(を作っている)俺、目を閉じてつんと澄ましているリトリィ、何が起こっているのかよく分かっていないような不安げなマイセル。

 マレットさんは丸太のような腕を組んでじっとギルド長を睨みつけ、ツェーダ爺さんは黙って茶をすすり、リファルに至っては俺とギルド長の顔をずっときょろきょろ見比べていて小物感が半端ない。


 そんな俺たちを前にして、ギルド長は何を考えているのか。

 まあ、あれこれと思い浮かべてはいるのだろう。暖炉がききすぎというわけでもないこの室温で、額に噴き出してくる汗の量がなかなか見ものだ。


「だ……だから、どんな噂かと聞いている!」

「いえ、われらがギルド長に関する噂など、もちろん全く事実無根であると思いたいことですし、ギルド長も同様のお考えでしょう。ですから、噂の中身について悩むはずがないとも思われますので、今ここでわざわざお耳を汚す必要もないでしょうが」


 俺は、一呼吸おいてから、ため息をたっぷりと吐いてから続けた。


「それとも、気になりますか?」

「も、もちろん気にならんというと嘘になる。噂というものは放っておくと、ろくでもないことになりかねないからな、それでその、噂というのは!」

「本当にそうですね。全く嘆かわしい噂ばかりです」


 そう言って俺は両手を広げ、目を閉じ首を振った。


「例えば付け届けや賄賂を渡そうとするとかえって怒り出す、『偏屈者』として有名なガブロ親方のところのお弟子さんはなかなか職人への申請が通らないのに、妙にずしりと重い付け届けを欠かさないビムスタイン親方のところのお弟子さんは、何故か簡単に職人への申請が通ってしまう……とか」

「な……!?」


 一瞬、目を見開くギルド長。だが何かに気づいたのか、咳ばらいをすると落ち着き払ってみせた。


「知らんな。ワシはそんな話など聞いたこともないし、もちろん身に覚えもない」


 そしてもう一度、ギルド長は咳払いをした。もちろん俺も、そう返されることは想定済みだ。涼しい顔をして続けてみせる。


「ええ、そうでしょうとも。他にも、私的な飲食――女性の裸体を鑑賞しながら酒を楽しむ某『兎の尻尾亭』に大金を注ぎ込んでいることですとか、そこでの一番人気のプロスティ嬢に愛人契約を持ちかけて振られたことですとか、昨夜は三番人気のシューネ嬢との会食で金貨を三枚ほど使ったうえにチップとして金貨をさらに弾んだのに連れ込み宿に連れ込むことに失敗したことですとか――」

「な、ななな、なにを貴様……!?」


 あんぐりと口を開け、俺に向けて指を差し、顔を真っ赤に染めるギルド長。

 俺は、うつむきがちに、だが薄目を開けてまっすぐギルド長を見る。口の端を歪ませて。


「ふ、ふざ、ふざけるな! 貴様――」

「おや、どうされました? すべて事実ですよね? いえ、男たるもの、惚れた女に威厳あるところを見せたい、それは大変よく分かりますとも。そのためのカネ、それもよく分かります。ただ失敗している以上、使い方が少々もったいないかと」

「なっ……なっ……!?」


 ギルド長は、真っ赤になりながら怒鳴った。


「わ、ワシがカネをどう使おうとワシのカネだ、貴様には関係ないだろうが!」

「ええ、ギルド長の下半身事情など、私には知ったことではありません。愛する新妻が二人もいる新婚生活を謳歌する身にあっては、よそで無駄打ちする余裕など一滴たりともありませんので」

「き、き、き、貴様ぁぁぁああッ!!」


 俺の言葉に、ギルド長は顔から湯気を吹き出しそうな勢いで立ち上がる。


「ええい、もう我慢ならん! とっとと出て行け、話は終わりだ!!」

「困るんですよ。噂はこの続きなのですから」

「だれが聞くか! いますぐ――」

「あなたが女遊びに使っているカネ、その出どころです」


 今にもつかみかからんとする勢いの男の前で、俺は精一杯のやせ我慢をしつつ、淡々と続けてみせた。


「それは、我らギルド員の上納金の一部であること、不正な隠し口座に溜め込んでいること、などなど。またそのカネは議会の一部議員にも流れているなど、じつにキナ臭い噂でございます。私はこの噂について、大恩あるギルド長のためにひとつ、緊急に親方会議を開いて議題にのぼしたいのですが」


 一瞬、親方の顔色が劇的に変わったように見えた。

 だがギルド長は深呼吸をするようにして席に座り直すと、落ち着いた声で切り返してきた。


「ワシは名誉あるギルド長だ。そんなことをするはずがないだろう。いったいどこからそんなくだらない噂を? 第一、証拠がどこにあるというのだね」


 それまで、きょろきょろしていたリファルが、俺の方を凝視する気配が伝わってくる。ツェーダ爺さんは、マレットさん同様に腕を組んでギルド長をにらみつけた。


「おっと、失敬失敬。これを忘れていました」


 俺は、ナリクァン夫人からもらった布を懐から取り出すと、テーブルに置いた。


「……こ、これは……!?」

「おや、ご存じですか? ナリクァン夫人からもらいました。以前、夫人が私との会談を行った際に使ったものを、そのままいただいてきたのです。心に思うことと口に出る言葉に違いがあった場合、黒く染まる不思議な布だそうですね。ただ、私のときはほぼ変化がなかったのです。不良品だったのでしょうか?」


 俺の口上とは裏腹に、複雑な文様が描かれた白い布は、すでに端のほうが黒くなり始めている。


「……おや? 一度わたしにも使われたときには、紋様以外、すべて真っ白なはずだったのですが……どうしてか、端の方が黒くなっていますね? 私に対しては、こんなに真っ白なまま会談を終える客など見たことがないと、呆れられてしまったものなのですが」


 ギルド長は息を呑み、大きく目を見開いた。


「……実に不愉快な話だ。ワシの不正だと? 知らん、そんな話など知らん。ワシは忙しいんだ、話はこれで終いだ」


 じわりと、布の黒い部分がさらに広がる。ああ、こうやって端のほうから徐々に黒ずんでいくんだな。これは面白い、これは探偵やら警察やら裁判官やらには、大人気の品だろう。あとは価格だが、貰い物だからいったいいくらなのかは知らない。


「おや? また・・黒くなりましたね? おかしいな、不良品ではなかったとすると、ギルド長、本心と異なることをおっしゃっている……?」


 すっとぼけた俺の言葉に、全員の視線がギルド長に向けられた。


「うぐ……っ!?」


 たじろぐギルド長。顔が思いっきりひきつっている。

 今までは冷静さを取り戻してきた彼だが、さすがにこの布――百発百中のウソ発見器の前では、平静ではいられないか。


「……ギルド長?」


 ムスケリッヒさんが何かを言おうとしたが、俺はそっと彼を制する。


「では、本題に移りましょうか」

「……本題、だと?」

「ええ。どうぞ落ち着いてください。ギルド長が隠し口座に上納金を不正に蓄え、女に貢ぎ、一部の議員の懐柔に使っているというなど、どうでもよいのです。私にとっては、ですが」

「……ではなんだ! 貴様の目的は、いったい……!」


 俺を睨みつけるギルド長に、俺は、精一杯の営業スマイルを浮かべてみせた。


「翼をもがれ地に落ちた鳥は、その翼を取り戻したいのですよ」

「なん、だと? どういう意味だ……?」

「私の名誉の回復です」

「名誉……? 貴様の名誉だと?」

「今回の、塔に関する設計の公募の、不正操作に関わる件です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る