第392話:プレゼンテーション
「――いかがですか? 荷運びロープをしっかり結わえることが重要なことは、ナリクァン様がよくご存じだと思いますが」
ナリクァン夫人がその感触を確かめるようにカラビナを弄り回している、それにかぶせるように俺は説明をする。
「カラビナがその手間を確実に減らし、同時に道中の安全を確保してくれるのは間違いないでしょう」
安全――そう言ったとき、ナリクァンさんはカラビナで繋がれたロープを引っ張ってみせる。
やや潰れたDの形をしたカラビナは、しかし当然ながらびくともしない。
「私が監督した集合住宅では、職人は安全のために必ずこのカラビナ付きのロープを腰のベルトに繋いでいました。カラビナを足場の手すりに噛ませておくことで、万が一転倒や落下があっても、最悪の事故を予防してくれるのです」
ナリクァンさんが手を止めて、俺の方を見た。やはり、実際に使ったという具体的な実践例があるのは強い!
「……わたくしの手のひらほどの大きさもないこれが、そんなに丈夫なのですか?」
「もちろんです。十分に実験も繰り返して、頑丈さは確かめてありますとも」
リトリィが、街の鉄工ギルドの隅っこを借りて丹念に打った鋼鉄製だ。ゲート部分の開閉の肝になる板バネにはかなり苦労したみたいだが、リトリィはそれも乗り越えてくれた。
頑丈さもなかなかのものだ。俺と同程度の砂袋を繋いで、五尺(約一・五メートル)ほど繰り返し落下させた衝撃にも耐えた。
たった一・五メートル? そう思われるかもしれない。
だが、人間は意外にもろい。単純に伸びないロープを使った場合、腰のベルトにロープを括りつけてあるだけだと、たしか二メートルの落下すらも耐えられずに死ぬんだ。たぶん、止まった時の衝撃で背骨が折れたりして死ぬんだろう。
以前、リトリィの部屋の屋根を修繕した時、腰にロープを巻いていたアレは、ベッドが引きずられて動き、緩衝材になることを計算したうえでやったけど、でも実際に落ちてたら死んでいたかもしれない。
そんなわけで、リトリィと相談したうえで、営業上の口上は安全を考えて「成人男性の落下五尺の衝撃に耐える」でいくことにしている。
いずれは製法の工夫などで耐久性をさらに向上させたい――リトリィはそう言っているが、繋がれている人間が耐えられないのではあまり意味ないのでは、と密かに思っている。
まあ、彼女のやる気につながっているなら別に口を出す気はないけどな。より丈夫に作れるなら、より小さく軽く作っても、同じ耐久性能を確保できるようになるということだろうし。
本物はジュラルミン製で強くて軽いんだが、ジュラルミンの作り方なんて知らない。だからいまはこれでいい。
「最初は職人たちの中でも、抵抗があったようです。紐に繋がれては、かえって動きにくくなるなどの意見も出ました。ですが、だからこそのカラビナです」
カラビナは、簡単につけ外しができる。それでいて、不測の事態のときには外れにくい。つけ外しの手間は確かに増えるだろうが、それでも負担は大きくなかったはずだ。
「もちろん、単純に何かをぶら下げるホルダーとしてご利用していただいてもいいでしょう。使い方は単純、けれどいろいろな使い道が考えられるこのカラビナ。お世話になったナリクァン商会だからこそ、そのすべてをお教えいたしたく思いますが、いかがでしょうか」
「……わたくしは、こういったものに疎いのでよくわからないのですけれど」
ナリクァンさんはそう前置きをした上で、質問してきた。
「たった五尺までの落下にしか、耐えられないのですか?」
はいきた!
来ると思っていたよ、その質問!
「そうですね……。私と同程度の体重の人でおよそ五尺。これが目安だと思ってください」
たったの五尺―― 一・五メートルの落下。
そんなものにしか耐えられないなんていうのは、たしかに貧弱に見えるかもしれない。人間、二メートルくらいの高さから飛び降りても、着地の仕方にもよるが怪我したりしないだろうしな。
だが、せっかくの質問だ。是非その体で、一・五メートルの落下の衝撃とやらを感じてもらおうじゃないか!
「……ムラタさん、なんだかひどく悪い顔をしてます……」
マイセルがボソッと言うが、翻訳首輪はちゃんと意味が分かるようにしてくれるからな! 今夜、お仕置きにたっぷり可愛がってやる。
「体験……ですか?」
「はい。やはり、こういったものは実際に体験していただくのが一番ですから。そうですね、まずは二尺程度の落下の体験をしてみましょう」
「あら、五尺ではないのですか?」
意外そうなナリクァンさんに、俺はやはり笑顔で答える。
「お望みでしたら、段階的にそうさせていただきますとも。ところで、そちらの黒服のかた。とても頑丈そうな体つきをしていますね。強さには、自信がおありでしょうか?」
俺の言葉に、黒服男はちらと一瞥してから、小さくうなずいてみせた。
よし。生け贄決定。
「それはすばらしい! さっそくですが、実験台になってください」
「おぶっ!?」
たった二尺。
約六十センチメートルの落下。
それで黒服さんは吐きそうな顔をした。そりゃそうだ、腰のベルトだけに全ての力が集中したのだから。
二階から垂らしたロープの長さが限界に達した瞬間、腹にベルトが思いっきり食い込んだはずだ。
わずか六十センチメートル、されど六十センチメートル。
二階からロープを垂らし、十五センチほどの高さの台に乗ってもらったうえでベルトに括りつけ、さらに高さ二尺の脚立に上ってもらう。
そしてその状態で、前触れなく脚立を蹴倒したのだ。
自分で飛び降りてもらうのではなく、不測の事態を再現する形で落下してもらった。
で、結果は先のとおり。
足のつま先はかろうじて地面に着いたが、ひざを曲げるなどして衝撃を和らげることはできなかったはずだから、なかなかにいいものをボディに食らったかのような衝撃を受けただろう。
「いかがですか、二尺の衝撃の味は」
カラビナを外され、座り込んでいた黒服さんは、苦笑いを浮かべながら俺を見上げる。
「近衛騎士のごとく普段からおそらく鍛えていらっしゃるでしょうけれど、なかなかのものだったでしょう?」
「……あんたも、なかなか人が悪いな?」
「こういうものは体験してみないと分からないものですから。……落下丈五尺も試してみますか?」
俺の言葉に、黒服さんは憮然として答えた。
「……遠慮しておく。間違いなく腰を痛めるんだろう?」
「いえ、それだけで済めばいいですが、下手をすれば背骨を折って死にます」
「……おい! 恐ろしいことをさらっと言うな!」
「では、こちら中で最も屈強なかたを選んでいただけますか」
俺の「下手をすれば死にます」というさっきの言葉が効いたのか、だれも名乗りを上げてくれないので、ナリクァンさんに選んでもらった。
「今度はなにをするのかしら?」
妙に楽しそうなナリクァンさんに、俺も実にいい感じの営業スマイルで答える。
「えーと……そうですね。この砂袋ぐらいが、だいたい私と同じ重さです。この砂袋を、これから一尺ほど落下させます。それを支えてください」
それを言っただけで、黒服さんたちはその衝撃力を理解したようだ。
成人男性一人を「担ぎ上げるだけ」なら、そう大したことはない。
だが、その成人男性が「落下していく」のをつかんで支える……それは、決して容易なことではないことを察したのだろう。
「五尺ではないのかしら?」
この期に及んで、実に楽しそうなナリクァンさん。居並ぶ黒服たちの無表情な顔に一瞬だけ動揺が走ったように見えたのは、気のせいじゃないと思う。
「いかに黒服さんでも耐えるのは難しいでしょう。おそらく腰を痛めるか、引っ張られてバルコニーから落ちます。ただの実験で、夫人の子飼いの部下を傷つけるわけにはまいりません」
「あら、そんなこと気にしなくていいのよ?」
……気にしますって。てか気にしてくださいよ。ほら見てください、黒服部隊の人たちの顔が今、一斉にひきつったじゃないですか。
「……実験に付き合ってくださる黒服さんには、私一人分の重さが一尺ぶん落下する、その衝撃がいかほどのものか、そしてカラビナがいかに大きな力に耐えられるかを理解していただけるはずです。では、参りましょう」
「いかがでしたか?」
「……なかなか腰にきたな」
「私一人がわずか一尺(約三十センチメートル)ぶん落ちた、その衝撃力も侮れないでしょう? 今回は予告をしていましたからおそらく伝わってくる衝撃に備えていたでしょうが、もし予告なしにこの衝撃がきたら、どうでしたか?」
「……考えるまでもない」
バルコニーの上から、黒服さんが存外素直に答えてくれる。
「この五倍の高さから落とした時の衝撃に、このカラビナは耐えます。いかに強力であるか、想像していただけましたでしょうか。それともだれか、試していただけますか? あ、申し訳ありませんがどんな怪我をしても当方は一切関知いたしませんが」
もはや誰も異論を唱えなかった。疑問を投げかけたナリクァンさんも、それ以上の証拠を求めようとはしなかった。ここにいる誰もが、このカラビナの力を認めてくれたようだった。
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