第360話:現場に立つ者のために
「到着いたしました」
ギルドから乗ってきた馬車からまずムスケリッヒさん、そして俺が降り、次にマイセルが降り、最後にリトリィの手を取ろうとしたときだった。
御者に止められた。
「ここから先は、大工ギルド関係者以外の方はお控えください。危険でございますし、ギルドの重要な技術に関わるものもございますので」
「確かに彼女は大工ギルドの一員ではないが、俺の妻であり、助手だ。少しぐらい――」
そう言って彼女を連れて行こうとしたが、御者は頑として聞かず、リトリィを待たせろと言い張った。
「だんなさま? わたしを必要としてくださる思いはとってもうれしいですけど、お仕事に差しさわりがあってはいけませんから。
わたしはここでお待ちしております。お仕事をお請けすると決めた以上、無用ないさかいになるようなことは避けましょう」
「いや、でも――」
「助手なら、マイセルちゃんがきっと役に立ってくれるはずです。だんなさま、お仕事、がんばってくださいね? ――マイセルちゃん、だんなさまを、お助けしてあげてね?」
リトリィはそう言ってマイセルに向かって微笑む。マイセルが「お任せ下さい!」と笑顔で右の手のひらをリトリィに向けると、リトリィはその手に自分の左手を重ねて「お願いしますね?」と微笑んだ。
そして、今度はムスケリッヒさんに対して淑女の礼をしてみせると、彼に向かって深々と頭を下げた。
「ムスケリッヒさま。だんなさまを、よろしくお願いいたします」
「いや、これはダメだろ……」
事前の話では、クレーンの滑車が回らないという程度だったはずなのに、どう見てもクレーン自体がひしゃげている。
クレーンは木製で、かたつむりを思わせるずんぐりむっくりな形をしている以外は、おおよそ現代日本人がイメージするクレーンと変わらなかった。
大きく違うのは、ハムスターが中に入ってカラカラと回すような、回し車の存在だ。これが、かたつむりのようなシルエットの正体だった。
「マイセル、あの……ええと、回し車みたいなアレって、なんだ?」
「あれですか? あの中に二、三人くらいで入るんですよ。見たこと、ありませんか?」
ないよ。ハムスターがあの中で走る様子しか頭に浮かんでこない。
だが、使い方が分かればすぐにイメージが浮かんだ。
「……つまり、あの回し車の中に入って動かすことで、ロープを巻き取って物を上げ下げするんだな?」
「はい、その通りです」
「でも、あれ、潰れてないか?」
「潰れて……ますね」
そう。
クレーン自体が傾き、回し車を押しつぶすようにして寄りかかることで、かろうじて倒れていない――そんなありさまだった。
「なんとかなりそうですか?」
同じようにして
「これを見て即座に『なんとかできそうだ』と思うような人は、なかなかの楽天家だと思いますが」
「わたくしも同意見です」
「この起重機を起こすための起重機が必要ですね。ですが、そんなものをこしらえる余裕は、あの場所にはないでしょう。それよりも――」
鐘は、上からおおよそ塔の三分の一足らずの高さでぶら下がっていた。つまり、ロープの長さは七~八メートルといったところか。
クレーンが壊れたときの揺れか何かのせいで、壁にぶつかったか、こすったかしたのだろう。真新しい傷が、鐘塔の壁にいくつもついている。よくもまあ、壁をぶち抜かなかったものだ。
「あれを下手に浮かせてみせたら、摩擦がなくなって一気に引っ張られて、鐘ごと落下する恐れがあります。一番楽なのは、ロープを切って鐘を捨てることですが……」
俺の提案に、ムスケリッヒさんは苦笑しながら首を振った。
そんな選択肢を選べないからこそ、みな困っているのだ。それを百も承知で言ってみて、そしてやっぱり、それは駄目だった。
「そうですか。――それにしても、なんであんなことに?」
「途中で引っかかったのですよ、見えますか?あの壁の途中の、あのでっぱりです。今は削れてしまっていますが、あの飛び出した石材に引っかかったのですよ」
ムスケリッヒさんの話によると、鐘を下ろしていく途中で壁の途中の出っ張りに鐘のふちが引っ掛かったのだという。下ろしていけばそのうち外れるだろうという安易な決断で下ろしていった結果、まっすぐだった鐘は徐々に外側に傾いていったのだとか。
「なかなか引っ掛かりが外れない、そう思っていたその矢先でしたね。わたくしも下から見ていたのですが、あのときは本当に肝が冷えましたよ。なにせ、引っかかっていた部分が外れて鐘が大きく揺れたと思ったら、跳ねるようにして外壁にぶつかったわけですから」
波打ったロープは滑車を外れて絡まり、結果としてブレーキになって落下は防がれたものの、クレーン本体に大きな衝撃が走り、一度は浮き上がりかけたのだそうだ。
だがそのまま横倒しになりかけたところ、ここからは見えないが鐘を吊り下げていた屋根部分に回し車が引っ掛かり、そのまま回し車を押しつぶすようにしてかろうじて停止したのだとか。
「あのまま鐘が落ちてきたら当然大惨事でしたし、貴重な歴史的意義のある鐘も失われていたことでしょう。喜ぶべきではあったのですがね」
しかし、クレーンは壊れてしまったうえ、鐘は宙吊りのまま。おまけに、風が強いときにはゆらゆらと揺れて外壁に接触し、壁も鐘も傷つく上に壊れたクレーンも不気味にきしむというありさま。
俺はここ最近、手ごろな日雇いの仕事ばかりしていたからそんな話には全然接触してこなかったが、ギルドではこの半月ばかり、そのことでぴりぴりしっぱなしだったという。
「ムラタさん、やっぱり少し、難しいんじゃ――」
「おお、ムラタさんじゃないか!」
困惑するマイセルが言いかけたのと、たまたま通りかかった大工が俺に声をかけるのとが同時だった。
「ほら、ゴーティアスの婆さんところで一緒に働いたオレだよ! あの昇降機を作ったアンタが助っ人に来てくれたのか! 諦めなくてよかった、期待してるぜ!」
男は、一緒に歩いていた数人に、「バカ、あの人はすげえんだよ! これでもう、あの鐘は安心だ!」となにやら興奮して説明しながら、足早に通り過ぎて行った。
マイセルが、すこし困ったような顔で、首をかしげながら微笑む。
俺は彼女を安心させるように微笑みかけると、ムスケリッヒさんに向き直った。
見たときは「終わってる」と思ってしまった現場だが、あの腹の立つギルド長はともかく、現場に立つ大工達は、なんとかしたいと考えているのだ。
俺の考えが、その手助けをできるならば。
「……考えてみますよ。少し、時間を下さい」
正直、クレーン車が横転するという事故は、あってはならないが建設作業現場では比較的よく聞く話だ。
原因としては、突風にあおられて、といったような偶発的な要因もある。だが今回の、「ひっかかったけどいけると思った」みたいな安全軽視や慢心、現場作業員の知識不足などが原因として挙げられることが多い。
クレーンの方はどうにでもなるだろうが、鐘をどうするかだ。クレーンを解体して新しいクレーンを組み上げたとしても、クソ重たい鐘がぶら下がっているそのロープを、新しいクレーンにどうやって架け替えるか。こんなときこそ、簡易クレーンになるチェーンブロックがあればいいのにと思う。
金属加工ならリトリィにお願いしたら何とかできないか、とも思ったが、そもそもチェーンブロックの構造のうち、チェーンの減速機構・制動機構なんてどうなってるかが、さっぱり分からない。俺自身が仕組みの分からないモノを作ってくれと言われても、リトリィのほうこそ困るだろう。
第一、リトリィは鉄を打つ人間であって、歯車やらなんやらを作ったりするのは彼女の仕事ではない。さすがに無茶ぶりが過ぎる。
「どうすればいいかな……」
「ムラタさんでも、すぐには思いつかないですか?」
マイセルが不思議そうに俺を見上げる。
「……いや、今までだって、そんな一発で思いついてきたわけじゃないんだ。リトリィやマイセル、あといろいろな人たちに助けられてきただけで。今回だって同じだ、まずはギルドに戻って、いろんな人の話を聞こう」
苦笑しながら答える。
一度、ギルドに戻って大工達のアイデアを借りることができないか、そう考えて。
「……あれ? 通り過ぎたか?」
――そして、気づいた。
リトリィが待っているはずの馬車が、どこにもないことに。
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