第382話:やっぱり一番の英雄さま
【注意】
火災と消火に関するお話ですが、天井まで焼くような炎が上がっているような状況に遭遇した場合、早急に119に通報し、速やかに脱出してください。ムラタが作中で言うように、炎よりも煙に巻かれる方が危険です。決して個人で消火しようと思わないでください。
――――――――――
へしゃげて低くなった天井からぶら下がるカーテンを舐めるように、めらめらと炎が縦に伸びてゆく。
……ああ、見たことがある、防災訓練の動画で。
カーテンに燃え移った火は、縦方向に伸びる可燃物たるカーテンを、一気に飲み込んで燃え広がっていくんだ。
それが今、目の前で始まってしまった。
なんとかそれを阻止するためにアムティ達に助言をしたけど、間に合わなかった。
これはもう、だめだろう。今はまだ一室で燃えているだけだが、この炎を消すことができるだけの大量の水を、継続的にまき散らす方法がないのだ。
この館はおしまいだ、あきらめて脱出するしかない。
すると、窓の内側から水がぶっかけられていくのが見えた。窓が内側から叩き割られて、アムティが顔を出す。
「ムラタァ! 言われた通りカーテンに水をぶっかけたよォ! 次はどうするんだい!」
……ああ、もう間に合わないんだ! 今は突入した冒険者たちが、煙に巻かれて倒れる二次災害を防ぐしかない!
「すまない、アムティ! もう天井まで火の手が届いているなら無理だ、煙だってすごいはずだろう、もう脱出しろ!」
「泣きごとなんていらないよォ! アタシらはこの街の冒険者なんだからさァ、できることをやるんだよォ! なにかいい手はないのかい!」
「カーテンに燃え移っているんだ、あれが一気に天井を焼く! 焼けた天井はそのまま上の階を食い破るように燃え広がっていくんだ! 食い止められなかった以上、もう間に合わない! 煙に巻かれる前に脱出するんだ!」
「天井を焼かれなければいいんですね、わかりました。やってみましょう」
アムティが引っ込んだそのすぐ後に顔を出したヴェフタールが、ひきつった笑顔でとんでもないことを言う。
「おいばかやめろ! 無茶だ、煙に巻かれる前に脱出しろ!」
そう叫んだのと、火の付いたカーテンに水がぶちまけられるのとが、ほぼ同時だった。だが、それで火がすべて消えるはずもない。そう思った瞬間だった。
燃え上がるカーテンに飛びつくようにして、そのままカーテンを抱き込むように窓をぶち破って飛び出してくる影!
ばらばらと降ってくるガラスの破片に皆が悲鳴を上げながら逃げ惑う中、風にあおられ炎の塊になったカーテンと共に二階から飛び出してきたのは――
「……ったく、追加料金を請求する先はどこだ?」
「――ガロウ!!」
全身ずぶ濡れの狼男は、まるで熱さを感じていないかのように、燃えるカーテンを面倒くさそうに引き剥がす。
濡れた毛皮は特に焦げた様子もなく無事だったが、しかし無茶をするものだ。
リトリィのふわふわな毛並みで同じ場面を想像してしまい、身の毛がよだつ。
しかもガロウの奴が投げ捨てたカーテンから火の粉が盛大に舞い上がったものだから、俺は慌ててリトリィの前に立って彼女をかばった。
「で? 次はどうすりゃいいんだ? 絨毯にもタペストリにも火が燃え移って、部屋は火の海だ。冒険者の奴らが叩き消しているがどうにも間に合わん。ちまちま水を運び込んでる余裕はないぞ?」
「だから、あんなクソ貴族の屋敷だ、燃えてしまったところで――」
「だめです」
リトリィが、俺の服を引っ張った。
「だめです。こうなったのは、いくらわたしを助けてくださるためだって言っても、だんなさまが原因なんでしょう? 大工さんがおうちを燃やしてどうするんですか。すぐになんとかしましょう」
まっすぐな瞳に俺は嫌だとも言えず、けれど消火装置もない以上、打つ手もない。あきらめてもらうよりほかはないとしか言いようがない。
「いま、だんなさまはカーテンをなんとかすればっておっしゃっていました。だったらだんなさまはご存じのはずです、なんとかする手立てを!」
いや、そんな腕をつかまれてゆすぶられても、俺だって消防士でもなんでもない。防災訓練の動画で見た光景から、もう間に合わないと判断しただけで……!
「水がなくても火は消せます! 山の工房では、万が一のときのために、工房のすみに砂山がありました! 砂をかけて火を消すんです!」
しまいには俺の胸元をつかんで揺さぶってくる。自分がひどい目に遭わされた奴の館だというのに、どうしてこんなに必死なんだろう。
「あのかたは方法を間違えてしまいましたけど、情熱はあったと思うんです! それに同じ街に住むかたなんです、助け合わなきゃ!」
「助け合うって、お前、オレたちが助けてなかったらあのオスに何をされていた立場だったか、もう忘れたのか。寝言は寝てから言え。第一、砂で火が消えるわけないだろう」
ガロウが馬鹿にしたように突っ込むが、リトリィは真剣に訴えた。
「消えるんですよ! 火じゃなくて、火元にかけるんです! だんなさまだって、なにか方法をご存じなんでしょう?」
――そうか!
砂をかけるのは、冷却と、酸素の遮断!
酸素を遮断すれば火は消える!
「アムティ! アムティ聞こえるか!」
声を限りに叫ぶと、アムティが顔を出してきた。かなり表情は切羽詰まっている。
「泣きごとだったら聞かないよォ!」
「カーテンだ! さっき水をかけて濡らしたカーテン! それを使え!」
「カーテンなんか何につかうのさァ!」
叫びすぎて喉がやられて咳き込む。だが咳き込みながら怒鳴る。
現場が見えているわけじゃないから実践できるかどうかは分からなかったが、とにかく声を張り上げた。
方法は単純だ。
まず、できるだけ十分に濡れたカーテンを、力任せに引きずり下ろす。
次に、濡れたカーテンを、一気に火元にかぶせる。
以上。
酸素さえ遮断すれば火は消える。
もちろんそのまま放っておいたらまた燃えだしてしまうから、すぐさま水をぶっかける必要があるけれど、とりあえず時間稼ぎにはなる。すぐに引火しないための濡れカーテンだ。
「布を火にかぶせるって、バカなこと言ってんじゃないよォ! 余計に燃えちまうだろォ!?」
「消える! 少なくとも時間は稼げる! いいから黙って俺の言うことを聞け!」
リトリィが片手に水の入った手桶、片手で
マスク代わりに口元に布を巻き付けておいて、それだ。なかったらもっとひどかったに違いない。
部屋は歓声で満ちていた。
カーテンをかぶせただけなのに火が消えた、嘘みたいだと、誰もが大騒ぎだ。
「……ムラタァ! アンタすごいじゃないか! たったこれだけで火を消せるなんてさァ! どういう奇跡なんだいコレ!」
アムティが満面の笑顔で俺のほうに走って来るが、俺は最も激しく燃えていた場所を聞くと、リトリィと共にそこに走って、カーテンの上から水をぶっかける!
「ナニやってンだい? もう消えたんだしさァ、今さら水をぶっかけたって――」
「違う! 一時的に消えているだけだ、熱を持っている限りすぐにまた火がつく! 水だ、もっと水を持ってくるんだ!」
――と、別の場所で、白い煙が立ち上り始めたカーテンから火が上がった! くそっ、カーテンの水分が足りなかったか!
「せっかく稼いだ時間だ、もっと水を持ってこい! 火がついたそこのカーテンはすぐに外して外に投げ捨てろ! 急げ!!」
俺がとっかえしながらかすれる声で叫ぶと、一瞬、顔を見合わせた冒険者たちが、一斉に動き出した。共に階段を駆け下り、井戸まで水を汲みに行く。
リトリィは、彼女用に調教されたわけでもない
建物の中を背の高い鳥の背中で疾走するというのは、今にして思えばなかなかスリリングな体験だったはずだ。ドアなど、ぶつかるギリギリの高さ、幅だったしな。
だが水を運ぶために何度も往復していたその時は、そんなこと、考えることもできていなかった。
落ち着いてきたのは、月が半分ほどの高さまで昇ってきたころだったか。そのころには煙もほぼ収まってきて、ひと段落ついたと、ようやく一息つくことができるほどになっていた。
水浸しになった床。
焼け焦げたタペストリ。
焦げたカーテンの下で原形をとどめていないテーブル。
本来は美しい模様があったであろう絨毯なんて、焦げて濡れて踏みにじられて、本当にひどいありさまだ。
天井もすっかりすすで真っ黒だし、火であぶられたところなど黒々と焦げている。
カーテンは全部引きちぎられ、窓は何か所か盛大に割れている。
ただでさえこの部屋は、俺が突入した時のあのクレーンやらなんやらの破壊でぐっちゃぐちゃだったらしいのに、実にまったく、無惨としか言いようのない状態になってしまった。
だが、その破れた窓の外から、おそらく屋敷で働く者たちの歓声が聞こえてくる。
一階の井戸の周りで、水を運ぶために往復する俺たちに交代で水を汲んでくれていたこの屋敷の使用人や騎士たちも、おそらく人心地ついていることだろう。
一時はもうだめだと思ったけど、なんとか食い止めることができた。
「おつかれさまでした、あなた」
リトリィが、ぺろりと頬をなめる。
「あなたのおかげで、火も消し止められました。やっぱりリトリィのだんなさまは、この世で一番の英雄さまです」
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