第388話:ただいま

「ムラタァ!」


 アムティは騎鳥シェーンにまたがると、手のひらをこちらにみせながら笑った。


「今回の仕事は、なかなかの綱渡りで楽しめたからさァ。また変わった仕事、見繕って寄こしなよォ?」

「ああ、アムティ。ありがとう、本当に君たちのおかげだ」

「本当に僕たちのおかげですからね? シェダインフェールダーの十二年物、楽しみにしていますよ?」


 ヴェフタールが、アムティの隣に騎鳥シェーンを寄せながらにやりと笑ってみせる。


「冗談言うな。ボトル一本で金貨が二、三十枚も吹き飛ぶようなもの、俺が買えるわけないだろ。……冗談だよな?」

「はっはっは。……本気ですよ?」


 ――おいっ!


「なにを言ってるんです。奥さんを無事取り戻すことができたんですから、安いもんでしょう」

「成功報酬に色を付けるからそれで勘弁してくれ!」

「いいですねえ。期待していますよ」


 二人は何やら言い合いながら、あっというまに闇に消えた。

 それを見送っていると、後ろから肩を叩かれた。いたい!


「ムラタさんよ。あんた、本当に嵐を呼ぶ男だな。この歳になって貴族の館で暴れることになるとは、思ってもみなかったぜ」


 マレットさんだった。多少、疲れが見える声色だったが、俺の肩をバシバシぶっ叩く力には、疲れなど毛先ほども感じられない。


「ありがとうございました。マレットさんがたくさんの大工に声をかけて現場をひっかきまわしてくださったおかげで、リトリィを無事、助け出すことができました。なにより、マイセルちゃんがナリクァンさんを説得してくれたのでしょうね。本当に助かりましたよ」


 頭を下げた俺に、マレットさんは頭をばりばりとかきながら笑った。


「それはあいつに言ってやってくれ。あいつはもう俺の娘じゃねえ、あんたの嫁が、あんたとリトリィさんを助けようとして駆けずり回った結果なんだからな」

「ええわかってます。ですが、マレットさんが素敵な娘さんに育ててくださったおかげで、今回も助けていただけましたので」


 心底そう思う。マイセルが走り回ってくれたから、マレットさんたちが今回の件で応援に来てくれたのだし、ナリクァンさんという強力な助っ人にも動いてもらえたのだろうから。

 すると、マレットさんは頭をかく手を止めた。

 半目になって、ずいと顔を近づけてくる。


「本当にそう思うか?」

「もちろんですよ!」

「だったら――」


 そう言うと、マレットさんは俺の両肩をがしっとつかんだ。

 指が肩に食い込む! 痛い、痛いってマレットさん!


「さっさと孫をこしらえてやってくれ。何なら今夜、すぐにでも」

「そ……それは、えっと……! 子供は授かりものですからっ!」

「だ・か・ら! 子供を授ける相手はおまえさんだろう。さっさと仕込めと言ってるんだ」


 青筋を浮かべたいかつい笑顔が、さらに近づく。近い痛い近い痛い!


「マレット、いい加減にせんか」


 俺の窮地を横から救ってくれたのは、瀧井さんだった。鉄砲の肩に当てるぶっとい方で、マレットさんの脳天を小突く。


「瀧井さん! お世話になりました!」

「なあに、こんな老骨でも役に立てて良かった。これからも遠慮なく呼んでくれ」

「それにしても、鉄砲の弾っていうのは五十年経ってもまだ使えるんですね。驚きました」


 あの貴族野郎の足元をえぐった一発。

 あの一撃が、フェクトールの詭弁を終わらせた。

 やはり暴力がすべてを解決する――とは思いたくないが、抑止力という言葉の力を見た思いだった。


 ところが、瀧井さんはからからと笑うと、ポケットから四つの弾を取り出した。どれも未使用のもののようだった。


「なあに。あの一発の前に、四発連続で不発だったんだよ。挿弾子クリップの最後の一発がやっと当たりだったんだ。いやあ、ヒヤヒヤしたもんだよ」


「そ、そうだったんですか」

「おうともさ。あんたは本当に運がいい男だ、いろんな意味でな」

「運がいい……ですか?」

「ああ。わしはあんたほど運のいい男を見たことがない」


 かっかっかと笑う瀧井さんだが、今までの自分を振り返って、とても運がいいとは思えない。ケチのつき始めは、とりあえずこの世界に落っこちてきたところからだろうか。


「何を言う。そもそも、こんな素敵な嫁さんを捕まえたお前さんが、運が悪いはずがなかろう」

「それは……確かにそうですけど」


 はにかむリトリィと頭をかく俺を見比べたマレットさんが、即座にヘッドロックを仕掛けてくる。


「なんでえ。リトリィさんとウチの娘に、不満があるのか?」

「いえまったく全然ありませんとも! 俺は世界一の妻に出会えた、世界一運のいい男です!」

「そうだろう、そうだろう。自分の幸せ、忘れるんじゃねえぞ?」


 そう言って笑うマレットさんに苦笑しながら、瀧井さんは続けた。


「……それにだ。わしの知る限り、お前さんはいつも致命的な危険をひらりとかわしているようだ。まるで神様が味方をしているかのようにな」


 ……いや、でも嫁さんを二度もさらわれるとか、毒塗りナイフで刺されるとか、全然運がいいように思えないんですけど。


「それは捉え方の違いだな」


 マレットさんは、俺の首から腕をほどくとちょっと真面目な顔になった。


「二度もさらわれたのに、リトリィさんは無事だった。あんたも毒塗りナイフで腹を刺されたのに、特に後遺症もなく生き残っている。それどころかあんたが中心となって事件が解決されている。これがどれだけすごいことが、分からないか?」


 マレットさんの言葉に、瀧井さんも大きくうなずいた。


「いいか? ひとは首を落とされなくとも、腹に一本、ナイフが刺さっただけで死ぬんだぞ? わしがこの世界ここに来た時には、蒸留酒で消毒という概念すらなかったからな?」


 言われて、あのフェクタールのよくしなるレイピアを思い出す。間違いなく、あれはよく切れる剣だったはずだ。

 よくもまあ、そんなものを湿った手ぬぐいの一撃で絡め取ることができたものだ。あれこそ……運がいい、ということになる、のかな?


「そうだな……ムラタさん、あんたは本当に運のいい男だ。ウチの娘にも、その幸運をぜひ分けてやってくれよ?」


 がっはっはと笑いながら、マレットさんがまた、肩をばしばしと叩いてきた。




「ここはもう、わたくしにまかせてお帰りなさい」

「で、ですが俺は妻をさらわれた当事者で――」

「そのお嫁さんはもう、あなたのもとに帰ってきた。それで十分ではなくて?」


 ナリクァンさんは、薄く笑った。力なくへたり込むフェクトール公と、そのフェクトール公の肩を抱くようにして俺たちをにらみつけているのは、彼の子を腹に宿した猫属人カーツェリングの少女、ミネッタ。


「……彼との話し合いは、元貴族のわたくしのほうがふさわしいでしょうからね。大丈夫ですよ、後始末はきちんとつけてみせますからね」


 びくりと肩が震えるフェクトール公。

 ミネッタの目が、さらに険しくなる。


「……ナリクァンさん、その娘は、フェクトール公の子供を身ごもっていて――」

「見ればわかりますとも」


 ナリクァンさんの目は、厳しい。

 だがその視線は、よく見るとフェクトール公に向けられているのであって、ミネッタのほうではないことに気づいた。


「わたくし、あの子の愛情の発露は、嫌いではないのですよ? いびつではありますけれど、むしろ好ましいと思うくらいです。あとはよいようにしますから、あなたたちはお帰りなさい」


 いつの間にか、ナリクァンさんの周りには黒服の男たちが集まってきていた。

 おそらく、さっきフェクトール公と対峙していた時も、どこかに待機していたのだろう。


「……お前はあの時の正直者だな。自分から貴族の家に乗り込むとは恐れ入った、人間は変わるものだな」


 黒服の一人が、小さく笑った。黒服の男たちはみんな似たような感じだったからひとりひとりを覚えているわけじゃないが、もしかしたら一言二言、言葉を交わした奴だったかもしれない。


「ほら、行くがいい。お前自身の手で助け出した奥方と一緒に。奥様のご厚意を無にするな、あの時以上に恐ろしいことになるぞ?」




「お帰りなさい、ムラタさん!」


 ドアを開けた俺に飛びついてきたのは、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたマイセルだった。


「ただいま、マイセルちゃん」

「お、おねえさまあぁぁぁああああっ! よく、よくご無事で……!!」


 あとはもう、言葉にならなかったようだった。玄関先で、俺とリトリィにしがみついて号泣するマイセルの頭を撫で、そして、その前髪をかきあげる。


 ぐしゃぐしゃの顔を上げた彼女の額にキスをすると、俺は万感の思いを込めて彼女を抱きしめ、もう一度、同じことを口にした。


「――ただいま、マイセル」

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