第370話:英雄の帰還

「おぶっ!」


 自由落下のぞわりとした感触と着地した瞬間の腹に食い込むガロウの腕。

 そして地面に投げ捨てられた時の痛み。

 地面に這いつくばって悶えていると、次々に目の前に飛び降りてくる巨大な鳥たちの影。


「ムラタァ! 生きてるねェ!?」

「……なんとか」

「早く乗りな! ずらかるよ!」

「の……乗りなって……」


 よろよろと立ち上がろうとすると、その襟首をガロウがつかんだ。


「じれったいやつだ、さっさと乗れ」


 そう言って、俺とリトリィをアムティの後ろに乗せる。


 その時、最後の騎鳥シェーンが飛び降りてきた。

 ダルトの鳥だった。


「……ダルト、その人は?」


 俺は思わず聞いてしまった。

 ダルトの背中にしがみつくようにして、犬属人ドーグリングの少女がそこにいたのだ。レトリバーやコリーといった洋犬を感じさせるリトリィとは雰囲気がだいぶ異なる、柴犬を思わせる丸っこい感じの、それでも犬の顔の雰囲気を強く感じさせる顔だった。


「あの館の主は本当に愛する相手じゃなかった――そんな女は、あんたの嫁だけでなく他にもいたってことさ」


 恐る恐るうなずく少女を見て俺はざわりと、背筋が総毛立つ思いがした。そうだ、赤い軍服のあの男は言っていた。相手のいる女を屈服させることが楽しいと。


「……この娘っ子にも、結婚を約束した男がいた――いるんだと。泣ける話だぜ」

「じゃ……じゃあもしかしたら、他にもそういった女性が、あの部屋にいるかもしれないってことじゃ……!」

「あんたの嫁さんも、そしてこの娘もそうなんだ。そのおそれは十分にあるな」


 ただ、あの中ではそんな素振り、見せることもできなかったのかもしれねえな――ダルトはそう言ってため息をついた。


「だったら今から――」

「ムラタ、できることには限りがある」


 ダルトは俺に指を一本、突きつけてきた。

 厳しい目で。


「あんたは自分の嫁さんを取り戻した。そこまでにしておけ。自分の手に余る欲は、失敗につながる。そうしたら、あんたはせっかく取り戻したものも含めて、全てを失いかねない。俺たちの働きも、全てだ。――引き際を見極めろ」


 空中の渡り廊下から、俺たちを指差して何か怒鳴っている鎧兜の男たち。

 あれらが、今度は館から飛び出してくるのだろう。


「ムラタ。お前にできることは終わった。嫁さんを無事なまま、見事に見つけ出したんだ。最上の成果だ、引き揚げるぞ」




「それでムラタァ! どっちから抜けるつもりだい!」


 どっちと言われて一瞬混乱するが、すぐに気がつく。さっき俺たちがぶち壊してしまったあの壁の破れ目か、もしくはどこかの出入り口か――


 壁の破れ目の当たりは間違いなく人が大勢いるはずだ。そんなところに突っ込んだら、身動きが取れなくなるだろう。


「どうせ、どこの出入り口も固められているに決まってる! だったら正門だ! 大工の仲間たちがあっちの方で撹乱してくれているはずだから!」

「大工仲間だってェ!? アテになるんだろうねェ!?」

「何もないより絶対にマシだ!」


 俺が強く言い切ると、アムティはこちらに顔をちらと向けてニッと笑ってみせた。


「正解だよ、よく分かってるねェ! ヴェフ、ダルト! 正門突破だ、行くよォ!!」


 ――正解? それがどういう意味なのか、計りかねて聞こうとしたが、アムティはすぐに鳥を走らせ始めた。ヴェフタールもダルトも、すぐさま続く。


「ガロウ! お前も早く来い!」

「俺はもうひと暴れしてから適当にずらかる。お前らで勝手に帰れ」

「いくらお前でも囲まれたら――」

「俺は伝説を作った男、りあるばうと☆ガロウ様だぞ」


 ガロウはそう言って不敵に笑ってみせると、手のひらを俺に向けた。

 任せろ――そういう意味だろうか。

 もはや翻訳首輪の効力範囲外だが、俺に初めて手のひらを見せる挨拶をしてみせたガロウに、俺も手のひらを掲げ、挨拶を返す。


 ――無事で切り抜けろよ!




 正門の方に向けて走って行くと、門の前がひどくざわめいていた。

 もう寒い季節だというのに、ズボンの上は短い上着一枚の男たちが押し合いへし合いしている。


 さらにその後ろでは、軽装の皮鎧などで武装した男たちがいた。例の、攪乱をしに来てくれた大工たちが挟み撃ちにされているのかと思ったが、番兵にしてはみな不揃いの格好だった。


「だからよう! お貴族様のお屋敷がひどいことになったっていうから心配して駆けつけたんだぞ! 家のことは俺たち大工が一番分かってる! 様子を見せてくれ!」


 さすが大工。じつに筋骨隆々としたいい体をした者ばかり。決して番人に負けていない。

 門をかろうじて抑えている番人たちだが、かんぬきは通っておらず、もうすぐにでも大工達が門を押し開けてなだれ込みそうな勢いだ。門を押さえるのに必死なのか、足音を殺してそっと近づく俺たちに、番兵たちは誰も気づいていない。


「ここはフェクトアンスラフ様のお屋敷だぞ! 下々の者がおいそれと入れる屋敷ではない! いい加減に帰れ!」

「何が下々の者だ! お前こそ下っ端の兵隊のくせに! お前だって俺たち大工が作った家に住んでるんだろうが!」


 番兵たちも大工も、互いに譲らない。いいぞ、大工のおっさんたち! おかげで俺たちが目立たない!


「いい加減にしろ、それ以上の狼藉は許さんぞ! 第一、我らの話も聞かずに押し通ろうとするような輩を屋敷に入れるバカがどこにいる!」

「ギルドお墨付きの俺たちを不審者だとよ! おい、むしろコイツは本物か? 本当にコイツはこのお屋敷の番人なのかよ! こいつこそ俺たちを恐れるニセモノじゃねえのか?」


 ベキバキと指を鳴らす男と、一歩、また一歩と後ずさる番人。その分、門がわずかずつ開く。


「――おめえが本物かどうか確かめてやるぜ、おうみんな、やっちまえ!」


 ものすごい屁理屈をかまして先頭で騒いでいるのはマレットさんだった。

 ちょっとマレットさん、それはやりすぎですって!


「なかなかいい仕事してるじゃありませんか、あなたの仲間って人たちは」


 ヴェフタールが愉快そうに笑う。笑い事じゃない、このまま門が開いてしまって乱闘にでもなったら、俺たち夫婦のせいでこの人たちがつかまっちゃうってことじゃないか!


「そこまでしてでも、あんたは恩を売りたい相手だってことだ。そこは誇るべきだと思うがな」


 ダルトもニヤリと笑う。

 いや、確かにそこまでしてもらえるってのは嬉しい、だけど限度ってものが――


「おう、アムにヴェフじゃねえか! 首尾はどうだった!」


 大工たちの後ろにいた、簡素な皮鎧を着たスキンヘッドの男が大きく手を振ってきた。番兵ではなく、冒険者だったのだ。どうしてこんなところに――そう思ったときだった。


「上々だよォ! 見なァ、奴隷商人討伐ンときに助けた、あのお姫さんだよォ!」


 アムティが叫んでみせると、やっと番兵が俺たちに気づいたらしい。「な、なんだ貴様らは!」と俺たちのほうに向き直った、その瞬間だった。


 アムティに声をかけたスキンヘッドの冒険者が頭をぴしゃりと叩いてみせながら、ひどい棒読みで叫んだ。


「なぁ~にぃ~! お貴族さまの屋敷で、不当に妻を奪われた英雄の男が、愛する妻を見つけただってェ!? なんでまたこんなところに、行方不明になった妻がいるっていうんだあ~!? こ~れはお貴族さま、やっちまったなぁ~!」


 やたらめったら甲高い、その棒読み口調の声が響いた瞬間だった。


「な、なんだって――――っ!!」

「ゆ゛る゛さ゛ん゛!!」

「男は黙って突撃!!」

「戦争を! 一心不乱の大戦争を!!」


 その棒読み口調のセリフに合わせて、冒険者たちがタイミングを計ったかのように騒ぎ出す。

 ……おい、ちょっとまてあんたら。いくらなんでも調子が良すぎないか。


 一瞬、俺たちに注意がむいた番兵たちだったが、この騒ぎ出した冒険者たちが門を押し開けようとし始めたことで、もはやなりふり構っていられなくなったようだ。腰の剣を抜き、大工たちを威圧する。


「死にたいのか、きさまら! それ以上の狼藉は――」


 ぼこ。


「狼藉が、なんだってェ?」


 アムティの騎鳥シェーンが、番兵をこともなげに蹴り倒す。


「な、き、貴様! いったいなんのつもり――」


 ぼこ。


 叫びかけた他の番兵たちを、さらにヴェフタールとダルトが騎鳥シェーンで蹴り飛ばす。


「おう、ムラタさんよ! 嫁さんをしっかり分捕り返してきたんだな! あんたならやると思ってたよ!」


 鉄の格子の門扉を押し開けたマレットさんが、俺をアムティの後ろから引きずり下ろすとヘッドロックして笑う。


「英雄だ、英雄の帰還だぞ!」


 大工たちも、冒険者たちも、どこかで見た顔ばかり。大勢の男たちに次々バシバシと肩や背中をぶっ叩かれながらもみくちゃにされる。褒められるのは嬉しいけど、痛い、痛いって!


 思わず悲鳴を上げると、リトリィのほうも悲鳴を上げて奪い取るように俺を抱きかかえ、牙をむいてうなりだした。どうやら、俺を守ろうとしてくれているらしい。

 周りはそんなリトリィを見て笑った。笑われた理由が分からないのか、威勢の良かった様子から一転、不安げに耳をぱたぱたさせながら、きょろきょろしてみせる。


「ムラタさんや。マイセルちゃんから聞いて驚いたよ。今度は自分の手で、やり遂げたみたいだな」


 突然、背後から上機嫌な日本語・・・で話しかけられて驚いた。

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