第375話:月に仲間を呼ぶ声が

 ドアの向こうから、なにやら罵詈雑言らしきものが聞こえてくる。が、翻訳首輪を引きちぎってしまった俺には、もうこの世界の言葉は分からない。


 この館は、隣に立てられている獣人の女性たちを閉じ込めている館と同じ構造をしている。

 つまり出入り口が、この一か所しかない。窓も、外から見た限り、この一階部分は高いところに明かり取り用の小さな窓が並んでいるだけだ。


 しいて言うなら、このエントランスホールのみ、縦長の細い窓がいくつも並んでいるという違いがある。たがそれも、幅が一尺(約三十センチメートル)ほどしかない上に、分厚い壁の内側にはめ殺しのガラス窓。


「どう見ても牢獄のような建物だな」


 俺の言葉に、リトリィが小首をかしげる。

 見た目は確かに華美だが、出入り口が一個しかないとか、窓が出入り不可能な小さなものしかないとか、普通の家とは思えない。

 外からの攻撃を防ぐ要塞か、あるいは監獄か。貴族の家だから、いざとなったら戦争に耐えうる構造になっているということなのだろうか。


 だが、そのおかげでこうして一息つけるのが有難い。今、剣の先でつつき割られた窓があったが、それ以上、奴らが侵入することはできない。窓を割られてもハラスメントいやがらせ以上の意味はない。

 包囲されている側が安心して立てこもれるとは、皮肉なものだ。


 どしん、どしんと何かをドアに叩き付けてくるが、とりあえずびくともしない。高級そうな重く分厚いドアは、きっと無垢材なのだろう。だったら頑丈だ。日本のペラペラのベニヤ板製の扉とは格が違う。剣どころか斧だって通らないに違いない。

 だから、こうして動かせるものをみんなドアの前に押し付けてバリケードを築き上げておけば、一安心だ。しばらくは持ちこたえられるだろう。


 ひと仕事を終えた充実感。で、バリケードの仕上げにと押し付けたソファーの上で、リトリィを抱き寄せる。ドア一枚を隔てて、クソ貴族たちの訳の分からない罵声をBGMにというのは、なかなか背徳的で刺激的なひとときだった。




「……破廉恥な男、だそうですよ?」

「あとは?」

「わたしの身を穢す大罪人、だそうです」

「俺たちは夫婦なんだぞ? 当たり前のことをしただけだ」


 外からの罵声の一部を翻訳したリトリィに、しらばっくれてみせる俺。リトリィが小さく微笑んだ。


「……大胆になりましたね、だんなさま」

「ならざるを得なかっただけだ。それとも、俺らしくなくて嫌だとか?」

「いいえ?」


 リトリィは、俺の頬をぺろりとなめてみせる。


「もっと、もっと、大胆になっていいんですよ……?」




 奥――二階のほうから様子を見に来たのだろう。簡素な皮鎧に身を包んだ男がこちらにやってきた。


 ダルトだった。ナイフをベルトに差しながら、走って来る。


 何かを話しかけてくるが、言葉が早すぎて、わずかな単語の断片が理解できる程度だ。やっぱり翻訳首輪を捨ててきたのは痛かった、だがしかたない。


「あなた、すこしお待ちになって?」


 リトリィが自分の首にかけている翻訳首輪の紐をほどくと、俺の首に結わえ付けてくれた。


「……で、ムラタ。なぜこんなところにいる」

「あんたたちの援護をしたくてね」

「馬鹿野郎。俺たちが何のために作戦に参加したと思ってるんだ」

「でも、こうやって敵をひとつ、食い止めることができたぞ。少しは役に立てた」


 相変わらずドシンドシンと打ち鳴らされるドアを見て、ダルトが苦笑する。


「突入したときは、こんなに不利な状況に追い込まれるとは思わなかったからな。さすが月耀げつよう騎士団、屋敷警備の人間も精鋭ぞろいだ」

「強いのか?」

「ああ、強い。屋敷警備をしているだけあって、こういう建物の中の戦いの訓練を積んでいるんだろうな。ダンジョン探索で慣れているから屋内戦は俺たちの方が有利、というのは、俺たちのおごりだったよ」


 そう言つつ、ダルトは笑顔をみせた。


「……あまり悔しそうじゃないな?」

「当然だろう? いざとなったら俺たちの街を守る月耀げつよう騎士団が頼もしいって分かったんだからな。――悔しいことは悔しいが」


 ……ちょっとまて。じゃあ、その騎士団の連中を十人以上、たった一人でぶちのめしたガロウって、どんだけ強いんだよ!


「奴は……化け物だ。あの突撃は、来ると分かっても避けられないし、食らったときの衝撃もとんでもないだろう。その上で奴は、仕掛けてきた奴に指一本触れさせずに投げ飛ばす、あの奇妙な体術を使う。法術で狙うならともかく、オレたちが簡単に倒せる相手ではないだろうな」


 ダルトが、ため息をつきながら笑った。


「本当に、奴がこっち側・・・・で助かってるよ。奴のの行方はさっぱりだが、奴がこっちに来てくれたおかげで、ガルフヤツの脅威度は大きく下がったはずだしな」


 ガルフ・・・――ガロウ・・・が人間に変身しているときの名前だ。

 ガロウがガロウでいる限り・・・・・・・・・・・・、ガルフは現れない。だがそれは、ガロウ本人以外は俺とリトリィだけが知っている秘密だ。


「そういえば知っているか? ガロウの奴、最近はすっかり冒険者ギルドに住み着いているようなものでな」


 ダルトによれば、冒険者たちに請われて体術指導をすることもあるそうだ。ぶっきらぼうだが頼まれたことは断らないそうで、彼の存在はギルドの名物になりつつあるという。

 リトリィをダシにガルフをこちら側に取り込んでおいて、本当によかった!


「……って、ガロウ! あいつはいま、どこにいるんだ!?」


 あいつがいれば、この状況をひっくり返せるはずなのに!


「分からん。俺たちが突入する前、このあたりにいた騎士団の連中を一人で引き受けると言って別れてから、どうなったかは……」


 あいつ! まさかあのあと、この騒動に興味をなくしたのか!?

 やっぱり気まぐれな奴は使いにくいってことなのか!? くそっ!

 二人してため息をつき、しかしないものねだりをしてもどうしようもないこの状況に、笑うしかないことに気づく。


「まったく、余計な仲間を呼び出したものだ。ドアの向こうにいるのは十騎長あたりか? それとも百騎長とか? あんたが食い止めてくれたおかげで、とりあえず挟み撃ちはまぬかれているけどな」

「ドアの向こうか? クソ貴族――ええと、フェクトール、とかいう奴だ」


 俺が投げやりに言うと、ダルトが驚愕した。


「フェクトール公だと!? 御大がこっちに来ちまったのか!?」

「そんなに困ることなのか?」

「当たり前だろう!」


 ダルトは顔を片手で覆うと、しゃがみこんでしまった。俺を見上げ、恨めしそうに言う。


「この屋敷の主だぞ! 主がこっちに来ちまったってことは、主力がこっちに来ちまったってことだろうが!」

「……全員縛り首とか、そういうことか……?」

「馬鹿、ギルドをなめるな! オレの言いたいことはそんなことじゃない、あんたの能天気すぎる思考にあきれてるんだ!」


 情勢にうとくて悪かったな!


「とにかくだ、フェクトール公が不逮捕特権やら自衛権やらを宣言し始めると厄介なんだ。それを主張するのは貴族としても恥だから、フェクトール公が誇り高い人物であることを祈るほかない。そのうえで、オレたちとしても、このままやられっぱなしってのは癪だ。なんとかして押し返したいところだが……」


 改めて、ダルトが「……ガロウがいれば」とため息をついた。俺もその意見には同意する。


「……あなた、ガロウさんをお呼びすればいいんですか?」


 おそるおそるといった様子で申し出てきたリトリィに面食らう。


「呼び出せるのか? あいつを!?」

「たぶん、きっと……」

「本当か!」


 ダルトの目が大きく見開いた。


「もしできるなら頼む!」




 二階に上り、三階の渡り廊下まで向かう隠し通路の前に来た俺たちは、すでに激しい剣戟の音がこちらまで聞こえてくるありさまに息を呑んだ。


 何人もの冒険者が負傷し廊下にうずくまっていた。

 すでに空中の渡り廊下は制圧され、こちらの建物の狭い階段が戦場となっていた。


 盾と鎧で身を守り、高低差のある不利な戦いの中で、冒険者たちはむしろよく健闘していると言えた。だがそれも、時間の問題のようにも感じられた。


「あの……あまり見ないでくださいその……あまり人らしくない姿だから……」


 リトリィが恥じらうように、うつむきながら言った。


「なんだ俺が幻滅するとかそんなこと思っているのか?」

「だって……恥ずかしいから……」


 俺がリトリィの姿のを恥ずかしいものだとみなすと、そう思うのか――問い返すと、リトリィはハッとしたように俺を見上げ、そして微笑んだ。


「……ううん、あなたは、わたしのすべてを、みとめてくれるかたです」


 彼女はそう言うと、そっと俺の胸に顔をうずめた。


「できれば、耳はふさいでいただけると――」

「いやだ。俺はリトリィのすべてを手に入れる男だ」

「……もう。ほんとうにしかたのないひと……」


 リトリィは小さく笑うと、窓辺に手をかけた。


 大きく息を吸い、顎を上げ、顔をまっすぐ空に向かって上げる。

 月明かりの中で、金の毛並みがふわりと広がったように見えた、その瞬間。


「アオォ――――――――ォォォン!!」


 それは、聞いたこともない、

 澄んだ、透明感のある、

 美しい遠吠えだった。

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