第357話:尊厳を取り戻せ!(1/3)
現場の作業は、事故もなく実に順調に進んでいた。
俺はよく施主の爺さんを現場に招いた。
初めのうちこそ爺さんは、俺の進め方を「慎重すぎる、作業をもっと早くしろ」と急かしたものだった。
だが、一緒に瓜を食ったりレンガを積み上げたりしながら、爺さんの話を慎重に聞いていくうちに、爺さんの態度もだんだん変わっていった。
「難しいことはよく分からんが、お前さんがよしと思っているなら、それで問題なかろう」
その一言で、全て任せてくれるようになった。
現場作業員の健康から始まる安全管理、少しでも明るく風通しの良い家を作りたいという設計思想。俺は品質の良い仕事をしたいという願いを込めながら、辛抱強く、必然性を説き続けた。
『お前さんがよしと思っているなら、それで問題なかろう』
この一言で任せてくれるようになったことは、俺の考え方を支持してくれるようになったのだと思う。
作業に当たる大工達もそうだ。夏も盛りになってきたころ、日当の多い、規模の大きな現場が城内街にできたらしいが、それでもここの方が「日当はともかく、待遇がいい」と言って集まってくれた。
やっぱり人間、一緒にものを食って一緒に話をすれば、打ち解け、確かな絆ができるものだ。俺は確かな手応えを感じながら、作業を進めていくことができていた。
――はずだった。
夏も終わり風も涼しくなり、二階の床も張り終えて、いよいよ今度は内装屋に引き渡すという頃だった。
その話は唐突にやってきた。
「待ってください、どうして今になって俺が外れるんですか!」
「どうしてもだ」
苦虫をかみつぶしたような顔で現場にやってきた爺さんは、しばらく何かを言おうとしては立ち止まる、といった仕草を繰り返した挙句、大きなため息をついてから俺のところにやってきて言ったのが、解雇通知だった。
「何か工程の中で不備でもありましたでしょうか、理由を教えて下さい」
食い下がった俺に、爺さんは顔をしかめたまま、しばらく無言だった。
だが、しばらくしてふいと視線をそらすと、「言えないと言っとるんだ……それで察してくれ」とだけ言った。
唐突に、俺は現場を外された。
じつはそれまでも、共に働いてきた大工達がなぜか急に辞めていくというようなことが重なってきてはいた。この現場は楽しい、やりがいがある――そう言ってくれていた大工達が、櫛の歯がぬけるように。
今となってはマレットさんの虎の子の弟子たちぐらいしか現場に残っていなかったが、それでも何とか工事は進めてこれたはずだった。
「これでも――これまで粘ってきたんだ、察してくれ。……すまん」
爺さんは口を歪め、大きなため息を一つついてから、絞り出すように言った。
理由は明らかにはしてくれなかったが、それでもじいさんの一存で俺を辞めさせるというわけじゃなさそうだ――それだけはわかった。
一体何が理由なのか俺には分からなかったが、それ以上爺さんに聞いてもおそらく答えは聞かせてもらえなかっただろう。
「そうですか……。分かりました」
俺は、努めて明るく振舞ってみせた。悔しい思いでいっぱいでも、爺さんとのつながりは、別の仕事につながるかもしれない。人と人とのつながりは、表面だけでは推し量れない深いものがある。今日までの縁が、新しい縁につながれば。
「それでは、またご縁がありましたら、その時はまた、お声かけください。よろしくお願いします。今までありがとうございました」
「すまん……。本当に、……すまん」
「そんなバカな話があるか!」
マレットさんは我が事のように激怒し、ギルドに突撃した。
「いったい何があった! どういうつもりだ!」
「マ、マ、マレットくん! 落ち着きたまえ!」
俺を引きずるようにしてギルドに向かったマレットさんは、アポなしのままギルド長の部屋にまっすぐ向かうと、御大層なテーブルの前に座って鼻毛を抜いていたギルド長の胸元をつかみ上げた。
「これが落ち着いていられるか! 施主の意思とは関係なしに監督が辞めさせられたんだぞ! こんな馬鹿な話があってたまるか!」
「マレット君、き、キミも
「あってたまるか! 仕事上の不手際で施主から怒りを買ってやめさせられた、そういう話なら分かるが、そうじゃないだろうが!」
マレットさんは、ギルド長をテーブル越しにつかみ上げがくがくと揺さぶりながら怒鳴り続けた。
「依頼主の意思を無視して監督を辞めさせるだと? そんなこと、一度も聞いたことねぇよ! 現場にはこいつだけじゃなくて、俺も一緒にいるんだぞ! 不具合もなければ問題も起こしてねえ! 施主とも現場大工とも、見たことがねえくらいにいい関係を作っている! 何が悪いんだ、言ってみやがれ!」
ギルド長は、目を白黒させながら、かろうじて答えた。
「け、経験の……場数の不足、だ……! 個人住宅ならともかく、集合住宅……! 新人に任せるには……荷が重いと判断……した!」
「誰だって最初は新人だろうが! それにこいつの図面の精密さを、お前もよく知ってるだろう!」
そこへ、ようやく腕っぷしの強そうな男たちが部屋に入ってきた。マレットさんを止めようと、ギルド長から引き剥がしにかかる。
「マレット! ギルド長に無礼な真似を働くな!」
「無礼だと!? おもしれぇ、この『ジンメルマン』たる
さすがにこれはやりすぎだ。マレットさんがいかに技術に裏打ちされた素晴らしい大工であったとしても、集団の長を侮辱するのは、今後の彼の立場を悪くする。俺も仕方なく、マレットさんを引き剥がす側に加勢した。
「おい! ムラタさんよう、あんた悔しくねえのか!」
「それは悔しいですよ!」
ギルド長の喉元をつかみ上げるマレットさんの腕にぶら下がるようにしながら、俺もやけくそで叫ぶ。
「悔しいですが、理由をまずははっきり聞きましょう! 我々職人を守るはずのギルドが、所属する職人の不利益になるように不正をした、だなんて考えたくないですからね! 何をどうしたらこういう事態になるのか、それをしっかり聞かせてもらいましょうよ、もちろん密室でなく、主要な職人の前で!」
「……だから、あんたはまだ経験が浅いだろう。新人に集合住宅を任せることは避けようという判断だ」
「あ゛!? そんな規則なんか聞いたこともねえぞ!」
ギルド長の言葉に、さっそくマレットさんが噛みつく。びくりと肩を震わせたギルド長だが、マレットさんが席を動こうとしなかったのを見て、胸をなでおろした。
「ムスケリッヒさん。そんな規則や前例が、今までにあるんですか?」
以前、俺に突っかかってきたリファルとのトラブルを仲裁してくれた、ボディビルダーのような巨躯のムスケリッヒさん。彼なら公平に判断してくれそうに思えた俺は、話を振ってみる。
ムスケリッヒさんは、顔を歪めながらも答えてくれた。
「……いえ、そんな前例は聞いたこともないですね」
「どういうことですか、ギルド長?」
俺は、理不尽な理由を振り上げるギルド長への怒りを押し殺しながら、平静を装って質問した。
「仕方なかろう、前例というならムラタくん、君の方が前例のないことを押し破って我がギルドの職人になったこと、もう忘れたか!」
ギルド長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「マレットの奴の書きつけ一枚でふらりとやってきて、建築士とかいう聞いたこともない職人を要求しおって! しかも聞けばムラタ君、キミはこの街にやってきて一年も経っておらんという話じゃないか! もう少し、真っ当な大工の元で修行しろと言っているのだ!」
自分で言っていて、どんどん興奮してきたらしいギルド長は、しまいには泡を飛ばしながら怒鳴った。
「いくらマレットの子飼いだからといって、頭に乗るな!」
「なんだとてめえ!」
再び掴みかかろうとしたマレットさんを、俺は慌てて押さえる。
俺のせいでマレットさんがギルドの中で干されてしまっては、申し訳が立たない。
「ギルド長! それでは私はどれほど経験を積めば、晴れて一人前としてこのギルドに認められるのですか」
「し……しばらくだ! しばらく働け! そうすれば認めてやらんこともない!」
「しばらくとは具体的にどれほどの期間ですか。あるいは何件ほど経験すればよろしいですか」
「しばらくと言ったらしばらくだ! とにかくそこの男をまずは連れ出してくれ!」
「くそが!」
マレットさんが叩きつけた拳によって、派手な音を立てて、ギルドの鉄格子の門扉がひしゃげる。
「よりにもよって、ギルドの仲間を締め付けておいて、何がギルドだ!
マレットさんの怒りは収まらないらしいが、縄張り争いと新人への当たりの強さは、集団によってはよく聞く話だ。
もちろん腹が立ってしょうがないが、だったらどんな小さな仕事でもガンガン受けて、さっさと実績とやらを積んでやろうじゃないか!
「……あんた意外に打たれ強いんだな」
「この町に来て色々ありましたからね」
嘆いてるだけでは何もできない。リトリィを奪われ、そしてこの手で奪還してから、俺も少しはタフになれたような気がする。
負けてられるか!
俺には俺を慕ってくれる妻が二人もいるんだ。
二人の幸せのためなら、なんだってやってやる。ギルドが実績を要求するなら、泥をすすってでも作ってやるさ!
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