第384話:誇りを賭けた戦い

「それにしても、でっかい穴が開いちまったなあ」


 マレットさんが、土煙の収まらない屋敷を見ながら言った。


「館のだいたい五分の一が崩壊か。五分の三と五分の一をそれぞれ残して分断状態、といったところだな。まあ、クレーンあんなもんが降って来るなんて完全に想定外だが、家造りの耐衝撃基準を見直した方がいいのかもしれねえな」

「せっかく火を消したのに、これじゃ……」


 リトリィの大きな三角の耳が、すっかり前に伏せられている。よほどがっかりしているようだ。俺の活躍がなかったことになってしまった、と思ったのだろうか。


「いや? ムラタさんの活躍には、ちゃーんと意味があったぜ?」


 マレットさんは、そう言って建物が崩壊した部分を指差した。


「もし消火ができていなければ、今よりもっと燃え広がっていたはずだ。それこそ、三階までな。そうしたら、崩れたあともさらに燃え広がって、結局館の大半――下手したらすべてを焼いていたかもしれない。ムラタさん始め、冒険者の連中が命がけで火を消したから瓦礫になるだけで済んだ、とも言えるな。だんなの働き、誇っていいんだぜ?」


 リトリィを優しい目で見下ろしながら、冒険者たちの、そして俺の行動の価値を、マレットさんは説明してくれた。ただ、言い終えてから思いっきり意地悪な笑みも浮かべる。


「……ま、燃えてなくなっちまうよりはよっぽどいいとはいえ、建て直すには相当なカネがかかるだろう。ウチの家族に迷惑かけた分、たっぷり搾り取ってやるつもりだけどな!」


 がっはっはと豪快に笑いながら、俺の背中をばしばしと叩いてくる。


「痛いですって。それよりほどほどにしておかないと、逆に恨まれますよ?」

「なぁに、妥当な範囲内で凝った造作ぞうさくにして、ぐうの音も出ないようにしてやるさ。それなら文句ないだろう?」


 さすがはマレットさん。姓もちネームド大工の特権で、合法的に値段を吊り上げるわけか。俺も思わず悪い笑みを浮かべてしまう。


「あらあら。ではわたくしも、特にこれといったわけもなく高級な資材を投入させていただいてもよろしいかしら?」

「ああ、いいんじゃないかな? ナリクァン様直々に選定なされた資材なら、箔も付くってもんよ! お貴族様なんだからよ、お屋敷にはひとつ、こだわりって奴を見せてもらいてえよな」


 特に理由のない高額資材が貴族野郎フェクトールを襲う!

 ただでさえ塔の補修でカネが飛んでいくはずだったのに、自分の屋敷が吹っ飛んだんだから、もう笑うしかないだろう。


 貴族野郎は、背中を丸めて哀愁漂うありさまでずっとへたり込んでいる。

 盗作を優先し、本来の設計者をはじき出した鐘塔の計画は、資金繰りの悪化を理由に、このまま凍結されるかもしれない。これぞまさしく罪と罰、という言葉が頭に浮かんでくる。


 この仕事が大きなメシのタネになっていた大工たちには、悪いことをしたかもしれない。だからといってリトリィを諦めるなんていう選択肢は、最初から俺の中に存在しなかったけどな!


 そう思いながら、その赤い背中を眺めていた時だった。

 後ろから、悲鳴と共に女性が駆け寄ってきた。


「フェクター様!!」


 ペリシャさんよりもさらに猫に近い容貌の、ゆったりしたドレスを着た女性――リトリィを助け出した時に、リトリィを連れ出すなと言った、あの女性だ。

 地面に座り込みうなだれている貴族野郎に寄り添うと、今にも泣き出さんばかりに問いかけた。


「フェクター様、ご無事ですか? お怪我はありませんか? 痛いところはありませんか?」


 何人かの冒険者が止めようとしたが、ダルトが制止する。

 貴族野郎は、うつろな眼差しを彼女に向けると、力のない声でつぶやいた。


「ミネッタか……」

「はい、ミネッタです! お加減はいかがですか? どこか具合の悪いところはありませんか!?」


 猫属人カーツェリングの女性――ミネッタに揺さぶられるようにして問われた貴族野郎は、しかし虚ろなまなざしのまま、つぶやいた。


「……ほっといてくれ。今は関わらないでくれ」

「何をおっしゃるんですか! こんな泥だらけになって! こんなの、フェクター様らしくありません!」

「――うるさい、醜い裏切り者め! お前もどうせ出ていくんだろう! この恩知らずめが!」


 貴族野郎は、ミネッタを遠ざけるように腕を振り払った。しかしミネッタは離れない。


「何を言うんですか、私はフェクター様のおそばを絶対に離れません!」

「うるさい! ケモノ臭い奴ベスティアールのくせに、私の体に触れるな!」


 ミネッタは一瞬動きを止めた。


「フェクター様……?」


 今の言葉が信じられないといった様子で、ゆっくりと首を横に振り、そして、ためらいながらもう一度声をかける。

 だが、自分の悲劇にでも浸っているのか、貴族野郎は返事もしない。


 そんなミネッタが哀れに思えて、俺は彼女に声をかけるために二人に近づいた。


「フェクター様、私はフェクター様のおそばを離れません。こんなところで座っていては、お体を冷やします。どこか暖かいところへ――」


 ミネッタは、あきらめずに声をかけ、そして手を差し伸べた。

 だが、貴族野郎の反応は同じだった。――いや、より強かった。「私に触れるな!」と、ミネッタの手を乱暴に振り払ったのだ。


 体をふらつかせたミネッタがバランスを崩したのを見て、俺は慌てて彼女のもとに駆け寄った。かろうじて、転倒する前に支えることに成功する。

 ただ、彼女の反応は薄かった。俺に抱きとめられても、そのショックの大きさのせいか、目いっぱいに見開いた目は貴族野郎に向けられたままだ。声の一つも上げなかった。


「なんでぇ、自分が囲っていたくせに」


 マレットさんが、呆れたように吐き捨てる。

 ミネッタのお腹には、彼女の話を信じるならば、クソ貴族野郎の子供がいるはずだ。ミネッタは、その子の名前も貴族野郎がすでに考えた、と言っていた。

 その彼女を転倒させかねなかった、今の粗暴な振る舞いは許せない! 母子ともに万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ!


「ちょっと、アンタさァ! お貴族様だからって何でも好き勝手できると思うんじゃないよォ!?」


 食ってかかるアムティに、俺もうなずき加勢する。


「この女性のお腹にはあなたの子がいることくらい、知っているだろう! 転ばせてしまったとき、もし何かあったらどうするつもりだったんだ!」

「……こ、ども……?」


 虚ろな目で、だが貴族野郎は俺の方に向き直った。


「こども……だと? だれが、だれの……だ」


 ――コイツは!!

 ここで、彼女を前にして、しらばっくれる気か!!


 どんなに望んでも授からず、毎月涙を流すリトリィを見てきたせいだろうか。

 今のこの言葉は、俺にとってあまりにも挑発的な言葉に受け止められた。

 だからだろう、俺の中で怒りが爆発する。


「お前の子供に決まってるだろうが、この――!」


 パシン――!


 唐突な、乾いた破裂音。

 あまりも唐突で、だからその音が、俺の左の頬から発生したことを、俺はしばらく、理解できないでいた。


 大粒の涙をあふれさせている猫属人カーツェリングの彼女が、その音の発生源などと。


「なにも知らないくせに、しゃしゃり出ないで――」


 ビタン!!


 俺に向かって非難の声を上げたその猫の顔が、派手な音と共に横を向く。


「だんなさまに手を上げる人は、誰であろうと許しません!」


 ――リトリィだった。いつの間にか、俺とミネッタの間に割り込むように立っていた。

 っておい! 分かった、リトリィストップ! 俺のためだってのは分かったけど、やりすぎだって往復ビンタは!!

 ってミネッタさんも待てって! 二人とも落ち着いて――いた、痛い! 痛いって二人とも! こらリトリィ、爪立てるなって!


 ってちょっと! マレットさん、指差して腹かかえて笑ってないで、二人を止めてくださいよ!!


「女どうしのケンカに割り込むからだ。愛する男のために、女の誇りをかけて戦ってんだぜ? ほっとけばいいものを、割り込む方が悪い」


 いや、そんな! ほっとけるわけないでしょうが!


「ムラタさん、本当にあなたという人は、女心というものが分からない方ですね。しばらくそうやって、二人のあいだでもみくちゃにされていればいいのですよ」


 な、ナリクァンさんまで……!


 こうして、俺は一人で絶望的な戦いを強いられることになり、最終的に俺をボロボロにしたことにようやく気付いたリトリィが手を引く形で、女二人の戦いは終わったのだった。

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