第367話:本物の英雄

「……ねェ。アンタらさァ、お盛んなのは分かったけど、場をわきまえないでどこでも盛る色狂い夫婦だったのかい?」


 呆れたように――実際呆れているのだろう――俺たちを見下ろすアムティに、俺は返す言葉もない。リトリィはそんなアムティの言葉などまったく耳に入らないかのように、俺の上にのしかかり、顔をなめ、その強力な腕の力で俺を抱きしめ拘束し、そして腰をすりつけつづける。


 ヴェフタールが部屋を見回し、苦笑しながら言った。


「……しかたありません。この甘い香りはアレですよ。獣人族ベスティリングのお店で必ず焚かれている、あのお香じゃないですか」

「……あのお香?」

「彼女たちをどうしようもなくソノ気・・・にさせるお香ですよ。あなたの奥さんがいま、まさにそうなってるじゃないですか」


 そう言って、ヴェフタールは首を振った。


「ただ、よっぽどじらされたか、我慢してきたか、といったところですかねえ」


 目をそらすアムティに対して、ヴェフタールは見世物でも見るように、まじまじと俺たちを見下ろす。

 リトリィは、ギャラリーがいることなど全く気がついていないかのように、うわごとを繰り返しながら、腰を擦り付けるのをやめようとしない。


「……僕たちが見てるのも気づいていないのか、それとも旦那さんが来てくれて我慢しきれなくなったのか。いくらお香のせいとはいえ、そこまで自分を見失うほど乱れる姿ってのは、なかなか見られたものじゃありませんよ?」


 彼女の前のシーツがぐっしょりと濡れていたのは、つまりそういうこと――とめどなくあふれる、彼女の蜜だったのだ。

 俺がさっき気づいた、甘い香り以外のかぎ慣れたニオイの正体だった。


「どうします? 一度慰めて・・・あげますか? なんだかおさまりがつきそうにないですし。僕らは知らないふりして部屋から出ていてあげますよ? アムもダルトも、いいですよね?」


 しかし、俺にすがりつき、憐れなほどに体を求める彼女の姿に、俺は情欲を掻き立てられるどころか、どうしようもないほどの怒りがわき上がるばかりだった。


 確かにリトリィは、俺の子供を求めるあまり毎晩求めてくるような女性だ。でも、こんな見境のない醜態を人目に晒すようなことはしないんだ。いつもは慎み深く、思慮深い淑女なんだよ!


「……いや、いい。この煙を吸わなきゃいいんだろ?」


 俺の言葉に、ヴェフタールは目をそらした。


「……まあ、そうなのですが……。しばらく厄介なことになるはずですよ? 濃度さえ適切なら、依存症にはなりにくいですが……さっきの香の濃度は、ちょっと……」


 ますます怒りがこみあげてくる。くそったれめが!


 とにかく、俺は自分の上着を彼女に着せると、しなだれかかってくるのを無理矢理立たせて部屋から出た。一秒でも早く、お香から遠ざけたかったのだ。




「とにかく目的は果たしたんだ、ずらかるよォ!」

「待て、アムティ。ここの女どもはどうするんだ」

「ダルト、アンタまさか拾って行けって言う気なのォ?」

「彼女たちも不本意に連れてこられた者たちばかりだろう。助けようとは思わないのか?」

「アンタがそんな人情家だとは知らなかったねェ、だけど却下!」


 ダルトの提案を、アムティが即座に切り捨てる。


「三人も乗っけて、ウチの子セセリが走れるかっていうと微妙だけどねェ、だからこそさっさとずらからなきゃならないんだからさァ!」


 残念だけど、俺もアムティの考えに賛成だった。俺たちは脱出しなければならないのだ。

 時間をかければかけるほど、ここの異常に気付く人間が現れるおそれがでてくる。


 なによりも、荒い息をついて体を求め、絡みついてくるリトリィを、このまま人目にさらし続けるのも忍びなかった。


「待って!」


 アムティの乗る騎鳥シェーンにリトリィを押し上げようとしたときだった。

 リトリィのことを孫のように可愛がってくれている猫属人カーツェリングのペリシャさん以上に猫の顔の特徴が強い、ゆったりとしたドレスの猫属人カーツェリングの若い女性が、強い調子で声をかけてきた。


「……な、なんです?」

「あなたたち、どこに行くの!? フェクター様を害する気!?」

「フェクター様……?」


 戸惑った俺に、アムティが言った。


「アタシたちはフェクトールになんか興味ないよ。とっととずらかるだけさ!」

「その子を、どこに連れて行く気!?」


 女性は、リトリィを指差して言った。


「この人は、俺の妻だ。返してもらうだけだ」

「あなたの、妻ですって……?」


 その瞬間、猫属人カーツェリングの女性の顔が、ひどくゆがんだ。


「……やっぱり、だめ。行かせない。その子はもう、私たちの仲間。フェクター様のもとで幸せになるの!」


 そう言って迫ろうとする女性に、アムティが剣を突きつけた。


「幸せになるゥ? 奪ってきた女をこんなにしちまって、それで幸せにィ? 寝言は寝てから言いなァ!!」


 アムティが、髪を逆立てる勢いで怒鳴った。


「ざっけんじゃないよ! 奴隷商人だって女をここまでにしないってのにさァ! クスリで人の心を縛る、それのどこに幸せがあるってんだよォ!!」 

獣人族ベスティリングでもないあなたに分かるわけないでしょう、私たちが味わってきた苦しみが! フェクター様は私たちに愛を下さったの! 私たちはフェクター様のもとで、初めて苦しみから逃れることができたのよ!」


 アムティの突きつける剣にまったくひるむことなく、胸を張って堂々と主張する女性。だが、俺は、彼女が堂々としていればいるほど、胸が痛くなった。


 薬物を使って女性の心を縛る――そんな男に幸せを見出すしかなかった、彼女の境遇を思うと。


「そんなものは、まやかしの幸せで――」


 言いかけた俺の言葉を、女性はぴしゃりと遮った。


「まやかし? あなたにあの方の志の何が分かるの!」

「おい、この男に近づくんじゃないよォ! ぶっすりと――」


 アムティの牽制に、しかし女性はやはりひるまない。


「現に私は、フェクター様のお仔を授かることができたわ! あの方は、私のお腹に宿った命を心から喜んでくださって、名前まで考えてくださった! 貴族としての地位は保証できないけれど、いずれこの子が幸せになれる街を必ず作るからって、約束してくださっているわ!」


 そう言われて、初めて気がつく。

 彼女が着ているゆったりとしたドレス、それはマタニティドレスだったのだ。彼女は膨らんだお腹をさするようにしながら、俺に向けて指を突きつけた。


「私はフェクター様をお守りする! あの方を傷つける人を、私は許さない! その子だって、あの方のもとで生きた方が絶対に幸せになれる! その子を置いてあなたたちだけが出て行く、それだけよ!」


 いつの間にか、俺たちは獣人の女性たちに囲まれていた。

 どの目も真剣だ。逃がしてほしいとか助けてほしいとか、そういったすがるような感情が、一切感じられない。

 ……ここまで、女性たちの心を操るとは。


「黙って聞いてりゃァ――」

「待って、アム。僕にもしゃべらせてくれない?」


 ヴェフタールが鳥を動かし、俺の隣にやってきた。


「……君たちの事情は分かりました。なるほど、今、あなたたちはとても幸せなんですね?」


 にこにこしながら話し始めたヴェフタールに、猫属人カーツェリングの女性が一歩下がる。


「……でも、それってあなたたちの感想でしょう? この金色の女性の想いはどうなんです? この数日間、彼女は一切、フェクトアンスラフ公に心を開かなかったんでしょう?」

「それは……! 彼女がまだ、フェクター様のお優しさに気づいていなかったからで……」

だから・・・薬漬けにされた」


 ヴェフタールは、笑顔のまま、ピシャリと言い切った。

 女性は一瞬息を呑む。――が、ヴェフタールを睨みつけると叫んだ。


「し、仕方がなかったのよ! だってあの子があの方を受け入れなかったから――強情が過ぎたから! だからお香を強くして、あの方を受け入れられるように……!」

「強くした? いつからです?」

「みっ――き、今日からよ!」

「三日前からですか。それは……むごいことを」


 ヴェフタールが、目を細める。


「むごいことなんてないわ! 素直になりさえすれば、あの方の下さる愛の悦びが――!」

「その手段の是非については、あえてここでは触れません。ですが……」


 相変わらず、人目もはばからず俺に絡みつき体を求めるリトリィを見て、ヴェフタールは苦いものを噛み締めるかのような顔をする。


「それでも彼女は、フェクトアンスラフ公に心を開かなかった。薬のせいだから仕方がない、今だけ、体だけだと言い訳をして、衝動のままに公に身を任せてしまうことだってできたはずだった。あなたたちのようにね」


 ヴェフタールの目に一瞬、哀れみの色がよぎる。だが、その糾弾がとどまることはなかった。


「ですが、彼女はそうしなかった。耐え抜いたんですよ、あのこうに。あれについて僕も多少知識がありますが、あの濃度にさらされながら自制できた獣人族ベスティリングの女性など初めて見ました。きっと、とうに精神の限界を超えてしまっていたのでしょうが、それでも耐えて、耐えて、耐え続けたのでしょう。

 ――その結果が、これ・・ですが……」


 ヴェフタールが、改めてリトリィに目をやって、そしてまた、目の前の女性に目を向け直す。

 ……声色が変わった。

 怒りだ。俺は今、ヴェフタールが怒りをあらわにしているのを、初めて見ている。


「彼女は、夫が必ず来てくれることを信じていたのでしょうね。なぜならこの男は、例の奴隷商人討伐戦で彼女を救い出した英雄、その人ですから」


 ざわりと、周りの女たちに動揺が走る。

 ……おい。英雄ってなんだ。俺は――


「 ええ、薬などに頼らない、まごうことなき本物の英雄ですよ、彼は。どこぞのクソ野郎と違ってね!」

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