第374話:異世界の暗号

「そうやって俺の口を封じれば、リトリィを自分のモノにできると言いたいわけか」

「そうやって女の腰にしがみつかねば、モノも言えない輩に言われる筋合いはない」


 クソ貴族野郎は、不快そうな表情を隠そうともしないで剣を構える。くそっ、不快なのはこっちだよ!


「リトリィあの男を不意打ちで蹴り倒すことってできそうか」


 そっと、リトリィに耳打ちをする。リトリィは耳をぱたぱたとさせて、不安げに答えた。


「不意打ちでですか? ……その、できるとは思いますけど……」


 だったら俺が合図をしたら――そう言いかけると、クソ貴族野郎が高らかに笑った。


「翻訳首輪など、まともにしゃべることもできない蛮人のためのものとしか考えていなかったが、考えを改めるよ。そのくだらない考えがこちらにもはっきりと伝わってくる。実に便利だね」


 ――しまった! そうか、相手の言葉が伝わってくるのと同様に、こちらの言葉も向こうに伝わってしまうんだった!

 ぎりりと歯噛みする俺に、クソ貴族野郎は抜いた剣を突きつけた。


騎鳥シェーンで蹴り飛ばす? なかなか面白い提案じゃないか。やってみるかい?」


 そう言うと、クソ貴族野郎は剣を何度か振ってみせた。

 刃渡り一メートルほどのその剣は、細く薄くて、まるで板バネか何かのように、ヒュンヒュンとうなりを上げてしなってみせる。


 ……おい。おいおいおい、なんだあれ!

 刀と違って細いから、ちょっとでっかいレイピアみたいなものかと思ったら!


 工事現場の危険講習の動画で見たことあるタイプのやつだぞ! 薄い鋼材がビョンとはねて指を全部切断とか、ああいうタイプの!


 あれ、絶対よく切れるやつだ、間違いない! 誰だよ、西洋の剣が切れないとか言ってたやつ! レイピアって絶対に刺突剣じゃない、人間を輪切りにする鋭利な刃物だ!


「どうした、腰に差した物はやっぱりただの飾りなのか? それとも貴様は、やはり女の尻にすがりついてけしかけることしかできない、みじめなヒルでしかないのか?」


 リトリィのナイフが、あのムチのようにしなる剣に負けるとは思わない。リトリィが丹精込めて打った、サバイバルナイフを思わせる無骨な刃は、決してあの剣に劣るものではないはずだ。


 だけど、あれを受け止める俺のほうに問題がある!

 俺の動体視力と運動神経と反射性能では、絶対にあの斬撃をナイフでなんて受け止められない! 間違いなくナイフを持つ手から順に、なます切りにされる!


「女を守ると息巻いたところで、結局は女の尻に隠れていることしかできないんだな。私が女ごと斬り伏せる非道な貴族だったなら、貴様は今頃、生きてなどいまい。慈悲深い私が相手でよかったな?」

「慈悲深い? 新婚の夫婦を引き裂くことも、お貴族様の間では慈悲と主張するのか? だったら、平民と貴族ではずいぶんと慈悲の在り方が違うんだな!」


 少しずつ、俺たちを包囲する騎士たちの輪が狭まってくるのが分かる。まずい、このままじゃ冒険者たちは挟み撃ちだし、俺たち自身も危ない……どうすればいい!?


「一時の気の迷いが重大な判断の誤りにつながることもある。彼女は奴隷商人から助け出されたそうだね? それが彼女に、誤った、過大な評価を下させてしまったとしたら? その評価をもとに、判断を誤らせてしまっただけだったとしたら?」


 判断の誤りってどういうことだ!

 そんなに俺を選んだリトリィが愚かだと言いたいのか!


 その決めつけと、妙に余裕ぶった態度に、俺ははらわたが煮えくり返る思いだった。俺とリトリィのことを、何も知らないくせに!


「ばかなことを。君たちのことを私が何も知らない、だと? そんなことはどうでもいいのだよ。重要なのは彼女が獣人族ベスティリングであること、そして君が彼女を守るだけの力を何も持たない無力な一般市民であるということだ」


「だから何だというんだ!」

「わからないのか、本当に」


 じり。

 また包囲が狭められてきたのを感じる。

 ――くそっ、騎鳥シェーンの突進力を活かして脱出するか? それとも……。


「彼女を守るには力不足なのだよ、君ではね。人間、身の程を知るべきだと思わないか?」

「俺がリトリィを守ることができない――そう言いたいのか」

「言いたいのではない。女の尻にしがみついているだけで、現に今、守れていないだろう。私は現実を告げているだけだが?」


 さらに包囲が狭まる。


「……あなた、この子の走り出しの速さを考えたら、これ以上はあぶないです。打って出ましょう」

「……ま、まて、待ってくれ。そんなことをしたら、後ろがこいつらと挟み撃ちになる。そうしたら、下手したら全滅しかねない」

「でも――」


 ぼそぼそと話していた俺たちを、クソ貴族野郎が嘲笑した。


「おやおや! 女の方がよほど現実が見えているというのに、いまだに勝てるつもりなのか? 君ごときが、後ろの仲間たちを守るとでも? わたしの一刀で刈り取られる程度の力しかないのにか?」


 ――くそっ! 筒抜けになってしまう!

 俺はこの世界の言葉を話せない。

 リトリィは口の構造と育ちの関係上、正確な発音ができない。

 だから俺たちの間では、翻訳首輪が必須なんだ。

 だけど身に着けている間は、周りにも俺たちの会話が確実に伝わってしまう!

 ……どうしたらいい、ここを切り抜けて、そして――


「……あなた。わたしは日ノ本ヒノモト・ムラタが妻、日ノ本ヒノモト・リトリィです。どんなことになろうとも、この身はあなたに殉じてみせます。ですから……」


 思い詰めたようなリトリィの言葉に、俺は胸が痛くなる。

 ああ、あのとき――皆が駆け出して行ったとき、俺たちはそのまま帰ることを選択していれば、リトリィは――


「……待て、ヒノモト・・・・・リトリィ……?」




「私はね、崇高な使命のもとに動いているのだよ。一昔前と違って、獣人族ベスティリングの数は確実に増えている。にも関わらず、いまだに差別は続いている」


 クソ貴族は、大げさに両手を広げてみせた。もはや俺の方を見ているかどうかも分からない仕草だ。俺という人間をどう評価しているのか、実に分かりやすい。


「このようないびつな状態であってはいけないのだよ。人も獣人族ベスティリングも、互いに手を取り合って共に生きていく――そんな街を作りたいんだよ、私はね」


「……夫婦の仲を引き裂くのが、手を取り合って共に生きることにつながると言いたいのか?」

「それが問題なのだ。一時の気の迷いで自身を守る力を持たない者に一生を任せてしまいたくなるそんなことではいけないのだよ。獣人族ベスティリングへの差別がまだ解消されていない現状である限り、誰かが保護しなければならないのだ」


 言い切ると、リトリィに向かって笑みをこぼす。月明かりに歯が輝くのが、実に腹立たしい。イケメンであることを十分に自覚した笑みだ。


「……余計なお世話って言葉を知ってるかい?」

「よく知っているとも」


 男は、憐れむような笑みを見せた。


「――君のような輩が彼女を救おうとするような、思い上がりを戒める言葉だ」

「思い上がり……そうか、思い上がりか」


 俺は、腰に差したナイフの柄に、左手を伸ばした。

 クソ貴族野郎の目が、瞬時に険しくなる。


「――貴族をぶちのめすのは、俺の思い上がりか!」


 左手――逆手さかてでつかんだナイフを抜き放つ!


「……貴様!」

「リトリィ! 行くぞ!!」

「はい、あなた!」


 俺は右手を喉元に素早く添えると、その首にぶら下がっていた鈴のような丸いものをつかむ! 力任せにそれを引きちぎると、即座に投げ捨てて声を限りに叫んだ。


バック・・・だリトリィ!」


 俺の叫びを受けてリトリィは素早く手綱を振るうと、騎鳥シェーンは荒っぽく、だが素早く回頭して、一目散に館に駆け込んだ。館に駆け込むとすぐに飛び降り、すり傷だらけになりながら大急ぎで扉にかじりつくと、すぐさま閉めて鍵をかける!


 急いでそこらにある家具を扉の前に引きずって、扉の前に積み上げ始めたころに、扉が激しく叩かれ始めた。――間一髪だった!


「ざまあ、みろっ……!」


 荒い息をつきながら、俺はリトリィに笑いかける。

 リトリィが苦笑しながら、何やら銅像を台座ごと押してきた。ああ、それを扉の前に押し付けたら、しばらくは持ちそうだ。


 俺が引きちぎったのは、翻訳首輪の本体。

 これで俺の言葉はもう、この世界には通じない。

 分かるひとは、同じく翻訳首輪をつけているリトリィだけだ。


「……もう。まさかあんなところであんなことを言うなんて、思っていませんでした」


 リトリィが、恥じらいながら言う。

 俺が叫んだ時の連中の顔――警戒を強めて盾を一斉に押し出した連中の顔――そうことが痛快だ。

 館に駆け込んでドアを閉める瞬間に見えた、連中のぽかんとした間抜け面など、最高だった。 


 ――バック。

 この言葉は、たとえ翻訳首輪がなくても、リトリィとマイセルだけには間違いなく通じる言葉。


「リトリィなら、確実に分かってくれると思ってさ」

「分かりましたけど、あんなところでバック・・・だなんて――」

「大丈夫だよ。それがどういう意味かなんて、俺たちしか分からない暗号みたいなものなんだから」


 なぜかって? 簡単さ。

 バック……後ろ。後退。

 だが、それだけじゃない。

 後ろから愛する行為バック――寝室で、愛を深めるときに、俺が使ってる地球異世界の言葉の一つだから。

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