第391話:俺を生贄にナリクァン夫人を特殊召喚
遅い朝――といってもおそらく、日本で言えば八時ごろなんだろうけど、日の出とともに起きるのが染みついてしまった俺には、十分に遅い朝だった。
「ふふ、やっと起きてくれました」
そう言って頬にキスしてくるのはリトリィ。
「さっきから、あとゴフン、あとゴフンって、全然起きてくれないんだから」
そう言って、ついに掛布団を全部ばさっと引き剥がしたのはマイセル。
ヒヤリと冷たい空気にさらされて、やっとぼんやりとしていた頭が稼働し始める。
ひどい倦怠感は、間違いなく明け方近くまで張り切り過ぎたせいだ。だが、ベッドから立ち上がろうとして腰砕けになった俺に対して、女性陣の腰まわりの充実感の半端ないこと! うん、女性はたくましい!
「昨日、ムラタさんに言われて思ったんですけど」
朝食の給仕をしながら、マイセルが切り出してきた。
「ムラタさん、しばらくその……ナリクァン様の商会で、日雇いでいいですから、しばらく働いてみたらどうですか?」
突然の話に面食らう。
ナリクァン商会で働けとは、どういうことなのだろう。
するとマイセルは、何やら一生懸命、身振り手振りを加えながら続けた。
「ほ、ほら! 今回、その……貴族のひとの仕返しがこわいんですよね? だったら、ナリクァン商会とつながりがあることをもっと示せば、あちらから手を出してくることはないかもしれませんよ?」
「……そういうものなのか?」
「え? だってだって、あのナリクァン商会ですよ? 街一番の商会ですよ?」
「うん、それは分かるけど……」
「自前の護衛隊をもってて、冒険者の手も、騎士団の手も借りずに王都と往復できる隊商を組めるくらいなんですよ!?」
何故か必死にナリクァン商会の優位性をアピールするマイセルに首をかしげる。だが、ナリクァン商会の護衛隊の強さは、以前、奴隷商人との戦いで知った。
たしか、自堕落な冒険者よりもきちんと給料をもらって戦う訓練をしている護衛隊の面々の方が、単純な武力における戦闘力については侮れない強さを持っているんだとかなんとか。
そんな集団と関連がある人間、ということをアピールすることができるというのは、例えは悪いが、ヤクザがバックにつくようなものか。そういえば昨夜、ナリクァンさんはあのクソ貴族野郎に対して一歩も退かずにやり合っていたし、そういうものなのかもしれない。
昨日の今日で庇護を求めに行くのは、確かに理にかなっているのかもしれない。だが、そんな独立心のないところを見せるのは果たしてどうなのだろう。
結婚前にナリクァンさんの誘いをあえて蹴飛ばした俺だ。そらみたことか、なんてことになったら、あまり良くない結果になりそうな気もする。
「……そうだな。働かせてもらうかどうかはともかくとして、昨日のお礼は間違いなく顔を出さなきゃいけないだろう。何か手土産を見繕って、さっそく今日、行くことにしよう」
「……え?」
俺としては、礼を言うことで縁を繋ぐつもりだったのだが、マイセルはなぜかわたわたと奇妙な踊りにみえる動きで訴えてきた。
「あ、あの、お礼だけじゃなくて、ナリクァンさんのもとで働く方が――」
「いや、俺、じつはナリクァンさんのもとで働くように一度誘われたんだが、それを蹴ってるんだ。そんな俺が、自分が殴り込みをかけた貴族にやり返されるのが怖いから、なんて理由でナリクァン商会を頼るのは、筋が通らないように思うんだよ」
マイセルの、顎が落ちそうなくらいにあんぐりと空けた口、その間抜けに過ぎる表情を目にしたのは、これが初めてだったと思う。
「……いいのですよそのくらい。別に恩に着せるつもりもありませんし」
ナリクァンさんは薄く笑うと、俺たちに飲み物をすすめてきた。
「なにせ、わたくしが目をかけている娘さんの身に危機が迫っていたわけでしたから。当然のことです。それに……」
ナリクァンさんは、俺の隣に座るマイセルを見た。
彼女が緊張して背筋を伸ばすのが伝わってくる。
「それに、ムラタさん。あなたが我がナリクァン商会の役に立つということを証明してみせると言ったそうですね? 一体どのような形でわたくしどものお役に立ってくださるのか、大変楽しみにしているのですよ」
そう。
マイセルが俺にナリクァン商会で働いてはどうかという提案をしたのは、実はそれが理由だったのだ。
ナリクァンさんは大商会の元会長、そして今でも大きな影響力を持つ人物。
彼女がこうと決めたら、商会は間違いなくそちらに大きく舵を切る――そんな人物なのだ。当然、彼女は自身の持つ影響力の大きさを自覚しているため、私的な理由で商会の人間を動かしたりはしない。
商会にもたらされる利益が、彼女の私的な理由によって動く損失を上回る見込みが立たない限り。
つまり、本来なら動くはずのなかったナリクァンさんを動かすために、マイセルが出した条件、それがナリクァン商会で俺が役に立つ、という口約束だったのだ。
『ごめんなさい! 勝手な約束をしてしまって!』
商売をしたことがある人間なら、たとえ口約束といえども契約の重さはよく分かるだろう。マイセルがナリクァンさんを動かすことができたのは、ひとえに俺を生贄にしたからなのだ。
……俺を生贄に、彼女の中の最高の手札たるナリクァン夫人を特殊召喚してターンエンド! そのおかげでリトリィを無事取り戻すことができたのだ。それを考えれば俺の未来を少しばかり切り売りしたところで何の問題もない。
むしろ恩を売ってやるのだ、ナリクァン商会に。むしろここからが俺のターン!
「これは、私が夏の終わりまで働いていた現場で、私が考案した器具です」
「……これが、なにか?」
「この有用性は、荷造りをよくなさる隊商を率いるナリクァン様なら、よく分かるのではないかと」
ナリクァンさんは、俺が示した器具――Dの形に似たそれを、手に取る。
「……なんでしょうか、この輪は」
「私はカラビナ、と呼んでいます」
「……
「……
「……え?」
「……え?」
……なんだか久しぶりにこんな会話をしてしまった気がする。いや、確かに以前もやったことがあるぞ、あのときは誰が相手だったか。まあいいや。
「ええと、この部分。この部分に物を押し当てると、――このように、一部が内側に折り畳まれます」
「……それで?」
「それだけです。力をかけるのをやめれば、元に戻ります」
ナリクァンさんは、しばらくいじくっていたが、首をかしげてテーブルに戻した。
「……それで、この輪が、なんなのですか?」
「どうでしょうか」
「どういう意味かしら?」
「権利を、買い取っていただけませんか?」
「権利を、買い取る?」
「ええ。製法は現在、リトリィだけが知っています。その品物の作り方、安全な使用方法、全てお教えします。ただ、その名に、あるいは製造者に「ムラタ」の名を冠することだけお許しいただければ」
ナリクァンさんは首をひねりながら、カラビナをもう一度手に取った。
「これが、何の役に立つのですか? こんな、簡単に開いてしまう輪が」
「ええ、簡単に開いてしまいますね」
そこで、俺は別に用意しておいた、先端を結んで輪にしたロープを見せた。
「そう、簡単に開いてしまうんです、このカラビナは。そして――」
カラビナに輪をくぐらせると、引っ張ってみせた。
何度も乱暴に引っ張ってみせる。
最後に、指でフックの部分を軽く押し開けて、ロープを外してみせた。
「簡単には
ナリクァンさんは無表情のままだった。
さすが、こういう商談の場では内心を押し隠すことが上手い。商会を大きくし、君臨してきただけのことはある。
だが、夫人は無表情のまま、もう一度、カラビナを手に取った。ロープを押し当て、何度も連結させては外す、を繰り返す。ふふ、と口元が緩んだの、俺は見逃さなかったぞ!
俺の知識とリトリィの技術を生贄に、俺の使える最強の手札――ナリクァン商会の力を特殊召喚! 俺とリトリィだけではなかなか広められないこのカラビナを、ナリクァンさんの力を借りて広める作戦でターンエンド!
カラビナにムラタの名をつけて広めることで、結果として俺の影響力を街の内外に広めるって寸法だ!
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