第381話:罪と罰

「ムラタァ!」


 背後から俺の背中を突然ぶん殴ってきたのは、アムティだった。やたら笑顔なのは、無事にひと仕事を終えたからだろう。


「今の見てたよォ! 何だったんだい、今の技は!」

「いや、俺も無我夢中で……」

「謙遜なんかしなくていい、実に鮮やかな手際だったぞ」


 ダルトが肩を叩きながら笑った。


「そオそォ! 無我夢中なんて言っちゃってさァ! 手ぬぐいをシュルッとからめて相手の剣を奪うなんてさァ、偶然にできるようなことじゃないでしょォ? どういう流派で、どういう技なんだい?」

「……いやアムティ、本当に無我夢中で」


 ――言えない。

 元ネタがただの遊び・・・・・で、巨大ロボをも布の一枚で倒してしまう某東方師匠のマスタークロス、だなんて。




「で、この後始末どうすんのさァ?」


 アムティたちは、例の館から数人の女性たちを連れて来ていた。

 みんな動物的な特徴が濃い顔つきの女性ばかりだ。


「彼女たちは?」

「アタシたちと一緒に、館を出ることを選んだオンナたちさァ。アンタの連れ合いと同じ、本来の相手がいるんだって言ってねェ……」


 アムティが、ちょっと複雑な顔をしている。

 獣人の女性たちも、なにやら手放しに嬉しそう、というわけでもないようだ。


「いろいろあるんですよ」


 ヴェフタールが、何とも言えない微妙な笑みを貼り付けたまま答えた。


「彼女たちも、ここに拉致されたときには確かに愛する相手がいたのでしょうが、今帰って、以前のような関係を再構築できるかどうか……こればっかりは僕たちには分かりませんからねえ」

「向こうにしてみれば愛する相手が帰って来るんだ、嬉しいんじゃないのか?」

「あなたはそうだったみたいですけどね。日も浅いですし。でも、彼女たちは違うんですよ。おそらくもう、そこの男と何度も関係を持ってしまっているでしょうしね」


 言い終えてから、ヴェフタールは彼女たちを見て、何ともやり切れない顔をする。


 ――そうか。

 彼女たちは、もう、俺とリトリィとの離ればなれの時間よりも、ずっとずっと長く離れていたのだ。


 俺の傍らには今、リトリィがいてくれている。

 シックな紺のロングドレスに身を包んだ彼女は、そっと俺の腕に腕を絡ませ寄り添ってくれている。

 目が合った俺に微笑みかけ、鼻先を近づけ頬をそっとなめてくれる彼女がいる。


 彼女と慎ましく生きていきたい――そんなささやかな願いは、俺に「奴隷商人との戦い」「マイセルというもう一人の妻」そして「再び妻の奪還」という、なんとも波乱に満ちた人生をよこした。


 互いに苦しい時をくぐり抜けねばならなかったし、互いに辛い思いもした。でもそのすべてを乗り越えてきた。だからもう、どんなことがあったって俺は彼女への愛を貫ける自信がある。


 しかし、助け出したはずの獣人の女性たちは。


 もしかしたら、相手には新しい相手ができているかもしれない。

 そうでなかったとしても、自分とは違う男に抱かれていた事実を相手は冷静に受け止められるのか――それもまったく分からない。


 館で自分たちを取り囲んだ女性たちのことを思い出す。その時の人数を思い返せば、今も館に残っている女性の方が多いのは間違いない。それをもって、あの貴族野郎はおおむね正しかった、ということもできるかもしれない。


 けれど、ヴェフタールの言葉から考えれば、館に残る理由はあの館の居心地がいいから、というだけではないだろう。

 館を出て本来のパートナーを探したところで、もはや関係修復が難しいと判断して残らざるを得ない、貴族野郎にすがるしかない――そんな女性もいるだろう。


「それでも、相手が自分を待ってくれている――ここにいるのは、それに賭けた女性たちですよ。複雑な表情の意味、分かりましたか?」


 改めて貴族野郎を見る。

 なんとも罪作りな男だ。

 地面に座り込み、うなだれているが、全く同情できない。

 獣人の女性を救う――その実態はこれだ。


 女性たちは、貴族野郎の方をちらちらと見ては、ため息をついたり憐れむような視線を向けたりしていた。

 少し不思議なのは、憎んだり蔑んだりするような目を向けていないことだ。自分を館に閉じ込めた男であっても、肌を重ねた相手だ。多少は情が移っているのかもしれない。だが女性を拉致・監禁し、思いのままにしようとした最低野郎だ。同情の余地など無いはずだ。


「ナリクァンさん。今回のような件の場合、貴族にはどこまで罪と罰が適用されるんですかね?」


 だが、ナリクァンさんは苦笑いをして首を横に振るだけだった。やはり貴族は罪には問えない、ということなんだろうか。それとも今回の虐待の対象が獣人ということもあり、罪が軽んじられてしまうのだろうか。


 どうせ貴族ってだけで不逮捕特権のようなものがあるんだろう。ますますもって、腹が立つ。貴族にも容赦なく厳罰を科せる優秀な裁判官は、どこに行けばいるのだろうか。クソ貴族野郎にはしばらく刑務所で臭い飯でも食ってきてほしいのだが。


 ところが、この俺の不用意な言葉が、奴に火をつけてしまったらしかった。


「……なんだと? 今、貴様は私を罰すると、そう言ったのか……?」


 貴族野郎のぞろりとした口調に、冒険者たちが一斉に抜剣する。


「フェクトール公。貴公を拘束したくはない。動かないでいただきたい」

「黙れ! 貴様、平民が私を罰すると言ったか! 貴族の私を罰すると!」


 ――しまった! 貴族って奴のプライドを考えていなかった!


「舐めるな! 私は貴様になど負けておらぬ、よって貴様から受ける罰もあるものか!」

「フェクトール公!」


 冒険者たちが剣を構える。だが、貴族野郎は全く臆することなく立ち上がると、俺をまっすぐ睨みつけて叫んだ。


「ナールガルデン辺境伯が五男にしてシュタルムヴィンテ騎士団大隊長! 先祖伝来の屋敷と領地を守る月耀げつよう騎士団団長フェクトアンスラフ! 領民の窮状を救わんがためにしたことで断罪されるいわれなどない!」


 ……こ、こいつ! まだ言うのか!

 いや、大言壮語を吐き散らす輩ほど、自分の嘘に酔いしれてそれが正しいと思い込んでしまうと聞いたことがある。この男もそうなのかもしれない……!


「ゆえに私に罪などない! 私は――」

「……ぼっちゃま! ぼっ――フェクトール様!! いち、一大事にござりまする!」


 貴族野郎が、俺に向かって踏み出そうとしたときだった。

 黒服に身を包んだ初老の男が、血相を変えて走ってきた。

 ――俺たちに今回の鐘塔の依頼を持ってきた人物、レルバート氏だった。


「……レルバート! 今、私はこやつに鉄槌を下さねばならないのだ! 些事はあとに回せ!」

「一大事にござります! お屋敷の屋根を襲ったあの物体の周辺の軋みが異常であると、駆けつけた大工どもが騒いでおります! あの屋根の辺りは先祖伝来の品々が収められている応接間などがございます! どうかご指示を! それから――」


 慌てふためくレルバートさん。執事というのはもっと沈着冷静な存在だと思っていたが、こうして滑稽なほど慌てている彼を見ていると、執事といえども人間なんだなあと思ってしまう。


「指示も何もあるか! お前の判断でどうにかなろう! 長年の風雪に耐えてきた我が一族の魂たる館、火の手が上がらぬ限りそう簡単にどうにかなるとでも――」

「その、火の手も上がっているのでございます!」

「なん……だと!?」


 あんぐりと口を開ける貴族野郎に、レルバートさんが腰から九十度、何度も頭を下げる。


「申し訳ございませぬ! 暗さゆえにここからはまだ火も煙も見えにくいようでございますが、夕食の準備中、二階の食堂で準備を始めていたろうそくがどうも火元のようで……!」

「誰だ火元管理者は!」

「それが……あの騒ぎのさなか、怪我を負って治療中だったようで……!」

「だったらほかの者が代わりに見回ればよかっただろうが!」


 キレて当たり散らす貴族野郎に、そんな場合じゃないだろうと思い始めていたら、アムティが騎鳥シェーンに飛び乗った。


「フェクトール公! アンタ、屋敷を灰にしたいのかい!? みんな、ここは一度剣を収めるよォ! 屋敷に走りなァッ!」




 俺たちがいた場所からは確かに見えにくかったが、裏手――つまり鐘塔のある方、俺たちが突入した側に回ると、火の手が回り始めているのが見えた。


 こうして外から見る分には確かに分かりづらかったかもしれないが、それにしたってなぜここまで気づかれなかったのか。

 半壊した部屋の奥の方で燃えていることから、おそらく倒れたろうそくの火が、テーブルクロスに燃え移ったのだろうが。


 もしかしたら、現時点でも消火器が何本もあればなんとか消せたかもしれないが、しかしこの世界には消火器なんてない。


 さらにまずいことに、俺たちがたどり着いたころにはまだ床に広がっていただけの火が、今まさにカーテンに燃え移り始めていた。


 レンガの家を再建するときに改めて知ったが、石やレンガでできた家といっても、石やレンガなのは壁だけで、床も天井も屋根も木製だ。つまり壁は燃えなくても、床も天井も燃えるのだ。


 事実、壊れた天井から垂れ下がったカーテンに燃え移った炎は、すでに天井をあぶり始めている。ここまで燃え広がったら、もう手に負えない。一気に燃え広がってゆくだろう。桶の一杯や二杯程度の水をかけたところで、もはや勢いは収まりそうにない。


「神よ、なぜこのような試練を私に……!」


 貴族野郎が膝をつく。奴のやったこと自体は腹が立つし、これが奴の罪に対する罰なのかもしれないとも思うが、しかし口に出すのはためらわれた。


 騎鳥シェーンに乗った冒険者たちはすでに館内部に突入していて、消火活動を試みている。といっても叩いて消す以外にほとんど方法はない。一応、桶に水を汲んで突入していったが、どこまで効果を発揮させられるだろうか。

 文字通りの焼け石に水、もはや手が付けられないだろう。これが彼に課せられた罰であるかのように。


 マイセルが、その装飾から歴史を発見して感動していたこの館が失われるのは、もはや時間の問題なのかもしれなかった。

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