第387話:愛は共に幸せになるために

「わたしは幸せなんです、この方の愛をいただけるだけで」


 それは、月明かりの中でもそうと分かる、自信に満ちた微笑みだった。

 その透き通るような美しい瞳に、俺は改めて、自分を選んでくれた女性が、この世界で一番のひとだと確信を深める。

 

「……それはリトラエイティル嬢、何度も言うが貴女が本当の幸せを――」


 こめかみを押さえるようにして、けれど不敵に笑ってみせた貴族野郎だったが、リトリィは微笑みを浮かべたままそちらに向き直り、はっきりと言った。


「あなたにとってはそうなのかもしれません。けれど、わたしにとっては不要な幸せでした。そして、わたしと同じように知らなければそれですんでいた女の子達も、あの館の中には何人もいるはずです」


 リトリィは、どこか憐れむような目で、自分が閉じ込められていた館の方を見た。


「もしかしたらあなたは、本当に善意でわたしたちをあの館に囲ったのかもしれません。けれどあなたのしたことは、本来ならわたしたちの手に届かなかった贅沢を見せつけて、後戻りできなくしてしまっただけです」

「そんなこと、あるはずがない!」


 フェクトールが血相を変える。しかしリトリィはそんな貴族野郎にも、憐れむような視線を向けた。


「きれいなドレスなんていりません。香りのよい香水なんていりません。わたしには、夫の愛があればそれで十分なんです」

「あなたはフェクター様の愛を知らないから、そんなことが言えるだけ! あなただって、フェクター様の愛を受け入れれば分かるわ!」


 ミネッタが牙をむいてリトリィを睨みつけるが、リトリィはそれを憐れむように見つめるだけだった。


「だいたいあなたはフェクター様があんなにも――」

「お黙りなさい小娘」


 凛とした迫力ある声に、その場の全員が固まった。

 ――ナリクァンさんだった。


「誰が正しく誰が間違っているか――そんな下らないことなど、どうでもよいのです。こんな茶番はいつまでも続けるものではありませんわ、フェクトアンスラフ公。リトリィさんのお気持ち、本当はもう、分かっておられるのでしょう?」


 何かを言いかけたミネッタを貴族野郎が制して、その背にかばうようにした。

 それを見て、ナリクァンさんはすこしだけ口元を緩めたように見えたが、また厳しい表情に戻る。


「あなたは、リトリィさんの愛を勝ち取るには遅すぎた――それだけです」

「……なにが愛だ!」


 貴族野郎がいきり立って叫んだ。


「夫人よ、私に愛を語るだと? 貴女が? 貴女こそ男爵家から身売り同然に、成り上がりの商売人、フィルイックケーディック氏に嫁いだのだろうが! カネに目がくらんだ男爵家の生け贄でしかない貴女が、愛を語る資格なぞあるものか!」


 しまいにはヒステリックに高笑いをしながら叫ぶクソ貴族野郎に、みなが一斉にナリクァンさんを見て、そして貴族野郎を見た。


 ――ああ、この男はいま、一番踏んではならない地雷を踏んだ。

 誰もがそう思ったと思う。少なくとも俺はそう確信した。


 ナリクァンさんは、微笑みを浮かべたままだった。


「……そうですわね。たしかに、そんなこともありました。――でもね、坊や?」


 ナリクァンさんが、閉じた扇子で口元を隠すようにしながら、続ける。


「わたくしは、坊やのやり口と違って、不本意ではあっても納得ずくで夫のもとに嫁ぎましたの。我が夫はわたくしの領地まで、花で飾られた四頭立ての馬車で丁重に迎えに来てくださって」


 そして、鼻で笑った。


「わたくしのことを、必要以上に飾りたてもせず、座りきりにもさせなければ牛馬のように使い倒すようなこともせず、まして己の正しさなどさかしらに語って聞かせたりもせず――わたくしをば人生の片腕として起用し、常にわたくしの考えを聞き、議論を重ね、共に働き、共に生きてくださいましたわ」


 つう、と俺のほうに視線を流すと、含み笑いをしてからまた、フェクトールに目を向ける。


「――そう、貴方のおっしゃるところの、女に依って立つことしかできぬ、どこぞのヘタレな建築士さんのようにね?」

「…………!」


 貴族野郎が息を呑むのが分かる。

 ……いや、そこで俺をダシにしないでくださいよナリクァンさん。リトリィはリトリィで、嬉しそうに俺の腕に腕をからめてくるし。


「……私は! 憐れな獣人族ベスティリングどもを救うために――」

「ええ、毛長種ファーリィの方々がこの街――城内街で暮らしていくのは、なかなか大変なことね。そうね……タキイ氏が奥方、ペリシャさんくらい有名な方でないと。でもね?」


 ナリクァンさんは、俺たちのほうに扇子を向け、実に楽しげに続けた。


「お分かりかしら、くちばしの黄色いお坊ちゃん? 女は幸せにされるのではなく、これと定めた相手と、のですよ」

「……わ、私が間違っていると、あくまでも、そう言いたいのか……!」


 絞り出すような声に、俺が不穏なものを感じた瞬間だった。


「私は……私は間違ってなどいない! 愚かで弱い者は強い者が守らなければならないんだ! 私は――!」


 その瞬間だった。


 バンッ――!

 乾いた破裂音が空間を引き裂き、フェクトールの足元がはじけ飛ぶ。


「ひっ――!?」


 静まり返った中で、カシャガシャン、と、を操作する音が聞こえてくる。


「フェクトール公よ。お前さんも男なら、引き際をわきまえるとよかろう。この火を噴く杖が、再び火を噴く前に、な?」


 銃弾を再装填し終えた九九式小銃を構えた瀧井さんが、場違いなほど穏やかな声で、姿を現した。




 月明かりの中、崩壊した館の瓦礫を前にして、俺たち大工ギルドのメンバーは、明日からの作業の手順について打ち合わせを行った。


 とりあえず、手の空いている者はできるだけ瓦礫の運び出し作業を行うことになった。クソ貴族野郎フェクトールは腹が立つ奴だが、ナールガルデン家自体はこの街の発展に尽力してきた有力な貴族。ボンボンをしばき倒すことまではやっても、それとこれとは別らしい。


 歴史的な価値のある建造物のため、できるだけ瓦礫となった石材を再利用して建て直すことも決まった。

 焼けてしまった部分も、館のほかの部分を参考にしてできるだけ元と違和感がないように復元するため、歴史的な建築物に造詣の深い者でそのあたりの指揮を執ることも決まった。


 瓦礫の再利用は安く済むように見えて、間違いなく費用が高くつきそうだと思ったが、フェクトール公スポンサーからは特に文句も出なかったことから、それで決まった。


 復元を意図してわざわざ瓦礫の山からパズルのように石材を探すっていうのは、余計な手間がかかってかえって高くつくってことを知らないんだろうな。石材をどこから取ってくるのかは知らないが、運搬に川を使える――コストを抑えられるなら、新しい石材の方が安く済むかもしれないというのに。


 ……知らない方が悪い。情報弱者はいつの世も搾取されるんだ。俺が強力に再利用を推し進めたなんてのは秘密だけどな!

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