第379話:頑なな善意は

「彼女は自分のその手で、自分の生き方を勝ち取ってきた。鉄を打つ生き方も、俺のもとで生きる生き方も。彼女は強く、賢く、そして美しい。彼女の高潔な魂を、俺は誇りに思う! ――美しい生き方をしてきた彼女に選ばれたことを、俺は誇る!」


 俺の手を握るリトリィの手のひらに、力がこもる。

 俺も改めて握り返す。


 ――ああ。

 俺を選んでくれた彼女を、決して後悔させるものか。


 リトリィを背に隠すように立ちはだかる俺に、貴族野郎は左手で顔を覆うようにして、肩を震わせ始めた。それはやがて、高らかな笑いに変わっていく。


「ふ、ふふふ……ふはは、ははははッ! 誇り……誇りだとだと!? 実に滑稽じゃないか。国を背負ったこともないただの庶民が誇りとはね! 随分と大それたことを言うじゃないか!

 ――庶民の家を建てるだと? その程度で誇りだと!? なんとちっぽけな!」

「ちっぽけで、いいんですよ」


 ヒステリックに叫ぶ貴族野郎に対して、リトリィが静かに答えた。


「それでいいんです。身の丈を超えるような望みなど、わたしには、いりません。だれかの幸せのために生きたい――そうおっしゃってくださるかたの隣に、わたしは寄り添いたいです」


 リトリィは、一度言葉を切った。俺を見上げ、そっと体を寄せてくる。

 気づいて彼女と目を合わせると、小さな笑みを浮かべて、そしてまた、奴にまっすぐ目を向けた。


「――そのうえで、わたしのそばにいつもいてくださって、わたしを一番に必要としてくださって、わたしが一番欲しいものを分かっていてくださる――それだけで、わたしは幸せでいられるんです」

「リトラエイティル嬢! 幸せだと言ったな、だが本当にそれが幸せなのか! 貴女の言葉からは、美しい発声ひとつできない環境で育ってきたことが分かるぞ! それは貴女の魅力を損ねる重大な問題だ! 私のもとに来れば、専門の教師をつけてやることもたやすいのだぞ!」


 ――こいつ!


 確かに、リトリィの発音は独特だ。声そのものはとても綺麗なのに、ほかの人たちの発音と比べると、どこか息が抜けるような、滑舌の悪い音として聞こえてくる。

 もともとこの世界――この地方の言葉が分からない俺だから、意味が頭に浮かんでくる翻訳首輪のおかげでそんなことが気にならないだけだ。


 一時期、この街の最有力の商人にして元貴族であるナリクァン夫人から花嫁修業の指導を受けていた時は、そのあたりもかなり厳しく指導されたようだ。だが、遂に十分な改善には至らなかった。


 猫属人カーツェリングのペリシャさんや狐属人フークスリングのフィネスさんはきれいに発音できているのだから、リトリィの幼少期の育ちが問題だったということのようだ。


 だが、彼女の発音のことをあげつらうというのは、彼女のつらい過去をほじくり返した上でその生き方をよろしくないものだったと、罪であるかのように断ずるようなものだ。


 彼女は懸命に生きてきたのだ。

 食べるものにも事欠くありさまで、男の劣情に応えることで――体を売るギリギリのところで食べ物にありつくような生活だったという。


 その中で純潔を守り抜き、

 スラムの子供達と懸命に生き抜き、

 この世界に落ちてきた俺に出会ってくれた。


 滑舌が、発声が何だというんだ。

 そんなもの、彼女の魅力を傷つける要因になど、なりはしない!


「そうやって女を磨かせないからリトラエイティル嬢は不幸のままだというのが、なぜ分からない!」

「いいんだよ! リトリィはその心が誰よりも美しいし、もちろん不幸でもなんでもない!」

「その彼女を不幸に陥れているのが貴様のそうした甘い考えだと、なぜ理解できないのだ!」


 思わずリトリィのほうを見るが、リトリィは即座に首を横に振ってみせた。


「わたしはもう、十分にしあわせです。いまだってこうして、愛する人が迎えに来てくれましたから」

「そんな馬鹿なことがあるか! あなたは不幸にも、本当の幸せがどういうものなのかを知らないだけだ!!」


 貴族野郎の叫び声に、リトリィは落ち着いてゆっくりと答える。


「もしかしたらそうなのかもしれません。でも、もしそうなら、私には必要のない幸せです。わたしは、夫とつつましく生きていけるほどの幸せがあれば、それで十分なんです」

「そ……そんなことあるはずが――!」


 その時だった。

 リトリィが囚われていた建物の三階の方から大きな時の声が聞こえてきた。

 見上げると、冒険者たちが数人の獣人の女性を連れて、空中廊下を歩いているのが見えた。


「ムラタァ! アンタの言う通りだったよォ! 全員ではなかったけどねェ!」


 アムティが、こちらに向かって手を振ってきた。

 全員ではない、というのは、あの館にいた女性たちのすべてが、逃げることを希望したわけではないということだろう。

 あの館で俺に対して猛然と食いついてきた、あの猫属人カーツェリングの女性を思い出す。

 

「う……裏切ったのか、あの女たち!」

「裏切るも何も、あんたが無理やり集めてきたんじゃなかったのか」


 滑稽なほど狼狽する貴族野郎。俺が冷ややかに答えると、彼は俺を強くにらみつけてきた。


「何を言う! 彼女達は獣人ゆえに悲惨な暮らしをしてきた女性たちばかりだ! それに対して私が手を差し伸べただけだ!」

「それがでっかいお世話だったというだけだろう?」


 ガロウの言葉に、貴族野郎が「そんなはずがない!」と剣を突きつけた。


「獣人の女どもが苦しんでいないはずがない! 苦しんでいないとすれば、それは本当の幸せを理解していないからだ! 自分の置かれた状況を理解できていないだけだ!」

「だからそれがでっかいお世話だと……」

「黙れ、黙れ黙れ黙れェッ!」


 貴族野郎のヒステリックな絶叫が響き渡る。


「私は間違ってなどいない! 私こそが正しいのだ! 私こそが憐れな女たちを救ってやれるのだ!!」

「あんたの理想の中ではそうなのかもしれない。実際にあんたのことを心から慕っている女もいるようだしな」

「当たり前だろう! 強者が弱者を守り、救う! それこそが騎士、それこそが正義! 私の理想は正しいのだ!」


 ――なんだろう。

 どこかで見たことがあるような、この考え方。


「――だが俺たちには、あんたの信じる理想は不要だった……それだけだ」

「本当に豊かで幸せな暮らしというものを知らぬその日暮らしの庶民が、知った風な口を!」


 ヒステリックに嘲笑してみせる貴族野郎に、俺は強烈な違和感と、そして既視感を覚えた。


 自分こそが正しい、自分こそが真実を知っている――

 その、グロテスクなほどに頑なに自分の善――自分がを信じる考え方。


 ――カルトにはまった人間が、こんな感じだったんじゃないだろうか。


 宗教に限らない。自然食品ブーム、自給自足の集団生活、極端な菜食主義など。

 自分が正しいと信じ込みそれに邁進するだけでなく、周囲も「救う」と称して、結局まわりの人間を不幸に陥れる、あの構図。


「俺たちは俺たちで自分の幸せをつかむ! 薬を使って正気を奪ってまで言うことを聞かせようってのは、少なくとも俺たちにとって『余計なお世話』というやつだ!」

「黙れェッ! 私は間違っていない、私は正しい!」

「そうかしら?」


 場違いが声が割り込んできた。この場にふさわしくなさそうな、場違いな声。


「そちらの庶民の方のほうが、男女の仲はよほど分かっていてよ? まあ、ずいぶんと鈍感で世話を焼かせるかたではありますけれど。

 ――少なくとも、打算と欲の都合にまみれた貴族の男女間のあり方よりは……ね?」


 割り込んできたその声は、俺がよく知っている声だった。

 だがなぜそれがここで聞こえてきたのか。

 正直言うと、その声を聞いた瞬間、俺は白昼夢か空耳だと思ったくらいだ。


 だが、夢でもなければ空耳でもなかったのだ。


「リトリィさん、よく頑張りましたね?」

「ナリクァンさま!」


 リトリィスコルト・ナリクァン――

 この街最大の勢力を誇る「ナリクァン商会」のトップに君臨していた実力者にして、リトリィの良き理解者であり、俺たちの支援者パトロンたる女性……!


 それがなぜ、こんなところに!?

 マイセルの話では、商会という公の力を使うことはできないと言って、こちらからの支援の要請を断っていたはずだ。

 大きすぎる力を安易に振るうことを戒め、先の奴隷商人との対決の時も、最初は慎重な姿勢を見せていたナリクァン夫人。

 それなのに、なぜ、いま、この屋敷に――


「あらあら。あなた、またお召し物をなくしたのですか? 仕方のない子、こちらにいらっしゃい」


 ナリクァン夫人がリトリィを招き寄せる。


「本当は、せめて冒険者の皆さんがお屋敷から出てくるまで待とうかと思っていたのですけれど」


 夫人は、笑っているようでいて全く笑っていない目で、貴族野郎を真っ直ぐに見つめた。


「あなたはどうもやり過ぎてしまったみたいね。……庶民の代表として、お仕置きが必要かしら?」

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