第359話:尊厳を取り戻せ!(3/3)

「俺とリトリィだけ?」

「そのように聞いております」


 この世界では高級な移動手段である、二頭立ての馬車。それが家の前に来たときは、さすがに驚いた。

 さらにそれがギルドからの迎えだと分かったときには、興奮と緊張で、手の震えを自覚した。


 そして今、不信感だ。


「なぜマイセルはだめなんだ?」

「あなたの他には獣人族ベスティリングを連れてくるようにという命令だけ受けております。そこの女の同道は命令にありません」


 実に立派な身なりの男は、チラとマイセルに目をやってから答えた。――リトリィの方は見ないまま。


 それにしても、人の妻を「雌」呼ばわりか。……言ってくれるじゃないか。


「マイセルは、俺にとって大切な妻であると同時に、秘書たる女性だ。連れていけないというのであれば、俺にとって腕をもがれるに等しい。認められないのなら、今日のところはお断りさせていただく」


 使者の男は一瞬、目を見開いた。まるで断られるのが想定外だったというように。


「……ギルドの招集に逆らう気ですかな?」

「あいにく、そのギルドから身に覚えのない言いがかりで干されている真っ最中の身でね? 身の振り方を考えている最中なんだ」


 俺の言葉に、男は顔をしかめてみせた。だがすぐに能面のような顔に戻ると、いかにも鷹揚にうなずいてみせた。


「ギルドの命令は、ムラタ氏と獣人族ベスティリングの雌を連れてくるようにというだけですからな。その程度の要求は呑みましょう」

「ありがたい。それでは、これは個人的な話なのだが――」


 俺は目一杯のにこやかな顔を作って、そして言ってやった。


「こちらの女性・・も、俺の妻であり、そして優秀な鍛冶師だ。その大切な女性をなどと呼ばれるのは我慢ならない。謝罪していただきたい、彼女に」


 使者の男の目が、今度こそ目一杯見開かれる。


 ああ、その目、分かるよ? 獣人ごときに謝罪など、プライドが許さないんだろう? リファルの野郎もそうだったからな。


 だが、絶対に許さない。

 そっちが立場をかさに着て無礼を働くというのなら、こっちだって立場を利用させてもらうさ。愛する女性を馬鹿にされて、黙っていると思うなよ!


「……犬相手に盛るケダモノ狂いめ……!」


 小さな舌打ちとともに、男のこぼしたつぶやきが耳に入る。


「……なるほど。大工ギルドの使者は、招集相手を侮辱する慣例でもあるのですかな?」

「……どういう意味ですかな?」


 そらとぼけやがった。

 ふん。今は結婚首鐶くびわを身に着けているから目立たないが、翻訳首輪が俺にはあるんだ。どんなに小さな声だって、聞こえる以上はクリアに理解できてしまうんだよ。


「いえ、別に。ケダモノ狂いと評されたものですからね? いや実に残念、あなたとは理解し合うことができそうにない」


 顔色が変わった男に、俺は重ねて残念そうに言ってみせた。


「おまけに、呼び出す相手の妻を侮辱するような人物をわざわざ使者に立てる、ギルドの陰険なやり口。実に不快だ」

「ほう……まさか、ギルドには従えないと?」

「ギルドではなく、あなたの無礼に対して俺は謝罪を要求している。それが果たされれば、すぐにでも向かおう」


 男の目がすうっと細くなる。口の端がわずかに歪むと、顎をやや持ち上げ、見下ろすようにして口を開いた。


「なるほど、ギルドから処罰されても構わないということですな? なんとも勇ましいことだ。その言動、全て余すことなくお伝えするといたしましょう」


 あくまでもギルドを盾に謝罪しないつもりか。だったらいいさ、こっちも切り札を切ってやる。


「そうですか、それは残念です。あなたから謝罪をいただけぬのであれば、今日はもう、お引き取りください。ギルドにはナリクァン夫人を通して使者を立て、正式に謝罪を要求することにいたしましょう」

「……たかが職人の分際で、ギルドに盾突くとは。どんなことになるか、実に楽しみですな!」




「あ、あの、だんなさま? ほんとうによかったんでしょうか……?」


 使者を乗せた馬車が見えなくなるまで見送ったリトリィが、ひどく申し訳なさそうに、上目遣いで聞いてきた。マイセルも、今回ばかりは不安そうだ。


「大丈夫だ」


 俺は二人の不安を吹き飛ばすために、笑い飛ばしてみせる。


「なあに、マレットさんの話は本当だったんだ。だったら、また来るに決まってる」

「で……でも……」


 耳をピコピコとさせて不安げな様子を隠せないリトリィの顎をとらえると、俺はその頬にそっと唇を押し当てた。


「リトリィだけは、いつでもどこでもどんな時でも、俺のことを信じてくれる――そう思っていたんだけど、違うのか?」

「それはもちろん……!」


 間髪入れずに返事をしてくれたリトリィに、俺は微笑んでみせる。


「だったら俺を信じてくれ」


 小さくうなずいたリトリィだが、耳は伏せたままで、尻尾も力なく下がったままだった。




 果たして、俺の読み通りだった。

 あの二頭立ての馬車が、また家の前にやってきたのだ。


 ただし読みと違っていたのが、それがわずか半刻(約一時間)後だったこと、そして今度の使者は筋肉ダルマ――もとい、以前リファルとトラブルになったときに仲裁してくれた、ムスケリッヒさんに替わっていたということだ。


「さっきの人はどうしたんですか?」


 俺としては、なんとしてもリトリィに向かって、奴を謝らせたかったのだが。というか、口を開くたびにいちいち暑苦しいポージングをするのは勘弁してほしい。


「あの男が、なにやら無礼を働いたようで申し訳ありません。ゆえにわたくしが参りました」


 そう言って、相変わらずの坊ちゃんカットの顔に奇妙な笑みを浮かべながら、肩をいからせるようにしつつ胸の前で拳を合わせるようにするポージング。よっぽど筋肉を見せたいらしい。悪い人ではないんだが、ほんと暑苦しい人だ。


 ムスケリッヒさんの話によると、さっきの男はギルドに戻るなり、大変な怒りようでギルド長に報告したのだそうだ。どうも奴は俺のことを、生意気な若造くらいにしか思っていなかったらしい。「ナリクァン夫人の名前を出して脅してきた」と嘲笑したという。


 そこで青くなったのが、ギルド長。さすがにギルド長は、俺とナリクァン夫人の関係をよく知っているようだった。


「それはもう、雪よりも白い顔をして彼を部屋から叩き出しましたよ、ギルド長は。本当にナリクァン夫人を動かしかねない男を挑発するとは何事だ、とね」


 ただのハッタリだったが必要十分には効果があったということか。まあ、ナリクァン夫人も俺のためには動かないだろうが、リトリィが侮辱されたと聞いたら話は別だ。多分、相当に怒ってくれたはずだ。


 虎の威を借る狐みたいで威張れる手段ではないんだけど、使えるものは使わせてもらわないとな。あちらの方から恫喝してきたのだから。


 そんなわけで、晴れて俺は、妻二人と共に、堂々とギルドに向かうことになったのだった。




「初めにお断りしておきますが、私も別に万能ではありませんし、ゆえにできないことはできないと言わせてもらいます。ですから、そのつもりでいて下さい」


 俺の言葉にギルド長は忌々しげに舌打ちした。あえて聞こえなかった振りをする。


「その上でお聞きします。あの鐘塔しょうとうの案についてですが」


 能面のようだったギルド長の顔に、さっと変化が起こった。


「し、知らん! 誰の案とか、そんなこと、わしは知らんぞ!」


 まだ質問が終わってもいないのに、顔を真っ赤にして泡を飛ばす勢いで怒鳴るギルド長に、俺の中で確信が深まる。


「本当ですか?」

「知らんものは知らん! そんなことよりもだ! あの起重機を何とかする方法はあるのかね、それともないのかね!」

「私の質問には答えていただけないのですか?」

「わ、わしが嘘をついているとでもいうのか、なにを証拠に! い、言っとくが、いくら脅しても無駄だからな! カネも地位も、わしの一存では――」


 カネ? 地位? 何を言っているんだこの男は。

 そんなもの、誰が望んだというんだ。


 ――まあいい。ここはとりあえず恩を売っておくことにしよう。赤いを通り越して赤黒くさえ見える勢いの醜悪なツラの皮を、いつか絶対に引っ剥がしてやる――そう誓いながら、俺はまっすぐギルド長を見つめたまま、話を変えた。


「分かりました。今はこれ以上、問わずにおきましょう。――だが、いずれ必ず、どんな手を使ってでも、俺は追求する。これは俺の、尊厳の問題だ」

「そ、尊厳……?」

「カネも地位も興味はない。ただ、俺は俺の仕事を正当に評価されたいだけだ。建築に携わる人間なら、誰だってそうだろう?」


 俺は、改めてこの世界の挨拶――右手を肩辺りで開き、ギルド長に手のひらを見せつける。


「ギルド長。あの仕事は俺のものだ。カネも地位も興味はないが、失った俺の尊厳はどんな手を使ってでも取り戻す。どんな手を使ってでもだ」


 俺の言葉に、ギルド長の顔色がまたしても急速に変わる。


「ど、どんな手を使ってでも、だと? フェクトアンスラフ様に盾突く気か!」


 ――フェクトアンスラフ?

 どこかで聞いたことがある気がする名前だった。だが、今はそんなことよりも――


「どんな手を使ってでもだ。俺は俺の仕事を取り返し、俺の尊厳を取り戻す。求めるのはそれだけだ。それ以外に今回の件でギルドに求めるものは何もない」

「ば、バカな、カネもいらないとか、お貴族様に逆らうとか、そんな言い分、信用できるはずが――」

「今回の起重機の件と同じだ! あんただって気に食わない俺を起用してでも、これ以上被害を出さないようにしてギルドの信用を取り戻したいんだろうが! それと同じだ!」


 叩き付けるように叫んだあと、部屋はしばし、重苦しい沈黙に包まれる。

 ややあってから、ムスケリッヒさんが口を開いた。


「ギルド長。『芸術と職人の女神キーファウンタ様の加護の下での、ギルド構成員すべての鉄の絆』――我らが大工ギルドの掟の一つです。

 ――むしろ、貴族なにするものぞ、それが我ら大工ギルドの気概であり、ムラタ殿の名誉と尊厳の回復こそが我らの取るべき道ではありませんか?」

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