第350話:お菓子をくれなきゃ……
「それにしても、なんというか、このあたりの街並みっていうのは、妙な圧迫感があるな」
「そうですか? 静かで、どっしりした感じがして、私は好きですけど」
俺の言葉に、マイセルが不思議そうに答えた。
彼女にとっては幼いころから慣れ親しんできた街だ、その感想も分かる。
俺も、こうした街並みは、知らないわけじゃない。
この、街路に面して直接にょきにょきと家が生えている光景。ヨーロッパの古い町並みがそんな感じだったか。
「……そういえば、こういった古い家が立ち並ぶ区画ってのは、それだけ昔からの人が、代々住んでるってことか?」
「まさか。このあたりの家は、たいてい借家です。そうでなければ、空き家になった家を買って入る、といったかんじですね」
「……そうなのか?」
「そうですよ?」
なるほど、日本とはだいぶ違うな。
だが、ヨーロッパはそういう感じだったか。昔からの街並みの街なんかは、そういうパターンが多かった気がする。
家は建てるものではなく、先祖から譲り受けるか、買うか、借りるかするもの。外装はそのままで、内装はリフォームしながら使う、という暮らしが一般的な地域もあるらしい。
「……石造りの文化の利点だな。外装の耐久性能が高いから、そういうことができるんだろうな」
「そうですね」
マイセルはうなずくと、ぐるりと周りを見る。
「この辺りは、まだ家を建てるのに厳しい制限があったころの街なんですよ。いずれは新しい城壁で囲む予定だったんです。土地の利用制限も厳しかったですし、だからこんな、通りのぎりぎりまで家を建ててたんです」
「なるほど、ね――」
通りに面した、垂直の壁。窓を開ければ、通りを挟んですぐ目の前にまた家がある状況。
向かいの家との物の貸し借りも、窓から窓にむけて放り投げるような、そんな生活感が伝わってくる。
ただ、それはあくまでも二階の話だ。一階は窓も狭く細長く小さく、決して快適とは言えない。レンガ造りゆえに、暗く、そして寒い家だろう。
「マイセルは、今の家と、ここらあたりの家なら、どっちで暮らしたい?」
「え? それはもちろん、いまのおうちです」
満面の笑顔で返された。
「だって、ムラタさんと一緒に建てた家ですよ? 世界で一番、素敵なおうちです」
「それを抜いたら?」
「それでも、明かりがいっぱいのおうちですよ? このあたりのおうちも悪くないですけど、やっぱり朝から夕方まで明るいおうちっていうのは、とっても暮らしやすいですから」
「だよなあ……」
「それにお庭が広いですから、お洗濯ものもいっぱい干せて、気持ちがいいです」
言われて、ふと気づく。そういえば、このあたりの家は、洗濯物をどうやって干しているんだろう? 庭もないし、家と家の間にロープをかけて干しているような光景も見られない。
「それは、おうちの中だと思いますよ?」
「家の中? 乾くのか?」
「乾くまで干しておくんです」
……なるほど、洗濯物を干すのも一苦労というわけか。
おまけに家の中で干すということは、家の中の一角が、常に洗濯物で占領されているということだ。おそらく風も通る窓辺あたりが、その洗濯物エリアとして常に使えなくなるのかもしれない。
こうしてもうすぐ夕方というころに歩いていると、暗さが際立って、余計に太陽が恋しくなる。
そう思案しながら歩いていた時だった。
なにやら、奇抜な格好をした子供たちが、路地から飛び出してきた。そのまま家の前に集まると、ドアをどんどんと叩き始める。
「……なんだあれ?」
マイセルに聞くと、マイセルが微笑みながら答えた。
「ああ、今日は
やがてドアが開くと、子供たちは次々にごにょごにょ言い始める。
翻訳首輪の有効範囲から遠いせいだろう、なんと言っているかが分からない。
だが、対応に出た老婆が天を仰いでひどく取り乱してみせ、そして一度引っ込むと、子供たちに、なにやら草皮紙で出来た、帽子のようなものを差し出した。
「……おい、あれってほっといていいのか? とても物乞いとか、そういうレベルには見えないぞ?」
「いいんですよ! ムラタさん、見ててください」
子供たちは歓声を上げると、帽子を受け取り、リーダーと思しき少女が、老婆の頭の上で弧を描くようにして杖を振り、ぺこりとお辞儀をする。周りの子供たちも同じようにお辞儀をすると、歓声を上げてどこかへ走り去っていった。
老婆は、帽子を奪われたにもかかわらず、にこにこと見送っている。
「ふふ、昔は私もやってたんですよ?」
「え、あの強盗まがいなことを?」
「強盗ってなんですか。
「
「はい!」
盛夏祭とは、これから本格的な夏を迎えるにあたって、神々に無事に過ごせるように祈る祭りだという。
その際、いたずら好きな妖精たちが神の先ぶれとして家々を訪れ、信仰心のない家の大切なものを逆さまにひっくり返したり、食べ物を腐らせたり、子供を妖精の子供と取り替えたりするのだそうだ。
人間側も、そんなことをされてはたまったものではないので、玄関にミルクを入れた皿を置いておき、妖精を買収するのだ。ミルクで満腹になった妖精は、その家の者の信仰心を試すのを忘れ、帰ってしまうのだという。
「それと、さっきの子供たちがどう関係するんだ?」
「だからそれですよ。『神を畏れる心、ありやなしや?』って、子供たちが妖精のかっこうをして家々を回るんです。大人は、そんな子供たちが来るのを待っていて、ミルクの代わりに紙の帽子いっぱいのお菓子を渡すんですよ」
お菓子で
そう言っている間に、また別の仮装集団が、他の家に向かって突撃していく。耳を澄ませると、どうもあちこちで始まったらしい。
「……どっかで聞いたことがある祭りだな」
ハロウィンみたいなものだろうか、そんなことを思い浮かべながらマイセルに聞くと、ニコニコしながらうなずいてみせた。
「この時期、どこの街でもやってますよ? お菓子が楽しみでしたから、私もこの祭りが大好きでした」
「……じゃあ、いまごろ、うちでもリトリィが子供たちに同じように対応してるってことか?」
「そうですね。仕込み自体は、お姉さま、昨日からやってましたよ?」
「ひょっとして、麦を練っていたアレか? ――ああ、あれ、そのためだったのか」
盛夏祭なるものを知らなかった俺は、てっきり、パンか何かを焼くためだと思っていた。
「そうですよ? 今頃、おうちにも子供たちが……って、帰らなきゃ! うち、新婚だから、きっと子供たちがいっぱい群がってるもの!」
そう言って、マイセルは俺の手を引っ張って駆け出した。
「し、新婚だと、なにかあるのか?」
「新婚さんはいっぱい祝福を受けてるでしょ? だから、そのぶん幸せをいっぱい持ってるからって、その家のお菓子は特別なんですよ! 子供たちの間で取り合いになるくらいに!」
家に入るのにしばらく時間がかかった。
玄関の前は子供たちの群れでもみくちゃになっていて、なかなか前進できなかったからである。
どうしてこんなにも子供たちが殺到しているのか、新婚の家はほかにもあるはずなのにと聞いたら、マイセルに呆れられた。
「だってうちは、あのナリクァンさんがお皿を盛大に配ってた家ですよ! 誰だって、うちが新婚さんだって知ってますよ!」
くそう、あの、ナリクァンさんがフリスビーの如く投げた皿が玄関のドアにぶっ刺さった、あの騒夜祭のアレか!
あのときの皿、記念だからって、リトリィが補強材までつけて、玄関ドアに刺したままにしてあるんだよ! 今じゃナリクァンメモリアルみたいな感じで、訪問客はみんな触っていくくらいだ!
その抜群の宣伝効果のせいか、日がすっかり落ちるまで、子供たちがひっきりなしにやってきてはお菓子をねだっていった。
しまいには焼き菓子の不足が見込まれたから、慌てて追加を焼いたくらいだ。
焼きたてを配り始めたときには、すでにもらった子供たちが本気でうらやましがって、追加をねだってきたのには参った。
不足が見込まれたから追加分を焼いたんであって、すでにくれてやった奴にまで振舞ってたらこっちの
「……ああ、疲れた」
「ふふ、おつかれさまでした」
気づけばすっかり暗くなった家の中。
マイセルなど、ソファーに座った途端にうつらうつらとし始め、今ではすっかり寝入ってしまっていた。夕飯も食べずに。
ぐったりとしている俺に、リトリィがお茶と茶菓子を差し出してきた。
俺はお茶を一息に空けると、おかわりを求めた。リトリィは嬉しそうにカップを手に取ると、二杯目を注いでくれる。
栗の渋皮煮のような茶菓子を口に放り込むと、玉ねぎがほぐれるように砕けていくのと同時に、濃厚なアルコールの香りと甘み、そしてぴりぴりとした刺激が口の中に広がった。
栗の食感を思い浮かべながら口に放り込んだから、その落差に驚いた。まずいわけではない。しかし、知っている感覚とのずれが、脳をバグらせる。
「……なんだこれ?」
「ふふ、なんでしょう?」
リトリィがいたずらっぽく笑う。ぴこぴこと耳が動いているから、きっと彼女は何かを仕掛けたんだろう。まあ、彼女のいたずらなど知れたものだ。少なくとも、絶対に俺にとって不利益なことなどしないのだから。
というか、さっきまで着ていた服はどこに行った。なんでエプロン一枚でいるんだ。いや、うれしいです。とっても。
「リトリィの方がずっと働いてたのに……。どうしてそんなに、平気なんだ?」
テーブルに突っ伏しながらも、エプロンからこぼれそうな豊満な胸をちらちらと見やりながら言った俺の隣に、リトリィは座る。
「そんなことないですよ? わたしもつかれちゃいました」
「でも、楽しかったですね。わたしたちにも仔ができたら、ああやってご近所さまを回ってくるようになるんでしょうか」
「そうなるだろうな」
「ふふ、たのしみです」
そう言って、俺の首筋から耳の裏あたりをくんくんとかぐ。
リトリィは、俺の匂いが好きらしい。とくに、そこの匂い。
しばらくそうしてソファで休んでいると、リトリィがぺろりと、俺の唇をなめてみせた。
「つかれちゃいましたから、ご褒美がほしいです、あなた?」
「……ご褒美?」
「はい!」
嬉しそうに鼻面を頬に押し付けると、小さな声で、彼女はそっとつぶやいた。
「神を畏れる心、ありやなしや?」
――ああ、子供たちがお菓子をねだるための、あの言葉……。
「……リトリィ、俺はお菓子なんて持っては――」
言いかけた俺は、妙に体が火照ってきているのに気づいた。
この感覚――
「ふふ、
――なるほど。
いたずらっぽい目は、そのせいだったんだな。
まったく、リトリィの言うとおりだよ、ほてりを感じてから、俺のモノはもう、ズボンを突き破らんとする勢いだ
いいともさ、たっぷり食べさせてやるよ。
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