第397話:勝ち取ったもの
「さて、もう一つの問題ですけれど」
「もうたくさんだ! これ以上私から何かを搾り取ろうというなら、全て無かったことにしてやるからな!」
「あら、逃げるおつもり?」
ナリクァンさんは、涼しい顔で続けた。隣に座るミネッタの肩に、手を置きながら。
「このお嬢さんのお話から」
「……彼女がどうした!」
ナリクァンさんは、ミネッタに、フェクトールに向けるものとは違う、慈愛に満ちた微笑みを向ける。
「お坊ちゃま。もうしばらくすれば、あなたはお父さんになるんですよ? そのお覚悟、十分にできていて?」
「……
ぽかんと間抜けに口を開けるフェクトール。
……おい! お前、さっきのミネッタを抱き上げて言った勢いはどこに行った!
一瞬そう思ったが、考えてみれば、こいつは昨日までミネッタが妊娠していたことすら知らなかったのだ。「子供ができた」ことと「自分が父親になる」ことが、うまくつながらなかったのだろう。しばらくすると、目が泳ぎ始めた。
「さきほど、貴族の務めは果たした上で彼女の身分を保証するようなことをおっしゃっていましたが、愛人がいるだけでなく子供までいる状態で、貴族令嬢を
「……庶民の娘に産ませた子は、数になど入れないだろう」
「そうね? 家を興すということは、つまり彼女は貴方のお家とは関係ないことを示すためですものね」
「ぐっ……」
不安げにナリクァンさんを見上げたミネッタに、ナリクァンさんはもう一度微笑みかけると、扇子を閉じてフェクトールに向き直った。
「わたくしが最後に申し上げたいのは、貴方が産ませるこの娘さんの子を、貴方が引き取って育てろ、ということではありません。この娘さんが産む子の父親として、父親らしく、節目節目の機会で結構ですから、きちんと関わって育てていただきたいということですわ。お金や物を贈るだけでなくて」
そう言ってナリクァンさんは、呼び鈴を鳴らした。
「面白い話がありますの」
ドアが開いて、黒服の男たちが白い布に包まれた棒状のものを持って来る。
ナリクァンさんは黒服をねぎらうと、男たちをフェクトールの脇を固めるように控えさせてから、それをテーブルに置いて続けた。
「父無し子はよく、素行不良に育つと言われますけれども……。母親が『あなたのお父さまはとても立派な方でした、あなたもそんな立派なお父さまの子です』と、ことあるごとに父親の良さを話しながら育てますと、ふた親揃った家庭と、何ら遜色なく育つそうですわ?」
そして、その布に包まれたものをフェクトールに薦める。
彼は、自分の座るソファの両端に
「……なんだ、これは」
「あっ……!」
それは、リトリィが打った、俺の短剣だった。
屋敷に入る時に「腰のものをお預かりいたします」と言われたから預けた、それ!
リトリィが俺の役に立つようにと、様々に工夫をしてくれた、サバイバルナイフのような短剣!
ナリクァンさんは俺の方を見てそっとウインクしてみせる。なにか言いたいらしい。俺は、それが自分のものだと言いたかった衝動を、ぐっとこらえる。
「抜いて、よくご覧になってはいかがかしら?」
ナリクァンさんに促されて、フェクトールはいぶかしげに短剣を抜く。
漆黒の剣身、先端部分だけがギラリと輝く刃。全体的には片刃、先端だけ
「……なんとも醜悪な短剣だな」
それが、フェクトールの感想だった。ぶっ殺す!
「片刃であるということは日用品か。無骨なようでいて、しかしこの刃の、滑らかな仕上がり。わたしの手には合わないが、誰かの手に合わせたような柄……。いい仕事はしているようだな」
フェクトールは、窓からの光にかざすようにしてためつすがめつ短剣を眺める。
「……この不可解な峰の形状の意味は分からないが……黒い塗装が落ちて……この歯に食い込んでいるこれは、木の欠片か? 木を切るのに使ったということか?」
……お坊ちゃん貴族のくせに、なかなか
「……優美さには欠ける醜悪な短剣だが、確かな腕に裏打ちされたもののようだな。山の民あたりが使いそうな、実用本位のものなのだろう。じつに優秀な職人の手によるものなのは間違いない。……だがこれが、何だというのだ」
短剣を鞘に納めながら、フェクトールはつぶやいた。やはり何のために短剣がここで出てきたのかが分からないようだ。俺もナリクァンさんの考えは分からないが、リトリィの凄さは分かっただろう!
「……短剣ひとつこしらえるのも、今日発注して明日出来上がるようなものではないことぐらい、お分かりですわよね?」
ナリクァンさんは大げさに肩をすくめてみせた。
「貴族が我が子に贈るなら、紋章入りの短剣ではなくて?」
「……む、それは……」
「その短剣をこしらえるような腕のいい鍛冶屋さんなら、きっと丁寧な逸品をこしらえてくれるでしょうとも。でもそのためには、お時間が必要なの。そして貴方の子は、今月中には生まれる――お分かりかしら?」
目を細めて挑戦的な微笑みを浮かべるナリクァンさん。
腕を組み目を閉じて何かを考えるフェクトール。
「……つまり、女史の秘蔵っ子の見習い鍛冶師を職人にするよう口利きをし、その娘に、生まれてくる子に贈る短剣を作らせろと、そう言いたいわけか」
「ご名答。ただの放蕩者ではなく、獣人の守護者としてね?」
思わずリトリィのほうを向くと、彼女も目を丸くしていた。
「リトリィさんなら、その子が将来、きっと胸に抱いて誇れるような逸品を作ってくれることでしょう。その短剣が、彼女の腕を保証していますわ。何の心配もいらなくてよ?」
「納得いかないかしら?」
フェクトールとミネッタが共に退出したあと、ナリクァンさんがいたずらっぽく微笑んでみせた。
この人の笑顔は本当に底が知れない。笑顔だけで、一体どれくらいの仮面を用意してるのだろう。
「……いえ。貴族にも面子というものがあるでしょうし、相手の利益にもなるように折り合いをつけることで、こちらの安全を買うこともできますから」
「……ふふ、よく分かっていらっしゃいますわね」
「おぜん立てをされたのはナリクァン様で、私はそれを見て考察してみただけですから。私があの交渉の場を作れるかと言ったら、作れません」
「あら、それは褒めてくださっているのかしら」
「最大限の賛辞のつもりですが」
最後に部屋を出て行ったミネッタの、フェクトールに寄り添っていた様子。
フェクトールも、彼女を気遣うようにして歩調を合わせていた。
ナリクァンさんは言っていた。ミネッタにも幸せを、と。
貴族の寵愛を受けるといっても、彼を夫として日々の暮らしを営むことなど、彼女には望めない。それが現実なのだろう。
けれどナリクァンさんは、そんなミネッタに最低限の道を作った。フェクトールが、せめて子供の成長の節々で関わるようにと。ナリクァン商会との契約書まで書かせて。
こっちの方だってそうだ。
あのクソ野郎がリトリィにやったこと自体は許せないが、だからといって彼を断罪しようと思ったところで、俺には力も金もない。どこかで折り合いをつけるしかないのだ。それがリトリィが職人になる近道だというのなら、受け止めるほかないのかもしれない。
……いや、違う。
フェクトールの口利きの約束は、ナリクァンさんの助力を得て勝ち取った成果なのだ。本来なら彼女の奪還だけで終わっていた話を、ナリクァンさんが「落とし前」をつけてくださったことで得られたプラスアルファなのだから。
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