第356話:スポドリ片手に『今日も一日ご安全に!』

 俺が現場に入って早々に西側の壁をぶち壊してしまったこと以外は、おおむね問題なく作業は進んでいった。ほぼ全壊状態となってしまった関係で、ここを新しい「穴あきレンガ」の実験をするにもちょうど都合が良かった。


 ところで、この世界に鉄筋コンクリートという概念はまだ存在しない。よって、レンガに通す鉄筋もない。どう調達しようかと思っていたら、足場づくり用に乾燥させた竹が十分な在庫を抱えていたということで、鉄筋ならぬ竹筋ちくきんによる施工を試すことになった。


 実際、竹筋コンクリートっていう建築方法もあるにはあるのだ。現場の連中には何でこんなことを、と首を傾げられたが、構造強化の手法として納得してもらった。




「だんなさま、どうして一日に積み上げることができる高さは、三尺までなんですか?」


 現場に差し入れに来たリトリィが、足場に囲まれ、積み上がってきたレンガの壁を、目を細めて見ながら聞いてきた。

 レンガ積みが始まってから一週間。それなりに高く積み上がってきている。


「リトリィは、モルタルって分かるよな?」

「はい。あの灰色の、レンガとレンガの間にあるもの、ですよね?」

「ああ、正解。レンガとレンガを繋ぐ、糊みたいなものだ」


 俺の言葉に、リトリィが俺を見上げてしっぽをばっさばっさと振る。彼女が何が言ったわけでもないが、そういう一つ一つの仕草が、ひどく愛らしく感じられる。こんな時の彼女は、いつもより若干幼く感じられるから不思議だ。――いや、普段が大人びていると言った方がいいのかもしれないが。

 

「モルタルは焼いた石灰と砂で出来てるとはいっても、余り積み上げると、重みで潰れちまうんだよ」

「それで、一日に三尺までの高さって決められてるんですね」

「この世界では一日にどれくらいまで積み上げていいと決められているかは知らないが、俺達の世界では三尺ほどって決められていた。だから、この現場も三尺までと俺が決めたんだ」


 実際は一日に施工できる高さは一メートルまで、という制限だ。一尺はおよそ三十センチメートルだから、日本の基準に照らせば約三尺、というわけだ。俺の言葉にいちいち感心してみせるリトリィに、俺は胸がくすぐったくなる。


「あ、お姉さま! 差し入れありがとうございます!」


 二階部分の足場のほうから、保護帽のひさしを持ち上げ、マイセルがこちらに向けて大きく手を振った。


「みんな、差し入れですよ!」


 マイセルの言葉に、作業に当たっていた大工達の手が止まる。


「おかみさん、いつも『ゴチソウサマ』です!」

「今日は井戸水で十分に冷やしてきたアキウス瓜ですよ、手を洗ったらこちらにいらしてくださいね?」


 みんなの歓声が上がる。

 アキウス瓜はスイカに似た、深緑色のラグビーボール大の果物だ。味はスイカとメロンを足して薄くしたような感じで、果肉は赤みがかった紫色。完熟するまえに、白い種ごと食べる。

 初めて見たときはそのあまりに毒々しい紫色の果肉に、食欲など吹き飛んでしまったものだ。


「おかみさん! 塩、塩はありますか!?」

「はいはい。ちゃんと用意してありますよ?」


 リトリィが陶器の白い器を示すと、若い衆達がまた歓声を上げ、先を争うように降りてこようとした。


「おぉい、足場の上では」

「わ、分かってますよ! 『ご安全に』!」


 足場の柱を伝って飛び降りてこようとした連中は、俺の声を聞いて不自然な早歩きで階段を降りてくる。俺が初めて立った現場では見られなかった保護帽ヘルメット姿も、今となってはすっかり見慣れたものだ。


 アキウス瓜はもともとそのまま食べるものだったそうだが、微妙にスイカっぽい味だと思った俺が塩をつけて食べてみたところ、まあいわゆる「スイカに塩」な味だったので、現場の塩分補給も兼ねて広めたのだ。

 おかげで、今ではこの食べ方が、この現場での定番の食べ方になっている。


 最初のうちはゲテモノ食いの目で見られていた。なにせマイセルがドン引きしていたくらいだ。「甘いものにわざわざ塩をかけるって、味覚、大丈夫っスか?」などと本気で気の毒そうに心配する奴もいた


 そんなわけで、始めのうちは、俺以外に「アキウス瓜に塩」を何のためらいもなく実践してくれたのはリトリィだけだった。

 で、大げさにおいしいと連呼してくれて、マイセルにもすすめて、はじめはひきつった顔で遠慮し続けていたマイセルが、遂に断り切れなくなってひと口食って――


 今では、マイセルも「アキウス瓜に塩」教の筆頭信者、ついでに現場の大工達も全員めでたく「アキウス瓜に塩」教信者である。


「じゃあ、みんなもそろったみたいだし、もらおうか。リトリィ、いただきます」

「おかみさん、『イタダキマス』!」


 リトリィが切ってくれた、あの日本でも定番の三角の形のアキウス瓜。

 俺が手を合わせてひとつ目をとると、野郎どももそろって手をあわせて『イタダキマス』を唱和し、争うように瓜を手に取って塩ツボを数回振ると、すごい勢いでかぶりついていく。


「ふふ、まだいっぱいありますから、あわてずゆっくり食べてくださいね?」

「うっす! おかみさん、『ゴチソウサマ』です!」


 若い衆が一斉に頭を下げるのを、リトリィが微笑みながら、次のアキウス瓜に包丁を入れていく。

 スイカと違って種まで食べることができるのが、面倒がなくてありがたい。まあ、黒いスイカの種を遠くまで飛ばして遊んでいた子供のころの記憶、あれはあれで楽しかったけれど。

 すごい勢いで平らげていく若い衆に全て食い尽くされる前に、俺も二つ目をゆっくりいただくことにする。


「お水は、足りていますか? なければいま、詰めますよ?」


 リトリィに聞かれて、若衆たちが一斉に腰の水筒を差し出す。いつものこととはいえ、もう少し遠慮しろお前ら。


「じゃあ、詰めておきますから、置いておいてくださいね?」

「おかみさん、ありがとうございます!」


 そう。

 もう一つ、俺がこの世界にもたらしたものがある。

 夏の定番のドリンクだ。


 リトリィに作ってもらった、縦三寸、横三寸、高さ三寸の計量マス。

 これでおよそ一リットル。

 この分量の水に対して、塩をスプーン二杯ほど。

 そしてはちみつ適量、香り付けに柑橘類の果汁。以上。


 これが何かと言ったら、自家製のスポーツドリンクだ。

 なんのことはない。この暑い中で働く作業員たちのために、熱中症対策のつもりで作った生理食塩水に、はちみつなどで甘味と香りをつけただけである。

 これを一人ひとつ、必ず水筒に詰めて持たせた。喉が渇けばすぐに飲めるように。


 これがもう、大当たりだった。疲れ知らずで働ける、なかば魔法の薬のような扱いである。


 怒鳴りもせず、いつもありがとうと言って頭を下げて回り、疲れ知らずの水をよこし、おまけに金色のおかみさんがいつもニコニコと差し入れをしてくれる――

 いつのまにか俺は、神か仏のような現場監督というような扱いになっていた。


 俺は設計ならそこそこの経験があるものの、現場監督など今まで一度もやったことがなかった。現場に出向くこともあったが、あくまでも現場の様子を確認し、不具合や追加の要望などがあれば修正する、その程度しかやったことがなかった。

 だから、黙々と働いてもらえるだけで有り難いと思って、周りに頭を下げていただけなんだ。


 もちろん、マレットさんが事務的な手続きや現場の段取りを全て取り仕切ってくれているから、俺がニコニコしていられるだけなんだろうけど。




『今日も一日、ご安全に!』


 俺が言い出した言葉を若い衆が真似しだして、今では注意の合言葉になった『ご安全に』。

 それから、『イタダキマス』と『ゴチソウサマ』、「アキウス瓜に塩」に「スポーツドリンク」の携帯。


 日本で当たり前にしていたことが、こちらの現場でも浸透していっている。

 俺が生きている間に、どれだけの日本文化を、俺は食い込ませていくことができるんだろう。

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