第396話:戦後処理
なんだって?
『いわゆる
――ということは、リトリィも半年かそこらで子供を産むってことか?
思わずリトリィを見る。
リトリィはよく分かっていないような顔で俺を見上げる。
……じゃあ、ひょっとして
そう考えて、そして気がついた。
リトリィは、半年経っても妊娠の兆候が見られない。
そうなのだ、とにかく獣人は妊娠しにくいんだった。
人間と違って明確な「子供ができる日」が、月に一度、巡ってくるにも関わらず。
獣人のリトリィと人間の俺という組み合わせが悪いのかもしれないが。
フェクトールは、どことなくバツが悪そうにミネッタを降ろす。
ミネッタは名残惜しそうに彼から離れると、ためらいがちにナリクァンさんの隣に座り直した。
あの、動作のたびにお腹をなでるのは、癖になっているんだろうか。もしかしたら、リトリィもああなるのかもしれない。
フェクトールも、視線が落ち着かないまま席に戻る。それを見て、ナリクァンさんは仕切り直すように口を開いた。
「さて。フェクトアンスラフ様。昨夜の落とし前――落としどころを、改めて皆で話し合いましょうか」
今言った! 絶対に落とし前って言ったぞナリクァンさん! ニコニコしてるけど実は怒ってるな! 間違いなく怒ってるな!!
「落としどころ? そんなもの、私が彼女たちを引き続き庇護する、それ以外に何があるというのだ。それだけで済まぬというなら、そちらが決めたつまらぬことを、こちらに飲めと要求するだけだろう? 何が望みだ、言ってみろ」
「あら、本当に? じゃあ、間違いなく、遠慮なく、全て申し上げますが飲んでいただけるのですね?」
投げやりに言ってみせたフェクトールに、ナリクァンさんがこれまた妙にニコニコ顔で即座に問う。
「それでは――」と指を折り始めたナリクァンさんに、顔が引きつったフェクトールが慌てて待ったをかけた。
ナリクァンさんに話の手綱を握らせたらとんでもないことになるに決まっているのは、俺にだって分かる。フェクトールも、それに気がついたらしかった。
戦いの優劣なんて、最初から分かり切っていたのだ。
「それでは、最後に」
額に脂汗を浮かべながら署名をするフェクトールに向かって、ナリクァンさんがぽんと手を打った。
「……おい! 私はもう、十分に譲歩しただろう! これ以上、なにを望むというのだ!」
「あら、今まではただの戦後処理のお話。あの後宮の運営と後宮を出た女性たちの生活の保障。今回の騒乱に加わった者たち
やたら分厚いいろいろな書類にたくさんの署名をさせられていたフェクトール。
まあ要するにハーレムに関わった女の子全員の面倒を「最後まで」みろよ、ということ、冒険者ギルドや大工ギルドの面々は全員無罪放免で被害者には手厚い補償。ついでと称してナリクァン商会が今までよりもやや有利になる形での取引に関する契約の更新。
まるでごまから油を搾り取るがごとくあれこれ要求されるフェクトール。
ざまみよ、とも思うが、同時にちょっとだけ憐れにも思う。
この街最大の商会の筆頭に対して、身一つで来てしまったことが彼の敗因だ。といっても、あの執事を連れてきたところで、おそらく大して変わらなかっただろうけどな。
だが、ナリクァンさんの言い方だと、本命がまだ残っているということなのだろう。これ以上無理難題を吹っ掛けたら、フェクトールの方がキレて話をひっくり返してしまいかねない気がする。
俺がそう危ぶんだ時だった。
辛そうな目でフェクトールを見つめていたミネッタの肩に手を置いたナリクァンさんが、にっこりと微笑んだ。
「こちらに来ていただいた最大の理由について、今から話し合いましょう」
「最大の理由だと?」
「ええ」
そして、俺たちのほうにも目を向ける。
「まず、あなたが今回ご執心だった女性――リトリィさんですけれど」
「手を引く! そのことはもう、最初に約束しただろう!」
「そんな、当たり前のことについて話をするわけではありませんわ」
ナリクァンさんは、薄く笑って続けた。
「この子、何度も鉄工ギルドに掛け合っているのですけれど、一向にギルドの方々が彼女を、鍛冶見習いから職人に、身分を更新してくださらないの。どうも彼らの言い分ですと、
ナリクァンさんの言葉に、むしろ俺が驚いてリトリィを見る。
そんなこと、聞いたことがなかった。
いや、彼女に何度か職人への登録を申請してみたらどうかと聞いてみたことはあるんだが、そのたびに彼女は、今は俺に仕えるだけで十分だから、俺の仕事が軌道に乗ってからでいいから、と笑っていた。
違ったんだ、彼女は動いていたんだ。自身の未来のために。だけど受け入れてもらえてなかったんだ。
それなのに、その辛さや悔しさ、悲しさなどを俺に一切見せてこなかったんだ!
彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまったが、なぜそんな顔をするんだ。もし聞いていたら、俺は鉄工ギルドに怒鳴り込んでいたのに。
するとリトリィは、困ったような目で俺を見上げた。
「だってそんなことをしたら、だんなさまが悪く見られかねません。わたしはだんなさまのために生きたいんです。だんなさまがこまるようなことになんて、なってほしくありません」
「でも――」
「ところで、フェクトアンスラフ様」
ナリクァンさんが俺たちの駄弁を遮るように、扇子で口元を隠すようにして、ややうつむき加減に微笑んだ。
「わたくしの小耳に挟んだ不確かな話で申し訳ないのですけれど、ときに獣人――ことに、抑圧されがちな
苦虫をかみつぶしたような顔をするフェクトール。
――ああ、そういうことか。今回の償いに、口利きをしろと。
「……ギルドへの不干渉および中立の立場を認める宣誓を、したばかりだが?」
「あら、わたくしはあくまでもそういう貴族がいらっしゃるということ、そして実力ある鍛冶師の娘が、
「……つまりそれは私に――」
立ち上がりかけたフェクトールに、ナリクァンさんがぱちりと閉じた扇子を差し向ける。
「わたくしはただ、世間話をしているだけですわ。今回の騒動の発端となったお貴族様が、本当に
フェクトールは、小さくうめいてソファーに身を沈めた。
彼に選ぶ余地など無い。
ここに来た時点で、彼の選べる選択肢など、一つしかなかったんだろう。
ナリクァンさんの恐ろしさを、また一つ、見せつけられた思いだった。
同時に、そんな彼女を、どうしてか味方につけてしまっている俺の運の強さに、戦慄すら覚えるのだった。
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