第377話:手出しは無用

「リトラエイティル嬢、目を覚ましたまえ! その男は必ず貴女を不幸にする!」


 赤い軍服のその男は、実に偉そうにそう叫んだ。マントをばさりと払い、俺たちのほうに手を差し伸べて、まるで役者か何かのようだ。

 正直言うと、じつにサマになるカッコよさ。きっと世の女性たちにキャーキャーと騒がれることだろう。ああ、ホーリー嫉妬・・とは思いながらも実に腹が立つ。


「……おい、あの男もぶっ飛ばせばいいのか?」


 無感動に親指で指し示したガロウに、とりあえず待ったをかける。いくらクソ貴族野郎が憎たらしくても、奴を直接攻撃すると、今回の騒動の落としどころを見失いかねない。


「貴女は今、近視的なまやかしに溺れているだけだ! 私は約束する、この街を獣人族ベスティリングの者たちにも暮らしやすい街にすることを!」


 貴族の男は、滑稽なほど首を横に振り、いかにも自分こそがリトリィの理解者であるかのように訴え続けた。


「今はまだ、差別が大手を振っている! そのような街で暮らすのは不幸の極みでしかない! その男に、貴女を守る力がどれほどあろうか! 第一 ――」


 貴族野郎はいかにも俺の所業こそが嘆かわしい――そういった様子で首を振る。


「先など、私と貴女との間にはドア一枚しか隔たりがなかったというのに、貴女に破廉恥でいかがわしいことをしていた男だぞ! そんな男が、本当に頼れる男だと思うのか? 私ならそのような倫理観のない輩から守ってやれるのだぞ!」


 言うことを聞かない女を薬漬けにするようなやつが倫理観だと? ――笑わせてくれるじゃないか!


「夫婦が愛し合うことの何が悪い! どこで愛を交わそうと、俺たちの勝手だ!」

「聞いたか、リトラエイティル嬢! それこそがその男の本性だ! ケダモノの嵐のような思考だ! 間違いない、その男はいずれあなたを苦しめることになる!」


 いずれじゃないさ、お互いにもう何度も、十分に苦しんだ。苦しんだから、いまの俺たちがある――言い返そうとしたとき、それまで黙って聞いていたリトリィが、窓のほうに向かった。


「……フェクターさま。夫を悪く言わないでください。なにもかも、わたしが、自分で望んだことですから」

「なにもかも、とはどういう――」

「なにもかもです。いまわたしがここにいること、このひとのおそばにいること。苦しむ道を選んだこと。なにもかも、ぜんぶ自分で望んだことです」


 先ほど、ドアを封鎖し終えた時のリトリィの姿を思い出す。


『あなた。わたし、がんばりました。ほめてください、ごほうびをください』

『くちづけでいいです。――ううん、くちづけがいいです。ごほうびをください』


 ドアの外で垂れ流されていたクソ貴族の罵声と演説を背景に、リトリィは貪るように俺の唇を求めてきたんだ。


『好き。好き。好き。好き。――好きです、大好きです。だんなさま、リトリィを可愛がってください。あなたのリトリィです。あなただけのわたしです』


 俺をソファに押し倒し、馬乗りになってひたすらキスを求め続けたあの姿。

 もっとください、もっとしてください――そう言って。


 しっぽを絡め、

 腰をすり付け、

 淫らに吐息を振りまき、

 俺の口内を舌で蹂躙し、

 俺の唾液をすすり上げるように、


 ――まるで俺から精気を吸い取ろうとするがごとく。


 彼女が乱れたのは例の薬物のフラッシュバックなのか、それとも別の原因があるか。

 理由は分からない。だが、ひとつ言えるのは、彼女はそれを例のクソ貴族に対しては一切示さず、俺だけに示してくれたということ。

 それだけで十分、彼女の想いと誠意が伝わってくるというものだ!


「リトリィは俺の妻だ、俺が幸せにする! お貴族さまにはお貴族さまのやり方があるのかもしれないが、庶民には庶民なりの幸せってのがあるんでね! 手出しは無用に願おうか!」

「たかが庶民の力で、なにができるというのだね!」


 リトリィを抱き寄せながら叫んだ俺を、貴族野郎が嘲笑する。


「現に指輪のひとつも与えることもできず、夜会に出るためのドレス一着すら買えないような――」

「うるせえ!」


 貴族野郎の嘲笑に対して、ガロウが隣の窓から首を出して怒鳴った。


「でっかいお世話って奴だ! そこのレンガ割り女はな、オレ様の手もひっぱたいた跳ねっ返りだ。何があってもそこのクソオスに意地でもついていくだろうよ。てめえの出番はねえんだよ!」


 貴族野郎は、一瞬ひるんだようだった。だが、改めて、芝居がかった仕草で訴えてきた。


「君も原初のプリム・犬属人ドーグリングのようだな! ならば身に沁みて感じてきただろう、この街のいびつさを! 私こそが君たち獣人族ベスティリングを保護する者だ! 私のもとに来れば、私の庇護のもとで安寧を得ることが――」

「うるせえ! だからでっかいお世話だっつってんだろ!」


 ガロウは、貴族野郎が言い終わる前に再び怒鳴った。明らかに苛立った様子で。


「庇護だと? 安寧だと? 関係ねえ、オレはオレだ! オレのやりたいように生きる! てめえの都合だけでこしらえた檻の中の暮らしなんてまっぴらだ! それからオレのことを犬と呼びやがったなクソ野郎め! オレは狼だ! 一緒にするんじゃねえ!」


 転がっていた兜を投げつけると、ガロウは首をひっこめた。


「……ガロウ、お前――」

「……ケッ、勘違いするな。お前のためじゃねえクソオス。レンガ割りのためだ」


 あさっての方を向き、鼻をこするガロウ。


「オレが一度は惚れたメスを、あんなトコロに閉じ込めさせてたまるかよ。さっき見たが、あれは、あのクソ野郎のガキを産ませるための家畜小屋だ」

「……お前もそう思ったか」

「それ以外にどう見ろというんだ。そりゃ、飯が食えればそれで満足って奴もいるだろうよ。だがそこのレンガ割りは、そうじゃねえんだろ?」


 ガロウの言葉に、リトリィがにっこりと微笑む。いや、確かにそうだ。そうだけどお前、いい加減にリトリィのことを「レンガ割り」と呼ぶな。

 そりゃ、彼女は以前、お前の頭にレンガを振り下ろして叩き割ったことはあったけどさ。あれはお前がリトリィを俺から奪おうとして抵抗されただけだろうが。


「うるさい。俺がレンガ割りと言ったらそいつはレンガ割りなんだ。握ったレンガをためらうことなく男の頭に振り下ろすような奴は、『レンガ割り』で十分――」


 そのガロウの鼻先を、何かがかすめる。

 かすめたそれは鈍い音を立てて壁を跳ね返り、天井にぶつかって落ちてきた。


 ――やたら短くて太い、金属製の矢だった。


「……ほぉう、いしゆみかよ?」


 ガロウが、拾った矢を握りしめると不敵に笑った。

 ――いしゆみ! クロスボウのことか!

 ゲームとかで知ってるぞ、鋼鉄製の弓で、コンパクトながらめちゃくちゃ強力だって!


「こんなものでオレを仕留めようってのか? ナメられたもんだぜ」

「ま、待てガロウ! それ、鉄の鎧だって貫通することがあるんだろう!? それはさすがに――」

「当たらなければどうということはねえ。それよりも、ちいっとばかり頭に来たな。こんなモノでオレを仕留めるだと? 剣で立ち向かうならそれなりに相手をしてやろうとも思うが、飛び道具遣いの腰抜け野郎に容赦はいらねえ」


 凄絶な、という言葉がまさにふさわしい、耳まで裂けそうな笑みを見せたガロウに、俺は慌てて飛びついた。


「待てって! あの赤いクソ貴族は手を出すなって言ってるだろ!」

「あ? お前には関係ないだろう。いや、お前の敵がいなくなるんだ、いいことじゃねえか」

「そうじゃない、収拾がつかなくなる! 交渉の余地を残しておかないと、冒険者ギルドと貴族の間で戦争になるぞ! あのクソ野郎は俺もぶっ飛ばしたいけど、あいつだけは手を出しちゃだめなんだ!」


 リトリィを奪還する話から、クソ貴族野郎に囚われた獣人女性救出に話は大きくなったとはいえ、それでも貴族と全面戦争をするために俺たちはここにいるわけじゃない。貴族本人に手出しをしてしまうと、その建前が崩れてしまう。

 ところが、ガロウはせせら笑ってみせた。


「戦争? いいぜ、ならば戦争だ。今すぐ、あの赤い野郎の身内全部を皆殺しにすればいい。そうすれば戦争を仕掛けてくるヤツもいなくなる」

「だから待てって言ってるだろ! 俺たちはリトリィを助けるために来たんだ、全面戦争を仕掛けるためじゃない!」

「知るか。だったらお前が止めてみせろ」

「お、おい!?」


 ガロウは俺を脇に抱えると――


「またかよぉぉぉおおおっ!?」


 またしても窓を飛び降りた!

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