第380話:形勢逆転!
「ふん……誰かと思えばナリクァン夫人ではないですか」
貴族野郎は、手を広げて大げさに嘆いてみせた。
「なるほど……。そういうことだったのですか。今回の件、あなたが冒険者をけしかけたのですね? これはひどい協定違反だ。相互不可侵を破る裏切りだ。貴族院に訴えればどうなるか、お分かりでしょうね?」
しかしナリクァン夫人は、閉じた扇子を口元に当てたまま落ち着き払って答える。
「そうですわね――と言いたいところですが、とりあえず、あの館にいる獣人のお嬢さん方にお話を聞いてみるとしましょうか?」
「なにを異なことを。あの女性達は、私がその苦境から救って保護したのですよ。おかしな言いがかりはやめていただきたい」
「本当かしら? 少なくともこちらのお嬢さんは、そのようには考えていないようですけれど?」
そう言って、用意された服に着替えているリトリィに目をやる。俺の上着一枚だったリトリィだが、ナリクァン夫人があらかじめ用意しておいてくれたらしいドレスに着替えることで、やっとまともな格好になることができた。
……いや考えてみれば、山で暮らしていた頃はペラペラな貫頭衣にパンツ一枚で全てという、今から思えばとんでもないかっこうだったけどな! 胸の尖端の突起、いつも透けて見えてたし! 俺、よく理性を保てたものだよ!
「そんなことはない。食事も上等なものを提供し、ベッドも服も用意した。彼女を一人のレディとして丁重に扱った。実に紳士的だと思いますが?」
「この女性はね? このわたくしが、彼と結婚することを承諾した娘さんなの。その意味がお分かりかしら?」
ナリクァン夫人が、意味ありげに含み笑いをする。貴族野郎の顔が引きつるのが分かった。
「……獣人の女性の後見人になったとでも? 正気ですか?」
「もちろん正気ですよ?」
とってもかわいい娘さんですからね――そう言って、俺に目配せをする。今度は俺の方が硬直した。ナリクァンさんはとても頼れる人だが、怒らせるとものすごく怖いということもまた、骨身にしみている。
「正気かどうかというなら、
「……
貴族野郎が、ひきつった表情のまま答える。
……そうか、
だが、いくら思い返してみても、獣面の女性ばかりだったぞ? 耳だけが獣、という「一般的な」獣人女性なんて一人もいなかった。みなリトリィほどでないにしろ、動物の特徴が濃く表れた顔の女性ばかりだった。
――というかだ! リトリィほどの獣面の女性は、王都の
同じようなことを、この地域の防衛を担当する貴族がやらかしていたってことか!?
俺の言葉に、貴族野郎は「ぐ、偶然だ!」と叫んだ。
「獣面の女性はそれだけ差別されやすく、
「じゃあ、
「貴様……そうやって私を貶めようというのだな? 馬鹿なことを、私が彼女たちを守っているという事実は変わらぬのに!」
憎々しげに剣を突きつけてくる貴族野郎だが、そうやって激昂するということは痛いところを突かれた、ということに違いない。
コイツ、やっぱりケモノ好きなただの変態だったんだな。保護とか何とか言い訳しているが、結局は獣人女性をはべらせたかっただけなんだろう。
そう考えると、奴の子をお腹に宿し、純粋に信じている様子だったあの
彼女にしてみれば、なにがしか過酷な半生を過ごしたうえで奴に見出されてここで暮らしていたことは、たしかに幸せだったのだろう。奴の甘い言葉を信じて、奴の語る理想に夢を馳せて、この館で暮らしてきたに違いない。
貴族野郎にしてみたら、
「守っている、ですって? 夫のいる女性をも閉じ込めて、薬物で意のままに操っていることの方がよっぽど問題だと思われますけれども?」
「そんなこと、あるはずがないでしょう? 言いがかりはよしてもらいましょうか」
「では、こちらのお嬢さんに聞いてみましょうか?」
ナリクァンさんは薄く笑って、リトリィの方を見た。
「……これは奇妙なことを! 曲がりなりにもこのオシュトブルク方面を守護するシュタルムヴィンテ騎士団大隊長にして直属の月耀騎士団を率いるこの私と、いち庶民に過ぎぬ
「そんなもの――」
ほほほ、と閉じた扇子の奥で笑ってみせたナリクァン夫人は、実に楽しげに答えてみせた。
「この子に決まっているじゃありませんか。わたくしはこの子の後見人ですからね」
「……それは実に分の悪い話だ。それではこの娘の言ったことがどんなに荒唐無稽なことであったとしても、私の言い分は聞いてくださらないということですね?」
「そうね」
ぎりっ――奴の、歯を噛み締める音がここまで聞こえてくるような、そんな表情に、俺は危険な匂いを感じ取る。あまり追い詰めたら、奴は――
「……では夫人よ。あなたは私を吊るし上げるために来たということですか」
「おかしなことをおっしゃいますわね? この子があなたの理想を認めていれば、何の問題もないはずですが? この子はとても素直ないい子ですから、あなたにやましいことがなければ、むしろあなたの味方になるはずですよ?」
そう言うと、ナリクァンさんはリトリィに向き直り、優しく声をかける。
「リトリィさん? あなたはこのフェクトール
リトリィは間髪入れずに首を横に振った。
「ではあなたはどこでなら幸せになれると思うのですか?」
「わたしの幸せは、だんなさまの――ムラタさんのお側にいることです。それ以外の幸せなんてほしくありません」
「あらあら。もう少し迷ってもよかったのに」
「どうしてですか?」
一瞬の迷いも恥じらいもなく答えて、実に不思議そうに小首を傾げるリトリィ。
「……正直すぎるというのも、時には残酷ね」
さすがのナリクァンさんも、純真すぎるリトリィの受け答えには、苦笑するしかなかったようだ。
俺もいま、全力でリトリィを抱きしめ撫でまわしたい。全力でやせ我慢してるけど! だって今、ナリクァンさんがリトリィを撫でまわしてるからな!
「わ……」
その時だった。
「私は間違ってなどいない! 貴様だ、貴様さえいなければ私は――!!」
貴族野郎が、悪鬼羅刹のごとき表情で俺に向かって斬りかかってきた!
斬られる――そのままでは間違いなく俺は死ぬ。
瞬時にそう理解できた。
なのに、体が動かない。
かろうじて、手に持っていた手ぬぐいを握りしめることができただけだ。
死ぬ――殺される!?
「だからよ、でっかいお世話だっつってんだろ」
ガロウの言葉と共に、貴族野郎の体がふわりと浮いたと思ったら、思いっきり顔から地面に滑り込んだ。
思わず手ぬぐいを構えてしまっていた俺は、敵とはいえ男のプライド的に見てはいけないものを見てしまったような気がして、なんだか気まずい思いになる。
貴族野郎は動かない。
そっと近づいてみるが、反応がない。
ガロウは突き出していた右足を引っ込めると、小馬鹿にするように吐き捨てた。
「さっきも言ったが、そのメスはオレの言うことも聞かずにレンガでぶん殴ってきた筋金入りの跳ねっ返りだ。カネだとか何だとかで転ぶようなメスじゃねえ。お前が割り込む隙間はもう、ねえんだよ」
おいばかやめろ。
そこで追い打ちをかけるな、さすがに武士の情け的に!
「……し」
だしぬけに、貴族野郎が立ち上がった。
服の泥も、顔の泥も払わず。
「死ねぇッ!」
突き出された剣。
のけぞりつつ、思わず振り抜いた手ぬぐい。
――経験があるだろうか。
水に濡らしたタオルを、手首のスナップを効かせて振るという、アレ。
いったい、どんな奇跡だったのか。
俺の汗を吸っていた手ぬぐいの、その尖端は。
奴の剣に絡みつき。
そのまま奴の手から、剣を奪い取ってしまったのだ。
「ふぬっ……き、貴様……!!」
慌てて剣を拾い上げようとする俺。
奪い返そうとする貴族野郎。
そして、
「だんなさまをきずつけるひとは許しません!」
リトリィのタックル、そしてガロウの――
「往生際が悪いぜ?」
背負い投げのような技で、奴は今度こそ、沈黙したのだった。
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