第366話:秘密の花園の裏側に

「何言ってんだいムラタァ! これこそ絶好の機会さァ! 正面になんて回ってられるかい、あの壁の破れ目から突入だ! 行くよォ!」

「ちょ、ちょっと待てよ! 今飛び込んだら、駆けつけた警備の兵と鉢合わせになるんじゃ――」

「なに泣き言なんか言ってるんだい! 今が好機だって言ってんだろォ!」


 アムティが振り返りもせず怒鳴りながら騎鳥シェーンを走らせる! 落ちかけたときに視界の端に映ったが、ヴェフタールとダルトも、しっかりとついて来ていた。どんだけ臨機応変なんだよ冒険者って!

 俺は息を吸い込むと、これ以上ない声を全力で出した。


「マイセル! 俺たちが突入したこと、ナリクァンさんに伝えてくれ! 頼む!」




 崩れた石壁の石材の山を二メートルばかり駆け上がり、破れ目を突破すると一気に飛び降りる。凄まじい着地の衝撃をものともせずにアムティは鳥を操縦し、もうもうと立ち込める土埃の中、悲鳴や怒号が飛び交う破壊の現場を一気に駆け抜けた。


「北の別棟って言ったねェ!?」

「あの手書きの図が正しければ!」

「あの二つの建物のうちの、どっちだと思う!?」


 アムティに問われ、俺は一瞬、言葉に詰まった。庭園に向けた壮麗な建物と、その裏側の、ほとんど装飾らしい装飾のない、地味な建物。

 二つの建物は、互いに三階から伸びる空中の渡り廊下で繋がっていた。


「……女をつかまえて閉じ込めておくなら、やっぱり目立たない方がいいから、地味な裏の建物……!」

「よォし分かった! じゃああの表の派手な建物だァ! 行くよォ!」

「何のために聞いたんだよっ!」




 案の定、建物の中は本棟のほうから聞こえてきた音やその惨状から、パニックになっていた。

 ……否、俺たちがそのパニックを助長していた。


「お屋敷がやられたァ! 空からの奇襲かなにかで建物がめっちゃくちゃ、フェクトール様の安否も不明だよォ!」

「お屋敷が狙われた! フェクトール様は現在行方不明! 全員部屋に鍵をかけて待機! 襲撃に備えて扉を家具で封鎖しろ!」

「賊が侵入した恐れあり! フェクトール様はきっとご健在だ! ご指示があるまで、各自部屋に立てこもって賊から身を守れ!」


 俺を除く三人が、示し合わせたようにでたらめを叫ぶ。建物内を騎鳥シェーンで駆け抜けながら騒ぐ俺たちこそが賊だろ、と内心で突っ込みながら、しかしその臨機応変の見事な連携には舌を巻くしかない。


「アムティ!」

「なんだい!」

「どうして部屋の中を捜さないんだ!」

「アンタが言ったんだろォ!?」


 アムティは俺のほうなど見向きもせず、騎鳥シェーンに階段を駆け上らせながら叫んだ。


「アンタの言った通りさァ! 裏の館、一階は小さな明かり取りの窓だけで出入り口が三階の渡り廊下しかないの、見えてたろォ!? アタシも同意見さァ、女を閉じ込めておくならそっちだってねェ!」


 ……俺はそんなところまで見ていなかった。あの一瞬でそこまで見抜いていたなんて。冒険者おそるべし、だ。


 ところが、ここで難題にぶち当たった。三階まで来たのに、裏の建物に通じる北向きの渡り廊下への道がないのである。ダンスホール、食堂、その他の壁沿いの部屋すべてを片っ端からのぞいたが、それらしい通路もなかった。




「この非常時にナニやってんだい、この二人はァ!」

「この非常時だからこそ、誰にも邪魔されないと思ったんじゃないかな? この際、僕らもしっぽりいくかい?」

「バカ言ってんじゃないよまったく! こういう緊急時に緊張感のないヤツらって、ひねり潰したくなるんだよねぇ!」


 苛立ちを隠さないアムティと、しれっと軽口を叩くヴェフタール。

 奥まった部屋で、今は乱れた服を直そうともせず抱きしめ合ってガタガタと震えあがっている、情事の真っ最中だったメイドさんと男性使用人の二人に、とりあえず頭を下げる。

 頭を下げてから、ふと思い立って俺は聞いてみた。


「あ、大丈夫です。安心してください、命を取ろうというわけじゃありません。教えてほしいことがあるだけです」


 ひいぃぃぃっ! と、ふたりがひしと抱きしめ合う。

 ……あれ? 俺、笑顔を心がけて努めて平静に聞いたぞ?


「ひとつだけ教えてください。裏の建物には、どうやって行けばいいんですか? 教えていただければ、他を当たらなくて済むので私としては助かるのですが」


 ますます萎縮する二人。女性の方が「こ、殺さないで! 言います! 言いますから!」と、二階の通路から行けることを震える声で教えてくれた。




「いやァ、えげつない聞き方だったねェ」


 アムティが笑いながら鳥を操る。


「えげつないってどういうことだ」

「命を取るわけじゃない、教えてほしいことがあるだけって、つまりこっちの知りたい情報がなければ殺すって意味だよねェ?」

「……は? アムティ、俺はそんな意味で言ったんじゃ……」


 困惑する俺に、ヴェフタールが追い打ちをかけてきた。


「教えてくれれば他を当たる必要がない、という言い方も、教えなきゃ殺して他を当たる、という意味でしょう? いやあ、僕もとっさにそんな脅迫なんて思いつきませんでしたよ。怖い怖い」

「おい、だから俺は――」

「しかもそれをひきつった笑顔で言うんだから、ますます怖いですねえ。機嫌を損ねたらその顔が即、悪鬼羅刹に変貌しそうで」


 ヴェフタールの言葉にげらげらと笑うダルト。くっそ、好き放題言いやがって。言い返そうとすると、ダルトが鳥を止めた。ひらりと鳥から飛び降りると、壁の前に立って、その壁面を撫で始める。


「ダルトォ! どうしたんだい!?」

「……アム。ヴェフ。これだ、止まれ」


 ダルトが、壁を叩いていく。すこしずつ、ずらしながら。


 カッ、カッ――

 カッ、カッ――

 ドン、ドン――


「ほら、ここに継ぎ目が見えるか。ここがおそらく、先の女給が言っていたドアだ」


 一見すると、壁紙の装飾の一部と思ってしまいそうな、その扉。装飾の一部に触れると、その部分がへこんで取っ手となるようにできていた。それをつかんで回すと、少し重い感触で、扉が開く。


「……すごいな、どうしてわかったんだ?」

「見ろ。ここだけ手あかが多い。こんなものは初歩の初歩だぞ」


 ――言われても全く分からない。そういう模様にしか見えないのだ。

 あらためて、プロの斥候スカウトの注意力に舌を巻く。


「……どうも、ここから先、他人にはあまり見せたくないようですね?」

「ヴェフもそう思ったかい? アタシもだよォ?」


 扉の奥に長く続く、ほとんど窓のない廊下は、夕暮れ時であることも相まって、実に黒々と続いていた。




 裏の建物の渡り廊下の、ドアの前に立っていた警備兵を騎鳥シェーンの蹴りの一撃で沈めたアムティが、同じく騎鳥シェーンのキックでドアを破る。

 鳥とはいえ、ダチョウよりもさらに頑丈そうな体躯を誇る騎鳥シェーンのキックの威力を、まざまざと見せつけられた思いだ。ちょうつがいの壊れたドアをくぐると、派手な物音に驚きざわめく女性たちが、そこにいた。


 アムティが口笛を吹く。

 ヴェフタールが、顔をしかめた。

 ダルトは、ため息をついた。


「……いい趣味を、してますねえ……」

「秘密の花園、ってやつか」


 そこにいたのは、女性ばかりだった。

 ダルトが、舌打ちをしてつぶやいた。


「よくもまあ、集めに集めた、といった感じだな、こりゃ」


 そう。

 だれもかれもが、耳だけにとどまらない獣相をもつ、獣人族ベスティリングの女性たちだったのだ。

 

 いまさらながら、リトリィとつながったときに伝わってきた、あの嫌悪感と、そして恐怖を理解できてしまった。


 リトリィは、この女性たちと同列の存在に組み込まれることを恐れたのだろう。


「……そ、そうだ! リトリィ、リトリィはどこなんだ! 誰か知らないか、金色の毛足の長い体毛の、原初のプリム・犬属人ドーグリングの女性だ!」




 しかし、建物の女性たちは、みな、俺たちに対して非難めいた目を向けるばかりだった。それでも何か声を上げるわけでもない。とはいえ、非協力的なことだけは明らかで、案内を頼んでも、逃げるばかりだった。


「埒があかないねェ、こうなったら各自、片っ端から部屋を当たるよ!」


 アムティの言葉に、すぐ俺たちは散らばった。


 俺もいくつか部屋を巡ったが、鍵の掛かっている部屋が何か所かあり、その鍵を破壊しながら巡るのは大変だった。そして、何か所目かの部屋の前で、リトリィの名を呼んだときだった。


 ――聞こえた!

 小さくかすかな声だったし、翻訳もされない言葉だったが、リトリィの声を俺が聞き間違えるものか!


 リトリィからもらったナイフをドアノブとドアの隙間に差し込み、ぐりぐりとこじ開け、破壊する。

 ある程度えぐったところで、俺は待ちきれずにドアに体当たりをした。


 意外にあっさりと壊れたドアに、俺は勢い余って部屋に転がり込む。


「うっ――これは……お香?」


 ほとんど窓のない部屋は暗く、むっとする、甘ったるい濃厚な匂いが立ち込めていた。吸い込んですぐに、頭がくらりとする。よくない成分が混ぜられているのかもしれない。

 俺は自分の頬をひっぱたくと、手ぬぐいをバッグから取り出してマスク代わりに顔に巻き付けた。

 あいかわらず匂いが感じられる。気休めにもならないのかもしれない。だが火事のときには口にハンカチは基本だ。わずかでも効果を期待する。


 そう思って息を吸い込んだときだった。

 もうひとつの、かぎ慣れたニオイが混ざっていることに気づいた。


 このニオイ。

 あまりにもかぎ慣れたニオイ。

 これは、彼女の――


 そう思ったとき、何かの声が聞こえてきた。


「aßan!? muraßa aßan……!?」


 この声は――リトリィ! 口に何かをかまされているようなそんな声だが、聞き違えるはずのない声――!


 聞こえた方に目を凝らす。暗い部屋の奥には、大きなベッドが置いてあり、そして、その上にいた何かが目に入った瞬間、俺は駆け出していた。


「リトリィ! リトリィ!!」

「あなた――あなた! やっぱりきてくださった……ムラタさん!」


 口には手ぬぐいをかまされていた。だが俺には翻訳首輪があるから、たとえうまく発音できなくても、その意図さえ伝われば意味はクリアに伝わってくる。駆け寄ると、すぐに意味が伝わってきた。最初は意味が分からなかったのは、距離の問題だったようだ。


 彼女は、手を後ろ手にしてベッドの支柱に縛り付けられたまま、体操座り――膝をそろえるように立てて腰を下ろす、あの姿勢で座っていた。

 服は下着の一枚も身に着けておらず、薄暗いなかでも、産毛しか生えていない艶やかな胸のふくらみが、彼女が身をよじらせるたびに、右に左に大きく揺れる白いシルエットを描く。


 立てた太ももをすり合わせるように身をよじらせつつ、彼女は泣きながら俺を呼び続ける。


「待ってろ、すぐに助けてやる!」


 俺は彼女の口にかまされていた布を切る為に、彼女に寄り添った。


 ――べちゃり。


 彼女の前に立てた膝頭、その下のシーツが、ぐっしょりと濡れていた。

 いったいなにが――そう考える暇もなく、リトリィが、切なげな吐息を漏らしながら、少しでも俺に触れようとするように身を乗り出してくる。


「分かった、待て、リトリィ。口の布を切るから、動くなよ? ――だから、動くなってば」


 いつもと違って言うことを全然聞いてくれないリトリィに戸惑いながら、かろうじてさるぐつわを切り落とすと、リトリィが待ちかねたように涙を流しながら俺を繰り返し呼び、荒い吐息で俺の顔をなめてくる。


「あなた、あなた、あなた……きて、きてっ……!」

「わ、分かったって! 来たよリトリィ、きみを助けに来た! 次は手の布を切るから。動くなよ? ……だからリトリィ、頼むから動くなって」

 

 彼女に鍛えてもらったナイフで、彼女の手首を傷つけないように、慎重に刃を食い込ませてゆく。その間にもリトリィが盛んに顔をなめ、体をこすりつけてくるものだから、危なくってしょうがなかった。


 やっと手首に巻かれた布を切り落とすと、リトリィに飛び掛かられた。


「り、リトリィ……!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……! こうするしかないの……わたし、もう……。あなた、ごめんなさい……!」


 突然のしかかられ、つかみかかられ――俺は、まったく身動きできぬほどに、彼女に、全身でしがみつかれ、拘束された。

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