第390話:離さない
「……起きているんだろ?」
マイセルが俺の胸元で立てる寝息が落ち着いてきたころに、そっと声をかける。
――大きな三角の耳がパタパタと動いた。
しばらくすると、リトリィがむくりと起きだした。
「……お気づきになられていたんですか?」
どこか気恥ずかし気に、視線を微妙にずらしてこちらを向くリトリィ。
そりゃそうだ。マイセルが切なげに大きな吐息を漏らすたび、感極まって悲鳴を上げるたび、そのたびにリトリィの耳はパタパタしていたのだから。
「敏感なリトリィが、マイセルのあの声に起きないはずがないもんな」
「もう……笑わないでくださいよ」
頬を膨らませる。
どうも、全く眠そうな様子が見えない。ずっと起きていたかどうかはともかく、少なくとも今はすっかり目が冴えているようだった。
「どうして寝たふりなんかしていたんだ?」
「だって……。マイセルちゃん、きっと、がんばりましたから。今夜はマイセルちゃんにゆずろうって思って……」
ふむ。耳は伏せられたままで、そして微妙に視線を合わせないところが気になるが、がんばった妹分に俺を譲ろうと思ったわけか。
耳がぴくぴくと揺れているのは、きっと本音のところでは自分をこそ、と思いつつも、妹分のためにやせ我慢してみせたというところの表れなんだろう。その健気な思いに、胸が熱くなる。
「いつから起きていたんだ?」
「……さきほど。マイセルちゃんが
マイセルが絶頂を迎えたときの声と言われても、そのときの彼女はシーツを噛み締めて必死に声を漏らすまいと耐えてたぞ? いや、声が漏れてはいたけれど、叫ぶというほどでもなかった。
で、耳はパタパタとせわしなく動き、あさっての方に視線を向けているリトリィ。
……ダウト。
「そうかそうか、最後の声でたまたま起きちゃっただけ――なんだな?」
「ひゃん!?」
リトリィの弱いところなど、体のすみずみまでしっかり把握している俺だ。とぼけたって無駄だからな?
「ぃ、や……っ! はぅっ、だめ、ぇ……っ!」
彼女がダメと言うことをやめて良かったことなど、ひとつもない。やるなら徹底的にすべし。
――で、しばらくして、ビクビクと痙攣しつつ、息も絶え絶えにぐったりとなったリトリィがそこに転がっていた。
「やっぱりずっと起きてたんだな」
本当はすぐに自白したのだが、くすぐったがって悲鳴を上げ続ける彼女が可愛らしくて、そして妙に色っぽくて、ついやりすぎてしまった。
……反省していない。反省なぞするものか。これからもやってやる。
「……本当に、ずるいですよぅ……。わたしはこんなにも、くすぐられて死にそうになっているのに、どうしてあなたは、平気なんですか……?」
「そりゃ鍛えられてるからな」
「……くすぐりに耐えるのに、鍛えるとかそんなこと、関係あるんですか……?」
「もちろん。俺の脇も脇腹も、鉄壁の防御がなされているからな」
リトリィのくすぐりかたは単調なのだ。そんなもの、中学時代の悪ふざけ野郎たち同士、徹底的に鍛え鍛えられた俺には通用しない。多少くすぐられたりつつかれたりするぐらい、なんともないのだ。わっはっは。
「……やっぱりずるいです。でも……」
ほっぺたを膨らませたリトリィだが、何を思ったか悪戯っぽく笑うと、俺の急所に手を伸ばしてきた。
「こちらはまだまだ、わたしの方が上のようですからね?」
「え? あっ、ちょっ……今夜の分はマイセルに使っちゃったからもう……!」
「ふふ、あなたの
いつもどおりにしてさしあげます、と極めていい感じの笑顔のリトリィ。間違いない、さっきのくすぐりの仕返しだ……!
「だいじょうぶです。絶対に離しませんとも。本当の空っぽ、最後の一滴まで、ちゃんと搾り取って差し上げますから」
「い、いや、あの……せめて手加減を……」
「いやです♡」
最初に奥まで導き入れる瞬間までは、確かに悪戯っぽい様子だったリトリィ。だが、すぐにぽろぽろと涙をこぼし始めたのには驚いた。
「……どうした?」
「あなたが……」
リトリィはしゃくりあげながら、けれど嬉しそうに答えた。
「あなたが来てくださってる……。私の
数日ぶりの彼女の中は、とても熱く感じられた。なじみ深い熱さのはずなのに。
マイセルのぬくもりを先に何度も味わったために、その差がより熱く感じられているのだろうか。
いつも以上に熱くうねるその胎内に、俺は感嘆のため息を隠せない。
ただ、いつもと違って彼女は俺に組み敷かれることを望んだ。
ただただ、すがりつき泣きながら幸せそうに何度も達した。
俺が彼女の胎内に愛を注ぎ込むたびに、俺の背中も折れよとばかりにしがみついてきた。
俺の腰を挟み込む太ももをよじらせて、少しでも奥に、一滴でも多く、貪欲に飲み干そうとするかのように、腰を擦りつけてきた。
ごめんなさい――彼女は耳を伏せながら、恥ずかしそうに上目づかいで俺の唇を舐める。それがまた愛おしくて俺も彼女の舌を舐めると、嬉しそうに唇を求めてきた。しばらく、俺の口内を蹂躙する彼女の舌を堪能する。
「――でも、なにがごめんなさいなんだ?」
「だって……。もうすぐ夜明けでしょう? あなたもお疲れだったはずなのに、こんなにもかわいがっていただけたのが、その……」
確かに、窓から差し込む月明かりはだいぶ横に伸びている。もうすぐ夜明けだ。マイセル、そしてリトリィと、よくもまあ俺も頑張ったものだ。
……というか、リトリィに無理矢理起こされ続けた息子に勲章をくれてやりたいくらいである。しおらしいことを言っているが、リトリィが叩き起こし続けたのだ。
いや、それに付き合い続けた俺も俺だけどな。あのクノーブっていう野菜、あれは絶対に男を腎虚で殺す野菜だ。バイなんたらとかいうED改善薬なんか目じゃない効果があると思う。
童貞だった俺がそんなもの使ったことなんてないから、本当のところは分からないんだけどさ。
それはともかくとして、彼女がこれほど俺を求めた理由、それはなんとなく分かるんだ。
あのとき――奴隷商人に捕まって、そして帰って来た時もそうだったから。
彼女は不安だったに違いないんだ。以前と同じように、俺が愛してくれるかどうかについて。
俺自身はリトリィとマイセルしか女性を知らないし、それ以上知りたいとも思わない。それに、俺を見出してくれたリトリィこそ最上の女性だと思っているし、最良の縁だと思っている。リトリィも、そのこと自体はきっと理解してくれているはずだ。
けれど、それでも不安でたまらないのだ、きっと。
他の男性と関係してしまったかもしれないと疑われることが。
疑われ、愛が冷めてしまうことが。
そんなこと、絶対にない――俺はそう言い切れる。
でも、ストリートチルドレンとして生きてきた彼女は、男――オスという生き物の醜悪な面を、その目で見て、触れて、肌で感じてきたのだ。
俺がどんなに言葉を尽くしたって、態度で示したって、その根源的な体験が記憶の奥底にある限り、無邪気に男を信じることなどできないのかもしれない。
だから彼女は俺を搾り取るのだ。
俺の愛を独占するために。
盛んに俺の顔を舐めてはキスを求めてくる彼女に応えてやりながら、彼女が抱えている闇の深さを思うと、どうにもやりきれない思いになる。その闇を、今回またしてもほじくり返すことになったあのクソ貴族野郎を、なんとかして罰することはできないものか。ああ、腹が立つ。
「……あなた?」
どうも、そういう俺の邪念を感じ取ったらしいリトリィが、不安そうに見上げてきた。本当に敏感なひとだ。俺はその頭を抱えるようにすると、安心させるために何度も撫でる。
彼女の、ややくせっけのあるふわふわの髪は、ボリュームがあってなんとも触り心地がいい。リトリィは少しくすぐったそうに耳をぱたぱたとさせたが、しかしされるままに、俺の胸に顔をこすりつけた。
「あなた、リトリィはここにいますから。あなたのおそばにいますから。おそろしいことは考えないでください。ずっとおそばにいてください。あなたがいてくれるだけで、わたしは幸せなんです」
「……おそろしいことなんて、何も考えていないよ。ずっと一緒だ。ずっと君のそばにいる」
耳がぱたぱたとしているところから、きっと不安なんだろう。
すまない。不安がらせて。
――大丈夫。もう、君を離さない。離すものか。二度と。
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