閑話⑭:「いい夫婦」の条件

2021年11月22日 いい夫婦の日記念作品



「いい夫婦の条件……ですか?」


 マイセルが首をかしげながら聞き返してきた。


「いや、マイセルはどう考えてるのかと思ってな」

「私の考え……ですか?」


 マイセルは頬に人差し指を当て、少し考える仕草をしてから答えた。


「えっと……やっぱり相手のことを大事にすること、ですか?」

「相手を大事にするか……マイセルらしいね」

「ムラタさんの考えは違うんですか?」

「いや、基本は同じだよ」


 聞き返したマイセルに、ムラタは笑って答えた。

 

「ただ、そうだな。俺は……」



  ▲ △ ▲ △ ▲



 それはまだ、ムラタがレンガの集合住宅の再建に関わっていた時だった。


「……マイセルちゃんがうらやましいです」


 リトリィがふと、そんな一言をもらす。

 月明かりの中、水差しから水を飲んでいたムラタは、リトリィの意図を計りかねて聞いた。


「うらやましい? どうしたんだリトリィ、どうしてそう思うんだ?」

「だって……」


 リトリィは、寂しそうに微笑んだ。


「マイセルちゃんは、あなたといつも、いっしょにお仕事ができるから……」

「リトリィだって一緒だろう?」


 首をかしげるムラタ。


「今日だって、現場のみんなのためにいろいろと頑張ってくれていたし、現場で一緒にいたじゃないか」

「わたしは、みなさんのお手伝いをしていただけです。お仕事をしていたわけじゃありません」

「それだって立派な仕事だろう? 俺たちはリトリィのおかげで、みんな元気に働けているんだから」


 現場作業員たちと働くムラタたちだが、リトリィは大工仕事などできない。だから彼女は、作業員に水を配ったり、休憩時に差し入れを持ってきたり、怪我をした者がいれば手当てをしたりといった役割に回ることになった。


 ムラタはそんな彼女の献身をいつもありがたいと思ってきたし、実際に感謝しているし、その思いもねぎらいも、いつも欠かしていないつもりだった。


 それなのに、彼女は、マイセルが羨ましいと言う。


「マイセルちゃんは、いつもあなたのそばで、おうち作りをしています。わたしは、そんなあなたがたを下から見上げているだけなんです。あなたの一番になりたいのに、あなたのお役に立ちたいって思っているのに、わたしはそうなれなくて……」


 寂しげに笑うリトリィに、ムラタは胸締め付けられる思いになった。


 彼女はいつも笑顔を絶やさず、常に現場に立つ作業員への心配りを忘れない。

 その献身的な態度から、リトリィは現場作業員たちに「おかみさん」と呼ばれ慕われるようになった。

 彼女が原初のプリム・犬属人ドーグリング――直立二足歩行をする犬そのものの姿という、この世界においてもやや異質の存在であってもだ。


 そうやって皆から認められていても、それでもリトリィは、自身が働きたい、と感じている。

 その健気な思いに、ムラタは思わず彼女を抱き寄せた。


「すまない、そんな寂しい思いをさせてたんだな……」

「いえ……わたしこそごめんなさい、その……困らせるようなことを言ってしまって」


 さえざえとした青い月の光の中で、彼女の瞳に映る月の美しさに、ムラタは息を呑む。

 潤んでいるからこそ、揺れるからこそ美しいその瞳に吸い寄せられるように、ムラタは彼女の薄い唇に、自身の唇を重ねた。




「お仕事、ですか?」

「鍛冶場を借りることはできるんだろう?」

「は、はい……」

「この前、ゲンブの奴が落ちかけて、大変だったよな?」

「は、はい、あのときは本当に、下から見ていてはらはらして……」

「ハンレイの奴も足場のてっぺんでコケて、もう少しで落ちるところだったよな?」

「だけどアイツら――というか、作業員全員、めんどくさがって命綱をつけてくれないよな?」

「は、はい、みなさん、嫌がられますね……」

「そこでだ」


 ムラタは、とある道具の図面を見せた。


「これを作れるか?」

「……これは、なんですか?」

「安全のための金具。D型カラビナっていうんだけど、知ってるか?」

「……でーがた、からびな……ですか?」


 ムラタの言葉を何とか復唱するが、全く理解できていないのが分かる。そもそもアルファベットがない世界なのだ、「D」の意味自体が分かっていない。

 だが、ムラタはそんなリトリィの疑問は想定済みだった。


「俺の故郷の言葉だからなじみはないだろうけど、要は簡単につないだり外したりできる金具なんだ。もとは登山の命綱を繋いだり外したりするためのものらしいんだけどな」


 今では百円ショップでも、キーチェーンの金具として使われていたりもするカラビナは、ゲート部分の金具に押し当てるだけで簡単に接続できる金具である。


 もともとはカラビナー・ハーケン、すなわち騎兵銃の掛け金として開発されたものだが、すぐにその利便性から登山に使われるようになったものだ。


 これならば、簡単に足場の柱にでも引っ掛けることができ、面倒くさがりな現場作業員たちも命綱をつけてくれるようになるだろう――それが、ムラタの目論見だった。


「……あの、この、開閉する部分なんですけど――」

「ああ、そこ。そこはちょっと難しいだろうけど、バネで、基本は閉まるようにしてほしいんだ。――自分で絵を描いておいて、実際問題どういう構造になっているのか分からなくて申し訳ないんだけど、なんとか出来ないかな……?」


 頭をかいてうつむくムラタに、リトリィはつい、笑ってしまった。

 自分を頼ってくれる夫が、彼自身でも分からない機構を、それを見たこともない自分に「なんとかしてくれ」と頼むとは。

 彼は、それでもリトリィならできる、なんとかしてくれると、信じてくれているのだ。


「……リトリィ?」

「ご、ごめんなさい。これ、きっと便利ですよね。がんばります。ムラタさんのご期待に、こたえてみせますとも」


 ふんす、と鼻息。

 わたしだって、ムラタさんのお仕事のお手伝いじゃなくて、直接、お役に立ってみせます――リトリィは、腕まくりをしてみせた。



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



「――だから、相手のためを思うだけじゃなくて、相手のために動けること、それがいい夫婦の条件なんじゃないかと思うんだよな」


 ムラタの言葉に、マイセルはくすりと笑った。


「だから今日は、妙に家事のお手伝いをしようとするんですね?」

「え? あ……、ああ、うん、……そう、いうことで……」


 自分の行動の意味を見抜かれたムラタは、頭をかいてうつむく。


「大丈夫ですよ! 私たちはムラタさんのために働くのが楽しいんですから。いつもお仕事を頑張ってくださってる、ムラタさんのために」


 マイセルはそう言うと、リトリィが焼いたパイを取り出すために、オーブンに向かう。


「こうやってお互いに想い合って、お互いのために動き合える私たちって、『いい夫婦』の条件を満たした『いい夫婦』、なんですよね?」


 リトリィがマイセルの言葉に首を傾げ、そして、意図を察して微笑んでみせる。

 ムラタも、そんな二人に微笑みを返した。


「……ああ、俺たちは、『いい夫婦』だと思うよ?」

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